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ミラは泣いている彼女の傍に寄り、まるで泣いた子どもを慰める母親のように、優しく抱きしめる。
「私も、聖女様のようになりたい。綺麗な、宝石みたいな人になりたい……」
「あなたなら、なれるわ」
マリーレの頬に流れる涙をそっと拭いながら、ミラは微笑む。
「あなたの力は聖女のものではなく、優れた魔導師のもの。癒しの魔法で、人々を救うことができるわ」
魔導師の中には本当に稀だが、癒しの魔法を使える者がいる。他の魔法を使うことはできないが、数はとても少なく、貴重な存在だ。
「私はやっぱり、聖女ではなかったのね」
噛みしめるように言うと、マリーレは目を閉じた。
「私、治療師になります。罪を償うために、できるだけ多くの人を助けたいから」
そう宣言するマリーレのために、ミラは祈る。どうか彼女の願いが叶いますように、と。
それからはふたりで食事の支度をして、ラウルが帰ってきた頃に三人で食事をした。
兄がロイダラス王国の王城に乗り込んできたこと。そのときの兄が、アーサーが怯えるくらい怒っていたことを知ってミラは苦笑する。
「もう、お兄様ったら。先触れもなしに他国に足を踏み入れるなんて……」
平和な時代なら、侵略と思われても仕方のない行為だ。
「とても綺麗な人だったけど、本当に怖かった」
今思い出しても震えるくらいだと、マリーレは言う。いつも優しい兄しか知らないミラには、想像できない姿だ。
そしてマリーレの話によれば、この街に避難していた人達は、数日前に隣町に移動したらしい。明日は彼女も連れてその町に移動し、彼らを保護しなくてはならない。
夜になり、マリーレはミラにぴったりとくっついて眠ってしまった。ミラには兄と姉しかいないが、もし妹がいたらこんな感じだったかもしれないと思う。
少し離れたところでは、ラウルが見張りをしている。その横顔を、ミラは黙って見つめていた。
(ラウル……)
先ほどのことを、何度も思い出してしまい、なかなか眠れない。
案の定寝坊をしてしまい、朝食の支度はラウルに取られてしまうことになる。
他の町に移動することをマリーレは怖がったが、こんなところに置いていくわけにはいかない。
「私が守るから、大丈夫よ」
そう言って励ますと、小さな子どものようにしがみついてきた。何だか放っておけなくて、手を引いて歩く。
まるで雛鳥だなとラウルは笑ったが、ずっと誰かに利用されていた彼女は、まだ小さな子どものようなものだ。これから色んなことを学んで、成長していけばいいと思う。
(とりあえず、お兄様には会わせない方がいいわね)
ミラには優しい兄だが、魔物と戦い続ける一流の戦士でもある。そんな兄の殺気をまともに受けてしまったら、中身が子どものようなマリーレが震え上がるのは当然のことだ。
港町にいた人達が避難したのは、少し離れた農村だった。おそらく食料が不足して、農村に向かったのだろう。
この辺りは魔物も多く出没している。よほど困窮し、覚悟の移動だったのか。
「戦闘の痕跡がある。冒険者か騎士か、戦える者が同行しているのだろう」
注意深く周囲を観察していたラウルがそう言った。
「怪我人がいるかもしれないわ。急ぎましょう」
「ああ、そうだな」
ラウルが先に立ち、魔物を切り伏せながら進んでいく。ミラはそれを援護しながら、マリーレを守っていた。
日が暮れる頃にようやくたどり着いた農村には、想像していたよりも多くの人が避難していた。あの港町だけではなく、周辺からも集まってきたようだ。
たまたま港町に居合わせた冒険者パーティが、彼らを守りながらここまで移動したようだ。
農村にはたくさんの保存食が残されていて、無理に王都に移動させるよりも、ここにいた方が安全かもしれない。ミラはラウルと話し合い、そう判断した。
「王都は今、復興している最中です。第二王子のジェイダー様も、グリーソン公爵も健在です。いずれ、町の復興も始まるでしょう。苦しいでしょうが、どうかそれまで耐えていてください」
生き残った人達は、いずれこの国が復興すると聞いて安堵していた。
国がなくなってしまうかもしれないという恐怖は、相当なものだったようだ。
怪我人がいると聞いて治療しようとしたが、マリーレが声を上げる。
「あの、私にやらせてください。私も誰かの役に立ちたいんです」
もちろんその申し出を快諾すると、マリーレは怪我をした人達を必死に治療していた。自分の中の魔力をまだ見定めることのできない彼女は、限界まで魔法を使ってしまい、気分が悪くなって倒れてしまうほどだった。
「魔力には限界があるから、気を付けなくては駄目よ」
そう注意するミラを見て、ラウルが笑っている。
「経験者は語る、か」
「もう、ラウル。それは言わないで」
拗ねた声で言うミラを見て、ラウルが笑う。
マリーレは王都に戻らず、この町に残ることを望んだ。農村に集まった人達も、治療師であるマリーレが残ることを歓迎している。
兄の命令で結界を張ることができないミラは心配だったが、ここには魔物と戦える冒険者達も、食料もある。
ここは大丈夫だというラウルの言葉もあって、彼女とはここで別れることにした。
兄がいる王都に行くよりは、マリーレも安心なのかもしれない。
だが、ここにもグリーソン公爵令嬢のオーリアの姿はなかった。
彼女を目撃した者はいないかと聞いて回ると、黒髪の美しい少女が、南の方に逃げていくのを見たという者がいた。
「南に……」
「行ってみるか?」
「ええ。彼女のことが心配だわ」
マリーレと別れ、ミラとラウルはさらに南に進んでいく。




