22 滅びの国Ⅷ
ふと、空気が変わったような気がした。
背筋がぞわりとする。
アーサーは、思わず自分の首に手を置いていた。
(何だ? 何が起こった?)
咄嗟にリロイドが連れている騎士を見たが、彼らに変化はない。むしろ彼らも動揺しているように見える。
その様子を見て、ようやく理解した。
この息苦しいほどの恐ろしさの正体。
表面上はまったく変化がないが、リロイドはマリーレの言葉に殺気立っている。
何が彼を、ここまで怒らせてしまったのだろう。
マリーレがリロイドの言葉に反論したせいだと考えたアーサーは、慌てて彼女を下がらせようとした。
「マリーレ、お前はもう下がれ」
けれど彼女にしてみれば、自分が役立たずになるかどうかの瀬戸際だ。アーサーの言葉を聞かずに、さらに言葉を続ける。
「その呪いさえなければ、私だって……。今、その罪人の偽聖女をお義父様が追っています。その女さえ捕えることができれば、何とかなりますから」
「マリーレ!」
命令に従わない彼女に苛立ち、アーサーは声を荒げる。
けれどリロイドはそんな彼を制するように前に出ると、マリーレに語りかけた。
「その、偽聖女とは?」
いっそ、優しささえ感じるような穏やかな声。マリーレは、彼が自分の主張を認めてくれたと思ったのかもしれない。
けれど、アーサーにはもう耐えられなかった。
震える足で後退しながらも、この場から逃げ出したくなる思いを必死に抑え込む。
「私の前に、この国の聖女だったミラという女です」
「……そうか」
リロイドはその名を聞くと、笑みを浮かべてマリーレを見つめた。
獲物を見つけた獣を彷彿させるような姿。
「……っ」
その肉食動物のような獰猛さに、マリーレはようやく気が付いたようだ。
瞬時に青ざめ、助けを求めるようにおろおろと周囲を見渡す。
だが、動ける者はひとりもいなかった。
彼の護衛騎士さえも硬直してしまっている。
そんな空気の中、リロイドはゆっくりと視線をアーサーに移した。
「この国を訪問した理由は、妹を探すためだ」
アーサーはぎこちなく頷いた。
本当は疑問を投げかけたかったのだが、声を出すこともできずにいた。
たしか彼には、三人の妹がいる。
三人とも聖女であり、エイタス王国の王城で大切に守られているはずだ。
だが今、リロイドは妹を探すために来たと言っていた。
それは彼の妹が、この国に滞在しているという意味なのだろうか。
しかしエイタス王国ほどの大国の、王妹であり聖女でもある女性が、このロイダラス王国に滞在しているなどと聞いたこともない。
それは、何かの間違いではないか。
何とか気力を振り絞ってそう言おうとしたアーサーに、リロイドはさらに言葉を続ける。
「妹は聖女として、この国を魔物から守る手助けをするために、ロイダラス国王の要請に応じてこの国に渡っている。心配したが、婚約も決まったと聞いて安心していた。だが」
リロイドは靴音を響かせ、ゆっくりとアーサーの前まで歩いてきた。
「急に婚約を破棄され、追放されたという報告してきた。それからまったく連絡がない。妹は俺と同じ銀色の髪をした、ミラという名だ。聞き覚えはないか?」
「!」
アーサーはとうとう立っていることができなくなって、その場に座り込んだ。
「ま、まさか……」
あのミラが、エイタス王国の王妹だったなんて、アーサーはまったく知らなかった。
父も、彼女を他国の聖女だと紹介しただけだったのだ。
だが知らなかったとはいえ、アーサーは彼女を偽聖女だと言って婚約を破棄し、国外に追放した。
さらに、マリーレに呪いをかけた罪人として、追手までかけたのだ。
リロイドがここまで怒っていた理由を知り、取り返しのつかない事態になったことを理解したアーサーは、身体の震えを止めることができなかった。




