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一刻も早く、逃げなくてはならない。
ミラは周囲を見渡す。
斜面が急すぎて、上に登るのは不可能だ。
そして、真下は崖である。
何とか別の方向に行けそうな場所を見つけて、慎重に足を運ぶ。
前日は雨だったのか、斜面は濡れていて、足場はとても悪い。
さらに追手の存在に焦っていたため、落ち着いて行動できるような心境ではなかった。
「……あっ」
そのせいで、地面に張り巡らされた木の根に足を取られて、また転げ落ちそうになる。
「!」
何度も必死に手を伸ばすも、転がり落ちる勢いは加速するばかりだ。
もう止まることはできない。
衝撃を覚悟して、ミラはぎゅっと目を閉じた。
だが、急にふわりと身体が浮き上がった。
(え?)
いつのまにか転がり落ちていたはずの身体は停止していて、誰かの腕に抱かれていた。
片手でミラを支える、逞しさ。
女性ではないようだから、侍女やサリアではない。だが、バロックでもなさそうだ。もちろん、兄でもない。
(誰?)
困惑しながらも、足場の悪い山道である。ここで暴れたりしたら、ふたりとも危険だ。それに誰であろうと、転がり落ちてきたミラを助けてくれたことには変わりはない。
「……あの」
けれど、お礼を言おうとした瞬間、口を塞がれてしまう。驚いて身を捩ろうとしたミラに、彼は囁いた。
「……静かに。近くに兵士がいる。お前を探しているのではないのか?」
「!」
それは間違いなく、ミラを探していたディアロ伯爵の私兵だろう。
声を出さないと頷いてみせると、彼は手を離してくれた。
そのまま無言で、ミラが落ちてきた方向とは違う場所を指す。向こうに移動しろと言っているようだ。
侍女達が心配しているかもしれないが、ディアロ伯爵の私兵に見つかるわけにはいかない。ミラはしばらく躊躇ったあと、その指示に従うことにした。
山道を抜けると、彼はそのまま草原に向かった。
背の高い草の影に身を隠すようにしながら、ミラは助けてくれた男性の後ろに続いて歩き出した。
彼は全身を覆うようなローブを着ているため、年齢もどんな姿をしているかわからない。だがその身のこなしを見る限り、若い男性のようである。
(あの状況では仕方なかったけれど……)
正体のわからない人と一緒に歩いていることに、だんだん不安を感じる。
まして、今はミラひとりだ。
遠くから、兵士達の怒鳴り声が聞こえてきて、びくりと身体を震わせる。
彼に助けてもらわなかったら、斜面から滑り落ちて動けなくなっていたところを、あの兵士達に捕えられていたかもしれない。
「……」
仲間達は無事だろうか。
あの兵士達の姿に気が付いてすぐにその場を立ち去り、無理にミラを探したりせずに、隠れてくれたことを祈るしかない。
心配だったが、兵士の数は次第に多くなっている。
今さら戻るわけにはいかなかった。
やがて草原を抜けて川のほとりに出ると、男性は周囲を見渡して安全を確認している。
(ここは、どこかしら?)
斜面を滑り落ちたあと、ここまで歩き続けていたミラはかなり疲労していた。
でもあの場は選ぶ余裕がなかったために黙ってついてきたが、男性の正体がわからない以上、あまり油断することもできない。
「怪我はなかったか?」
危険はないと判断したのか、彼は振り返ると、ミラを気遣うようにそう言った。
想像していたように、若い男性の声だ。
ローブの合間から、浅黒い肌と鮮やかな紅い髪が見える。
(あの肌の色に紅い髪は……)
この大陸で紅い髪をした人間が住むのは、かつてリーダイという王国があった土地だけだ。
魔物の大量発生によって、数年前に滅びてしまった国。
まるで未来のこの国のようだ。
彼は、今はもう魔物の住処になっているリーダイ王国から、逃れてきた人なのかもしれない。
「……はい。大丈夫です」
少し擦り傷と服が汚れた程度で、大きな怪我はしていなかった。
「助けていただいて、ありがとうございました」




