4-9 『言葉』
しゃがれた声。同時に、エーレンティカが地面へ向かって落ちていく。彼はそれに逆らえず、舌打ちし、強かに地面に叩きつけられた。砂埃。
言葉の神。それは、言葉にしたものを、その通りに動かす能力を持つ。彼女が口にした命令は『絶対』であり、逆らうことはできない。これまで、その声はいくらか聞いてきた。そうだ。竜の卵を探しているときに、突然の雨で探せなくなった時だって、この声は聞こえてきた。
彼女は自分の力を思い通りに使えなかったはずなのに、無理矢理、神の能力を引き出していた。彼女らしい。人のために自分を犠牲にする彼女らしい行動だった。
ゆえに、エーレンティカは恐れているのだ。たとえ神と言えども、彼女の言葉に逆らうことはできない。彼女の言葉は絶対だから、彼女以上の神でなければそれに抗うことはできないのだ。
それは同時に、エーレンティカを混乱させる。ソルフよりも権限の強い神、ラリウスが、なぜ彼女を殺さなかったのか、と。ソルフは神の中でも脅威だった。彼女が力を有していくほどに、彼女が使役することのできる神が増えていく。すなわち、彼女はいつか、絶対王者にでもなれる。
そうなる前に、彼女を殺さなければならなかった。だけどエーレンティカは、ソルフよりも権限がないというわけではないが、せいぜい同程度なのだった。彼女の言葉に逆らうことが出来ないでいる。苛立ち。それが空気を伝ってきた。
空気が震える。エーレンティカの怒り、焦り、憎悪を受け、空気が怖れに震える。僕は【霧銘】を構えてソルフの前に立つ。エーレンティカの使う能力が、【霧銘】にとって意味がないことは分かっている。
エーレンティカの顔に、さらに強い憎悪がにじむ。彼にとっての脅威は、ソルフだけじゃなかったのだ。
手を横に薙ぐ。その一動作だけで、彼の手に新たな本が現れた。本を開き、パラパラとめくる。
「殺す……殺す……言葉の神なんて、この世にいちゃダメなんだ。そんなものは、いらない。いらない、いらない……」
本をめくる手が止まる。同時に、彼の身体中に刻まれた文字が強い光を放った。恐怖が襲い掛かってくる。何物にも代えがたい、身を竦ませる恐怖。彼の憎悪の塊だった。
鋭い眼光が睨んだ先に、ソルフ。額に汗を垂らしながらも、彼女も負けじと睨み返した。
「わ、たし……の……た、いせ……つな、人……殺そう……と、した……わ、た……しも……あなた……ゆる、せ……ない……」
「僕だって、あんたを許せない。大切なものを……ソルフを殺そうとしているのに、それをみすみす見逃すことはできない。だから――」
【霧銘】を構える。青白い靄が立ち込め、街を包み込む。
「僕は、神を殺す――ッ!」
エーレンティカに向かって全力疾走。エーレンティカは空中にいる。当然、地面にいる僕には届かない。が。
『――――【落ちろ】――――』
しゃがれた声と同時に、再びエーレンティカが地面に落ちていく。エーレンティカは体中の赤い文字を空中に躍らせる。
「【神の罪】……『読書の楽園』」
彼の声に従うように、地面に激震が走る。彼が落ちるはずだた地面に赤い文字が這い、地面を削り取る。落下したエーレンティカは、今度は打ち付けられることなく、地面に着地する。そこへ、【霧銘】を薙ぎ払った。
赤い文字が彼を守るように展開。だが、それらは意味なく霧散する。【霧銘】が赤い文字を消していく。エーレンティカは舌打ちし、自分の目の前に鏡を出現させた。
鏡ごとぶった切る――はずが、斬ったはずの衝撃が、僕にそのまま降りかかってきた。地面に打ち付けられる。
「がはっ――」
立ち上がろうとする。が、足を何かに捕まれた。足元を見てみると、そこに手が現れて足首を掴んでいた。
手は一つだけじゃなかった。次々に現れ、一様に僕に狙いを定めて近づいてくる。
足首を掴んでいた手に、【霧銘】を突き刺す。霧散。しかし、そこから新たに手が現れ、僕を絡め取るように襲い掛かってきた。
『――――【霧散】――――』
僕を掴むいくつもの手が霧となって散る。【霧銘】を払い、エーレンティカに視線を向けると、彼はすでに空の上。
「【神の罪】……書物『草々四季』抜粋……『剣山』――」
頭上に数えきれないくらいの剣が現れる。矛先を僕へ向け、一斉に降りかかってきた。
「【神の贖罪】……『濃霧の山彦』ッ!」
【霧銘】を掲げて叫ぶ。剣先から青白い靄が辺りを包み込み、降りかかってきた剣を消していく。だが、全ては消せない。青白い靄がやがて晴れ、その先にまだ剣が残っていた!
