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3-5 『呼名』

 帰り道でのこと。


「うー?」


 少女は首を傾げて辺りを見回した。彼女の小さな手は、雑踏ではぐれないようにしっかりと握っている。


 そうやってはぐれないようにしているだけなのに、人々の視線は僕を異常者として痛くつきささった。結局仮面をつけていようがいまいが、彼らの態度に変わりはなかった。


「この仮面のせいだ……ああ、でも、この仮面を取るわけには……(ぶつぶつ)」


「ぅあー!」


 少女が胸の前で手を振って頷いている。少女が他人を必死に励まそうとしている、けなげな姿だ。ああ、それだけで十分癒されるよ。


「ありがと。大丈夫だから、気にしなくていいよ」


 こんないい子だから、僕は彼女を守りたいって思うのだろう。好きだからだとか、そう言うわけじゃない。ただただ、理由もなく守りたい……それで十分だと、僕は思った。


 どれだけ周りから怪しまれて、敬遠されようとも、この子がいてさえくれればいい。この子は僕の心の支えだ。そして、僕の生きがいだ。


 僕は少女を安心させるように笑った。小さくひんやりと心地いい少女の手がぎゅっと握られた。僕も少女の手を握り返す。


 少女は僕を気にしながらも、興味津々といった風に、辺りを見回していた。興奮で上気した顔がほんのり赤い。記憶のない少女にとって、慰労祭というものは初めての祭りだった。


 僕が治療に専念する前の、準備段階とは比べようにならないほどの人口密度だった。ここまで街に人がいたのか、と思わせられた。しかも、その常に満員電車に揺られているような暑苦しさが一週間続くのだ。耐えられない……。


 師匠との修行も終わったので、今日は少女と街を出歩くことにした。せっかくの祭りだし、少女には楽しんでもらいたかった。


 今日、少女が笑顔になれるなら、なけなしの金をはたいてもいいとさえ思った。


 けれど、お金なんて必要ない。少女は風に乗って流れてくる陽気な音楽に聞き入って、その音のする方向へと僕の手を引っ張って行った。少女がここまで積極的なのは初めてで、僕はふっと笑った。


 僕がまだ幼いころ、近くの街で行われた祭りに行ったとき、妹も興奮して僕の手を引っ張ってはしゃいでいた。ふいにそんなことを思い出した。


 あのころはそんな妹が鬱陶しくて仕方なかったけれど、今となってはいい思い出だ。こうして少女に引っ張られていくのも、悪い気にはならない。むしろ、頼られているみたいで心地いい。


 少女はやがて足を止めた。音楽が流れていたのは広場で、僕たちは広場まで歩いてきていたのだった。


 広場には人だまりが出来ていた。吟遊詩人が音楽を奏で、踊り子が踊りまわる、陽気な空間。少女はそんな雰囲気に興味を持ったようだった。


「はへぇ……」


「にぎやかだなぁ……これも慰労祭の行事か」


 とても昼間に剣舞があったとは思えないような陽気さである。


 昼間は殺伐としていて、敵が周りを囲んでいるような状況だったのに、今はみんなが友だち! と言った風に、誰もが入り乱れて踊っていた。踊り方に決まりがあるわけじゃなく、ただ自由に……自分の気持ちを音楽に合わせて、踊っているような感じだ。


 注目の集まる娘が踊れば歓声が上がり、おちゃらけた踊りをする人を腹を抱えて笑い、音程や踊りが狂えば何やら物が投げられた。そこに集まった人たちが笑う、笑う……それを見て、少し安心した。


 少女が目を輝かせて、ゆらゆら身体を揺らして、落ち着きがなかった。この子も踊りたいのかな? でも、恥ずかしいから踊らないのかな。僕は苦笑する。


「行ってきてもいいんだよ? 僕はここで待ってるから」


「……あぅー」


 首を振った少女は、首から提げたメモ帳に何か書いて見せた。


『一人、行く、無理。一緒、行く、なら、大丈夫、かも』


「で、でも僕はなぁ……あ、あはは」


 僕はあんな人の注目になるような場所へは入って行きたくない! だって、今顔半分舞踏会にでも出るかのような仮面をかぶっているんだもん! それを見て『あ、こいつ踊る場所間違えてやんの(笑)』みたいな顔されるの嫌だからね!


 でも、そんな情けないことを少女に話すわけにも……と、辟易していると、ふいに袖が引っ張られた。引っ張ったのは言うまでもなく少女だ。


『それより、私、空腹。むこう、屋台、ある』


「――じゃあ、何か買うか」


 満面の笑みで頷いた少女。ああ、この子はまたそんなかわいい顔して……っ!


