2-41
「エリアーノの正体か」
翌日、ミラを監視するかのように部屋に滞在していた兄は、昨日のラウルの話をミラから聞くと、そう呟いた。
「それを考えていたら、ますます眠れなくなってしまって」
「だがお前がそんなことをしていたら、ラウルがますます気に病む。今は余計なことを考えずに、回復を目指せ」
「……はい」
「それと、あまり深く考え込むな。正体が何者だったとしても、エリアーノは敵だ。それは変わらない」
「……」
多分、兄が正しいのだろう。
エリアーノがリーダイ王国を滅ぼした事実は変わらない。
そして今も、あれほどこの国のためを思っているオーリアを利用して、何かを企んでいる。彼女にどんな理由があったとしても、それを阻止しなくてはならない。
「そうね。余計なことを考えずに、できることをしないと」
「お前が今できることは、しっかりと休むことだ」
「……はい」
兄に言われた通り、ミラは数日間、きちんと療養した。
その間もラウルは何度か、魔物退治に出ていたらしい。だが、もうエリアーノと遭遇することはなかったという。
負担が減ったお蔭で、オーリアもたまに神殿から出てくるようになった。ミラとも何度か顔を合わせている。
あいかわらずジェイダーの立場は厳しいようだが、彼は根気強く貴族達とも話をして、少しずつ味方を増やしていた。
ジェイダーは、人の意見によく耳を傾けている。それも偏った意見ばかりではなく、なるべく色々な立場からの意見を聞くようにしていた。
それに対してグリーソン公爵は、やや独裁的な部分がある。
王家に連なる家系とはいえ、聖女を得て力を増すことに、危機感を覚える者もいるようだ。
それに焦ったのか、グリーソン公爵が魔物退治を中止してほしいと言ってきた。
きちんとした結界があり、聖女がいるのだから、もう手助けは不要ということらしい。追い詰められているのか、中立の立場だったラウルの手すら、借りたくないようだ。
「仕方がない。ここは少し様子見だ」
そう言いながらも、兄は険しい顔をしていた。
ここで強引に動いてしまえば、ジェイダーがコツコツと積み上げてきたものが無駄になってしまうかもしれない。兄はそれを危惧しているようだ。
だが、ここでエリアーノの思惑通り、オーリアに力を使わせてしまうことには不安が残る。
いざとなったらラウルと約束したように、躊躇わずに力を使う。
ミラはそう決意しながら、静かに過ごしていた。
そんなある日のことだ。
兄の部屋に寄り、ラウルとジェイダーとともにいつもの話し合いを終えたミラは、自分の部屋の前に見覚えのある女性が立っていることに気が付いた。
(あれは、たしか……)
以前ミラにオーリアを探してほしいと頼んだ侍女だ。たしか、ロリヤという名前だと聞いた。あのときと同じように、思い詰めた目をしている。
オーリアに何かあったのかもしれない。
胸騒ぎがしたミラは、彼女の元に駆け寄った。
「何かあったの?」
「ああ、聖女様」
ロリヤはミラの足元に跪いた。
「オーリア様が、数日前から祈りの間に籠り切りなのです」
呼びかけても返事がなく、すすり泣くような声が聞こえてくるのだと言う。
その間、食事もまったくとっていない。
鍵などついていないはずなのに、扉は固く閉ざされていて、誰も中に入ることができないのだと言う。
「このままではお嬢様が……。公爵様のお怒りは覚悟の上です。どうか、お嬢様を……」
「すぐに行くわ」
エリアーノの力の影響が、とうとう出てしまったのか。
ミラはすぐに身を翻し、神殿に急いだ。
「ミラ?」
途中ですれ違ったラウルが、必死に走るミラに気が付き、追ってきた。
「何があった?」
「……オーリア様が、もう数日間も神殿の祈りの間から出てこないらしいの。様子を見に行くわ」
「わかった。俺も同行する」
急がなくてはいけないが、グリーソン公爵の目に留まれば制止されてしまう。ミラとラウルは周囲の目を気にしながら、神殿に向かった。
中では数名のシスターが、ロリヤと同じようにオーリアを案じて狼狽えていた。ミラの顔を見て、ほっとして泣き出す者もいた。
(……すごい瘴気だわ)
ここは神殿であり、聖女が力を使うための聖なる祈りの間のはずだ。
それなのに、今はまるで王都の周辺のように、瘴気に満ちていた。
これほど濃いと、さすがにラウルにも感じ取れたらしく、顔を顰めている。
ラウルが扉に手を掛けたが、びくともしない。彼が力を込めても開かないのなら、おそらく魔法で施錠されている。
「オーリア様、ミラです。中に入りますね」
そう声を掛けてから、魔法で解錠する。
「いやっ! 誰も来ないで!」
悲鳴のような叫び声。
何か緊急事態が起こっていることはたしかだ。ミラはひるまず扉を開き、中に入ろうとした。
「来ないで!」
叫び声とともに、魔法攻撃が放たれた。
「!」
その魔法は、ミラならば問題なく打ち消せる程度のものだった。
けれど、まさか攻撃されるなんて思ってもいなかったミラは、それをまともに受けてしまうところだった。
「ラウル!」
「……っ」
後ろからミラの腕を引いたラウルが、自分の身体でミラを庇う。
魔法で作り出された闇色の刃が、ミラを庇ったラウルの背を切り裂く。
ミラは悲鳴を上げて、彼の傷をすぐに癒そうとした。
「ミラ」
そんなミラに、ラウルは静かに言った。
「俺のことはいい。早く、中に」
「……でも」
躊躇するミラに、オーリアの悲鳴が聞こえてきた。彼女は何事かを呟きながら、泣き叫んでいる。
「急げ。だが、油断はするなよ」
ラウルに促されて、ミラは祈りの間に足を踏み入れた。
広い室内の天井はステンドグラスになっていて、様々な色の光が降り注いでいる。虹色に染まった大理石の床の上に、オーリアは頭を抱え込むようにして倒れ伏していた。
ミラは魔法攻撃をいつでも打ち返せるように用心しながら、オーリアに近付く。
「オーリア様?」
「ああ、見ないでください。わたくしを見ないで……」
オーリアは錯乱しているようだ。
ミラは彼女を落ち着かせようと、しゃがみこんでその背を撫でる。
「!」
オーリアの身体は氷のように冷たく、衣服ごしにもざらついた感触だった。
驚いてその顔を見つめたミラは、悲鳴を必死に飲み込んだ。
「なんてこと……」
美しかった顔の左半分が、ドラゴンのような鱗に覆われている。瞳も爬虫類のような横長の瞳孔に変わってしまっていた。
ならば、この衣服の下の感触も、鱗なのか。
「見ないで……くださいませ。わたくしは、いつのまにか、こんな魔物のような姿に……」
「いつから?」
もうこの姿を見られてしまったからか、泣き叫ぶのをやめたオーリアに、ミラは震える声で問いかけた。
「……力を使うたびに、体温が低下していくのはわかっていました。ですが、魔力の使い過ぎかと思い、あまり気にしていませんでした」
呆然としているオーリアは、問われるままに答えを口にしている。
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