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「そうだな。移動するか」
ロイダラス王国の王城にいる兄に他の町に移動することを報告し、ミラとラウルは、目撃情報があったリスタンの町に向かった。
歩いて二日ほどで到達した町は、さびれた小さな町だった。
古い街並みは、魔物によってではなく、風化によって崩れかけ、道を歩く人もほとんどいない。
こんな寂しい町で、オーリアは何をしていたのだろう。
宿はなかったが、教会で旅人を泊めているようだ。そこに向かうと、年老いた優しいシスターが迎えてくれた。
「何もないところですが、ゆっくりとお休みください」
「ありがとうございます」
部屋に案内してくれたシスターに礼を言い、ミラはオーリアを見かけたことがないか、彼女に尋ねてみた。
「ああ、覚えていますよ。黒髪の綺麗なお嬢様で、しばらくここに泊まっていきました。とても思い詰めた様子で泣いていたので、話を聞こうと思ったのですが……」
彼女は何も話さずに、ただ静かに泣いていたのだという。
オーリアは、何をそんなに思い詰めていたのだろう。
「それで、今はどこに」
「数日前に、迎えに来た人がいました。彼女はその女性と一緒に出ていきましたよ」
「女性?」
「ええ。同じ黒髪の、少し派手な印象の女性でした」
オーリアを連れ出したのは、誰なのか。服装や容貌を聞く限り、グリーソン公爵家の者ではなさそうだ。
また見つけることはできなかったと、ミラは肩を落とす。
「これから、どうしたらいいのかしら」
あまり人のいないこの町では、聞き込みにも限界がありそうだ。
かといってロイダラス王国の王城に戻っても、ミラは何もすることがなく、ただ時間を持て余しているだけ。
それなら、たくさんの人が心配しているグリーソン公爵令嬢のオーリアを見つけてあげたいと思ってしまう。
「数日前なら、まだそれほど遠くには行っていないはずだ。それに、公爵令嬢を連れ出したのが誰なのかも、気になるところだ」
その女性がどんな人だったのか。明日になったらもう一度、駄目でも詳しく聞き込みをしてみようという話になり、今夜は休むことにした。
貸してもらった部屋は、小さなベッドがふたつあった。
もうラウルの隣で眠ることにも慣れてしまったミラは、早々にベッドに潜り込む。朝食の支度の争奪戦で、すっかり早寝早起きになってしまっている。
狭くて小さなベッドだが、小柄なミラには充分な大きさだ。ゆっくりと手足を伸ばして眠ろうとしたところで、ベッドと壁の隙間に何か挟まっていることに気が付いた。
「これ、何かしら?」
手を入れて引っ張り出してみると、それは小さな本のようだ。ここに泊まった誰かがベッドの上に置き、それを落としたことに気が付かずに帰ってしまったのかもしれない。
何気なく手に取ったミラは、それが本ではなく、日記帳であることに気が付いた。
「これって……」
ミラの声で気が付いたラウルが、手元を覗き込む。
「日記帳か。装丁もかなり凝ったものだ。これを持っていたのは、一般階級のものではないな。だが、貴族がこの教会に?」
「!」
ここに泊まった貴族の令嬢がいる。
それを思い出して、ミラはラウルを見上げた。
「もしかして、グリーソン公爵令嬢の?」
「……可能性はある」
いくら忘れ物とはいえ、若い女性の日記は見てはならないものだ。
だが、ここから何か手掛かりが得られるかもしれない。ミラはラウルと相談し、その日記を開いてみることにした。
薄めずに濃いインクを使った文字は、書いた者が裕福であったことを示している。花の香リが漂う日記帳には、オーリアの思いがびっしりと書き込まれていた。
アーサーとの婚約が解消された日のこと。
望んだ婚約ではなかったし、アーサーは苦手だったから喜んでみたが、次の婚約者が聖女であると知って、眠れなくなってしまったと書かれていた。
ミラが偽聖女として追放された日のこと。
アーサーは他国出身の聖女と婚約したけれど、その聖女はどうやら偽物だったらしい。それに安堵したのも束の間。今度はこの国出身の新しい聖女が見つかったと知って、オーリアはひどく動揺したようだ。
聖女の家系以外から誕生した聖女マリーレのことを、オーリアは羨ましく、そして妬ましく思っていたようだ。
父のグリーソン公爵は、聖女マリーレの養父、ディアロ伯爵が力を持つことをひどく警戒していた。あまり評判の良くない人らしい。
けれど聖女の養父である以上、影響力が増すのは仕方のないことだった。
父は、何度もお前に聖女の力があればと溜息をついた。
母は、聖女の血を受け継ぐ家系であるグリーソン公爵家ではなく、他家から聖女が誕生したことに動揺し、あなたが聖女だったらと、目の前で何度も泣いた。
結局その聖女も力を使えずに地下牢に入れられてしまい、本当は聖女なんていないのではないかと思った矢先に、また新たな聖女が王城に迎えられた。
彼女は、本物だった。
アーサーが王城の奥に大切に囲い込み、オーリアでさえ顔を見たことがなかったが、その力は圧倒的だった。
魔物を打ち倒し、王都に結界を張る。
その強さに、オーリアは憧れを抱いた。
だがその聖女も姿を消し、国の各地で魔物による被害が出始めた。
もし自分が聖女だったら、今までの聖女のように立ち去ったりしない。
この国を魔物から守ってみせるのに。
聖女になりたかった。
聖女になって、この国を守りたかった。




