4-1 『反意』
僕の妹は、ある日いなくなった。
その日は、僕の十六歳の誕生日だった。僕の住む村では、十六歳になるとある儀式をすることになっていた。
村人の中から一人、神官を決め、神官を通して神と会話をする。会話の内容は何でもいい。ただ普通に神官と話をするだけでいいんだ。だけど、その中で一つだけ、ルールがあった。
それは、将来何をするかを誓うことだった。
将来、この先もずっと、僕は妹に養ってもらうつもりだった。将来だとか、そんなのはどうでもいい。妹さえいれば、僕は一生働かなくてもいいんだし、将来なんて意味がない、そう思っていた。
だから、僕は儀式の始まる夕刻六時まで、ずっと悩んでいた。嘘でも何でもよかったけれど、ここで下手をすれば、妹に見限られて、僕は養ってもらえなくなる。それが怖かった。
うまくごまかせばいいのだろうけれど、そのうまいごまかし方が分からなかった。そう。僕はそう言った自分の考えすら妹に任せ切っていたんだ。
それに気づくと、さらに悩むようになった。
妹に合わせる?
なら、僕は妹から離れ、家を出て、普通につまらない日常に呑まれながら働かなきゃいけなくなる。妹はそれを望んでいるから。彼女の好感度を上げたままでいるなら、そう言わなきゃいけなかった。
それは僕の意志とは異なる。矛盾。さて、どう言えば、僕は妹に嫌われないまま、今日この日を乗り越えることが出来るだろうか。
苦悩は夕刻六時を過ぎ、ついに辺りが真っ暗になってしまっていた。
何も思いつかないまま、仕方なく、僕は妹が待っているはずの教会へ向かった。神官になると言った彼女は、教会で一人待っているはずだった。
教会の扉を開く前から、教会に明りが点いていないことに気づいた僕は、嫌な予想をしながら扉を開ける羽目になった。
両開きの扉を開くと、中は真っ暗だった。いつもよりきれいになった教会。しかし、待っているはずの妹の姿はなかった。
真面目な妹が、自分の仕事を放棄してどこかにいなくなることなんてありえない。いなくなったとすれば、不真面目な僕を探すために家に戻るくらいだ。けれど、それならそれで書置きくらいあってもいいはず。
教会の明りを灯すと、僕はその行為を後悔することになった。
「うわ――っ!」
教会の扉に、べったりと血がついていた。僕は触った。その扉の取っ手に触れて、扉を開いた!
そう思った瞬間、身体中が怖れと気分の悪さに鳥肌が立った。必死に手を服でぬぐった。気味の悪い感触がいつまでも離れない。それが妄想だと気づいたのは、全てが終わった後だった。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――ッ!
その血が、妹の物だと考えたくなかった! 違う。妹はどこかにいて、決して何か危ないものに巻き込まれたとか、そう言うわけじゃない! 己に言い聞かせるが、それがいかに愚かな行為だったか、今になってみれば恥ずかしい。
おもむろに、僕は教会から外へ飛び出した。血が暗闇の中で異様によく見えた。この血が、妹の物じゃないと証明したい――そう考え、僕は血を追って山道へと入って行った。
血はどこまでも続く。パンくずを落として歩いたわけじゃないし、何かから逃げているわけでもないけれど、その時の僕はそれが命綱のようだった。
妹が生きている、それはつまり、僕が安寧の日々を保障されるということになるのだ。
すがった。とにかく、その尾を引く血が妹の物じゃありませんように、と。
やがて山道を登り切った。山頂には、十年以上前から使われなくなった火葬場があった。血はその中へと続いている。
誰もいないはずのその扉に手を掛けたとき、僕は地面の方から発砲音が聞こえてきて、叫びをあげそうになった。
嘘だ、嘘だ――ッ!
火葬場へと入って行き、僕は必死で妹を探そうと試みた。
だけど、僕は彼女を見つけられなかった。
どこにもいない彼女……だけど、さっき聞こえた発砲音は何だったのだろうか?
