4-6 『朗読』
エーレンティカが手を横に突き出す。彼の腕に赤い文字が這い、全身を舐めた。指を鳴らすと霧散し、彼の背後に巨大な本棚といすを出現させた。
いや、本棚と言っていいのだろうか。
本棚は実態を持っていない。半透明だし、全体を赤い文字が這っている。本は確かにおさめられているのだが、どれも巨大で、とても人が読めそうには思えなかった。
神の書物――ゆえに、神のみにしか読むことが出来ない。
つまりはそういうことだろう。あれを読むことが出来るのは神だけ。パズリィの部屋に置いてあった、あの本だってそうだった。神に関わるものにしか読めないようなプロテクトが張ってあった。あの中に何が書かれていたのか、いまなら予想できる。そして、絶対に読みたくないとも。
エーレンティカは堂々としたいでたちで、王座にも似た椅子に腰かけた。指を鳴らし、小さな本を出現させて読み始める。まるでこちらには一切の興味がないみたいに。
「……エーレンティカさん……なんで……」
「なんで、じゃないだろ」
当然のように、滔々と語る。
「そもそもおかしいと思わなかったのか。なぜ俺がパズリィなんかに殺されなきゃいけないんだよ。神の依代を心臓に埋め込まれた、それを本人がなぜ知らない。知らずの内に心臓に依代を埋め込む? そんなことをすれば、さすがの神でも人を殺しかねない。心臓に埋め込むわけだからな。なら、もっと簡単な方法は、自分自身に神としての力を封じることだ。そのほうが楽だし、神の力を宿すのも簡単だ」
「そうじゃない……なんで、神官のパズリィを殺したんだよ。だって、あなたを現界させたのは――」
「そうだ。パズリィに違いない。だがな、あいつは純心じゃなかった。あいつは俺を利用して私欲を満たそうとした。神の力を利用し――いや、あいつなら俺のこの神の力を奪おうとしたのかもな――まあとりあえず、そんなわけで殺すのが一番手っ取り早い。裏切り者は死ね。俺を利用するなんざ、バカなやつだ」
本のページをめくる。椅子の肘掛けに肩肘をつけ、だらしない体勢で本を読みながら、僕に話しかけてくる。
「神の力を侮りすぎなんだよ。パズリィも、お前も。神が人間如きに殺されるわけないだろ。神を殺すなら神か、もしくは――」
「竜、です!」
エーレンティカよりもはるか上から声が響いた。竜が大口を開けて雷の咆哮を放つ。
「――そうだな。竜だ」
しかし、エーレンティカは冷静に、本を持っていない片手をあげた。手の先に赤い文字が収束し、天へ放たれる。雷の咆哮が防がれ、爆散する。
同時に、街を包み込む半円球状の幕が張られた。竜が叫びながら突進するが、竜はそこから中へ入ってこられない。雷の咆哮すらも弾き飛ばしていた。
「だが、竜単体だとまだ力不足だ。やはり神だ。神を殺すのは。しかし、それすら例外に及ぶ例もある。己よりさらに上位にある神に殺されたのに、未だに生きている存在すらある。それは異常だ。いや、もしかするとそれは最初から殺されていないのかもしれない。見逃されたのかもしれない。幸運だな、【舌壊断】」
パタリ。
そこで初めて、エーレンティカが本を閉じてこちらを見下ろした。否。その視線は僕へ向かっているわけじゃない。
頭痛に呻く少女――【舌壊断】の方へ。
「俺は少し興味がある。なんでお前は殺されていない? お前は、ラリウスの野郎に殺されたはずだろ。何だったかな。お前はあいつを怒らせた。でも、お前を恨んでいたのはラリウスの野郎だけじゃないんだぜ? ほかにもいたよ。お前を殺したい、殺したいと願っていたのはたくさんいた。無論、俺もその一人だ」
「な、何を言って――」
だが、エーレンティカは僕の台詞を無視して。
「そうか。そうだ。今のお前は記憶がないんだったな。無理に思い出す必要はない。いや、思い出されたら困るんだ。思い出すな。お前は己の過去を知らぬまま、己の罪を知らぬまま、己の贖罪を知らぬまま、ただただ死ねばいい。殺されろ、【舌壊断】」
エーレンティカの背後の本棚が赤光に包まれる。同時に彼の掌の上に赤い光球が現れた。幾重にも重なった文字がそれを作り出していた。
手を横に薙ぐ。それだけで、その手に一冊の本が握られていた。
「【神の罪】」
「め、メサイア……?」
「タグ! 今すぐその子を連れて逃げなさい!」
透明な膜に仕切られたその外側で、竜が叫んだ。エーレンティカが何をしようとしているのかは分からないけれど、それがまずいことだけは分かる。
「くっ……!」
痛みに呻く少女を抱えて、僕はその場から逃げた。宙に浮かぶエーレンティカは、逃げる僕の姿をはっきり捉えていた。
「書物、『料理の基本』。78ページ抜粋……『焼く』――」
