2-40
魔物退治に出たラウルは、その日、夕方になっても戻らなかった。
心配で、何度見に行こうとしたかわからない。
その度に兄に止められ、もう寝た方がいいと部屋に戻されてしまった。
それでも眠ることなんてできなくて、ずっと窓の外を見つめていた。夜更けにようやくラウルが帰ってきたときは、安堵のあまり座り込みそうになった。
兄が出迎え、言葉を交わしているのが見える。二人が王城に入り、兄が部屋に戻ったことを確かめてから、ミラは部屋を飛び出した。
「ラウル、おかえりなさい」
「ミラ。まだ起きていたのか」
「怪我はない?」
「……ああ、大丈夫だ」
いつもと変わらない優しい笑顔だったが、何だか様子がおかしいような気がする。
「ラウル?」
「……」
彼は何かを言おうとして、言葉を探すように視線を巡らせる。
「今日はもう遅いから、明日になったらゆっくり話しましょう?」
こんなラウルを見るのは初めてだ。急かしてはいけないと思い、そう言って笑みを向ける。
それに、こんな時間まで魔物退治をしていたのなら、いくら彼でも疲れ切っているだろう。今は問い詰めるよりも、ゆっくりと休ませてあげたい。その気持ちの方が強かった。
考え込んでいる様子のラウルを促して部屋に戻らせ、ミラも自分の部屋に戻る。
もう真夜中すぎ。王城は静まり返っている。
でもなかなか眠る気にはなれなくて、ミラは窓を開けて外を眺めた。
いつもなら夜の冷たい風が流れ込んでくるはずなのに、この国の空気は夜風でさえも瘴気を含んでいて、重々しい。
すべてを浄化できたら、どんなに清々しいだろう。
けれどミラはエイタス王国の聖女であり、その力を他国で使うには兄の許可が必要となる。誰かの命に係わるような緊急事態ではない限り、使うことはできない。
身体を休めるために眠ったほうがいいとわかっているのに、どうしてもその気になれなくて、ミラはそのまま窓の外を眺めていた。
きっとラウルは、エリアーノと遭遇した。
けれど、仇とも言える彼女を目の前にしたのに、彼からは怒りも憎しみも感じられなかった。
いったい何があったのか。知りたいと思うが、ラウルが話してくれるまで待とう。
真実を追求するよりも、彼の気持ちに寄り添いたいと思う。
少し微睡んでいたようで、気が付けば朝になっていた。
窓を開けたまま眠ってしまったらしく、身体はすっかり冷え切っている。
(いけない……。私まで体調を崩すわけにはいかないわ)
怪我や瘴気による体調不良は癒せても、病気までは治すことはできない。
慌てて毛布に包まって温まろうとしたが、既に遅かったようだ。昼過ぎには熱を出してしまい、兄に熱が下がるまではベッドから出ないように厳命されてしまった。
(色々と調べなくてはならないのに……。私は何をやっているのかしら……)
身体が弱っているせいか、気持ちも落ち込んでしまう。体力を回復させなくてはならないとわかっているのに、食欲がないからと食事も断ってしまった。
ベッドに横たわったまま、ぼんやりと窓の外を見る。
ふいに人の気配がして、扉が叩かれた。
「ミラ。起きているか?」
ラウルの声だった。
「ええ、起きているわ。入って」
入室を促すと、やや躊躇いがちに扉が開かれた。手に持っているのは、温かいスープのようだ。
「これだけでも食べた方がいい。身体を温める香草が入っている」
「ありがとう」
どうやらラウルが、自分のためにわざわざ作ってくれたようだ。
「美味しい」
優しい味が身体に染み渡る。
遠慮がちに扉の近くに立っていたラウルは、すまない、と小さく呟く。
「ラウル?」
「昨日、遅くまで起きて、待っていてくれただろう? そのせいで」
「ううん、違うの。私が悪いのよ」
ミラは慌てて否定する。
「つい窓を開けたまま眠ってしまったの。そのせいよ。ラウルは悪くないわ」
「窓を?」
「そうなの」
ロイダラス王国はエイタス王国よりも温暖で、冬でも雪は降らない。それでも窓を開けて眠ってしまったら、風邪をひくのは当然だ。
「たしかに、それが原因だな」
「だから、ラウルのせいではないわ。気にしないで」
やや呆れたような声に、誤魔化すように笑って言った。
それでも、ラウルは自分が原因だと思ってしまうかもしれない。体調管理は、自分できちんとしなければ。
ひそかにそう誓ったミラを、ラウルは何か言いたそうに見つめていた。
「どうしたの?」
「……昨日。魔物退治に王都に出たとき、エリアーノを見た」
「!」
そうではないかと思っていた。でもあらためて聞くと、本当に怪我はなかったのか。大丈夫だったのかと不安になる。
「そ、それで、エリアーノは……」
あのときのように、魔物を作り出していたのか。魔物退治をしていたラウルと、遭遇してしまったのか。
焦りながらも仔細を訪ねようとしたミラに、ラウルはひとこと、泣いていた、と言った。
「え?」
「エリアーノは、王都を睨みながら、許さない。憎いと言って、泣いていた」
予想もしていなかったことに、言葉を失う。
ミラが見たエリアーノは、蠱惑な笑みを浮かべ、楽しそうに魔物に王都を襲わせていた。
(エリアーノは、ロイダラス王国に恨みがあったの? でも、それならなぜ、リーダイ王国を……)
もしエリアーノがロイダラス王国を恨んでいるのだとしたら、何よりも先にこの国を滅ぼそうとしたはずだ。
けれど実際には、リーダイ王国の方が十年も前に滅んでいる。
「どういうことかしら?」
「わからない。ただ、あの憎しみは。悲しみは、本物だった。俺は……」
何かを言いかけたラウルは、そのまま言葉を切り、続きを話すことはなかった。
「こんな話をして、悪かった。今はゆっくり休んで、身体を回復させてくれ」
代わりにそう言って、ラウルは部屋を出ていく。
呼び止めることもできずに、ミラはその後ろ姿を見送った。
エリアーノは何者なのか。
ひとりになったミラは、彼女が泣いている姿を思い浮かべようとした。けれど、狂ったように笑いながら魔物を出現させていたあの姿からは、どうしても想像できない。
落ち着いて横になっていることができなくて、ミラはベッドから起き上がり、部屋の中を歩き回る。
結局、この日も眠れずに考え込んでしまい、熱が下がらずに兄に叱られてしまうことになる。