「ッがあ!?」
肩に突き刺さる。もう一度、青白い靄を発生させようとしたが、剣を掲げた途端に腕に突き刺さった。腕があがらなくなる。腱を切った。
最後の一本が、狙いをたがえず、頭に向かって降りかかってきた。僕の背後にソルフ。避けることはできない。
覚悟を決めたとき、空に雷光が迸った。剣が焼け落ちる。遠くで、地面に転がったままの竜が口を広げていた。
「タグ! エーレンティカを殺しなさいッ!」
彼女に頷くことすらせず、エーレンティカに向かって走る。ソルフが叫び、エーレンティカは再び地面へ。同じやり取り……だが、何度も同じ轍を踏むエーレンティカではなかった。
エーレンティカの手に剣が握られた。剣を持たないほうの手には本。片手で本をめくりながら、エーレンティカは地面を文字化させ、安全に着地する。
【霧銘】を振りかぶる。エーレンティカの剣と交差し、火花が散った。エーレンティカが【霧銘】を防ぎながら地面に文字をはびこらせる。文字は僕の方へは向かず、まっすぐにソルフに向かった。
「くそッ!」
エーレンティカの剣を弾き、ソルフに向かうが遅かった。振り返ったときにはソルフの足元に赤い文字が這っていた。赤い文字が閃光を放つ。
『――――【霧――】……』
ソルフが何か言う前に、それは爆発した。地面が崩落し、ソルフが崩れたその中へ吸い込まれていった。
何とか追いついて手を伸ばす。彼女の手を掴んだが、肩に激痛が走り、思わず手を放しそうになってしまう。そうだ。さっき刺されたばかりだったんだ。
「大人しく、死ね。そうすれば、まだ楽な道を選べるんだぞ?」
構わない。足音が近づいてくる。エーレンティカが殺気を放ちながら近づいてくる。ソルフを助けるのだから、エーレンティカの存在はどうでもよかった。
ソルフをやっとの思いで引き上げると、僕は横腹を蹴られた。地面を転がる。
ソルフの目の前に、剣を携えたエーレンティカが立ちはだかった。武器を持たないソルフは圧倒的不利に立たされる。
『――――【止ま――』
「あぁあ!」
言葉を放つ前に、エーレンティカは彼女の頬を蹴り飛ばす。地面に突っ伏した彼女の頭を踏みつけ、言葉を離せなくさせる。首筋に剣を当てる。
「やっとだ。やっと、殺せる……言葉の神なんていらない。言葉の神は邪魔だ。消えろ消えろ……己の運命を呪いながら死ね、【舌壊断】」
「やめろおおぉおぉぉぉぉっぉおおおッッ!」
【霧銘】を振り上げる。ソルフにあてられていた剣を振り上げ、その一太刀を弾き飛ばす。僕の足元に赤い文字が現れ、いくつもの手が出現した。それに掴まれて、僕も動けなくなってしまう。
「くっ……」
「これは運命なんだ。殺される運命。殺されなきゃならない運命。こいつは言葉の神で、殺されなきゃいけない神で、この世にあってはならない神。誰かが殺さねえといけねぇんだよ」
「僕には、あんたの理屈が分からない」
手に捕まれながら、必死に反抗する。
「言葉の神が必要ないっていうのは、あんただけのことだろ!? それか、神だけの事情じゃないか! それだけで、ソルフが殺されなきゃいけないっておかしいだろ!? 神の事情なんて知らねぇよ。神の勝手な都合で、ソルフを殺すなッ!!」
「こいつは、一回殺されたんだ。いや、正確には見逃されたわけだが、それでもこいつはいらない。神の都合だ? それがどうした? 神は絶対だ。人間はそれに従う人形であればいい」
「なんだと!?」
エーレンティカは面白くなさそうに、嗤う。
「当たり前だろ。人間を作り出したのは神だ。神は崇められる。人間は作られたものとしてしか機能しない。神が人間を作り出したのはな、神がいつも退屈だったからだ。退屈で退屈で仕方なかった。毎日同じ日常を、変わらない日常を、ただ永遠に続く地獄の時間を、ほんの少しでも面白くしようとしただけだ。人間を観察し、人間を操り、そうやって己の暇をつぶす。お前が神の事情を知らないっていうなら、俺たちは、人間の事情なんか知らねぇ。興味もねぇ、だ。人間のエゴは嫌いだ。神にとって、人間は失敗作なんだよ。いつも自分の事情しか語らねぇような、クズの掃き溜め。作ったことを後悔するくらいに、人間は恩知らずだしな。神を崇めねぇ奴が多すぎる。その割に増えすぎる。……って、話が変わったな。とりあえず、そういうことだ。俺にとって人間の都合なんてものは興味ない。こいつが死んだことで人間がどうなろうと、お前が神を恨もうとも、どうだっていい」
「……エゴでもいい」
「……」
それをすることが自己満足でもいい。助けたい思いを完遂させるため、私欲を肥やすためでも何だっていい。
「ただ、僕はソルフを守りたいだけ……負けられない。相手が神だろうが――ッ!!」
だから。
「――僕の気持ちに答えろ、【霧銘】――ッ」
瞬間。
青白い文字が【霧銘】を中心にして地面を這う。エーレンティカの赤い文字と混ざり合うと、互いを干渉しあって霧散した。僕の身体を掴んでいたいくつもの手も消え去る。
青白い文字がエーレンティカの身体を這い始める。舌打ちすると、おもむろに足に剣を突き刺した。血が滴る。剣を伝って流れた血が文字になり、身体に這う青白い文字を消し始める。
その隙を、逃さない。
【霧銘】を袈裟懸けに振り下ろす。エーレンティカは後ろに跳んで避けるが、足に剣を突き刺したせいで体勢を崩した。深追いせず、倒れた少女の傍らに膝をつく。
「大丈夫?」
「……う……ん……」
ソルフを引き起こす。遠くでエーレンティカが舌打ちした。
「くそ……人間如きが。なんでその力を手に入れたんだ。なんで、あいつはお前なんかにそれを渡したッ!? あいつは、誰の味方なんだ――ッ!!」
「どうだっていいよ。僕には、神の事情なんて」
したり顔で言うと、エーレンティカの顔が歪む。自分よりも権限のずっと低い人間にバカにされることを、彼は何より嫌っていた。自分の目的が果たせない、その現状にも苛立って。
「お前から殺してやる……ッ!」




