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第一部は書籍版と内容、設定が異なります。
それはロイダラス王国の聖女のミラが、日課である朝の祈りを終えて、神殿にある自分の部屋に戻ろうとしていたときのことだった。
ミラの仕事は、魔物が放つ瘴気からこの国を守ることである。さらに王都には聖なる結界を張っていた。
この結界があるお陰で、魔物は町に侵入することができないのだ。
この日もミラは神殿で、結界を維持するために祈りを捧げていた。
廊下を歩いていたミラの前に立ち塞がったのは、このロイダラス王国の王太子で、ミラの婚約者でもあるアーサーだった。
「あ、アーサー様」
彼の姿に気が付いて、ミラは柔らかな笑みを浮かべる。
朝の挨拶をしようと身を屈めたミラは、次の瞬間、婚約者のアーサーに突き飛ばされていた。
「きゃっ」
悲鳴を上げて倒れるミラを、周囲のシスターたちが慌てて抱き起こし、王太子に非難の眼差しを向ける。
彼女は、この国を魔物が放つ瘴気から守っている聖女なのだ。
たとえ王太子であろうと、聖女に乱暴をするなんて許されることではない。
「アーサー様?」
複数のシスターに支えられたミラは、呆然としたまま婚約者の名前を呼ぶ。
役目が忙しく、なかなか会うことはできなかったが、それでもいつも優しく労わってくれた婚約者の変貌に、驚きを隠せない。
「気安く私の名前を呼ぶな。偽聖女め」
金色の髪に、青い瞳。
まさに王子と呼ぶにふさわしい外見をしているアーサーは、その端正な顔を歪めて吐き捨てるようにして言った。
「先ほど、本物の聖女が見つかった。大神官が、我が国の聖女に間違いないと認定している。彼の証言で、お前は偽物だと判明した」
「……聖女が見つかったのですね」
静かな口調でそう言うミラを、アーサーは忌々しそうに睨む。
「上手く成りすましたつもりだろうが、残念だったな。貴様の悪事はすべて露見した。王都から……。いや、この国から追放する」
「それは、国王陛下の御命令ですか?」
事情を察したミラには、もう動揺していない。淡々と尋ねる彼女に、アーサーは怒鳴りつけた。
「父上は病に伏している。この私が国王代理だ。逆らうつもりなら、投獄するぞ。さっさとこの国から出ていけ」
「……承知しました」
ミラは立ち上がると、そう言って踵を返した。
周囲のシスターたちが、慌てて彼女の後を追う。
「……姫様、どうなさいますか?」
「そうね」
囁かれた懐かしい呼び名に、ミラは思案する。
「この国の聖女が現れたのなら、たしかに私は不要よ。偽物扱いされたのは癪だけど、このまま国に帰ることにするわ」
ミラは偽物などではない。
ただ、他国から来た聖女であるだけだ。
この国の聖女となったのは、自国の聖女が何十年も不在だったこの国の王に懇願されたからだ。
王太子であるアーサーも優しかったし、このままこの国の聖女として生きるのも悪くはないと思っていたのだが。
(まさかあんな人だったなんてね)
好意を抱きつつあっただけに、失望も大きい。
何十年も生まれなかったあとに誕生した聖女は、力がとても弱い。
それが少し心配だったが、いきなり偽物扱いされて、ミラも怒っていた。
(私はもう知らないわ。だって、偽聖女だと言われたもの)
溜息とともに、結界をすべて解除した。
あと十日もすれば、また魔物が王都に入り込むだろう。でも、彼が言う本物の聖女に頑張ってもらえばいい。
ミラは自国から連れてきたシスターとともに、そのまま身ひとつで聖神殿を出た。