エーレンティカがそう呟いた途端、街中に業火が巻き起こった。何の前触れもなく、一斉に火の手がそこらで上がったのだ。逃げようとする僕の行く手を阻む。
「くっ……【霧銘】ッ!」
叫び、燃え上がる焔に向けて【霧銘】を薙ぎ払った。斬れるはずのない焔が斬れ、空中へ霧散する。
「ふぅん……その魔剣は【霧銘】か……何を考えているんだ、あいつは」
まるで【霧銘】のことを知っているかのような口ぶりだ。剣の性質を知られているなら、僕のほうが不利になってしまう。僕自身がこの剣の性質……というより能力を知らないのに。
しかし、【霧銘】を持っているとみるや、エーレンティカはふむと顎に手をやるのだった。
「それは厄介だ……くそ。カミゴロシの剣を、なぜこんなやつに与えたんだ……」
「カミゴロシの剣……」
だからか。あの異形のシカが、神を殺す能力を持っていると言っていたのは。
「だったら、僕はこの剣のことを知らなきゃいけないんだよな……ッ」
それも、襲ってくるエーレンティカから逃げながら。
「なんでこの子が狙われるんだよ……ッ!」
「ぅああ……ぁあ……っあ……っ……」
呻く少女。なぜ彼女が狙われているのか、答えはさっきのエーレンティカの台詞の中に会った。
この子は、神から疎まれる存在だった。疎まれた故に、神……それもラリウスに殺された……はずだった。だが、実際には少女は殺されず、今も生きている。
だから、エーレンティカはラリウスが殺さなかった代わりに自分の手で少女を殺そうとしている。彼の眼中に、僕の姿はまるでなかった。
「しかも、よりにもよってラリウスに殺されただと……ッ!?」
ラリウス――最高神ラリウス。僕の仇敵。妹を殺した神。
あいつが、また僕の大切なものを傷つけようとした。それは過去のことだけど、あいつが原因で、今エーレンティカが少女を殺そうとしている。
「やっぱりあいつは死ぬべき神だ。この世界にいちゃいけない神だ」
「はん。よりにもよってラリウスを殺したいだってな。パズリィ如きに負けるようじゃ、そんなことは無理だ。タグ、現実を見ろ」
エーレンティカは追ってこないまま、しかし遠く離れているはずの僕の声をまるで聞こえているかのように言った。地獄耳。
「ラリウスを殺したい、そう願うやつはいくらでもいる。あいつは人の神経を逆なでることが大好きなんだ。悪趣味な奴。でもって、気に入った奴にはとことん干渉してくるおせっかいな奴だ。他人で遊んで遊んで、飽きたら簡単に捨てる。恨みなんてものはいくらでも持たれているはずだ。お前だけがあいつを殺したいわけじゃない。だが、今も奴は生きている。それはなぜか分かるか?」
「神が、絶対だからか?」
走りながら答える。エーレンティカはふんと鼻で笑った。
「いかにも人間が考えそうな話だ。違う。そうじゃない。神が絶対なら、俺たちだって殺されはしない。だが、現実、人間は神を殺している。そういう神話があるだろ? だから、神が絶対なるものだとしても、神は必ず殺されないというわけじゃない。だが、奴だけは殺されないんだ」
「殺されない……」
「厳密に言えば、殺せない、だがな」
殺せない神――ラリウス。
最高神だから、神は絶対だから……そういう理由じゃない。ラリウスは殺せない存在。どれだけ疎まれようとも、あいつは殺せない。
「なんで……殺せないんだ?」
「――それは、自分で考えることだな。俺にとっては、今はそんなことどうでもいい。興味ない。あんなやつに関わりたくないんだ。だが、あいつの不始末はつけないとな……」
言って、エーレンティカは再び本を召喚する。
「【神の罪】……書物『千王戦』一三九ページ抜粋……『幾千の軍馬と幾万の兵士』――」
呟くと同時に、エーレンティカの持つ本から文字があふれ出た。一文字一文字が地面へ付くと同時に、そこから円状に魔法陣が広がった。魔法陣から千の軍馬、一万の兵士が出現した。それらは影のようで、全身が真っ黒だった。
軍馬が嘶き、兵士が雄叫び、一斉に僕に向かってきた。
「なっ……こんなの倒せるわけが――」
「ぁあ……っぅあ……」
「……」
いや、倒すんだ。
この子を守るために、こいつらを倒さないと……。
だけど、このまま走り続けていてもいずれ追いつかれる。それどころか囲まれてしまう。背後を振り返る余裕すら残されておらず、相手との距離を測るのは足音のみだった。
作られた、影のような兵士と軍馬だが、足音だけはしていた。
まだ奴らは遠い。だが、確実に僕よりも素早い速度で追ってくる。
何かいい案がないか。辺りを見回し、路地裏へと進路を変えた。狭い道だけを選んで進み、何とか追っ手を撒こうとする。が、どれだけ距離を開けようとしても、追っては確実に迫ってきていた。
