3-7 『監視』
【霧銘】は眠っていた。
持つべき主人の覚醒を――ひたすら待ちながら。
僕はそれを少し抜いてみた。途端に、青白い靄が剣の周囲を取り囲んだ。
【霧銘】……僕が、異形のシカに託された剣。それが何を意味するのか分からないけれど、心の奥底に眠った本性が、この剣を求めている。
使え……使え……守りたいものを守るなら、この剣を使え。
そんな幻聴が聞こえてくるのだ。耳障りだった。けれど、いや、だからこそ無視できなくて、僕はそんな剣を手放さなかった。
眠るときも抱いて眠り、起きれば必ず腰に提げるようにした。剣舞では真剣の使用は禁止だから、その時だけは手放さなくちゃいけないけれど、それ以外はずっと肌身離さず持ち歩いていた。
師匠には、この剣のことは話していない。まだ未熟者な僕が、この奇妙で立派な剣を持っていることを話すことは憚られたのだった。師匠は許さないだろうし。
この剣は、僕だけの秘密だった。少女はそもそも興味なんてなさそうで、剣を抱いて眠っていても気にせずにすやすやと静かに寝息を立てているのだった。
【霧銘】は疼いていた。
今すぐに誰かを斬りたい。
己の正義を示し、悪を切り裂き、主人に仕えるためだけに遣われよう、と。
だけど、僕はまだこの剣で誰かを斬ったりなんてしていない。誰かを守るためなら、というのなら少女を守るためだけど、まだ少女が襲われたわけじゃない。
今、街で起きている殺人事件……それに僕たちが巻き込まれたとき、迷わず僕はこれを使うだろう。使わなければ、僕はこの【霧銘】に見捨てられる……そんな気がするのだった。
森のどこかで鳥が一斉に飛び立ち、木々がざわめいた。
目覚めると、ひんやりと涼しい森の空気がテントの中へ入り込んできた。昨日の剣舞で疲れ切って重い身体を起こすと、僕は【霧銘】を枕元へ置いた。
少女はまだ眠っていた。少女を起こさないようにしながら、僕は荷物を漁って朝食の乾パンを取り出す。祭りの際中とはいえ、朝食だけは質素なもので我慢しないと。
乾パンを食べ終わるころに、少女は目を覚ました。ふあと大きな口でだらしなく欠伸をする彼女が愛らしくて愛らしくて……なんてかわいいんだこの子はああっ!
激しく波打つ心臓の鼓動を抑え込み、僕は少女に乾パンを渡した。僕が保護してからずっと乾パンだというのに、少女は文句の一つも言わない。なんていい子なんだ!
そんな彼女を、あの物騒な街に連れて行くことは憚られるけれど、昨日竜と約束したとおり、剣舞の間だけでも竜が守ってくれるらしい。待ち合わせは昨日の広場だった。
そろそろ抜け出したい質素な食事を済ませると、僕たちは広場へ向かった。仮面をつけているので、僕はすごく目立つ。今日の剣舞でこんなやつが戦うとは、みんな夢にも思わないだろう。
街は相変わらずの雑踏ぶりで、人を探すには一苦労しそうだった。が、広場に着いたとき、僕が竜を見つけるよりも先に、竜のほうが僕を見つけて声をかけてくれた。
「タグ。こっちです」
「あ、ああ」
竜に促されるまま、僕たちは路地裏へ向かった。街の大通りから離れると人が少なくなり、それと同時に、誰も済んでいない廃墟が多く見受けられるようになってくる。
竜はその建物の中の一つに入ると、ボロボロになった扉を閉めて鍵をかけた。外からけり破られてしまいそうな、ボロボロに寂びたカギだけれど、わざわざそんなことをする輩はいないだろう。
「……じゃあ、よろしく」
「うー!」
「はい。きちんとお守りいたします」
なんだか、しばらく旅行に行くからペットを預かってくれと言っているような気分。少女は僕のペットみたいなものだけどね! だけどそれを言ったらなんだか犯罪臭がただよってくる!
