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憔悴したジェイダーの懇願に、ミラは言葉を失った。
たしかに少し前までは、このロイダラス王国の王妃になるはずだった。
一度は、この国で生きる覚悟を決めた。
けれどすべて、アーサーの身勝手な行動で白紙になってしまったことだ。
今も、どこまで支援を続けるべきか悩んでいたくらいである。
アーサーの裏切り。
今まで守っていた町の人達からも、偽聖女として罵られていたこと。
罪人として追われたこと。
たくさんのことが積み重なり、ミラの心はもう、この国から離れていた。
この町の支援が終わったら、エイタス王国に帰ると決めていたのに。
それでも、縋るように握られている手を離すことができなくて、ミラは戸惑う。
「……私の一存で決められることではありません。すべて、エイタス王国の国王である兄が決めることです」
どう答えたらわからずに迷っていたミラは、ようやくそれだけを口にした。
それは言い訳などではなく事実で、王族の結婚を決めるのは、国王である兄だ。
ミラが、勝手に答えて良いことではなかった。
妹達を大切にしている兄ならミラの希望を優先してくれるだろうが、アーサーによる婚約破棄があったばかりだ。
ミラ自身が強く望まない限り、ロイダラス王国に嫁ぐことを許すとは思えなかった。
「ええ、そうですね。申し訳ありません」
ジェイダーは頷くと、ミラの手を離して、疲れ切った顔で言った。
「ミラ様のお見舞いに来たはずが、余計なことを口にしてしまいました。どうか忘れてください」
「……」
力なく微笑む姿に、罪悪感が募る。
ジェイダーは、どうかゆっくりと休んでくださいと言って、部屋を出て行った。その後ろ姿を見送り、きつく目を閉じる。
ミラはこの町の復興だけ見届ければいいが、ジェイダーの道のりは長い。
これから、増えすぎた住人の安全な居場所の確保。壊滅した王都の復興に、兄であるアーサーのこともある。
王都が壊滅した今、彼がどうなっているのかわからないが、もし無事ならば、王位を巡っての争いもあるだろう。
今はなりを潜めている貴族達も、この国が復興してきたら、再び動き出すに違いない。
この先、アーサー派とジェイダー派に分かれて、争うことも考えられる。貴族達の諍いが大きくなれば、復興に支障をきたすこともあるだろう。そんなことになれば、町の人達の不満も大きくなるに違いない。
まだ信頼できる味方のいないジェイダーが、ミラに頼ってしまうのも仕方がない状況かもしれない。
今のミラに、この国の王妃になるという決意をすることはできないが、なるべくジェイダーの手助けをしたいと強く思う。
(それには、どうしたらいいのかしら……)
ラウルに相談してみたいと思うが、ジェイダーはミラにこの国の王妃になることを望んでいる。それを彼に話すのは、何となく躊躇いがあった。
やはり兄と合流してから相談するのが、一番かもしれない。
エイタス王国に向かった侍女は、無事に辿り着いただろうか。そろそろ兄から連絡が来ても良い頃だ。
兄とよく相談して、この国ではなくジェイダーのために、できる限りのことをしようと思う。
「あの、ミラ様!」
そんなことを思っていたミラの元に、ひとりの避難民と思われる女性が、慌てた様子で駆け込んできた。
「どうぞお助けください。重傷者がいます。もう、助からないかもしれません!」
涙声に即座に反応して、ミラは立ち上がる。
少し眩暈がしたが、それを必死に堪えて、その女性の後に続いた。
「すぐに行きます。どこですか?」
「町の裏門の近くです。そこから動かせなくて……」
「わかったわ」
きっと、魔物に襲われながらも必死に逃げてきた者なのだろう。
表門には、ラウルがいるはずだ。
向こう側だったら、彼に怪我人を運んでもらうこともできた。
ラウルを呼んだほうがいいかもしれないと思ったが、女性があまりにも必死にミラを連れて行こうとするので、怪我人の治療が先だと思い、彼女のあとに続く。
だが、裏門には誰もいない。
「怪我人は?」
不思議に思って門を出て周囲を見渡すと、物陰からひとりの男が姿を現した。
「……久しぶりだな、ミラ」
「!」
それは、間違いなくかつての婚約者。
ロイダラス王国の王太子であり国王代理でもある、アーサーだった。