火葬場へは、来たことなど一度もない。もしかすると、この建物には地下があるのかもしれない。僕は地面に這いつくばるようにして地下室を探した。夜だし、明りの一つもないので、全く辺りが見えなかった。
だけど、そうして探していた僕は、不意に明りが漏れている場所を見つけた。すがるように駆けていき、僕は地下室へと続くだろう扉を開いた――。
地面に這いつくばり、僕は拳を握りしめる。
雨が降ってきた。だけど、未だ僕の体は言うことを聞かない。立ち上がることが出来ず、商店も定まらない。ぐらぐら、世界が揺れていた。
「く……僕は……ここで……負けちゃ、いけ……ないんだ……」
呟く。
が、返事はない。呟いた声が小さくて、相手に聞こえなかったわけじゃない。その場から、すでに神官――パズリィは立ち去っていた。
僕を殺す必要もない。そう言おうとしているとしか思えない。僕は弱いから、殺すまでもない。この街の住人が消えるのと同時に、僕も消えてしまう。だから……僕は殺されなかった。
なめられているのか、それとも、消えていく人々を見せつけたいのか。
もしそうなら……すでに、神の顕現する準備は整っているということになる。この辺りの住人を殺し、準備を整えたから、僕を殺さなくてもよくなった。
――なんだよ、それ……。
それじゃあ、このまま放っておくと、今すぐにでも神が顕現して、この街の人たちが消えてしまう。その中には、竜もいればあの少女だっている。
そんなことさせてたまるか。
だが、考えとは裏腹に、僕の体はまったく言うことを聞かない。もどかしい。動け、動けと命令して見せても、身体はその命令を無視して休息をとるだけだった。
「ふざけんな……守らなくちゃいけないものがあるんだ。ここで立ち上がらないと、僕は誰も守れないだろ……立てよ。これ以上、後悔したくないんだろ!? 立てって!」
己を叱咤し、動かない身体へ命令を出し続ける。
これ以上後悔しないために。そして、守りたいものを守るために。
歯を食いしばると、血の味がした。命令に反して、身体が嫌だと反抗してくるのが分かった。もしかすると、パズリィに何かされたのかもしれない。彼女も魔法が使えるなら、僕は今、魔法をかけられている状態だ。もしくは呪いか。
でも――そんなことはどうでもいい。魔法だろうが呪いだろうが何だろうが、動けさえすればいい。
あの子を守れさえすれば何だっていい。
だから――。
「動けって言ってんだよおおおおおおおぉぉぉっぉおおおッッ!!」
ブチブチと、身体の中で何かが千切れる音がした。神経が千切れ、筋肉が千切れ、身体の内部がボロボロになっていく。無理に動かそうとするほど、身体が痛んだ。
身体がもう無理だ、と悲鳴を上げる。無視だ。どうでもいい。無理でも何でもいい。身体がどうなろうが構わない。
「守れ、守れ守れ守れ! そのために、僕は剣を教えてもらおうとした! 今は、あの頃よりも強くなっているだろうが!! なんで反抗しやがるんだ!」
あの時、妹を守れなかった。
僕がもう少し早く、彼女の下へ行っていれば、あんなことにはならなかったはずなのに。そして、僕がもっと強かったなら、神すら殺せたはずなのに……。
悔しくて悔しくてたまらなかった。目の前で、妹が殺される……言い表しようのない、もどかしさと後悔と憎悪と嫌悪と悲しみと怒りと……もう、あの日のようなことを繰り返したくなんてない!
だから、この身が果てたとしても、立ち上がって、かつて師匠だったパズリィに一矢報いてやれよッ!