舌打ち。完全に撒くことはできないか。
それでも軍馬だけは撒くことが出来たはずだ。こんな狭い道に軍馬が入ってこられるわけがない。足音がするということは、実態があると考えてもいいだろうから。
やがて、前方に壁が立ちはだかった。そこで初めて背後へ振り返ると、予想通り兵士だけが追ってきていた。
「……」
狭い道に、ぎゅうぎゅうに詰まりながら。
「やっぱり……この街の人の血から作られたから……」
なんだかその様子を見ていると、無念さがこみあげてくる。思考回路が残念すぎる。さすがと言ってもいいかも。
少女を一旦壁にもたれかけさせると【霧銘】を構え、兵士との距離を縮めた。兵士がぎゅうぎゅうになりながらも必死に剣を振るう。その剣の間合いに入らないくらいの距離をあけ、【霧銘】を空中で薙いだ。青白い靄が兵士を包み込み、ぎゅうぎゅうに詰められていた兵士たちを文字へ還した。だが、そうすることで後続が迫ってきた。
だが、こちらもぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れないでいた。ひとまず放っておき、僕は少女の側へ膝をついた。
「大丈夫? まだ痛む?」
「ぅ……くあぁ……」
蹲って未だ頭を抑える彼女の頭をなでた。少女は反応しない。まるで僕のことに気づいていないかのようだった。
「タグ」
突如、上空から竜の声が聞こえてきて、顔を上げた。透明な膜の外に、竜は確かにいた。竜はできる限り僕に近づいてきた。透明な膜は街全体を覆っているのだと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。竜は目の前に降り立った。もちろん、互いに干渉はできない。
竜との間を隔てる膜は、ゴムのようにブヨブヨしていた。攻撃しても、その衝撃はすべて吸収されてしまう。そればかりか、もしかすると、その攻撃の衝撃をエーレンティカが感じ取っているのかもしれない。迂闊に触ることが出来ない。
「竜……なんだよこいつらッ」
「エーレンティカが作り出した、いえ。呼び出した軍馬と兵士です。彼の能力は、『本の内容の一部を現実化する』のです。それよりも、大変な事態になりました」
大変な事態って、今まさに大変だろ。しかし、竜は今の状況がさらに最悪なものになり替わろうとしていることを告げる。
「タグ、エーレンティカを今すぐ討たなければ手遅れになってしまいます」
「手遅れ?」
「はい。あなたがこうして逃げている間に、彼は次の準備へと移行しました。すなわち、この街を『書物化』する準備を」
「なっ……」
それは、数年前の慰労祭でも起きたこと。
二十四人もの人間を犠牲に、神エーレンティカは現界。街の人々を『書物化』し、その翌日には街に誰もいなくなった……。
同じことを、エーレンティカはもう一度しようとしているのか? それも、数年前よりも犠牲者を増やして。
「違います。前回とは……」
しかし、竜はそう言うのだった。
「前回は人々を『書物化』しました。しかし、今回では、あまりにも犠牲者が多すぎます。それに、神官であるパズリィすら、彼は殺しました。いえ、彼女の力を使って現界したのです。ゆえに、今回現界した彼は、以前とは比べ物にならないほど強力な力を宿しています。よっぽどの力が必要だったのでしょう」
「……それで、何をしようっていうんだ?」
「分かりません。ですが、彼は何かを『書物化』しようとしています。前回以上の何かを。ですから、今すぐ彼を討たなければ手遅れになってしまいます」
【舌壊断】はまだですし、と竜は小さく呟く。
「……今は、タグだけが頼りです。タグが、この膜の結界をやぶらなければなりません。残念ですが、今のあなたでは彼を倒すことはできません。ですから、この結界を解き、私を中へ入れてください」
「……くそ」
「悔しいのはわかります。本当は、あなたが彼に拮抗出来得る力を持っていればいいのですが――」
竜の言葉は続かなかったけれど、それは僕自身が理解していることだった。
今の僕は、エーレンティカに勝てない。いくらカミゴロシの武器を持っていたとしても、その使い方を知らないのであれば意味がない。意味のないものを持っていても仕方ない。ならば、神と同等の力を持つ竜が彼を倒すほうが妥当……なんだ。
「……分かってる。僕はエーレンティカに勝てない。だから……どうすればいい? この膜の結界を解くにはどうすればいい?」
「【霧銘】を使うのです。その剣は、本来はカミゴロシを目的として作られました。その剣なら、この結界を破ることが……後ろ!」




