4-10 『眷属』
剣をしまう。本を片手に、エーレンティカの周囲に赤い文字が浮かび上がった。対する僕も、【霧銘】に青白い文字を這わせた。
僕の隣にソルフが立つ。エーレンティカを睨み付け、拳を強く握る。普段は穏便な彼女から、明らかな怒りがあふれ出ていた。
「……やら、せ……ない……」
ソルフを中心として、青い文字が円状に広がる。【霧銘】のそれと混ざり合うと、一陣の風が吹き込んできた。彼女の怒りに、街中の建物がビキビキと激震する。
「……わ、たしの……たい、せつな……人……タグを、こ……ろそう……とす、るなん……て……ぜ、ったい……ゆる、さない……」
ソルフからにじみ出る殺意がエーレンティカを射抜く。この場にいる誰もが、彼女の威圧に怯え、息を呑んだ。威勢良かったエーレンティカさえ、顔に冷や汗をにじませていた。
「く、くそ……なんで、どいつもこいつも……そんな人間の味方するんだ!? わけがわからない……神は、人間の上に立つべきだろ!? 人間は、神を崇めるべきだろ!? なぜ、神が人間と地位を同じにして、味方にならなきゃいけねぇんだ!」
「ち……がう……」
ソルフの足元から柱のように文字が突き出てきた。文字の柱が天に向かって伸びる。延々と、その先端が見えなくなるほどに伸びていく。
「に、んげん……神……ちがいな、んて……ない……わ、たし……タグの、こと……が、た……大切……だ、から……地位も……な、にも……関係……ない……」
「ソルフ……」
「神らしくない! それでいて、どこが神だ!? 神は人間の上に立つものだ! お前みたいな人間と仲よくしようっていう神は、いなくていいんだよッ!」
「神らしくなくとも! 僕にとっては、ソルフよりもずっと、あんたのほうがこの世界にいらない神に見える。あんたみたいな、自分を中心にしか考えられない神なんて。ソルフを殺そうっていうなら、僕があんたを殺す。――神は、僕が殺す」
「なめやがってぇええぇえええっっ!!」
激昂と共に、いくつもの魔法陣がエーレンティカを包み込むように展開した。矛先が、僕とソルフに向けられる。神の激昂は、大地を揺るがすほどのものだったが、彼から恐れは感じない。ソルフを殺される――そう思うだけで、恐怖も何もが吹き飛んでいった。
「【神の罪】……書物『豪獄』抜粋――『狼蛇』――ッ!
書物『血河の泉』抜粋――『濁蛇』――ッ!
書物『悠久』抜粋――『怨蛇』――ッ! 」
瞬間、いくつもの大蛇が魔法陣から召喚された。その数はぱっと見ただけでも百は超えているだろう。どれも共通して、かなりの大きさを誇る。目を炯炯と光らせながらこちらを睨み付ける大蛇の化け物はしかし、ソルフと目が合った途端に萎縮した。
『――――【還れ】――――』
一言、ソルフが発するだけで、大蛇は恐れ慄き、エーレンティカの命令を無視して本来あるべき場所へと還って行った。
「なッ……」
一瞬の隙――見逃さず、エーレンティカに肉薄する。エーレンティカは剣をしまっていたため、とっさに振り下ろされた【霧銘】を本で防ごうとした。
本が真っ二つに切り裂かれ、エーレンティカを中心とした爆風が吹き荒れる。それは神の力を濃縮した本――破壊され、その力が一気に爆発した瞬間だった。
『――――【進め、前へ】――――』
ソルフの言葉。
爆風に吹き飛ばされそうになった僕は、その言葉に背を押され、よろめくエーレンティカに剣先を向けた!
「はっ!」
振り下ろされた【霧銘】を防ぐ手段なく、エーレンティカは肩からバッサリと切り裂かれる。
「うぐっ……くそ……人間無勢がああああああああああああ!!」
「叫ぶな。耳障りだ――」
もう一度、エーレンティカに向けた【霧銘】は――彼の首を刎ね飛ばす。
主を失った頭が転げ落ちると、力の入れようがなくなった身体が臓腑をまき散らしながら、地面にぐしゃりと斃れた。
エーレンティカ……神の死。
僕ははぁはぁと息を荒くしながら、【霧銘】を納刀する。
「や、やった……」
今度こそ、僕はソルフを守り切った。僕の力で、彼女を守って見せた!
