4-5 『現界』
目を開けると、僕は広場に立っていた。
その中央で、パズリィは両手を広げて天を仰いでいた。彼女の周囲には赤い文字が天に向かって浮かび上がり、街中を赤い光が包んだ。赤い文字は周期的に発行しながら動き、街を囲む円状となった。パズリィの周囲から新たな文字が浮かび上がるたびに円は広がっていく。
パズリィは目を閉じて呪文と唱える。一文字一文字、意味ある言葉を呼びだしていく。神の言葉だろうか。僕には分からない単語ばかりだった。
やがてパズリィは薄目を開いて、目の前に僕たちがいることに気づいた。笑う。両手を広げながら、いったん呪文の詠唱を止めて、パズリィは嬉しそうに目を細めた。
「ふぅん……思ったぁよりもぉ、はやぁいわねぇ……でもぉ、もう手遅れぇなのぉ。もう終しまぁい。もうじき、神は復活するわぁよぉ? あははぁ~」
「くっ……まだ終わってないだろ。まだ神は現界してない!!」
【霧銘】を抜き放ち、パズリィへ肉薄する。が、一歩踏み出すと足元が光り輝き、文字が浮かび上がった。赤い文字。それは僕の身体を包み込み、鎖のように連なって縛り付けた。
ダンッ!
足元の地面がすべり、受け身を取ることもできないまま、僕は倒れた。顔面を打ち、鼻血が垂れる。そうこうしている間にも、パズリィは呪文の詠唱を再開していた。
「くそ……放せ! 神を現界させるわけにはいかないんだよッ!」
もがく。文字は身動きするほどに強く縛り付けてきた。息が苦しくなり、たまらず服を掴んだ。その時、自分が【霧銘】を握っていることを思い出した。
「【霧銘】っ! お前に力があるなら、それを見せろ! 神を殺す力を持っているなら、こんなことでやられるわけにはいかないだろ!!」
叫ぶ――瞬間。
【霧銘】の刀身から青白い靄があふれ出した。靄は僕の身体を包み込み、赤い文字を侵食し始める。侵食された赤い文字は微塵となって消えていった。
「ふふふぅ。そぉんなことできたんだぁ。でも、もう遅いわぁ。さあ、神様ぁ、あんたが起こせって言ったのよぉ? だぁから、はぁやく起きなさぁい!」
「まだ、諦めるわけには――ッ!」
赤い文字を振り払って足を踏み出すと、見えない壁にぶつかった。舌打ちして【霧銘】をそれに突き刺すと、突き刺した部分からガラスが崩れるようにガシャンと音を立てて、見えない壁は崩れ落ちた。
パズリィは感心したように笑う。隻眼の瞳は僕へ向かい、警戒するように細められた。
「――でぇも、それだけ。それだけぇよぉ? それ以上のこぉとはぁ、なぁにもできないんだぁからねぇ?」
「僕はお前を信じている。お前なら、僕の守りたいものを守れるって信じているんだぞ、【霧銘】ッ!」
パズリィに向かって走っていく。パズリィは顔だけをこちらに向けて、広げた両手をそのままに、指で円を描いた。
僕の周囲に円状の文字が浮かび上がった。それを【霧銘】で斬る。霧散した赤い文字は液状となって辺りに散らばった。血だ。理解した途端に吐き気がした。くそ、胸くそ悪い……。
「あはぁは~。どれだけ無効化してもぉ、いぃっぱい作れるからねぇ。タグがぁ傷つけてるのはぁ、タグの救いたい、みぃんなの血なのよぉ? あははぁ!」
気づくと、パズリィの周囲には血がばらまかれていた。それらから文字は浮かび上がっている。そうか。街を覆うほど大きな魔法陣を作り出すために、これほどの血が必要だったのか。だからあれだけ多くの人間を殺さないといけなかった。
ただ本にするからという理由だけじゃなかったわけだ。血が多ければ多いほど、パズリィの使っている魔法らしきものが強さを帯びる。神の現界だって、素早くできることだろう。
【霧銘】を構える僕の前に、二対の巨人が浮かび上がった。それは赤い文字でできた巨人だった。僕へ向かって、身の丈ほどある槌を振り下ろしてきた。
