2-27
夕食を終えたあとは、防水の布を敷いた上に座り、毛布を被ってゆっくりと身体を休める。
薪の炎を見つめながら、虫の声を静かに聞いていた。
「やっぱり王城よりも、ここの方が落ち着くわ」
王城のような場所で暮らしていた時間の方が長かったのに、不思議とそう思う。
「そうだな。俺もそう思う」
不自由な場所の方がいいなんて、世間知らずだと笑われても仕方のないこと。そう思っていたのに、ラウルは静かな口調で同意してくれた。
「ただ、ずっとひとり旅だったから、同行者がいることにまだ慣れていないな」
「慣れてもらわないと困るわ」
ミラはラウルに詰め寄る。突然近付いてきたミラにラウルは戸惑っていたが、ミラにとっては大切なことだ。
「これからずっと一緒に旅をするのよ。私なんて居て当たり前くらいに思ってもらわないと」
「ずっとか」
「ええ、ずっとよ」
詰め寄るミラの銀色の髪を、ラウルがそっと撫でる。
兄と同じ優しい手つき。それでも、触れられると胸が高鳴るのは、兄のときとは違う。
「明日の朝は早い。今日はもう休め」
「うん。結界を張るから、ラウルもきちんと寝てね」
「ああ、わかった」
ミラは元の位置に戻ると、毛布を被って目を閉じる。
でも胸がどきどきして、なかなか眠ることができない。
やがてラウルも横になる気配がした。彼が眠ってしまってからも、ミラは眠れなくて、ずっと夜空を見上げていた。
「ごめんなさい」
眠れなかったせいで、すっかり寝坊をしてしまったようだ。ミラが起きたときには、もう朝食の準備ができていた。
「昨日の夜に続けて、朝まで……」
「気にするな」
すっかり身支度も整えているラウルは、そう言って慣れた手つきで食事を用意してくれる。
「これからは、先に起きた方が食事の支度をすることにしよう」
「えっ」
朝が少し苦手なミラは、その提案に動揺する。
「でも」
「その方が、効率が良いだろう。朝は諦めるか、もしくは早めに寝るか。どちらかを選ぶしかないな」
「うう……」
妹には甘い兄とは違って、ラウルなら容赦なくそうするだろう。
「頑張って、早起きするわ」
ラウルの作ってくれる料理も好きだったが、せっかく自由に料理ができるのだから、その機会を逃したくない。
この日からミラは、早めにきっちりと休むようにした。そのお蔭か、体調も良くて疲れも取れやすい。朝から好きな料理を作ることができて、気分も良い。
旅も順調だった。
やはり小さな町はほぼ無人で、大きな町に避難しているようだ。
貴族の領主が、きっちりと守っている領地もあった。
そういう場所には、第二王子ジェイダーがエイタス国王の後ろ盾を得て王城に戻り、グリーソン公爵をはじめとする中央の貴族達と王都復興を進めていると伝えている。
王家が絶えなったことを喜ぶ者、複雑そうな者など、反応は様々だったが、じきに情報は国内に広まっていくだろう。
だが、グリーソン公爵令嬢オーリアの姿を見た者は誰もいなかった。
若い貴族の女性がひとりで歩いていたら、かなり目立つに違いない。それなのに見かけた者がいないということは、彼女はこちらには来ていないのだろうか。
考えたくはないが、魔物や盗賊に襲われてしまった可能性もある。
「人を探しているのか?」
ラウルに尋ねられて、こくりと頷く。
「グリーソン公爵令嬢か?」
「ええ、そう。彼女にずっと付き添っていた侍女が、とても心配していて。ラウルはどうして知っているの?」
「俺も港町に行くと決まったとき、グリーソン公爵に娘を探してほしいと頼まれた。心配だが、自分が今、王城を離れるわけにはいかないから、と」
「あのグリーソン公爵が……」
どうして父親である公爵が、娘の行方を探さないのだろう。娘のことを心配していないのか。ミラはそう思っていたのだ。
「そうだったの。私、誤解をしていたわ」
「エイタス王が警戒していたように、グリーソン公爵が策略家であることは間違いない。だが形は違っても、彼もまたロイダラス王国を守ろうと戦っているひとりだ。彼とは、色々な話をしたよ」
「公爵と?」
「ああ。俺はロイダラス王国の者でも、エイタス王国の者でもないから、話しやすかったのだろう」
港町への道を歩きながら、ラウルはグリーソン公爵の話をしてくれた。
「グリーソン公爵の娘は昔、幽閉されている元王太子アーサーと婚約していたようだ」
「え?」
話に婚約者だったアーサーの話が出てきて、ミラは思わず足を止める。
「あの人と?」
「ああ。グリーソン公爵は、このロイダラス王国の最後の聖女の子孫だそうだ」
ロイダラス王国の最後の聖女は、今から八十年ほど前に亡くなっている。
遺児院で生まれ育った彼女は、なかなか聖女とは認められず、最初は偽物扱いをされていたようだ。
聖女はのちに、正式に認められて王弟の妻となった。
だが、派手好きな夫は平民の聖女にはまったく興味を示さず、彼女を屋敷の一室に閉じ込めていた。
二人の間には子どもがひとり産まれたが、王弟はその子を聖女から取り上げて、自分の愛人に育てさせたという。毎日泣き暮らしていた聖女は、若くして亡くなってしまったようだ。
その聖女が、グリーソン公爵の曾祖母だった。
聖女の血は、家系で受け継がれることが多い。そのため、グリーソン公爵家に女性が生まれた場合、王族の婚約者とする。そう定められていたようだ。
だがその聖女以来、女性は何人も生まれているが、聖女の力を持つ者はいなかった。
グリーソン公爵の父は、愛人をたくさん作り、何とか聖女の力を持つ子どもを得ようとした。
それもすべて無駄に終わってしまった。
最後の聖女は不実な夫をひどく恨み、呪いの言葉を残して亡くなった。聖女が生まれないのは、その呪いのせいだと言われていた。
「そうだったの……」
複雑な気持ちだった。
アーサーとオーリアとの婚約は、ミラがロイダラス王国に赴くことが決まった時に解消されたのだろうか。
ミラが望んだ婚約ではなかったとはいえ、それによって人生が変わってしまった人がいたのだ。
そんなことがあったのなら、グリーソン公爵が王家に対して複雑な思いを抱いているのも、無理はないのではと思ってしまう。
「私の存在が、知らないうちに誰かを傷付けていたの?」
「いや、アーサーはあの通りの男だから、むしろ公爵令嬢は解消を喜んでいたようだ。彼女の悩みはおそらく、聖女になれなかったことだろう」
「聖女に……」
偽聖女として追放されたミラ。
真の聖女として迎えられたのに、力を使えなかった聖女マリーレ。
聖女の家系に生まれながら、力を持たなかったオーリア。
そして、リーダイ王国の滅亡のきっかけとなり、このロイダラス王国も滅ぼそうとした、黒の聖女エリアーノ。
聖女をめぐる物語は、きっとこの世界に溢れているのだろう。