2-45
「苦しかっただろう。その憎しみを、忘れてはいないだろう」
「……あ」
その記憶はなぜかオーリアのものと重なっていく。
せっかく娘が生まれたと思ったのに、聖女ではなかった。
そう嘆く、オーリアの両親。
聖女ではないことを嘆かれ続ける日々。
祖父は、死ぬまで一度も自分と会おうとしなかった。
そして、絶望のまま苦しみ抜いて亡くなった、クリスティーの記憶とも。
平民め、と罵る夫。
屋敷の使用人は、食事さえも満足に与えてくれなかった。
夫は屋敷に多くの愛人を抱えていて、彼女達を美しく着飾らせる。
クリスティーには、薄汚れた衣服しか与えなかったというのに。
そんなある日。
庭に落ちていた宝石があまりにも綺麗で、思わず手に取ったとき、愛人に見つかって泥棒だと罵られた。
いつのまにか無くなった宝石はすべて自分のせいにされていて、部屋の一室に閉じ込められた。
綺麗な宝石に、自分は触ることすら許してもらえなかった。
「……っ」
クリスティーの感情が流れ込んできて、ミラの瞳から涙が零れ落ちる。
毒を飲まされ、苦しみ続ける姿を笑いながら見ている夫。
彼が、憎い。
この世界のすべてが――。
そしてクリスティーは、また聖女の力を持つエリアーノとして生まれ変わる。
最初ただ、ペーアテル大神殿に所属する下っ端のシスターだった。
食べるものにも困るほどの暮らしで、生きるためにシスターになったにすぎない。
そこで治癒魔法が使えることがわかって、治療師として暮らし始めた。
思い出してなくとも過去の記憶のためか、エリアーノは宝石や金品に執着していた。治療を優先させるために宝石などを賄賂として受け取っていたことがばれて、神殿を追放されてしまう。
でも治癒魔法が使えるために暮らしに困ることはなく、各国を彷徨って自由に生きていた。そのうち結界や浄化まで使えることがわかり、自分が聖女であることを知るも、神殿に帰るつもりはなかった。
リーダイ王国からしか採れない琥珀が欲しくて立ち寄り、そこで聖女として歓迎される。けれど王が自分を外に出さないように見張りを置いていると知り、あの男の顔を思い出してしまった。
憎い男。
あの苦しみを、痛みを、悲しみを忘れるものか。
「ミラ!」
ふいに、鮮やかな紅が目の前に飛び込んできた。
ラウルの腕が、ミラの身体をしっかりと抱きしめていた。
「……ラウル?」
記憶が混乱している。
ただ自分を抱きしめるこの腕が、味方であることはわかった。
「私は……」
「ミラ、忘れるな。お前は、たくさんの味方がいる」
「あ……」
そう言われた途端、悪夢が消え去った。
代わりに、浮かんできたのは大切な人達の優しい笑顔。
ミラが追放されたと聞き、この国まで乗り込んできた兄のリロイド。
おっとりと優しい上の姉リーアは、ミラをいつも優しく見守ってくれている。ミラが国を出るときは、離れていても大切な妹であることには変わりはないと言って、抱きしめてくれた。
下の姉のキリーは気が強く、ときには兄にも意見するが、実は一番家族思いだ。ミラが国を出ることに、最後まで反対していた。嫌なことがあったらすぐに帰ってきてと、と何度も言ってくれた。
母も、ミラが国を出ることを勧めてくれたけれど、いざというときのための金貨を、侍女に預けてくれていた。あれがなかったら、ミラはもっと苦労しただろう。
どんなときも、ミラの味方でいてくれる大切な家族だ。
そして、ラウル。
ミラは、抱きしめてくれるラウルの背に腕を回した。
偽聖女として追われていると知っても、見捨てずに傍にいてくれた。
守ってくれた。
彼の勇気と優しさは、いつもミラの光となって、道を照らしてくれる。
「ありがとう、ラウル。私はもう大丈夫」
ミラはラウルに抱かれたまま、振り返った。
魔物と化したエリアーノの瞳から、涙が零れ落ちている。
「あなたには、味方はいなかったの?」
「いなかったわ。誰も……。家族はいなかったし、院長は私を喜んで差し出した……」
遺児院で育ったという彼女は、マリーレと同じような境遇だったのかもしれない。
エリアーノとして生まれたときも、家族に恵まれなかった。
震える身体は恐ろしい魔物にも関わらず、泣いている子どものように見える。
ミラはラウルの腕から離れ、エリアーノの傍に寄った。ラウルは警戒しながらも、静かにミラの行動を見守ってくれている。
「あなたのために祈るわ。クリスティー。ううん、エリアーノ」
両手を組み合わせ、跪いて祈りを捧げる。
「光よ。どうか闇に安らぎを与えたまえ。【浄化】」
エリアーノの身体は、オーリアとは比べものにならないくらい、魔に浸食されてしまっている。
上手くいかないかもしれない。
でも、このままだと彼女に待っているのは、前世と同じ、絶望の中での死だ。
銀の光が視界を埋め尽くす。
ミラ自身でさえ己を見失ってしまいそうな、眩い光。
そんな中、背中にそっと触れた優しい温もりが、ミラの意識を保ってくれる。
「大丈夫だ。お前ならできる」
優しい声にこくりと頷き、さらに力を注いだ。
闇に満ちていたエリアーノの身体が白く染まっていく。




