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(無事にエイタス王国に帰ることができたら、頑張って働いて、きちんとお礼を払わなくてはね)
これだけは母にも兄にも頼らずに、自分で何とかしようと思っている。
ミラが彼に依頼して、後払いになるが必ず払うと約束したのだから、当然だ。
そんなことを思っているうちに、ならず者たちは我先に宿屋から逃げ去っていくのが見えた。
ラウルが追い払ってくれたのだろう。
彼の強さは本物で、道を踏み外したような者達が敵うような相手ではない。
これで安心だと思って力を抜いた瞬間、階下から女性の悲鳴のような声が聞こえてきた。
耳を澄ませていたミラは、その声が子どもの名前を呼んで泣き叫んでいること気が付いて、鍵を開けて飛び出していた。
廊下に出た途端、血の匂いが漂ってきた。
騒動に巻き込まれて、子どもが怪我をしてしまったのかもしれない。
「ミラ」
二階から駆け降りてきたミラに真っ先に気付いたのは、ラウルだった。
彼はその腕に、血塗れになった少女を抱えている。あまりにも痛々しい姿に、思わず息を呑む。
「癒せるか?」
「ええ、もちろん。任せて」
聖女の力は、魔物を撃退するだけではない。癒しの魔法も使える。
ただミラが得意なのは浄化魔法で、癒しの魔法の効果は姉達の方が上だった。
だが今は、そんなことを言っていられない。
(私がやらなければ……)
ミラが少女に向かって手を翳すと、少女の全身が銀色の光に包まれた。
痛々しい傷跡はたちまち消え去り、少女の顔から苦痛の色が消える。
母親らしき女性が、感極まってラウルから少女を奪い取るようにして抱きしめた。
奇跡だ、と呟く声が聞こえた。
ラウルはその声に答えるように、高らかに言い放つ。
「そうだ。これこそエイタス王国の聖女の奇跡だ」
エイタス王国の聖女の存在は、瞬く間に町中に広まった。
子どもの母親からは跪いて感謝され、周囲からは賞賛の声が上がる。
町長だという壮年の男性が慌てて宿屋までやってきて、屋敷に招待したいと言われてしまった。
「もう、ラウルったらやり過ぎよ」
それらすべてを何とか交わして、町に魔物が寄り付かない祝福を授けて、ようやく出発することができたのだ。
それなのにラウルは、呑気に笑う。
「すごい人だったな」
「誰のせいよ!」
「聖女ならあれくらい、慣れていただろうに」
そう言われても、エイタス王国に聖女は、ミラも含めて四人もいたのだ。皆、感謝は示してくれたが、あれほどの熱狂はなかったと思う。
「まぁ俺も、普通に感動した。聖女の力があんなにすごいとは思わなかった」
拗ねたように横を向いていたミラに、ラウルは熱のこもった声でそう言う。
「え?」
「聖女が癒しの魔法が使えることは知っていた。だが、あの女はせいぜい血を止めることしかできなかったからな」
あの女とは、彼の祖国であるリーダイ王国の滅亡に関わっていたという、聖女のことだろう。
たしかに血を止めることができれば命の危険は減るが、痛みや傷痕はそのまま残る。
まだ幼い少女には、あまりにも酷なことだ。
「衝撃的だった。腕の中にいた血塗れの子どもの傷が、あっという間に消えいった。これが本物の聖女かと、そう思った」
「……ええと」
文句を言ったはずが、まっすぐに称賛されてしまい、ミラは恥ずかしくなって俯く。
「癒しの魔法は、お姉様たちほど得意ではないのよ。あのときは、必死だったから」
聖女など属性が聖魔法なだけの、ただの魔導師にすぎない。
この国では珍しいだけ。
そう否定してみたけれど、ラウルはそんなミラを見て優しい笑みを浮かべる。
どちらかといえば彼は、兄と同じように厳しい人のように見えた。
自分にも、他人にも容赦しない人かと思っていた。
そんなラウルの穏やかで優しい笑みに、ミラは不意打ちを受けたように息を呑む。
「祈りが聞こえた。早く良くなるように、痛みが引くように祈っていただろう?」
それが、その祈りがきっと、ミラの力を強めている。
ラウルはそう言うと、真っ赤になって俯いてしまったミラを見て、また笑う。
「心配するな。何があっても、俺が必ずお前を守る。契約だからじゃない。俺が、そう決めたからだ」
「ラウル……」
彼は、ミラを認めてくれたのだろう。
エイタス王国の王妹としてではなく、聖女だからというわけでもなく。
ミラ個人のことを。
そんな人は、身内以外では初めてだ。
婚約者だったアーサーは最後まで、ミラを利用できる聖女としか思っていなかった。
ミラの力が強いのは、聖女の血を濃く受け継いだからではなく、ミラ自身の祈りがあったからだと言ってくれた。
そう思うと嬉しくなって、思わず笑みを浮かべていた。
ラウルなら絶対に、利用価値がなくなったと言ってミラを見捨てるようなことはしないだろう。
「よし、次の町に行くか」
彼はそう言うと、歩き出した。
もう少しこの国でエイタス王国の聖女の話題が広まったら、今度はその聖女が、王太子アーサーによって偽聖女の汚名を着せられていると話すつもりのようだ。
アーサーの名前を出せば、周囲は騒がしくなるだろう。
彼の手の者が、ミラを捕えようとする可能性もある。
でも、ラウルが傍にいてくれるなら怖くはない。
いつのまにかそう思っている自分に気が付いて、ミラは少し困惑する。
(ううん。信じてくれる人を信じるのは、間違っていないもの)
そう結論を出して、先を急いだ。




