2-39
神殿を出ると、ラウルは一度自分に宛がわれた部屋に行き、準備を整えてから王城を出た。
「お、ラウルか。どこに行くんだ?」
城の警備兵に話しかけられ、王都の外に魔物退治に行くと答える。
「そうか。何だか魔物が増えているらしいな」
ラウルより少し上の警備兵は、そう言って顔を顰めた。
「せっかく本物の聖女様が誕生して、結界も張ってくださったのに、魔物は全然減りそうにない。これからどうなるんだ」
相手がこの国の出身ではないからこそ、こんな話をするのだろう。不安を口にすると楽になる人がいるのは知っている。そういう人達が、明確な答えを求めているわけではないことも。
それがわかっているから、ラウルも軽く受け流す。
「俺には難しいことはわからないが、魔物が出たら戦うだけだ」
「頼もしいな。だが、気をつけろよ」
おそらくこの程度の魔物など、ミラが魔法を使えばすぐに一掃できる。
だが、ミラの兄であるエイタス国王リロイドは、彼女に聖女の力を使うことを禁じていた。
それは、聖女の力を借りずに国を立て直さなくてはならないこのロイダラス王国のためであり、これからの未来のためでもあった。
エイタス王国が聖女の力を利用して、他国を侵略しようとしている。
そんな噂が出回ってしまえば、たとえ苦境に陥っても、エイタス王国の力を借りることを躊躇してしまうかもしれない。
そんなことになってしまったら、犠牲になるのはその国の民だ。
リロイドは、それを恐れている。
彼は合理主義のように見えて、実は情に厚い理想家だ。
そうでなければ聖女を四人も有する国の王でありながら、自分の力で国を守ろうとしない。それを実行するだけの強さも持っている。
そんな男だからこそ、妹のミラが追放されたと聞き、僅かな護衛だけを連れてこの国に乗り込んだり、ジェイダーに肩入れしたりするのだろう。
最近では、彼に剣を教えたりしているようだ。ジェイダーもまた彼を師のように慕っている。きっとジェイダーが危機に陥れば、見返りも求めずに助けようとするに違いない。
そこはやはり、ミラと似ている。
ラウルは荒れ果てた街道を歩きながら、そんなことを思う。
初めて王都を訪れたとき、ミラが瘴気をすべて浄化し、魔物もほとんど倒したはずだ。けれど王都を一歩出てみると、当初よりも魔物の数が増えている。
(すべて、あの女の仕業か)
ミラは自分が見たことを、ラウルにも隠さず話してくれた。
祖国を滅ぼした仇。
黒の聖女エリアーノは、普通の聖女とは違う力を使い、魔物を操っていた。
エリアーノは、人間ではないのかもしれない。
衝撃的だったが、同時にどこか納得する気持ちもあった。
それに魔物なら、躊躇なく倒せる。
ラウルは大剣を振るいながら、そう思った。
魔物はそれほど強くなかったが、とにかく数が多かった。
日が暮れても魔物を倒し続け、周囲が闇に包まれた頃、ようやくこの辺りの魔物を一掃することができた。
さすがに疲れを感じて、大剣を地面に突き刺して座り込む。注意深く周囲を探ってみたが、エリアーノらしい人影を見ることはなかった。
もう少し休んだら、王城に戻ろう。
そう思ったところで、ふと気配を感じて振り返る。
「!」
ここから少し離れた、荒れ果てた街道の真ん中に、ひとりの女性が立っていた。
長い黒髪。病的なほど白い肌。
見る者を惑わす、蠱惑な唇。
その姿を見た途端、瞬時に十年前の記憶が蘇る。
間違いなく、祖国リーダイ王国が滅びるきっかけとなった黒の聖女。
エリアーノだった。
ラウルは大地に突き刺したままの大剣を引き抜こうとして、異変に気が付く。
彼女は立ち尽くしたまま、声を上げて子どものように泣いていた。
「許さない。絶対に許さない。憎い。滅べばいい。すべてなくなってしまえばいい。この国も、あの国もすべて。ああ……」
業火のような憎しみ。
夜の闇よりも深い絶望。
そして胸を引き裂くような悲しみ。
さまざまな感情が奔流のように流れ込んできて、ラウルは呆然として、ただ泣いている彼女を見つめていた。
エリアーノの涙が零れ落ちたところから、また新たな魔物が生まれる。
その魔物が目の前まで迫ってきても、動けずにいた。
「!」
大型の狼のような魔物が、ラウルに襲い掛かる。
その鋭い爪が首筋を捕らえようとしたとき。突然現れた銀の光が、その魔物を弾き飛ばす。
「……ミラ、か?」
その光は、まるで彼女の美しい銀髪のようだった。
呪縛から解かれたように、ラウルは大剣を握り、魔物と対峙する。
襲い掛かる魔物をすべて倒したあと、周囲を見渡す。
だかもう、エリアーノの姿はどこにもなかった。




