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「ラウルさんが魔物退治をしてくれるようになって、一時は体温も元に戻りました。ですが、ここ数日は結界の維持が難しくなってしまって。以前よりも多くの力を使っているうちに、皮膚が固くなってきて……。いつのまにか、こんなことに……」
ミラは唇をきつく噛みしめた。
これがエリアーノの仕業なのは明白だった。
オーリアがこんな目に合うのなら、グリーソン公爵に遠慮などせず、力を使うべきだった。この瘴気、魔物もすべて浄化して、跡形もなく消し去ってしまうべきだったのだ。
「毎日鱗が増えていって、もう隠せなくなってしまいました。今朝、わたくしに力を授けてくださった、あの聖女様が現れて……」
お前の力は、聖女のものではない。
聖女になどなれない。
その力は魔物のもの。お前はじきに、身も心も魔物になるだろう。
そう言って、消えたのだと言う。
「ひどいわ……」
ミラは、もう泣くことさえできずにいるオーリアの身体を、しっかりと抱きしめた。
その冷たい身体。固い鱗の存在を感じて、涙が溢れてくる。
オーリアは、ただ父親や周囲の期待に応え、この国を守りたかっただけだ。
その気持ちを利用して、こんなひどい目に合わせるなんて、あまりにも非道な行為だ。
「ミラ様。どうかわたくしを、完全に魔物になってしまう前に死なせてください。どうか……」
死なせてほしいと繰り返し口にするオーリアを抱きしめたまま、ミラは何度も首を振る。
何の罪もないオーリアがこんな姿のまま、すべてに絶望したまま死ぬなんて間違っている。
(泣いている場合ではないわ。何とか、彼女を助ける方法を探すのよ)
ここまで魔に侵されてしまった身体に浄化魔法をかけてしまうと、彼女自身もダメージを受けてしまうかもしれない。
だがオーリアが魔に浸食されてしまったのは、その身体だけ。彼女の魂は、以前と変わらずに穢れなく美しい。
やってみる価値はある。
だが、もし失敗すれば彼女を死なせてしまうかもしれない。
(どうしよう。私は、どうしたら……)
「ミラ」
扉の奥にいるラウルが、ミラの名前を呼んだ。その声に勇気づけられて、ミラは顔を上げる。
「ラウル、お願い。私の手を握っていて」
どうか、力を貸してほしい。
そう懇願すると、ラウルは躊躇うことなく二人の傍に寄り、ミラの手をしっかりと握りしめた。お互いに空いている手で、ぐったりとしたオーリアを支える。
「大丈夫だ。ミラならできる。お前は、【護りの聖女】なのだから」
ラウルの言葉が道筋となって、ミラに勇気を与えてくれた。
(そう。私は【護りの聖女】よ。どうか彼女を、元の姿に……)
ミラはラウルの手を握ったまま、そっと瞳を閉じる。
オーリアを、助けたい。
彼女をこんな姿のまま死なせたくない。
その清らかな魂はそのままに、身体を浸食する魔だけを、灼き尽くす。
ミラの祈りが銀色の光となり、周囲を包み込んだ。
どこか遠くから、断末魔のような悲鳴が聞こえた。
オーリアのものではない。
その中に巣食った魔が消滅するまで光を注ぎ込んだミラは、彼女の姿が元の美しいものに戻ったことを見届けて、意識を手放した。
頬に温かい感触。
魔力の使い過ぎで冷えた身体にそれはとても心地よくて、ミラはその温かいものに擦り寄る。すると優しく頭を撫でられた。
「ん……」
優しい手に安心して、また眠りそうになる。
(でも、ちゃんとできたかな?)
意識がはっきりしていないので思い出せないが、何か途轍もないことをやろうとした覚えがあった。
「ミラ、もう大丈夫だ。だから、もう少し休んだ方がいい」
「……うん」
ラウルの声だった。
その声に安心して、そのまま深く眠りに落ちた。
次に目が覚めたときは身体も軽く、すっきりとしていた。
「ん……」
身体を起こして左右を見渡す。
ここは、ロイダラス王国の王城。ミラに宛がわれている部屋だった。
「ミラ、目が覚めたか」
窓の方向から声がした。視線を向けると、兄が心配そうにこちらを見ている。
「お兄様、私……」
魔に浸食されたオーリアに、浄化魔法を使ったことをはっきりと思い出す。
彼女の姿は元に戻ったはず。それは確認している。
ただ、本当に大丈夫だったのか気になる。
「よく頑張ったな。公爵令嬢も無事だ」
「よかった……」
兄の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
「ただ、やはり力は失われているようだ。王都の結界もまた、消えている」
ミラの浄化魔法によって、オーリアは元の姿に戻ることができた。
だが彼女に巣食っていた魔はすべて浄化され、オーリアは力を失ったようだ。
「結界は失われたが、王都の周辺の瘴気は、一緒にすべて浄化されたようだ」
「それで、グリーソン公爵は?」
「かなり動揺していたな。力を失ったのはミラのせいではないかと、あらぬ疑いをかけられそうにもなった。だが、オーリアがすべてを告白した。自分は魔に魅入られていた。その魔から救ってくれたのはミラだと」
彼女に付き添っていたシスターや、ミラにオーリアの救出を依頼したロリヤも、見たものをすべて公爵に報告したようだ。
「……そうだったの」
ミラはそう呟くと、視線を落とす。
ロイダラス王国からまた聖女が、結界が失われてしまった。
新たな聖女が誕生するたびに、この国は希望と絶望を何度も繰り返している。
グリーソン公爵も、娘が聖女になったと喜んだ分だけ、他の人よりも深く絶望したのだろう。
彼もまた、聖女の末裔として長く苦しみ抜いたのかもしれない。
重圧から解き放たれたと思った瞬間、もっと重い十字架を背負うことになった。誰かのせいにしたいと思うのも、無理はないと思ってしまう。
だが、やはり兄はオーリアを救ったミラに嫌疑を掛けたことに憤慨しているようだ。
「公爵令嬢は、聖女の名を騙り王国を混乱に陥れてしまった罪を償いたいと言っている。答えはまだ出ていないようだが、ジェイダーは彼女も被害者だと認識しているようだ」
「ええ。彼女はエリアーノに騙されてしまっただけ。王国を想う心を、利用されてしまったのよ。私も証言するわ」
「そうだな。きっと彼女は罪に問われない。ただ、父親の失脚は避けられないだろう」
オーリアは騙されていたとはいえ、結界によって瘴気を発生させて、王都を危険に晒してしまったことには変わりはない。
すべてが元通りというわけにはいかないようだ。
「お兄様、ラウルはどこ? 私を庇って怪我をしていたの。治療しなくては」
そのときのことを思い出し、ミラははっとして立ち上がる。
あれは、ただの魔法ではない。闇を纏った刃は、見た目よりも深く彼を傷付けたはずだ。
「ラウルは今、王都を離れている。傷も大したことはないと」
「ラウルなら、どんな怪我でもそう言うのよ。王都の外って、どこに? 私も行くわ」
部屋を出ようとして、兄に止められる。
「まだ駄目だ。魔力も体力も回復していない。それに、目が覚めたら公爵令嬢が会いたいと言っていた。命を救ってもらった礼が言いたいと」
「……でも」
「公爵令嬢を連れて来るから、そこで待っていろ」
今にも王城の外に飛び出しそうなミラを止めるためか、兄はそう言うとすぐに、オーリアを連れてきてしまった。




