4-8 『少女』
死んだはずの妹。
脳天を銃で撃たれて死んだはずの妹。
もう起き上がることもなく、心臓がとまって死んだはずの妹。
なのに、なぜ起き上がる?
「あははぁ。酷いなぁん。そぉんな目を向けないで、おにぃちゃん!」
「……僕の妹は、そんな風に僕のことは呼ばない。誰だ、お前は……」
怒り。憎悪。妹は殺された。なのに、その妹の中に何かがいて、そいつは僕に話しかけてくる。当然のように。だけどそれが当然じゃないことは明らかで、そして、当然死んだ妹を操っているそいつに対して怒りと憎悪をにじませる。
そんな視線を送っていたからだろう。そいつは婦的に笑っていたが、どこか哀しそうな雰囲気があった。自分を理解してくれないのか、と。
今の僕には関係のない話。目の前のそいつは、現に僕の妹を操っている。死者を謀らっている。ふざけるな。それは僕の妹だ。
だが、そいつは悠々と語りだすのだ。僕相手じゃ、障害にも何にもならない、と言いたげに。
「妾は神。最高神ラリウス。貴様らが崇め奉っている神なぁ」
「神、だと……」
じゃあ、なんでそんなやつが妹の体にいるんだよ! ふざけたやつだ。
「本当だよぉん。妾は神。貴様らを作ったなぁん。なんで自分の妹の中にそんなのがいるんだ、って顔してるけど、それは簡単なぁん。お前の妹が、妾の器だったなぁん。つまり神官なぁ。神官……そう言えば、どこか心当たりがあるんじゃないのぉ?」
神官……そうだ。今日は僕が十六歳の誕生日で、村である行事が行われて……妹は神官に選ばれた。妹を通して神と会話し、自分の将来を定める行事が、本来なら今日行われるはずだった。
自称神、ラリウスは嗤う。
「そうそう。分かったかなぁ? けど、この娘は死んだ。殺された。醜く、私欲を満たすことしか考えないクズな人間によって、脳天バーンって殺された。ああ、もちろん、妾はここにいたなぁん。そして、反撃し、その犯人を殺した。せっかくできた器を壊されたんだ。そのくらいの代償は払ってほしいなぁん」
「器……って、妹が死ぬのを、お前は見ていただけなのかッ!?」
「そうな」
ラリウスは頷く。それが当然であるかのように。
僕はこの時、神に恨みを持った。殺したい。殺したい。けれど、その殺意も目の前に立つ妹の姿を見て霧散してしまう。卑怯だ。そんな姿じゃ、殺せないじゃないか……ッ!
「今更、兄貴ぶるなぁん。人間は、本当にわがまま」
「我がままでも何でもいい。僕はただ、お前が許せない……殺したいとさえ思っている」
「正直なぁん。きゃはは! 人間に恨みを持たれるのは慣れてるなぁん。いくらでも恨んでいいよ。恨んで恨んで恨んで……そうやって争いを起こして、人間と言うのは、その最後に自分の人生のすべてを無駄にしたことに気づいて死にゆくなぁん。貴様も同じ運命をたどることになるなぁん。妾に恨みは持たないほうがいい。いや、持ってもいいけど復讐として妾を殺したいって、そうやって人生無駄にするのは目に見えてるなぁん。そんなことするのはバカなぁん。バカバカ。無駄に人生費やして、復讐の、争いの、何が面白いなぁん?」
「知らねぇよ……僕は、お前が許せない」
殺す。殺す。神を、殺す。
それが始まりだった。
それが、僕がカミゴロシを決意した、始まり――。
「がはっ……げほっげほっ……」
血反吐を吐き出す。舌先が麻痺していた。痛みは戻らない。戻ったのは意識と苦しさのみ。
「――ッ!」
そして、目の前の光景を見ると苦しみすら吹き飛んだ。
少女が立っていた。今まで頭痛に呻いていた彼女は、僕を守るように、兵士との間に立ち、静かに目を閉じている。
やめろ。君が僕をかばう必要なんてない!