安心して力が入らなくなって、僕は地面に座り込んだ。ソルフが隣にやってきて、ちょこんと座る。さっきまでの怒りの表情はどこへやら、今の彼女は安心したように笑っている。僕の好きな、彼女の笑顔。ああ、それだけでどれだけ報われることか。
ソルフの頭をなでる。神らしくない、人間らしく、彼女は嬉しそうに笑った。
「それにしても……まさか君が神だったなんて……」
「わ、たしも……忘れ……てた……でも、ち……力……もらったか、ら……」
「力?」
頷くソルフ。どこか申し訳なさそうな顔。
「……タ、グ……の……舌……依代に……」
僕の舌を噛み切り、それを依代としてソルフは現界した。エーレンティカとは違ったやり方だけど、それは彼女が神だという確たる証拠だった。
ごめんなさい、と頭を下げるソルフ。別に気にすることじゃないのに。あの時、ソルフがそうしてくれなければ、きっと今頃、僕たちはエーレンティカに殺されている。
「別に気にすることじゃないよ。君が生きててくれさえいれば、僕がどうなろうと……」
「それ、は……嫌……」
「え……?」
「自分……犠牲に……するこ、と……あま、り……考え、ない……ほうが……いい……わ、たし……タグの、こと……大切……だから……何か、あるの……心配……嫌、だ……ずっと……そばに……い、て……ほしい……」
「……」
ソルフの言う通りだった。
僕だって、ソルフのことが大切なんだ。だから彼女に何かあると不安で仕方なくなる。彼女が傷つくのは嫌だ。何かに巻き込まれるのも嫌だ。共に生き、悠久に近い時を共に過ごしたい――そう思っているのは、僕だけじゃないのに。
「……ごめん。確かに、君の言う通りだ。僕は僕自身を犠牲にしすぎたよ。君のことが大切すぎて、君がどう思うかなんて見ていなかった。それじゃあダメなのに……」
「……そ、れは……わた、しも……同じ……」
ソルフが俯き気味に言う。
「わ、たしも……タグ、のこと……考え、てない……だ、から……タグに……危な……いこと……させ、ちゃった……わ、たしも……タグのこと……大切、だから……タグし、か……未定な、かった……から……」
正直者の彼女は、恥ずかしげもなくそんなことを言う。そして言い終わった後で自分が何を言ったのかを思い出し、顔を赤くした。その反応がかわいい。
ソルフの頭をなでた。彼女の存在が、今ここにあることを確かめるように。
「――まだだ」
生首がしゃべった!?
振り返ると、転がったエーレンティカの首が、憎たらしげにこちらを睨み付けていた。身体がなくなったはずなのに、エーレンティカは……。
「くそ……俺をここまでしやがって……こうなったら、次に現界するときに何年かかると思ってやがる!? 殺す……殺す……人間如きが、神に手を出したことを後悔しろッ!!」
叫ぶ。
街中に、赤い文字が浮かび上がる。いや、赤い文字だけじゃない。時計のようなものが出現し、ゆっくりと時が進む。
時が進む……いや、これは――
「制限時間は、すぐそこだ。あははははははは――――――ッ!」
エーレンティカはそれを言い残して、一切動かなくなる。
状況が分からないでいると、竜がゆらりと近づいてきた。転がったエーレンティカの頭を踏みつぶし、辺りを見回すといらだたしげに舌打ちする。
「くっ……これが、彼の最期の力ですか……」
「ど、どういうこと?」
竜は、赤い文字を睨み付け、
「――彼は、街ごと『書物化』させるつもりだったのですよ」
そう、破滅を宣告するのだった。
「彼はそのために、あれだけの人々を犠牲にして現界したのです。街ごとすべて、彼は消し去るつもりだったのです。……なぜ、そんなことをしようと思ったのかは知りませんが」
街中にはびこる赤い文字。それらを消すべく、僕は【霧銘】を抜き放つ。
「【神の贖罪】――『濃霧の山彦』――っ!」
青白い靄が街を包み込む。が、赤い文字は消えない。
「な、なんで……!」
「無駄です、タグ」
竜は嘆息しながら言う。
「これは、あなたの力では消せません。確かに、あなたの【霧銘】は、神の力を霧散させる力を持っています。しかし、これは格が違いすぎます。その剣で消せる範疇にありません」
「じゃあ、どうすれば……ッ!」
これじゃあ、エーレンティカを倒したのも意味がなくなる。街を守るために戦ったっていうのに、結局消されてしまうなんて……。
「――方法は、ないわけではありません」
絶望に打ちひしがれる僕に、竜は淡々と言う。回りくどい。訝しげな視線を彼女に向けると、竜は困ったような顔をした。まるで、それをしたくないというように。
「どうしたんだ? この状況を打開する方法を知っているなら、話してくれないと僕にはどうすることも……」
「……そう、ですね」
意を決して、竜は話し始める。
「【舌壊断】……いえ、ソルフ。私を、あなたの眷属にしてください」
「……え……?」
竜を神の眷属に?