 踊りを諦めてくれたのはありがたかったけれど、少し罪悪感が残った。ごめんね。僕がヘタレで。


 その思いが通じることはないだろうけど、せめての償いに、僕は少女が望んだもの(全部食べ物だし、普段我慢しているのかっていうくらいにものすごい量を一人で食べる!)を買い与えた。餌付けしているみたい。


 おいしいものを食べられた少女は幸せそうな顔をして、風に乗って漂ってくる料理の香りに涎を垂らす。よく食べる子はよく育つ。


『次、あれ』


 メモ帳を見せながら、少女が指さしたのは焼きそばの屋台だった。たい焼きを咀嚼している最中で、行儀が悪い。でも、そんなとこにも愛着が持てるだなんて! 将来、僕はきっとダメな親になるに違いない。


 少女が指さした焼きそばの屋台には、人が列をなしていた。街中に屋台が巡らされているはずなのに、なぜかこの屋台だけが妙に人だかりを作っていた。おそらく、おいしいもの=行列ができる、といった心理が働いているのだろう。安着な考えだなぁ。


 僕は面倒だと思いながら列の最後尾に立った。二十人は並んでいるので、あとどれだけ待てば買えるのか分かったものじゃない。


 それでも少女がわくわくして涎を垂らしているのを見ていると、少し頑張れそうだった。行列に並ぶのは暇だし、人がむさ苦しいから嫌いだけれど、少女がいるだけですべての空気が浄化されているみたいだった。人工空気清浄機。一家に一人は欲しいものだ。あげないけど。


 やがて僕たちの番がきた。しかし、ちょうどそこでパックに詰められた焼きそばが完売してしまったらしく、新しく焼きなおしていた。そこでさらに時間がかかる。


「できました!」


 女性らしい店員は丁寧に宣言すると、焼きそばを焼いていた金属へらを置いて額の汗ぬぐった。その間に、隣に立っていたおじさんがせっせと焼きそばをパックに詰めていく。


 彼の作業をにこにこ笑って見守る女性店員……あれ? おかしいな。見たことあるぞ、この顔……。


 訝る僕に、その女性は気づいたらしく、身を乗り出して「あー!」と指さした。う、うるさい……。


「お久しぶりです! お元気ですか? 私は元気です!」


「何その手紙の冒頭に書くような台詞……」


「ふふふ。申し訳ございません。どうやら、私の知識には偏りがあるみたいなので。人間とは難しいものです……ふむぅ……」


 腕を組んでうんうんと頷く女性……三角巾を解くと、緑色の髪がさらさらと風になびいた。髪色が特徴的なので、すぐに正体を思い出した。


「竜……」


 そうだ。


 先日、子どもたちが誘拐されたと騒いだあの竜だ。僕たちが彼女の子どもたちを助けるために巨人と戦って……僕はぼろ負けして、剣舞に参加することになったんだ。


「はい。竜でございます」


 淡々と頷く竜(人間バージョン)。


「奇遇ですね。こんなところでお会いするだなんて、思ってもみませんでした」


「うん。奇遇だけど……こんなところで何をしているの? 人間社会になじみすぎてない?」


「何をって……アルバイトに決まっているでしょう?」


 不思議そうに首を傾げる竜。竜って人間に交じって働いているものなのかな?


「現代では、働かぬ者食うべからずの世ですから。働かなければ、子どもたちの世話をしてくのも難しいのです」


「ああ、なるほど……」


 人間社会に溶け込んで生きる竜。人間に自分が竜だとばれないように、また、安定した生活ができるように、竜はこうして人間と同じように働いているのだろう。働かなくちゃいけないのに、そうまでして人間社会に交じっているのは、彼女たちにとっても人間といものはあこがれの存在なのだろう。


 弱肉強食に怯えることなく、いつも楽しそうに笑っていられる人間たちに、彼女はあこがれている。あくまで勝手な妄想だけど、あながち外れていないような気もする。


「ところで、子どもたちの様子は?」


「おかげさまで、元気に成長しております。まだ顔を見せてはくれませんが、あの厚い壁の向こうで、早くお母様に会いたい、と言っているのが分かるのですよっ! ああ、なんて愛らしい我が子♡♡♡」


「そ、そうなの……へぇ……」


 赤くなった頬に手を当ててもじもじとする竜は、まさに人間で、とても竜には見えなかった。人間になじみすぎている彼女の隣で、本物の人間(だと思う)のおじさんがせっせと焼きそばをパックに詰めていく。鉄板が近いので、額にびっとりと汗をかいている。