叫んだ声は、しかし言葉にならない。舌先が麻痺して、うまく動かない……いや、これはそういう類ではない。
今の僕に、舌先はなかった。
「ああああああっ!」
言葉にならない声を叫ぶ。今度は僕の番だった。少女がこれでどれだけ苦労していたのか、いまになってわかる。分かったところで、現状をどうにか動かすことが出来るわけでもない。悔しくて歯噛みした。身体がうまく動かないせいで、少女に手を伸ばすことすらできない。
少女は振り返る。その頬に、青い文字が刻まれていた。なんだそれは……それは、まるで――。
驚愕する僕に、少女は柔らかく微笑んだ。もう大丈夫。心配なんてしなくていい。そう言っているようだった。それが僕の不安を掻き立てる。
少女が両手を広げた。彼女の周囲に青い文字があふれる。瞬間、兵士たちが恐れ戦いたように半歩下がった。彼らは一切、彼女に危害を加えようとしない。強者に立ち向かっても殺されることは分かっているから。
少女が広げた両手を打った。パンッと手を叩く音が狭い路地裏に響く。嫌に甲高く反響した音が、兵士の間を潜り抜け、みるみる内に兵士を霧散させていった。頭上を見上げると、弓兵すら消えていた。
目の前に敵はいない。みんな、少女の打った一つの拍手で消えた。なにが起きているのか理解できずにいると、少女がしゃがんで僕の身体を引き起こした。
「だ、い……じょう……ぶ……?」
「ッ!?」
少女が、話した!?
たどたどしいながらにも、舌を失くしたはずの少女は言葉を紡ぐ。よく見ると、どういうわけか彼女の舌はもとに戻っていた。
少女は微笑む。現状を理解していない僕を諭すように。そして少女は黙って僕の唇に自分の唇を重ねるのだった。
彼女から何かが流れてくるのを感じた。脳の中に、いくつもの文字が浮かんで消える。同時に、全身の痛みも、舌先の痺れもなくなっていった。彼女が離れたときには、僕の体は元通りになっていた。
「え……な、何を?」
うろたえる。しかし、以前とは違うことが一つあった。
分かるのだ。
【霧銘】の能力。その使い方。カミゴロシの剣を、誰に教えてもらうでもなく、僕は理解していた。
僕は少女を見つめた。少女はこくりと頷く。
【霧銘】を抜く。青白い靄が発生するのはいつものことだった。しかし、これは副次的なものでしかないことを、今の僕は理解していた。
この剣の使い方……本来の使い方は――。
「【神の贖罪】……『濃霧の山彦』」
【霧銘】を掲げると、剣先を中心として、空気が波打った。【霧銘】から発生した青白い靄が、エーレンティカの作り出した膜の結界と接触すると、竜の攻撃でもどうにもならなかったはずの結界が容易に崩れ落ちた。
「タグ、よくやりました!」
竜が上空を通り過ぎ、一直線にエーレンティカの下へ向かった。僕たちも追うため、少女の手を掴んで走った。
大通りへ出るが、誰もいない。さっきの少女の能力で、兵士も軍馬も消えてしまっていた。あるのは兵士たちがやったであろう傷のみ。建物が無残に刻まれ、中には崩れてしまって物もある。
広場へ着いた頃には、すでにエーレンティカと竜が争っていた。竜が吐き出した雷の咆哮を、エーレンティカが易々と防いでいる。
竜が舌打ちする。全力でやっていても、まるでエーレンティカに及んでいない。竜は神と拮抗し得る力を持っているはずなのに、竜とエーレンティカとの間には圧倒的な差があるように見えた。
「ふん。竜もその程度か。なら、無駄に警戒する必要もなかったな。これは余興だ。すべてを『書物化』するまで、せいぜい頑張ってくれ」
「この――っ!」
翼を大きく広げる。いくつもの魔法陣が現れ、激しい閃光と共に雷を打ち出した。エーレンティカは本のページをめくり、岩の巨人を出現させた。雷が弾かれ、その拳が竜を襲う。
「ぐあ……」
「竜はこいつにやらせよう。それよりも厄介なのが来たな……」
呆れたように、もしくは疲れたように、エーレンティカが振り返った。見下ろした先に僕と少女の姿がある。エーレンティカは二人を見比べて、やがてちっと舌打ちした。
「なんだ……現界しやがったな【舌壊断】……それに、タグが神官だと……っ!?」
「しん、ら……い……できる、の……彼だ。け……」
たどたどしい口調で、少女が答える。けれど、僕が気にしたのはそこじゃない。
「僕が、神官……?」
神官……神に遣えるもの。神。神……じゃあ、僕は一体、誰に遣えているっていうんだ?