「タグ、気を付けてくださいね」
竜は真剣な顔をして言った。バカなことを考えていた僕は、さっと顔を引き締めた。
「今日戦う相手が、ここ数日の事件の犯人なのかもしれませんから。相手は強者でしょう。でなければ、剣舞参加者をああして殺すことは不可能です」
「分かってるよ。今日、勝っても負けても……いや、勝たなくちゃいけないんだけど、どちらにしろ、僕も狙われているかもしれない。僕は街の人たちから恨まれてるしね」
「何も、恨まれているから殺されているというわけではありません。これは神を現界させるための生贄なのですから、相手は誰だっていいのです。……いえ、相手はできるだけ強いほうがいい。強い力を持つ者が、神の現界のための生贄にささげられることでしょう」
僕が犯人に勝てば、僕は強い者として殺される。
僕が犯人に負ければ、別の誰かが犠牲になるかもしれない……。
「……大丈夫。僕が止める。僕が勝つから。だから、その子をしっかり守ってあげて。僕のほうは大丈夫だから」
「信頼してます。あなたは決して強くありませんが、気持ちだけは誰よりも強いはずです」
「実はバカにしてない……?」
竜はふふっと笑うと、少女の頭をなでた。少女はメモ帳に何やら書くと、僕に見せた。
『私、大丈夫。竜、ついている。だから、タグ、頑張る。あなた、絶対、勝てる。私、信じる』
「ありがとう。……じゃあ、そろそろ行ってこようかな」
僕は踵を返すと、ボロボロの鍵を開け、外へ出る。
人通りの少ない道は薄暗く、気分が少し落ち込んだ。大通りとは違った、静寂の空気が冷たくて寂しい。
「何か困ったことがあれば、私を呼んでくださいね? すぐに駆けつけますから」
竜が僕の背中に向けて言う。彼女は少女と手を繋いでいて、傍から見ると親子に見えなくもなかった。ほほえましい、仲の良い親子っていう感じ。
「うん。ありがとう。僕も君を信頼しているから」
首だけ振り返ってそう言うと、突如、進む先で何かが動く気配がした。
「――っ!」
とっさに構えるが、誰もいない。竜もその何かに気づいたようだったけれど、しばらく視線をさまよわせると、静かに首を振った。
「ダメです。もう逃げましたね。なんて逃げ足の速い……」
「というか、僕たち、もしかして見張られていたのかな?」
だとすれば、僕か竜、考えたくないけれど少女の誰かが狙われているかもしれないことになる。可能性が高いのは僕だけれど。
狙われているかもしれない、だから僕と竜が関わりあるということを知られたくなくて、こうしてひっそりと会ったのだけれど、見張られていたならそれも無駄に終わる。
「私たちを見張るなんて……なんて趣味の悪い……」
不機嫌そうに片眉を上げた竜。が、その怒りを向ける方向が見当たらず、彼女は壁を殴った。ゴン! という轟音と共に、壁に大きな亀裂が走った。
「お、落ち着いて。ここで目立っちゃ、ひっそり会った意味ないから」
竜をなだめると、彼女は悔しそうに顔を歪ませて……ふぅと息を吐いた。
「ごめんなさい……大丈夫です。私たちを見張っていた不埒者は、もうこの近くにいませんから。ですが、ここまで堂々とされると、やはり狙われているかもしれません……タグ、剣舞の間とはいえ、いくらでも殺されるチャンスはあると思ってください。油断しないで、自分の周りを常に警戒していてください。犯人は、時も場所も場合も選ばないことでしょう。もし、あと一歩で神が現界するなら、すぐにでも殺されるでしょう」
「うん。分かった。だから、その子を頼むよ」
竜は頷くと、少女を引いて僕の脇を過ぎて行った。少し時間をあけてから、僕も大通りに戻る。
人波は相変わらず、一方通行だった。広場へ向かって行く人並みに飲まれないように注意しながら、とはいえ、僕も広場へ向かうのだから注意も何もないのだけれど、僕は広場へ向かった。
人がさっきよりも増えていた。人は円を描くように集まり、その中心に六人の人物が立っていた。いずれも、僕と同じように剣舞の一回戦を勝ち抜いた猛者たちだ。
