2-34
そしてオーリアは、最後の聖女の子孫だという立場から、聖女ではなかったと落胆する人達から逃げ出して、王都を出た。
でもそこで目にしたのは、魔物によって徹底的に破壊された町。
自分が聖女であれば、守れた町である。
幼少時を過ごした懐かしい屋敷を訪ねてみれば、それはもう瓦礫の山となっていた。
南は被害が少ないと聞き、逃げるようにこの町に辿り着いた。
日記には、そう書かれていた。
「……」
ミラは日記帳から目を離して、深く息を吐く。
オーリアは聖女の家系に生まれながら聖女の力を持たないことに悩んでいた。そしてミラ、マリーレ。そしてエリアーノといったこの国を巡る聖女の存在に、ずっと苦しめられていたのだ。
これは、自分が読んでいいものではなかった。
そう思って日記帳を閉じようとするミラの手を、ラウルが押しとどめる。
「待て。まだ続きがある」
「ラウル、でも……」
これ以上読むことはできない。そう言って首を振るミラから、ラウルはその日記帳を取り上げる。
そして、ページを捲ったラウルの目が、瞬時に険しくなった。
「ラウル?」
「聖女の力を授けられた。そう書いてある」
「力を?」
ミラはラウルの手元を覗き込み、文字を目で追う。
南に逃れたものの、人の多い場所は苦痛だったオーリアは、逃げるようにこの町に辿り着いたようだ。これからどうしたらいいのかもわからず、泊めてもらった教会で、毎日泣いてばかりいた。
そんなとき、ひとりの女性がオーリアを訪ねてきた。
彼女はオーリアに向かってこう言った。
あなたに、聖女の力を授けましょう。
「ありえないわ」
日記を読んだミラは、思わず声を出してそう言った。
聖女の力は、誰かに授けられるようなものではない。魔力と同じ、生来のものだ。
それをオーリアに授けたというのは、シスターが言っていた黒髪の女性なのか。
「黒髪の、聖女」
ラウルの呟きに、ミラははっとして顔を上げた。
「まさか、エリアーノ?」
ラウルの故国を滅ぼした黒聖女。
アーサーに取り入り、この国まで破滅寸前まで追い詰めたあの聖女が、まだこの国にいたのだ。
次は何を企んでいるのか。
オーリアは聖女の力を授かったことに歓喜していた。
あれほど望んでいた聖女になれたのだ。それも当然だろう。
この力で人々を救いたい。この国を守りたい。
一刻も早く王都に戻り、お父様に聖女の力を得たことを報告しなければ。
日記は、そこで終わっていた。
「ミラ、王都に戻るぞ」
「ええ」
教会のシスターに、急用ができてしまって今夜のうちに出立しなければならないことを報告し、心配そうな彼女に何度も礼を言って、町を出た。
どんなに急いでも、王都までは時間が掛かる。数日前に出て行ったという彼女は、もう辿り着いてしまっただろうか。
仇とも言えるエリアーノの存在を間近に感じたからか、ラウルの口数も少ない。二人はただ黙々と、王都を目指して歩いた。
だが、もうすぐ王都に辿り着くという旅の途中で、ミラとラウルは、新しい聖女誕生の噂を聞いた。
今度こそ本物の聖女様だと、町の人達は沸いている。
何せ、最後の聖女の血を引く公爵令嬢だ。
グリーソン公爵とオーリアを称える言葉を聞きながら、ラウルはぽつりと、ジェイダーの立場が厳しくなるかもしれない、と呟いた。
「……そんな」
だが、ラウルの言うことは正しい。
もしオーリアが本当に聖女の力を有しているのならば、もうこの国はエイタス王国の支援を必要としない。
むしろ、他国の干渉を嫌うかもしれない。
養女にしたマリーレが聖女となったディアロ伯爵のように、今度は娘が聖女の力を得たグリーソン公爵が力を増していく。
たとえジェイダーに非はなくとも、失策が続いた王家に対する信頼は失墜している。人々の期待がグリーソン公爵に集まるのは、もはや避けきれないことだ。
「とにかく王都に急ごう」
厳しい表情のラウルに無言で頷く。
二人は町で休まずに、そのまま王都に向けて歩き出した。
「これは……。どうして、こんなことに……」
王都がようやく見えてきたとき。
ミラは声を震わせてそう言い、立ち止まった。
「ミラ?」
先を歩いていたラウルが、心配そうに引き返してきた。
「どうした?」
「王都が、瘴気に満ちているの。どうしてこんなことに」
ミラが王都を出発したとき、結界は張らなかったが、周囲の魔物退治の際に瘴気はすべて浄化したはずだ。
それなのに、今はねっとりと絡みつくような、濃い瘴気に満ちている。こうしているだけで、気分が悪くなりそうだ。
「瘴気が?」
ラウルにはわからなかったようだが、それでも警戒するように王都を見つめている。
もともとロイダラス王国には、魔物が蔓延っていた。だから瘴気も常に発生していて、ここで暮らす人達は、ある程度は慣れてしまっている。だから多少のことでは、体調を崩すことはない。
だから誰も気が付かないのだろうか。
「さっきの町では、新しい聖女がさっそく王都に結界を張ったと言っていたが」
「結界は、たしかにあるわ。でも、これは……」
最初に王都に来たときと同じだ。
結界はあるが、そこから聖女の力を感じることができない。オーリアの得た力は、間違いなくエリアーノと同質のものだ。
それを告げると、ラウルの顔が険しくなる。
アーサーを手玉に取ってたくさんの宝石を貢がせ、そのまま姿を消したと思われていたエリアーノ。
けれどこの国は、まだ彼女の腕に囚われたままなのではないか。
そんな不安が胸をよぎる。
「急いで、王城に行きましょう」
「ああ、そうだな」
二人は王城に急ぐことにした。
瘴気をこの場ですべて浄化してしまおうと思ったが、ミラはエイタス王国の聖女である。それには兄の許可が必要だ。
だが王城に戻ったミラ達を迎えてくれたのは、思い詰めたような顔をしたジェイダーだけだった。
そのジェイダーから、兄が体調を崩していると聞いたミラは、すぐにこの瘴気が原因だと気が付いた。
「お兄様が?」
魔物と戦うことの多い兄だが、エイタス王国では母と姉達によって常に瘴気は浄化され、清浄な気に満ちている。
この濃い瘴気の中は、相当つらいのではないか。
「すぐにお兄様のところに行くわ」
ミラは、急いで兄の元に向かった。
「ああ、戻ったか」
ジェイダーを置いていくほどの勢いで兄の部屋に駆け付けたミラに、兄は悠然とそう声を掛ける。