槌は地面を砕いた。半身引いて避けると槌の柄を握った右手手首を切り裂いた。文字でできた巨人の手は切り離され、赤い霧となって霧散した。
もう一体の巨人が背後から襲ってきた。風を薙ぐ音を頼りに槌を避けると、同じように手首を刎ね飛ばした。赤い文字が霧散する。
巨人は得物を握れなくなることを悟ると、残った左手を握りしめ、挟み撃ちするように拳を振り下ろした。跳び退って避けると、二対の巨人は互いの頬を殴って自滅し、霧散した。街の人たちの血から作られているだけに、こいつらはバカらしい。
消えていく巨人に背を向けると、パズリィは広げていた両手を下した。
最後の一文字が、宙に浮かんで昇っていく――。
「あははぁ。はい、時間ぎれぇよ♡」
刹那――。
――クヲォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……………
天上に広がっていた文字が激しい赤光を放ち、円状を形作る。円は幾重にも重なり、赤光を放ちながら収縮していった。衝撃波がゴゴゴと街を揺らす。
円が収縮していくほど、甲高い音が徐々に大きくなっていった。耳が痛い。耳をふさぐが、その嫌な音はどうやっても落ち着くことはなかった。
「あははぁぁ! さぁて、現界しなさぁい。あなたが目覚めを希望したのだからぁ、はぁやく起きてよぉ!」
パズリィが天を仰いで叫ぶ。それにこたえるように、赤光の感覚が狭まっていった。
やがて、円が一つになると、バチバチと赤い雷が大地を穿った。穿たれた地面から飛び散った破片が宙に浮かび、円に吸い込まれていった。
「ぅ……くああああああああぁぁぁぁっぁああぁぁッッ!」
突如、僕の後ろで成り行きを見守っていた少女が頭を抱えて地面にうずくまった。頭痛に叫び、歯を食いしばって涙を流していた。
「だ、大丈夫か! おい!」
「くぁ……ぁ……ぁああ……」
僕の呼びかけに、少女は応えない。いや、答えられないんだ。あまりの頭痛に、少女の耳に僕の声が届いていない!
僕は愉悦に浸るパズリィを睨み付ける。が、パズリィは僕の怒りの視線になど一介の興味すら持ち合わせていなかった。天に向かって、厳戒しようとする神に向かって叫ぶのだ。
「わぁたしのために、現界しなさぁい! わぁたしがあなたをぉ復活させたぁのよ? だぁらから、わぁたしに、恩恵をッ! 神のぉ、恩恵を! あっははぁ!!!!」
「くっそぉッ!」
まだ、神は完全には現界していない。なら、今隙だらけのパズリィを討てば、神の現界を阻止できるんじゃないか!? やるなら、油断している今しか――
「――って、思ってるのぉ?」
「ッ!」
背後からの一撃。にもかかわらず、パズリィは腰に提げていた鞘を持ち上げて、それを防いで見せた。こちらを一瞥もせず。
鞘を跳ね上げると、【霧銘】ごと弾き飛ばされた。身体を反転させたパズリィがこれまで止まっていたとは思えない加速を見せて距離を縮めてきた。地面に【霧銘】を突き立てて弾かれた勢いを殺してパズリィめがけて前進した。
ふっとパズリィの姿が消える。
後頭部に衝撃。ジャンプしたパズリィが僕の頭を踏み捉えていた。地面に埋没するほどの衝撃を受け、脳髄が揺さぶられた。鼻血が流れる。その血がパズリィの持つ【祟聖】に集まっていくのが視界の端で見えた。あの剣は、他人の血を吸って能力を発揮するのか。
「じゃぁましないでぇね? 今ぁ、だぁいじなところだからぁ。あはは。子どもにはぁ、まぁだ分からないかなぁ? 人のぉ空気を読むってぇことをさッ!」
「――ぁあッ!」
手、が……ぎりぎりと踏みつけられる。こんな僕の手如き、パズリィの手にかかれれば簡単に潰されてしまうだろう。文字通り、骨がぺっちゃんこになってしまう。
手を踏まれながら、頭上を見上げた。いつの間にか、赤く光る球体が完成していた。その中央で、人型をした何かが膝を抱えて蹲っている。
あれが、神……?
