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ジェイダーの部屋に入ると、ひやりとした空気が身を包んだ。もう冬になろうとしているが、まだ暖炉に火を入れていないようだ。
ロイダラス王国は年中穏やかな気候だが、エイタス王国の国境に近いこの町は、さすがに冬になると冷え込む。
「ああ、すみません。すぐに暖炉に火をつけますね」
机の上に地図を広げ、真剣な顔をしていたジェイダーは、ミラの姿に気が付くとそう言って立ち上がった。
「いいえ、大丈夫よ」
わざわざ自分のためにすることはないと、慌てて断る。
「そういうわけにはいきません。あなたに何かあったら大変ですから」
だがジェイダーはそう言うと、自分で暖炉に火をつけた。
すっかり町の生活に馴染んでしまったミラは、こうして丁重に扱われることに、少し居心地の悪さを感じるようになっていた。でも南方出身で、雨に濡れたばかりのラウルのためには必要だと思い直す。
「ありがとうございます」
素直に礼を言うと、ジェイダーは嬉しそうに微笑んだ。
この国を建て直さなくてはと気負っている彼の笑顔を、久しぶりに見た気がする。彼の背負うものは途轍もなく大きい。
「王都に向かわせた者達から、報告が入った」
この場を仕切るのは、兄のリロイドだ。報告書らしき書類に目を通しながら、王都の状況を説明してくれた。
「建物はほぼ壊滅しているが、生き残りは思っていたよりも多かったようだ」
「……よかった」
それを聞いて、ミラは胸を撫で下ろす。
逃げてきた人達からの情報では、もう生き残りはほとんどいないのではないかと思われていた。
多くの人達が生存しているのならば喜ばしいことだ。
だが、周辺にはまだ魔物が数多く徘徊しているだろう。一刻も早く、救援に向かわなくてはならない。
ジェイダーもそう思ったらしく、思いつめたような表情をしてこう言った。
「それでは、すぐにでも王都に向かわなくてはなりません」
「報告によると、生存者を取りまとめている者がいるようだ」
兄は今すぐにでも出立しそうな勢いのジェイダーに、静かにそう説明する。
グリーソン公爵という、かなり高位の貴族のようだ。
彼は貴族のみならず、生き残りの平民達もすべて王城に保護していた。そして残った騎士を取りまとめ、魔物と戦いながら城を守っているようだ。
「……そうですか。グリーソン公爵が」
知っているかと兄に尋ねられたジェイダーは、神妙な顔をして頷いた。
「はい。公爵は、父の従弟です」
グリーソン公爵は、ロイダラス王国の王族の血を引いているようだ。それなら、他の貴族も納得して彼に従っているのだろう。
だが、戦力にも貯蓄にも限界がある。早いうちに救出に向かわなくてはならない。
問題は、この町の守りだ。
ミラが結界を張り、この周辺の魔物はほとんど退治した。だがこの町に住んでいるのは、女性や老人、子どもなど、立場の弱い者が多い。ここでジェイダーやミラ、ラウルとリロイドまで町を離れてしまえば、何かあったときに町を守れなくなってしまう。
以前も、ミラが少し町を離れたとき、聖女がこの町を見捨てたのではないかと、ちょっとした騒動になってしまった。
「エイタス王国の騎士を置いていく」
どうすればいいのか、話し合いをしていたとき、兄がそう言った。
「騎士を?」
兄はこの国を訪れたとき、護衛として複数の騎士を連れていた。
エイタス国王の護衛騎士なのだから、もちろん最強の軍事力を誇るエイタス王国の騎士団の中でも、特に精悦の者である。
「それならたしかに安心ね」
兄の提案に、ミラも頷いた。
王都までの道のりにも魔物が多数出没する可能性がある。
だが、兄リロイドとラウル。そして【護りの聖女】ミラがいるのだから、何の心配もない。
平常時であれば、他国の町に騎士を配置するのは問題になるかもしれないが、今は非常時である。それに、この国の第二王子であるジェイダーが承諾してくれている。
「ミラ、王都までの旅は過酷かもしれないが、大丈夫か?」
昔からミラに対しては過保護な兄は、心配そうだ。
でも王都を追われ、さらに犯罪者として指名手配までされたのだ。今さら王都に向かうことくらい、何でもない。しかも兄とラウルが一緒にいるのだ。
「もちろん大丈夫よ。野営だって、もう慣れているわ」
笑顔でそう告げる。
長旅を不安に思うどころか、むしろ女性はミラだけだろうから、ひさしぶりに存分に料理ができると張り切っていた。
町にいると、料理に関してはベテランの女性が多くいる。だから聖女としての仕事があるミラでは、どうしても手伝い程度になってしまう。
それでも料理の楽しさに目覚めたミラは、試してみたいこと、やってみたいことがたくさんある。これを機会に、いろいろと挑戦してみようと思う。
「お兄様、出発はいつ?」
「そうだな。まず周辺を調査している騎士を、この町に集めなくてはならないからな」
ジェイダーもこの町の代表を決め、何かあったときの連絡方法などを決める必要がある。
だが王都までの道のりを考えると、あまり悠長にもしていられない。
検討した結果、一行は五日後にこの町を出発することが決まった。
町の人達は、やはりミラがこの町を離れることを不安がった。
それでもエイタス王国の騎士がこの町を守ってくれること。
もしこの町が魔物に襲われて、再び壊滅するようなことがあれば、騎士達がエイタス王国まで避難させてくれることを聞き、納得してくれたようだ。
ロイダラス王国の兵士よりも、隣国であるエイタス王国の騎士のほうが信頼されている。
そのことを、ジェイダーは改めて思い知ったようだ。
彼は少し落ち込んだ様子だったが、この国の王族の信頼をここまで低下させてしまったのは、アーサーだ。ジェイダーが気に病む必要はまったくない。
そう言って励ますと、彼は白い頬をほんのりと薄紅色に染めて頷いた。
「ありがとうございます。何とか信頼を取り戻せるように、これから精一杯頑張ります」