「そうだ。お前は神官になった」
それでも、エーレンティカは当然のように語る。誰が主なのか分かっていないのは、この場では僕だけだった。
「くそ……【舌壊断】は現界しやがるし、タグは神官になりやがった。邪魔な奴らめ……」
【舌壊断】が現界……それが意味することは――。
話について行けず、混乱する僕を諭すように少女が僕の手を握った。安心する。彼女の手を握っていると、不思議と。
少女がエーレンティカを見上げる。身体中に青い文字をはびこらせた少女の瞳が、炯炯と光る。
「わ、たし……あ、あなた……ゆる。せ……ない……」
「ふん。何が許せないだ。赦せないからなんだ? 何をしようっていうんだ? お前ごときに俺が負けると? 【舌壊断】! ……いや、今のお前はそうじゃないな。今のお前は――」
エーレンティカは渋い顔をして、その言葉を発する。
「――言葉の神、ソルフ……」
少女――言葉の神、ソルフはキッとエーレンティカを睨み上げていた。
言葉の神……言葉の神……なるほど。だから彼女は【舌壊断】なのであり、存在意義を失ったと言えるのだ。
言葉は舌がなければ紡ぐことが出来ない。ゆえに、舌のない彼女は存在意義を失ったと言えるのだ。舌を断たれ、壊された神なのだ。
彼女の存在を壊したのは、最高神ラリウス。僕の仇敵。僕の妹を殺した挙句、僕の大切な人すら殺そうとした神の名。なおさら、あいつを殺したいと願う気持ちが強くなった。
言葉の神が現界したのは、舌が治ったから。いや、彼女が現界する直前の出来事を思い出す限り、彼女の舌は僕の舌を依代に作られたものだ。治ったと言えば治ったなのだろうが、同時に、他人から一時的に借りているものでもある。
僕の舌は治ったから、別に返されなくてもいい。彼女が生きてさえくれれば、僕は満足だから。ただ、彼女に危害を加えんとする存在が、今、僕らの目の前に。
「ラリウスはなぜ貴様を殺さなかったのか、疑問は尽きないが、今はどうでもいい。貴様を殺す。言葉の神は、この世にいないほうがいい存在なのだ。俺の目的の邪魔だしな」
エーレンティカは本のページをめくる。
「今の貴様は、まだ全力を出せないはずだ。なら、いましかない。今すぐ貴様を殺してやろう。今ならまだ間に合う。【神の罪】――」
「【神の贖罪――ッ!】」
【霧銘】を振るい、エーレンティカが発生させようとした魔法陣を霧散させる。エーレンティカがあからさまに不愉快な顔をする。
「くそ……神官にタグを選ぶとは、面倒だ。なんでこんなやつに【霧銘】を渡したんだ……あいつは一体、誰の味方なんだよ……ッ!」
「? 何が言いたいのか知らないけど、彼女――ソルフに手は出させない」
「神官如きが! 神の俺に勝てると思っているのか? ははっ! どこまでも愉快な脳みそしたヤツだな」
エーレンティカの背後で、巨大な本棚が輝きだす。きらきらと散った粉のようなものはすべて文字で、それらがエーレンティカの掌へ吸い込まれていく。
吸い込まれた文字は赤く発行し、手のひらを伝ってエーレンティカの身体中を這った。脈動。血脈が皮膚の上に現れたようなそれは、一言。気味悪い。
「や……らせ、ない……」
ソルフが手を掲げる。彼女の周辺に青い文字が浮かび上がり、ぐるぐる周回を始める。そして、どこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『――――【落ちろ】――――ッ!』




