2-24 『霧銘』
「っ!」
突然聞こえてきたオオカミの遠吠え。
僕は起こされて、とっさにテントから飛び出した。辺りを見回して、何もないことを確認する。
何もない。
だけど、何か感じた。
それは、竜が放っていたような、あの殺気とは違う。獲物を狩ろうとする動物の視線ではない。
表現するなら……そう。神々しい。抵抗することをはばかられるような、威圧感が襲ってきたのだ。
それは森の奥から、僕を手招きしているようだった。テントに残る少女が気にかかったけれど、僕は好奇心に負けた。
森へ近づくと、一頭のシカが飛び出してきた。普通のシカのように見えたけど、シカは僕の背中を鼻でつつい
た。警戒心の強いシカにしては珍しい。森の中へ入れ、と言っているらしい。
怪しいことは分かっていた。だけど僕はなぜか抵抗できなかった。なされるがまま、僕は森の中へ入る。
道なき道を進んでいくと、いつの間にかシカに囲まれていた。幾頭ものシカが僕を囲み、さらにその外側をオオカミが囲んでいた。食べられるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。オオカミは僕たちを警護しているようだった。
やがて、一団は立ち止まる。まっすぐ前を見据えて、じっとするシカとオオカミ。彼らの視線の先には、さらにもう一頭、シカがこちらを見つめて立っていた。
僕はそのシカを見た瞬間、腰に提げていた模擬刀の柄を握った。
あのシカだ。
あの、異形のシカだ!
「ーーーあいつ!」
全身から角を生やしたような、痛々しいシカは僕を見つめると踵を返した。敵対するつもりはない、だからついてこい、そう言っているように思えた。
僕は柄から手を放すと、その異形のシカの後を追った。歩みだすと同時に、シカやオオカミたちも歩き出す。奇妙なサーカス団に入団させられた気分だった。
異形のシカは一切こちらを見ずに、ずんずん進んだ。
異形のシカの通った道には邪魔なつる草などはなく、まるで木々が通行を妨げないように避けているように見えた。神の通行を邪魔しないみたいに。
どれほど歩いたか分からなくなってきたころ、やっと異形のシカが立ち止まった。そこで振り返ると僕を見つめてきた。
「……そっちに行けばいいのか?」
異形のシカの隣まで行くと、僕は目の前に一本の剣が地面に刺さっていることに気づいた。
奇妙な剣だった。青白い靄を発生しているのだ。柄は黒く、剣身は雷を模したようにぐねぐねと曲がっていた。黒光りする剣には、五個の宝石がちりばめられていた。
その剣の前に、切り出された岩が置いてあった。その表面に何やら書いてあったけれど風化してしまってほとんど読めなかった。
唯一読めた単語……それは、この剣の銘だった。
「――【霧銘】……」
その怪しい剣に引き寄せられるように、僕の手が伸びた。柄を握る。
瞬間、僕は浮遊感を覚えた。何かに持ち上げられたかのような、そして、まるで楽しいことが起きるかのような高揚感が、全身を、心を震わせた。
「ーーーっ!」
剣を地面から抜き放ち、同時に僕は意識を失った。
【霧銘】……その剣との出会いが、願ってもいない運命の歯車を回すこともつゆ知らず――。




