2-7 『来客』
翌日、師匠の部屋に行ってみたけれど、今日も公務中のようで――というより、しばらくは公務らしい――僕は修行できなかった。
僕は事実上、慰労祭が終わるまでは修行が出来なくなったわけだ。
その慰労祭も、明日に迫り、街中の人々は一層あわただしく動くようになっていた。昨日よりも人が多くなって、僕はうんざりしていた。
それでも、僕が歩けば、そこに道が出来た。みんな避ける避ける。僕はどこかの国のお偉いさんにでもなったのかな?
そんなわけもなく、視線がただ痛いだけだった。今日に関しては、ただ睨まれているというだけになっていた。僕はどこか異世界に迷い込んだらしい。
僕はその事実を認めたくなくてそう思いこむことにしたけれど、どちらにせよ、人の視線が痛いことに変わりはない。
唯一幸いなのは、物理的攻撃が一切ないことだった。みんな、僕の心をあまりいじめないであげて。デリケートなの。
嘘だけど。
ネガティブに考えようとしないようにするあまり、僕は少々頭をヤられたらしい。これが精神攻撃の恐怖か!
師匠のところへ一緒についてきた少女は、そんな人々の視線に敵意を表しているようだったけど、なにせ少女は可愛い。人を睨んでも、『人見知りなお子さん』みたいな雰囲気しか現れず、効果は一切ない。
僕を守っているような……そんなけなげな姿が、僕のハートに焼き付く。僕はやっぱり、この少女を守りたい。
師匠がいなかったので、少女は僕と一緒に、エーレンティカさんの下まで来た。小屋の近くまで来ると、人通りは少なくなって、こっちのほうが、あの雑踏の中よりも、異世界な雰囲気を醸していた。
少女とエーレンティカさんを会わせたくはないけれど、仕方ない。
僕は意を決して、小屋の扉を開いた。
エーレンティカさんはいつも通りの席で、いつも通りに机に足を投げ出して、いつも通りに分厚い本を読んでいた。
僕が入ったことに気づいていないように見えて、実は気づいているエーレンティカさんだけど、うーん……なかなか話すことがなくて困る。ついでに仕事もない。
少女は首を傾げると、メモ帳に何やら書き込んで僕に見せた。
『仕事、ない?』
君、直球すぎるよ。
僕は頷いて、やれやれと首を振った。
「いつもこの調子だよ。といっても、まだ始めたばかりだけど……」
読書中のエーレンティカさんに声が届かないように静かに言うと、少女はふぅんと大して興味がない風に部屋を見回した。
初日にあれほど物置となっていた部屋は、今や住み心地のいい空間になっていた。
エーレンティカさんは本さえあれば生きていけそうな人だったので、僕はほとんどの物を捨ててしまっていた。今あるのも、必要最低限の物ばかり。
お客様が来た時のためのソファーと、机、エーレンティカさんの座っている机といす、あとは壁に本棚がびっしりあるだけ。その本はできるだけ触らないようにしておいたので、エーレンティカさんから文句は今のところない。
「それでも、まだ何か物足りないなぁ……」
照明は暗いし、床もまだくすんでいる。こんなに暗くては、本を読むのも辛いと思っているけれど、エーレンティカさん、さして気にしてない風だしなぁ……。
いや、それでも気になるから。
あと、仕事がないから。
僕は袖をまくると、床を磨くことにした。
来客用の椅子に少女を座らせて、バケツにぞうきんを入れ、これから床を拭こう! と、いう時だった。
――コンコン。
「……」
ノックされたけれど、エーレンティカさんは無視した。この人、目を開けながら眠っているんじゃないか?