僕は人に怪しまれながらその中へ入っていた。と、同時に、からんと鐘が鳴らされた。
「静粛に! 静粛に!」
マイクからキィンと嫌な音を鳴らしながら、小太りのおじさんが叫んだ。集まった群衆は野次を止めてしんと静まり返った。
それを確認して、ごほんと咳払いすると、おじさんは話し始めた。
「剣舞二日目がやってまいりました! 昨日の一回戦……『混合戦』で勝ち抜いた猛者たちよ! 今日のトーナメント戦で勝ち、明日の決勝に向けて死力を尽くすがいい!」
「「「おおおぉぉおおおおおおおっっ!!」」」
まるで訓練されたように雄たけびを上げる剣舞参加者たち。僕はあんな恥ずかしい人たちと一緒こたにされたくないから叫ばない。
「――さて、ここで皆様にお伝えしなければならないことが一件。皆様も気づいている通り、いまここには七名しかおりません。本来なら八名いるはずですが、一人欠員が出ました。というのは、連日起きている物騒な事件で、本来ここにいるべき彼は――殺害されたのです」
それを聞いた瞬間、あちこちで悲鳴が上がった。そうか。僕が見つけた彼が、もしかすると、今日参加するべき人物だったのかもしれない……。勝ち上がった故に、殺されたのか……。
「まことに遺憾であります。混合戦で勝ち上がった強者でしたが、何もに闇討ちされたのでしょう。神のために戦った彼に、賞賛の拍手を――」
ぱちぱち。
激しく降る雨のような拍手が巻き起こり、犠牲となった彼は賞賛された。このみんなの思いが、彼に届くことがあったなら……。
「――さて。それぞれ思うことはありますが、剣舞を続けましょう。それがせめてもの彼の償いだと信じて。人数は一人減ってしまいましたが、問題ありません。勝ちあがった皆様には、こちらで一から七までの番号の書かれたクジを引いてもらいます。そして、このトーナメント表に書かれた番号に割り振ります。一人はシード権として、二戦目からの参加となります。では、本日来られた順番でクジを引いてください」
ここへ来た順番ということは、僕は一番最後だということか。
僕はほかの人たちがクジを引いていくのを待った。待っている間も、もちろん警戒を怠ったりなんてしない。少し疲れるけれど、仕方がないんだ。
クジを引いていく人物は、それぞれ特徴的な体躯や服装をしていた。特に目立つのは、全身真っ黒のフードを着た人物だった。最初にクジを引いた彼は――。
「むむ! いきなりシード権だぁぁ! あなたは二戦目から参加していただきます」
おじさんが無理にテンションを上げようとしているのがほほえましいけれど、真っ黒フードは特に何も反応しなかった。この中で一番、犯人に近しい人物かもしれない。
外見だけで人を判断するのはいけないことだけれど、僕は彼に目をつけた。彼は注意するべき人物だと思う。
二人目以降も順調にクジを引いていき、僕の番になる。といっても、残されたのは一枚だけだし、すでに決まっているも同然だけれど。
クジを引くためにおじさんの前へ歩いていくと、ひぃっと悲鳴が上がった。え? 僕ってそんなに怪しい?
僕はため息を吐きながら、クジを引いた。箱のなかに手を入れて紙を取ると、それをおじさんに渡す。おずおず受け取ったおじさんよは、さっきまでのテンションとは打って変わって小さな声で番号を読み上げた。なにその反応……寂しくなるよ!
「よ、四番でございます……」
四番……ということは、二番目に戦うことになる。人数が少ないので、何番だったとしても時間の短さはあまり関係ないけれど。
剣舞参加者は一番と二番のクジを引いた人物を除いて捌けて行った。人波で作られた円の中心で、二人の剣士がそれぞれの得物を胸の前に掲げて見せた。
「では! 互いに忠儀の姿勢を!」
おじさんが言うと、二人の剣士が互いの獲物の腹を合わせた。キンと音を立てさせると、一歩、二歩、三歩と後ろへ下がった。剣先にある相手の顔を覗き込み、静寂がその身を包み込む――。
「『剣舞』一回戦――開始ッ!」
おじさんの一声で、互いの剣士は前へ足を踏み出した!