 やがて詰め終わった焼きそばを竜から受け取ると、僕は竜に別れの挨拶をして列から離れた。


「やぁ……暑いですわね」


 しかし、竜は僕の後ろをついてきた。


「なんで、君まで一緒に来るの? 子どもたちのために働いているんじゃなかったの?」


「せっかくの慰労祭だから、知り合いと一緒に遊んで来い、と親父様がおっしゃるので、そのお言葉に甘えることにしました」


「お、親父様?」


「親方様のほうがよろしかったでしょうか?」


「いや、どちらにしてもあまり意味は変わらないから、別にいいけど」


 きっと、さっきの焼きそばの主人のこと。隣でおしゃべりしていた僕たちを気にすることなく、せっせと働いていたあのおっちゃんは、僕が振り返ったときには鉄板の上に大量の麺を入れて焼いていた。僕たちの視線に気づくと、親指を立てて竜に行って来いと示す。おっちゃん……。


 竜は律儀にお辞儀をして返した。そして何食わぬ顔で僕のあとをついてくるのだった。


「君は、どこかに行きたいところとかないの? 別に、僕についてくることないでしょ?」


「いえ。私はこの街に住んでいるとはいえ、人間については詳しくないのでレクチャーしていただけると、と思いまして」


「レクチャーって言われてもなぁ……」


 僕も人間なんてよく知らないよ! だって、身の回りの世話を全部妹に任せていたからこの街に来るまでほとんど人間と話してこなかったし! なんてダメ人間なんだ!


「あ、でもそこまで硬くなる必要はありません。むしろ、自然にしていただけるとありがたいです。私はそこから人間というものを研究いたしますので。ふふふ。私、ここまで気楽に話すことが出来るような人間の知り合いなんて、今までいませんでしたから、楽しみです!」


 何が楽しみなのかは知らないけれど、竜はにこにこ笑っていて、それを見ると本当にどうでもよくなった。君が幸せになるなら、別にいいよ。


 そのとき、僕は脇腹を何やら固いもので突かれた。振り向くと、少女が頬を膨らませて、肘を入れていた。


「えっと……どうしたの?」


「……んむぅ」


 このパターンは初めてだった。

 今のこの子の感情が分からない! ちゃんと話してくれないと分からないよ!


 しかし、少女は僕の意とは反して、何も話してくれなかった。急に不機嫌になった少女は、僕の手を取ってギュッと握った。とりあえず、冷たくて小さなその手を包み込む。


「仲がよろしいのですね?」


「ん……そうだね」


「んーっ!」


 えへんと胸を張る少女。ええと……この子は一体、何に対してそんな意地を張っているのだろうか。竜?


 よく分からない彼女の行動だけど、竜には分かったらしい。竜は苦笑して少女の頭に手を置くと、しゃがんで彼女の目線に合わせた。


「大丈夫ですよ。私は、別にあなたの大切なものを取ろうとしているわけではありませんから。お願いします、【舌壊断】。彼とお話をさせてください」


「……ん」


 ぷいっと顔をそらした少女は、やはり不機嫌にしか見えなかった。が、竜はありがとうございます、とお礼を言った。彼女たちの会話は成立しているのだろうか……僕にはそれすら分からなかった。


「それにしても、君までこの子のことをそんな名前で呼ぶんだね」


「そんな名前、とは?」


「この子の名前だよ」


 はっきり言うのが嫌で、僕はそう言った。竜は目を瞬かせると、首を傾げた。疑問符を頭に浮かべると、「そんなにおかしいことですか?」と当然のように言った。


「この子には名前がありません。私たちが知っている名は【舌壊断】……それだけなのです。他に呼びようがありませんよ」


「まあ、そうなんだけど……僕はその名前が嫌いだから。その名前を呼ぶたびに、この子をいじめているみたいで……」


 少女の頭にポンと手を置いて言う。少女は首を振って気にしてない、とメモ帳に書いて見せた。


『私、名前、ない。記憶、ない。なら、どんな、名前、呼ばれる、ても、私、それに、答える。あなた、呼ばない、私、名前。呼んで、くれない』


 それは、その名前の意味を知らないからだよ――とは、当然言えなかった。


 少女は少し寂しそうにうなだれた。でも、ごめん。君がどれほど寂しくても、僕はその名前を呼べないよ。


 少し雰囲気が悪くなったところで、竜が取り直すようにごほんと咳ばらいをした。はい、もうこの話は終わり! 竜が態度でそう言っているのがわかる。彼女は、本当に優しい。


「さて、行きましょう?」


 しかし、竜の咳払いだけで空気の悪さは変わるわけもなく、僕らは無言で歩いて行った。少女を楽しませてあげたかったのに、どうしてこうなってしまったのだろうか……。


 悩む僕の隣で、竜も嘆息。はぁとため息をついて、ふっと立ち止まった。


「――おや?」


「どうしたの?」


 竜は前方を指さして、それを言った。


「また、殺しです」



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