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「アーサー様。どうしてここに……」
最後に彼を見たのは、偽聖女の汚名を着せられて追放されたとき以来だ。
アーサーは崩壊した王都から逃げ延びてきたとは思えないほど、あのときと変わらない姿だった。
けれどその瞳だけは、追い詰められた獣のように狂気にも似た光を宿していた。
ミラはそんなアーサーが恐ろしくなって、思わず後退る。
(そういえば、怪我人は?)
気になってそっと周囲を見渡してみたけれど、ミラをここまで連れてきた女性の姿はなかった。怪我人がいるというも、嘘だったのかもしれない。
「どの聖女も役立たずばかりだ。ひとりは、出自を偽装していた能無し。もうひとりは、せっかく重宝してやったのに、報酬を持ち逃げした」
アーサーは吐き捨てるようにそう言うと、ミラを見て歪んだ笑みを浮かべる。
「マリーレは、伯爵家の娘などではなかった。ただの下賤の者が、ディアロ伯爵と共謀して、聖女になろうとしたに過ぎない。私は、あの反逆者達に騙されていた。あの女の方が、偽聖女だったのだ」
「……」
アーサーは手を差し伸べたが、もちろんミラがその手を取るはずがない。
それにアーサーは偽物だというが、ミラはマリーレに聖女の力を感じていた。ただあまりにも弱すぎて、それを使うことができないだけだ。
「もうひとりの聖女は、使える女だと思っていたのに、私を欺き、裏切った。必ず見つけ出して、八つ裂きにしてやる」
憎々しげにそう言ったあとに、ふいに優しい笑みを浮かべてミラを見つめた。
「やはりこの国の聖女は、お前しかいない。私とともに、この国を建て直そう」
言っている言葉は、ジェイダーと同じ。
だが、彼とは言葉の重さも覚悟もまったく違う。
何があっても、アーサーの手を取ることだけは、絶対にないだろう。
「……私を偽聖女だと言って追放したのは、アーサー様でした」
そう反論すると、穏やかに笑みを浮かべていたアーサーが、たちまち険しい顔になる。
「それは、あの女……。マリーレに騙されていたからだ。そうでなければ、あんな女を聖女として認めることはなかった」
「私を、聖女に呪いをかけたとして、追わせたことも?」
「あれは、マリーレが力を使えないのはお前のせいだと言ったからだ。あの女の養父も、娘のために偽聖女を捕らえるために私兵を動かす許可が欲しいなどと言って、追手をかけた」
すべてはディアロ伯爵とマリーレのせいだと言いたいようだ。
だが、世間知らずだったあのときのミラとは違い、そんな上辺だけの言葉に騙されたりはしない。
「私はこの国の聖女にはなりません。もう二度と、あなたと婚約することもないでしょう。ジェイダー様に力を貸すことはあっても、あなたに手を貸すことなどあり得ない」
「……ジェイダー、だと?」
異母弟の名前を聞いて、アーサーは逆上したようだ。
「あんな奴にお前は渡さない。私と一緒に来い!」
「私は、エイタス王国の王妹ミラです。あなたの命令に従う謂れはありません」
きっぱりとそう告げる。
だが、ますます逆上したアーサーは、ミラの腕を掴んで強く引き寄せた。
「お前は私のものだ。誰にも渡さない!」
「きゃあっ」
バランスを崩して倒れそうになるところを、荷物のように引き摺られる。突然の暴力に腕が痛み、まだ回復していない身体が悲鳴を上げた。
「ラウル!」
思わず、助けを求めるように彼の名を呼んだ。
ラウルのいる表門は、ここから一番遠い場所だ。どんなに叫んでも、声が聞こえるとは思えない。
「ラウル、助けて……。ラウル!」
それでも、必死にその名を呼び続けた。
「……チッ。他の男の名を呼ぶな!」
頬に、鋭い痛み。
衝撃に意識が遠のいていく。何とか抵抗しようとしたが、ミラの意識は闇に沈んでいった。