「ああああああああああああああ!!」
ただ、立ち上がるだけなのに、僕の全身から汗が噴き出た。よく分からない。これは汗ではないのかもしれない。体内で千切れた神経やら筋繊維やらがどろどろの液状になって、汗腺から流れ出ているだけかもしれない。
「どうでもいい! この身体が朽ちようとも、守りたいものが守れるなら――ッ!」
「あぅ――ッ!」
その時、どこか遠くから少女の声が聞こえた。置き去りにしてきた少女は、必死に僕を追いかけようと走ってきたのだった。
息も絶え絶えで、倒れた僕に駆け寄ると、彼女は泣きそうな顔で必死に何か話そうとしていた。
「ああ! ぅああ!」
「大丈夫だから……君のことは、僕が絶対に守るから……!」
だから、そんな顔しないで。
ちゃんと守るから。
君だけは、絶対に消させはしないから……。
『自分、犠牲、しないで――』
「――っ!」
少女は、泣きそうな表情のまま、首から提げた手帳に何か書き連ねる。何を書こうとしているのかは分からないけれど、まずい……そんな気がする。
『私、守る、必要、ない。だから、無理、ダメ』
ああ、忘れていた。
この子は――僕の天敵なんだ。
少女に見せられたメモ帳の、最後の言葉が胸に突き刺さった。
『――生きて……』
少女は街の方角へ足を向け、倒れた僕を放って歩いて行った。歩みの速度は遅いが、立ち上がれない僕は、彼女を追いかけることが出来ず、歯を食いしばった。
「な……何を……」
待ってくれ。行かないでくれ。君が何をしようとしているのかは分からないけれど、いや、分かっても認めたくないだけなのかもしれないけど、君のことは僕が守るから、無理をしなくていいのは君の方だ。だから……待って。
「生きてって……そんなこと言われても、君が僕の生きる理由なんだよ……だから、行かないでくれ。守らせてくれよ……君にそんなこと言われたら、僕が存在する意味がなくなっちゃうじゃないか」
くそっ……こんな時に動けない。彼女が何か危ないことをしようとしているんじゃないか、そう考えが行き着くのは容易だった。今すぐ追いかけて、彼女を止めなければならない。しかし、身体は思いとは裏腹に動かないままで……。
少女の背が遠ざかり、やがて見えなくなった。焦燥に駆られる。彼女の後を追わないといけない――そう考えるだけで嫌な気分が身体中を駆け巡り、気味の悪い虫が蠢いているようだった。
全てが作られた運命であるかのように、きっと神の気まぐれで決まる運命だろうけれど、そんな戯れで君がいなくなるなんて考えたくない。君はこのままいなくなる。僕が追って止めさせないと、きっといなくなる――そんな気がしてならない。
「生きてって言うなら、君がそばにいてくれなきゃ、意味がないじゃないか――ッ!!」
存在意義を失った機械は目的も価値もなく、ただ無謀に無策に無駄にエネルギーを消費するだけの厄介者になる。ただただ、僕は彼女にそばにいてほしかった。それが僕の存在意義でもあったから。
涙がこぼれた。ああ、身体は動かないくせに、こんないらないものはあふれて止まらなくなるんだ。情けない……たった一人の少女に支えられていたくせに、なんでこんな時に何もしてあげられないんだ。
怒りが脳を蹂躙した。己に対する怒り。収まらない憤り。僕は、僕は僕は――。
「――動け……追え……だって、守るって誓ったじゃないか。守るために、僕は強くなろうとしたんだ。あの師匠に勝てるように、そして、いつか神を殺すために、僕は剣の修行をしてきたんじゃないか。まだ教えてもらったことも少ないけれど、僕はあの日よりは強くなったはずだろ!? ふざけんなッ! こんなところで、地面に這いつくばって終わりを待っているわけにはいかないだろ!? だから、動けよッ! 僕の命令に逆らうな僕!!」
無理やり動かそうとするたびに、激痛が走った。奇妙な汗が流れ続け、そのたびに身体の中が空っぽになって行くような感じがした。
嫌な気分だった――だけど、あの子を守れないことよりはましだ。
歯を食いしばり、血の味がしても無視し、必死に手を動かそうとした。
その手の向く先に、【霧銘】があった。現状を打破するためには自分が必要だと、【霧銘】が言っている。
這うミミズのような動きでやっと【霧銘】の柄に触れた。その瞬間、【霧銘】から青白い霧があふれ出た。
青白い霧は周囲を支配した。僕の身体を包み込むように、あるいは守るように濃く、濃くなっていく。
「僕を救え……【霧銘】――ッ!」