――コン、コン。
「あ、あの……エーレンティカさん?」
「うるせぇ、黙れ」
「……」
ああ、この人、仕事する気ないんだなぁ……。
――コン……コンコン。
少しずつテンポを変えてノックする来訪者は、しかしエーレンティカさんに無視されるのみ。
僕が中に入れていいものかどうか悩んでいると、
コンコンコンコンコンココンコンコンコンコンコンコンコンコンコンドンドンドンドンドンドンドンドンンドンドンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンドシャンバキンベキンドキャンバコンドゴンワヲォンニャァガンガンガンガンガンガンガン――
「うるせぇ! 誰だコラァ!!」
「ひぃっ!?」
扉に向かって本を投げつけたエーレンティカさんの叫びで、来訪者は悲鳴交じりの声を上げた。ゆっくり開かれた扉の前には、一人の女性が立っていた。
緑色の髪をした、見目麗しい女性だった。瞳は赤く、白いワンピースを着ていて、清潔な雰囲気を漂わせている。けれど、初対面なはずなのに、既視感があるのはなぜだろう?
「ひっ……ひっ……」
「あー……えーっと……」
今にも泣きそうな女性は声を発せそうになく、僕はエーレンティカさんの方を見た。けれど、すでに彼は読書を再開。うわぁ……なんだこの人……最低だなぁ。
言葉に迷った僕は、一つため息をついて、女性に身体を向けた。顔に営業スマイルを浮かべて。
「だ、大丈夫ですよ」補償はしませんが。「で、何か用でも?」
「あ、あなた!!」
「え……僕ですか?」
女性は僕を指さして――文字通り、頬に指が突き刺さって痛いんだけど。ぐりぐりするのやめてほしいなぁ――エーレンティカさんに聞こえないように、僕の耳元に口を寄せて、ひそひそ話した。
「わ、私は昨日あなたにお会いした竜です」
「……パードゥン?」
「ですから、私は昨日お会いしました竜ですよ。ほら、昨日、あなたたち二人は私の服を剥ごうとしたではありませんか」
「いや、そんなことしたおぼえはないんだけど……」
竜と言う名前の人は、僕の知り合いにいないし、昨日会ってすらない。昨日、非難の視線には遭ったけどね。
女性はむぅと膨れて、おもむろに僕の手首をつかんで、小屋の外まで引っ張って行った。
辺りに人気がないことを確認すると、女性は一つ深呼吸して、瞑目した。
すると、彼女の体が白く光り、地面に円状の幾何学模様が浮かび上がった。幾何学模様は女性の身体を下から上へ、包み込むように上がっていくと、一瞬瞬いたのち、パっと霧散した。
そして、僕の目の前から、女性は消えた。
……いや、消えたんじゃなくて、姿を変えたんだ。
昨日出会った、子ども思いの竜へと。
「な……っ!」
「わ、分かりますか? 分かりますよね! 分かったなら戻ります」
驚く僕を前に、竜はまるで誰かに急かされたように一気に言った。そして言い終わると同時に、竜の足元に再び幾何学模様が浮かび上がった。
さきほどと同じ工程を踏んで、竜は人間の女性に戻った。
「あまり、竜の姿のままいると、悪目立ちしてしまうので」
「あ、ああ……なるほど」
一応、納得。
「でも……わざわざ人間の恰好をしてまでこんなところ来て、大丈夫なの? 子どもたちのこととか……」
昨日見ただけで、この竜がどれほど自分の子どもに愛情を注いでいたのかはよく知っていた。
なのに、子どもたちを放っておいてここまで来るとは……一体、どういう了見なのだろうか。
「はうっ!」
「はう?」
竜は胸をおさえて蹲ってしまった。
「わ、私がこんな人間臭いところまで来たなんて……その理由が、私の大事な大事な大事な大事なだいっじな子どもたちより、大切なことなわけないでしょう?」
「うん。だからそれを訊いているんだけど……?」
竜は救いを求めて僕を見ると、ふかぁくため息を吐いた。え? 何そのため息……まるで僕が悪いみたいなその瞳も何?
竜は顔を俯かせたまま立ち上がると、僕の胸ぐらをつかんだ。とっさのことに反応できずにいた僕に、竜は、泣き叫ぶ。
「私の……大切な子どもたちを返してっ!!」




