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(もう、お兄様ったら……)
今すぐラウルを追いたい気持ちを抑えて、ミラはオーリアと対面する。
けれど彼女の安否が気になるのも事実だ。
彼女の顔が元の美しい姿に戻っていることを確認して、ほっと息を吐いた。
「ミラ様」
何度言っても王妹殿下と呼んでいたオーリアが、親しげな笑みを浮かべてミラの名を呼んだ。
「もうお身体は大丈夫でしょうか?」
「ええ、私はもう平気よ。オーリア様はどう?」
「はい。わたくしも少し寝込んでしまいましたが、今ではすっかりよくなりました。ずっと感じていた身体の重さもなくなり、とても快適です」
すべてミラのお蔭だと、オーリアは頭を下げる。
「ミラ様はまだゆっくりと休む必要があるとか。そんなときに押しかけてしまって、本当に申し訳ございません」
長居するつもりはなかったようで、オーリアはそう言って立ち上がった。
そんなオーリアを、ミラは必死に呼び止める。
「ラウルがどこに行ったのか、ご存じですか?」
彼女が少し躊躇ったのは、兄に口止めされていたからだろう。
「お願い。教えてほしいの」
「海側にある港町に向かわれたようです。そこに、公爵家が所有する別宅がありました。今は破壊されてしまいましたが、最後の聖女様が暮らしていた場所です。そこを調査したいと言って、出かけられたそうです」
「最後の聖女……」
なぜ、ラウルはそこに向かったのだろう。
「実はあの港町と屋敷を破壊したのは、わたくしに力を授けたあの黒髪の聖女らしいのです。許さない。憎い、と言いながら、すべてを破壊し尽くしたそうで……」
「!」
オーリアの言葉を遮るほどの勢いで、ミラは立ち上がった。
クローゼットを大きく開き、オーリアの目の前で着替えをして、愛用の鞄に必要なものをすべて詰め込む。
「ミ、ミラ様?」
動揺したオーリアがおろおろと名前を呼ぶが、ミラは旅支度を整えながらさらに問う。
「それは、何日前? 私は何日くらい眠っていたのかしら」
「ええと、ミラ様が眠っておられたのは三日ほどかと。ラウルさんは、昨日の朝に王城を出たと聞いています」
狼狽えながらも、問いにはすべて答えてくれた。
「ありがとう。昨日の朝なら、まだ間に合うかもしれない」
何だか嫌な予感がした。
ラウルをひとりで行かせてはならない。
準備を終えると、愛用の猫耳ローブのフードを深く被り、ミラはオーリアを見た。
「お願いがあるの。いいかしら?」
「はい。ミラ様はわたくしの命の恩人です。何なりとお申し付けください」
「お兄様に、私はラウルの後を追っていったと伝えてほしいの」
「!」
ミラの頼みにオーリアは動揺し、両手をきつく握りしめていた。
「……エイタス国王に。ミラ様が、すでに王城を出た、とお伝えするのですか?」
「ええ、そうよ」
「……わかりました」
彼女は死地に赴くような表情で、こくりと頷いた。
「ミラ様はわたくしの命の恩人。その恩に報いるためなら、やり遂げてみせます!」
「お、お願いするわ」
黙って出て行ったら心配するだろうから、少し伝言を頼んだだけのつもりだった。何だか申し訳ないような気持ちになるが、今は時間が惜しい。
彼女を部屋に置いて、ミラは王城の外に駆け出した。
(正門を通ると面倒かもしれない。裏口から出たほうがいいわね)
最初に王都から追放されたときからは考えられない身軽さで、ミラは人のいない場所を選んで進み、王城を出る。
瘴気はなくなったが、結界がなくなったせいか、王都の入口には警備兵がいた。とくに人の出入りは制限していない様子なので、お疲れ様です、と声を掛けて通り過ぎる。
「お嬢ちゃん大丈夫か? 外は危険だぞ」
「大丈夫よ。私は魔導師だもの。連れが先に出てしまったので追いかけなくちゃ」
「そうか。なら大丈夫だな。まぁ気をつけろよ」
「ええ、ありがとう」
そんな会話を交わして、街道に出る。一度通った道なので、間違えることはない。
ただ、ひとりで旅をするのは初めてだ。魔物はもちろん、盗賊などに目を付けられないように、用心して進まなくてはならない。
でも途中で隠蔽魔法を使えばいいことに気が付いて、それからは気楽に歩いた。
野営だけは、姿を隠しているとはいえ、少し心細かった。
好きな料理を思いっきり作ってみても、心が晴れない。
(やっぱひとりは寂しい……。ラウルと一緒がいいな……)
明日からはもう少し急いで、なるべく早くラウルと合流しよう。そう決意しながら、目を閉じる。
だが結局、港町が見えてきても、ラウルと合流することはできなかった。
ミラを気遣う必要がないので、いつもよりも移動が早かったのかもしれない。
「ラウル?」
人気のない港町の入口に立ち、そっと名前を呼んでみる。
王都の復興が始まったからか、他の町ではそれなりに人がいた。だが、この町には誰もいない。農村に移動した人達も、誰ひとり戻ってきた者はいないようだ。
他の町よりも徹底的に破壊されている町を、ミラは慎重に歩く。
ここに来たときに感じた瘴気は、綺麗になくなっていた。今思えば、あの濃い瘴気は王都を取り巻くものと同じだった。
この町には、エリアーノが滞在していたのかもしれない。
そう思うと不安になって、ミラは必死にラウルの姿を探した。
「ラウル! どこにいるの?」
「ミラ?」
背後から声が聞こえてきて、ミラは勢いよく振り向く。
町の入口にラウルの姿があった。驚きを隠そうともせずに、こちらを見つめている。
「どうしてここに……」
「ラウルを追ってきたの。私の方が先に着いた?」
「この町から避難した人達の様子を見に行っていた」
マリーレも元気そうだったと、ラウルは教えてくれた。
治療師として重宝され、とても大切にしてもらっているようだ。
「身体はもう大丈夫なのか? まさかひとりでここに?」
「ええ、ひとりよ。でもお兄様には伝言を残してきたし、ここまでは隠蔽魔法を使ったから大丈夫」
「伝言。うん、伝言か。後が怖いような気もするが、来てしまったものは仕方がない。無事に合流できてよかった」
ラウルの大きな手に撫でられて、ミラも安堵する。
きっと色々な魔法を駆使すれば、ひとり旅もそれほど難しくはない。それでも、寂しさだけはどうしようもなかった。
「ラウルはどうしてこの町に来たの?」
ふたりで誰もいない町を歩きながら、ミラはラウルの目的を確認する。
「最後の聖女が暮らしていたというこの場所を、もう一度確認したかった」
そう言うとラウルは足を止める。
おそらく広大な屋敷があったであろう場所に、瓦礫の山がある。ここに、この国の最後の聖女が暮らしていた。
「確信はないが、黒の聖女……。エリアーノは、その最後の聖女と関係があるような気がする」
「エリアーノが?」
ラウルが見たという、エリアーノの涙。
許せない、憎いと言っていたその感情が、この国の最後の聖女と深い関わりがあるのだとしたら。
「ここに来れば何かわかるのではないかと思ったが、何もないな」
「……うん」
瘴気も、悪意も感じない。