それって、竜が神の軍門に下るということじゃないか。本来、牽制しあう二つが、手を取り合うなど……それに、神の支配下にはいることによって、竜は竜じゃなくなるんじゃないか?
「私は、神に従じることで竜としての存在を失うでしょう。ですが、それでいいのです。この街がなければ、どちらにせよ私は存在できませんし」
子どものいる彼女にとって、この街は生きるために必要な居場所なのだ。それがもうすぐ失われようとしている。失ったときの代償は、彼女にとってはとても大きなものになる。
無論、竜は空を飛べるのだし、やろうと思えばここから逃げることもできただろう。しかし、竜はそうしなかった。彼女の覚悟が伺える。
竜として死に、神の眷属として生きていく――それは竜にとっては耐えがたい屈辱なものだろうに。
ソルフはどうすればいいか悩んだ。竜の言う通りにすれば、確かにこの街は守れる。しかし、竜を眷属にするという行為が、竜の生きる『権利』を奪っているようで、手をこまねくばかりだった。
「気持ちは分かります、ソルフ。あなたは優しいから、私のことを気にかけてくれるのでしょう。しかし、このままではどちらにしろ、全てなくなってしまいます。こう見えても、私にもこの街を守りたいと思う気持ちはあるのです。私なら、竜なら、この街を見捨ててほかの街で暮らすことももちろんできます。ですが、私はずっとこの街に支えられて生きてきました。それを今更、恩も返さずのうのうと生きていくことなんて、私にはできません。街を守る代償が『竜としての死』ならば、私はそれでいいと思います。少なくとも、恩知らずにはならなくて済みますから」
「……わ、かっ……た……」
ソルフが竜に手をかざす。
竜の足元に青い文字。くるくると螺旋を描きながら文字が浮かび上がり、竜の身体を包み込む。
「……ありがとう」
竜は瞑目する。自身の身体の内から、竜の力を引き出す。ソルフの神の力である青い文字とそれが混ざり合うと、竜は苦しそうにあえいだ。
その彼女の胸元に、幾何学模様が刻まれる。
蜘蛛の巣のような模様が彼女の全身を包み込むと同時に――彼女は竜の力を失う。
ソルフの眷属となった竜は、翼を一つ打つ。爆風と共に、そこらじゅうの赤い文字が箒で掃いたように吹き飛んだ。
目を開いた彼女の瞳は、青く、煌めいていた。
「――私は、言葉の神、ソルフの眷属……私の力を以って、書物の神、エーレンティカの不正をただす……」
翼をもう一度打ち、彼女は飛び上がる。街を見渡せるほど高く飛び上がると、翼を大きく広げた。彼女の背後にいくつもの魔法陣が浮かび上がり、閃光をまき散らす。
爆轟。
爆風。
爆閃。
それらが同時に襲い掛かってくると、街中を覆い尽くしていた赤い文字が一気に吹き飛んでいった。これが、神の眷属となった竜の力。
神の力の一端を手に入れた、竜の力――。
唖然と、竜を見上げる僕の目の前で、エーレンティカの残した最後の力はすべて消え去る。
閑散とした街が、再び戻ってくると同時に朝日が昇ってきた。
慰労祭、最後の一日が始まる――。




