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当時の状況を考えると、アーサーを止めるよりも先に、ジェイダーの身に危険が迫っていた可能性が高い。そんなことになってしまえば、事態はもっと悪化していた。
それにミラの受けた仕打ちを知ってしまえば、ジェイダーがいないロイダラス王国に、兄が手を貸すことはなかったと思われる。
ミラだって、さっさと自分の国に帰っていただろう。
だからジェイダーが地方に留まっていなければ、この国は王都崩壊とともに、魔物によって滅ぼされていた。
「そう、ですね。すみません。過去に囚われても仕方がないとわかっているのですが」
「思っていることがあるのなら、今のうちに話してしまった方がいい。王都に行けば、それもできなくなる」
「……はい」
ジェイダーは頷いた。
おそらく王都の状況は、あまり良くないだろう。だが、彼はここから何とか国を建て直さなくてはならないのだ。その重圧も相当なものだろう。
ミラはこの国の王妃になることはできないが、彼に迫る危険を取り除くことはできる。
「この先、どんな魔物が出たとしても、私がみんなを守ります。だから心配しないでください」
胸を張ってそう言うと、心配そうにジェイダーを見守っていたラウルが呆れたように笑った。
「無理はするな。くれぐれも、ひとりで暴走しないように」
「ラウルだって、たまにひとりで無理をするわ」
そう反撃すると、身に覚えがある彼は、反論できない様子で口を閉ざす。その様子がおかしくて、ミラはくすくすと笑った。
「大丈夫。今までのように、これからもずっと私たちは、互いに監視し合えばいいのよ」
これからも、ずっと。
笑いながらも、その言葉を否定されるのが怖くて、少しだけ身構える。
「ああ、そうだな。互いに気を付けることにしよう」
けれどラウルは当たり前のようにその言葉を受け入れて、頷いてくれる。
それが嬉しくて、ミラは思わず表情を緩めていた。
「そろそろお兄様が戻ってくるかもしれないから、急いで夕食の支度をするわ」
そう言って、立ち上がる。
手伝うというラウルの申し出を丁重に断って、ひとりで手早く夕食の支度をする。ちょうど出来上がる頃に、兄も戻ってきた。
「本当に、上達したな……」
並んだ料理を見て、兄が感嘆の声を上げる。
「料理は好きだから、これからも続けていきたいと思っているの」
兄に褒められたのが嬉しくて、笑みを浮かべながらそう告げると、兄は静かに頷いた。
「これからも必要なことだろうから、頑張るのは良いことだ」
「お兄様……」
ミラはロイダラス王国が落ち着いたあとは、旅に出たいと思っている。でも、それに対して兄は即答せずに、返事を保留にしていた。
エイタス王国の国王として、簡単に許可が出せないことはわかっている。
でも、これからも必要だろうという兄のその言葉は、ミラが旅に出ることを許してくれたような気がした。
(ありがとう、お兄様)
心のうちでそっと呟く。
兄はエイタス王国の国王の立場から、ミラを外に出すことをなかなか認めてくれないと思っていた。この国の復興が終わるまでには、何とか説得しなければならないと考えていたくらいだ。
それなのに、ミラの覚悟が本物だと理解してくれた。それがたまらなく嬉しかった。
「明日からは、町にも立ち寄って被害の状況を確認していこう」
夕食を終えると、兄はそう言ってミラを見た。
「怪我人がいるかもしれない。だが、治癒魔法を使うのは命の危険がある重傷者だけにしてくれ」
「……わかったわ」
兄の言葉に、素直に頷いた。
ミラとしては、些細な怪我はもちろん、その怪我による苦痛もすべて取り除いてやりたいくらいだ。
だが、まだ王都までは距離がある。王都に近付くにつれ、魔物の数が増えていくことを考えると、力は温存しなければならないだろう。
「もしかしたら、早急に保護が必要な町もあるかもしれない。だが、今は王都の奪還が最優先だ。それを各自、心に止めておいてほしい」
もちろん、目の前で襲われている人を見捨てるようなことはしない。それでも、まず王都を奪還し、体制を整えなくてはならないと、兄は言う。
「国が崩壊した状態のままだと人々は混乱し、争いや略奪などが増える。それを抑制するためにも、まずはジェイダーが健在だと示し、この国はまだ滅びていないと示す必要がある」
兄の視線がラウルに移り、彼は小さく頷いた。これから先のことを二人で話し合い、そう決めたのかもしれない。
「……わかりました。まず、王都に戻ることを第一に考えます」
ジェイダーも素直に頷いた。
彼を無事に王都に送り届けることが、今は何よりも大切なことだと、ミラも心に刻む。
だが山を越えてからの旅は、予想以上に過酷なものだった。
今まで兄もラウルも、山を越えて魔物を討伐しに行くことはなかった。
そのせいか、小さな町や村のほとんどは破壊し尽くされ、怪我人どころか生き残りを探すのも困難なほどだ。ただの瓦礫の山となった町を見てジェイダーは立ち尽くし、護衛の冒険者たちも、ここから先に進むことを戸惑うほどだ。
「おそらく、生き残った人達は城壁のある大きな町に逃げ込んだのだろう」
町の様子をくまなく調べてきたラウルの言葉がなければ、王都に辿り着く前に絶望していたかもしれない。
「本当、ですか?」
「馬や荷馬車がひとつも残っていない。おそらく、小さな町では魔物の侵攻を食い止めることはできないと見越して、早めに避難したと思う」
「……そうですか」
心底安堵した様子で、ジェイダーが頷く。
ラウルの言葉に安堵したのは彼だけではなく、兄もミラも同じだった。
町の様子を注意深く観察してみると、彼の言うように、町の人達は荷物をまとめて逃げる余裕があったようだ。
それでも、予想していたよりも厳しい状況なのは間違いない。
魔物との戦いも、おそらく激しいものになるだろう。
それでもミラは聖女として、ジェイダーだけではなく、生き残った人達すべてを守ると決めていた。