神の入った球体は脈動していた。まさに心臓のように、管が生えはじめ、それらは地面に向かって伸びていた。地面に繋がると、パズリィの発生させた文字を吸収しはじめる。それを栄養源とするように。
一文字一文字、伸びた管に吸い込まれていくたびに球体の鼓動は早くなっていった。
パズリィが不吉に笑い、地面に【祟聖】を突き立てた。【祟聖】を中心として、蜘蛛の巣状に赤い文字が広がって行った。それすら、宙に浮かぶ球体は管を通して吸収していった。
「くそ……っ」
「動かないでぇ」
パズリィの足が持ち上げられ、勢いつけて後頭部に振り下ろされた。地面に埋まるほどの強さで踏みつけられ、意識が一瞬飛んだ。
「にぃしてもぉ、遅いわねぇ……あぁ、そうかぁ……もぉう少し、血が欲しいぃのぉ? ならぁ、ちょうどここにぃあぁるのよねぇ」
首筋に【祟聖】が突き立てられた。神の現界に足りない分の血を、僕の血で補おうというのか。僕の血を媒介として文字を作り出し、それをあの球体へ吸収させる。あと一人、僕が殺されるだけで神が現界してしまう。
そんなことになっちゃだめだ! 神の現界を阻止しようとしたのに、その僕が媒介になってしまうなんて。
また、僕は少女を守れないのか。僕が弱すぎるせいで……神を殺すどころか、パズリィにすら勝てずに終わってしまうのか。
認められない。そう思って、そう考えて、結局僕は最後で諦めて、守れないことを受け入れてしまう。それをいつまで続けるつもりだよ。
命を賭して守る。
少女を守る。
妹の復讐を――だから、僕は……。
「ここで死ぬわけには……ッ!」
「あははぁ。なぁにを言っているのかなぁ? タグはここで死ぬのよぉ? もぉう決定した。決定したのよぉ? タグにぃ、それを覆す権利はぁなぁいのよぉ。神は現界すぅるのぉ。それはぁ、タグが決めることじゃぁなぁいの。タグがぁずぅっと恨んできた神様がぁ決めたことだからぁ、わぁたしは神を現界しなきゃぁいけなぁいの。さぁて。そろそろ仕上げよぉ。さっき時間ぎれぇって言ったけどぉ、少しはぁ時間があぁったみたいねぇ。その時間もぉ、無駄だったみたぁいだけど」
「くそ……」
無意識に【霧銘】を握りしめた。お前なら、今の状況を打開できるんじゃないのか? 神を殺す力を以っているんじゃなかったのか? なら、今ここで力を発揮しないと、お前が存在する意味がなくなるじゃねえか!
【霧銘】は……応えない。
ただそこにあるだけで、己の主人がどんな危機的状況だったとしてもお構いなしと言いたげに、【霧銘】は静かに主が死にゆくのを見守っていた。見守るくらいなら力を貸せよ。
頭を踏みつけたまま、パズリィは【祟聖】を振り上げる。照準を僕の首に定め、一気に振り下ろす。
「これで――――終わりぃぃッ!!」
『お前がな』
「――――――ッ……」
突如、天から聞こえてきた声と共に、パズリィの身体が崩れた。踏みつけられていた足をどかし、彼女を改めてみると、そこにあるべきはずの首がどこにもなかった。
声のした方向を見上げる。脈動を続けていた球体から伸びた管が、パズリィの頭を持ち上げていた。信じられないと言いたげに、憎悪と驚愕の表情を残した頭は文字化し、球体の中へ吸い込まれた。
一閃――爆轟。
少女をかばうように抱きしめ、耳と目を激しく襲うそれらから身を守った。直視していたらきっと目が潰れていたことだろう。
だが、かばった少女はそれにすら気づいていないかのように、頭痛に呻いていた。ぐぅとうめき声をあげているが、僕にはどうすることもできない。
やがてそれらが収まる。
頭上を見上げると、さっきまで会ったはずの球体が消えていた。代わりにそこにあったのは一人の男の姿だった。
鋭い瞳をした男。どこかのギャングに見間違いそうになりそうな雰囲気をはらんだ人物。瞳は金。神もまた金。人間離れした威圧感が、僕の身体を覆うように襲ってきた。潰される。
そして、男は……否。
エーレンティカは、不吉に笑う。
「久しぶりだな、タグ。そして【舌壊断】」
殺されたはずの彼が、本を片手に宙に浮いている。




