1-11 『停滞』
僕はイライラしながら街外れのテントに向かい、少女の様子をうかがった。
テントの中に入り、少女の様子を見た僕は、ため息をついて肩を落とした。
……まだ眠ってるのか。
いつになったら少女は起きるのだろうか。不安で仕方がない。そして、この子が起きない限りは、僕は修行に集中できないことだろう。
僕はその額から流れる汗を拭いてやり、座禅して何も考えないように深い呼吸を繰り返した。
師匠がいる前だと集中できなかった瞑想……でも、ここでなら不思議と雑念は湧いてこず、集中することが出来た。
少女が近くにいるだけで、安心できた。
しばらくの瞑想ののち、眠ったままの少女をテントに残して、僕は再び街へ戻った。もちろん、行く先はエーレンティカさんのところだ。
嫌だなぁ。働きたくないなぁ……妹が生きていた時には、僕は妹に養ってもらうつもりだったけれど、旅をしているのだから自分で働かなければならない。
働かぬもの食うべからず。
働いたとしても、そうたいしたものは食べられないだろう。
だけど、今のような硬いパン生活からは抜け出したかった。
働けば好きなものを食べられる。
だけど、その分だけ疲れという代償を払わなければならない。
僕は憂鬱になりながら、昨日パズリィと来た古ご……立派な建物の前までやってきた。立派な建物とは、もちろん建前どころかただの嘘でしかないけどね。
扉をノックしても、中から人の声は聞こえなかった。あの面倒くさがりのエーレンティカさんが、ノックごときで反応を示すとも思っていなかったので、僕は勝手に扉を開けて中に入ることにした。
昨日と同じように、ガラクタばかり置かれた部屋の奥に、机に足を放り出してエーレンティカは座っていた。昨日と同じ本をぱらとめくると、視線を上げないまま「やっと来たか……」とため息交じりに呟いた。視線、上げからその台詞を言ってくれません?
僕が来たのを分かっているくせに、エーレンティカさんは視線を本に向けたまま。
僕は自分の存在を誇示するために、いや、ただ訊ねたいだけだけど、昨日聞きそびれたことを訊ねた。
「あ、あの……ところで、ここは何をするところなんです?」
「ん……ああ、そうだな。うんうん」
聞いちゃいねぇー……。
本に視線を落としたまま適当に頷くエーレンティカさん……一目で話を聞いていないって分かるんだよね、それ。本に集中した人は、たいてい人の話を聞いていない。
見かけによらず、本好きなエーレンティカさん。
なんです?
ギャップ萌えでも狙っているんですか?
モテないですよ、と、僕は話を聞いていないエーレンティカに、心の中で愚痴った。
というより、ただの暴言。
いや、ただ失礼なだけだね!
ま、エーレンティカさんがこのまま何もしないなら、僕も働かなくていいのでいいんだけど。
とりあえず、この部屋に置かれたガラクタの整理でもしよう。
ここでまた、お兄ちゃんスキルが発動!
誰がエーレンティカさんのお兄ちゃんだ!!
こんな……目つきの悪い、ギャングの幹部にでもなれそうな人が弟なんて……お兄ちゃん、泣いちゃうよ!
お兄ちゃんよりお母さんのほうが泣いちゃうよ!
僕は小さい人間だなぁ。
だって、エーレンティカさんに直接言えないことを心の中で言いまくって、彼を蔑んでいるんだもの!
ある意味八つ当たり。
何も教えてもらえないことに対しての八つ当たり。仕事内容くらいは教えてくれたっていいじゃないか!
あ、そういえば、ここにはエーレンティカさん以外にももう一人いるんだっけ?
仕方ない。その人に教えてもらおう。
それまでは部屋の片づけ!
おっそうじおっそうじ楽しくなーい!
頭の中で、脳みそお花畑な歌を歌いながら、僕はそこらに放られていたビニール袋を拾って広げた。
地面に転がるごみらしきものを片っ端からそこに入れ、積み上げられた本を整理し、無造作に置かれたテーブルやいすを並べ直し、あらかた片付いたところを箒で掃きだす。
時間が無駄に過ぎていくとしか思えなかったけど、もう一人の何某が来るまでは、僕は片付け続けていた。
やがて、本を読み終えたのだろう。エーレンティカさんは本から視線を上げて驚いたように目を見開いた。
「おー……パズリィが言ってた通りだな。だがな、本だけは片付けなくていい。俺が読むときに場所が分からなくなるだろうが」
「す、すみません」
エーレンティカさんに感心されながらも指摘され、僕は本以外のものを片付けることにした。
その間にもエーレンティカさんは、次の本に取り掛かった。ここ、仕事あるのかな?
箒での掃除も終わると、くすんだ床が気になって、バケツに水をくんで、ぞうきんをかけることにした。
ぞうきんがけも終わって、改めて部屋を見回すと、何ということでしょう!
ここに来たばかりの場所とは思えないほどに、ピカピカになっているではないですか!
ビフォーとアフターを比べる写真があれば、誰も同じ部屋だとは思えないだろう。お兄ちゃんスキルはいろいろと便利かつ、万能! 最強スキルだね!
だから、誰がエーレンティカさんのお兄ちゃんだ!!
妹がいたおかげで、僕はここまでできたんだよ。
ありがとう、わが妹よ!
絶対に、神を殺して復讐してやるからな!
密かに妹に感謝したのだけれど……結局、仕事って何だろう? 僕はここに掃除をするためだけに呼ばれたんじゃないよね!?
それに気づくのに時間がかかりすぎた。すでに空は茜色に染まりだしているし、結局もう一人には会えないまま、一日が過ぎてしまった……。
僕は今日、なにをしていたんだ!
頭を抱えて嘆く僕に、エーレンティカさんは「今日は帰っていいぞ」と言った。
帰っていいって言われても……いや、帰りたくないわけじゃないけど、エーレンティカさん以外のもう一人って……?
結局今日も来なかったんだろう。誰なのかは知らないけど、徐々に雲行きが怪しくなってきたぞ。
何がって?
もちろん、この街の人間性の雲行きのこと。
みんな面倒くさがりなのかもしれないという危惧。
そんなことで、よく街がやっていけるなぁ。
数日後の祭りにみんなが浮かれているのかもしれない。そんな短期間のことならいいけど、おそらくしばらく厄介になりそうな僕は、長期的にこの傾向を見守るしかなさそうだ。
人って面倒だなぁ。
人との関わりを大事にしていた妹には頭が下がる。僕の代わりにいろいろな人と話していたからね、あの子。
そのおかげで、僕の体裁は守られていた。
よく噂されてたんだ。
『引きこもりのお兄ちゃんが元気?』って、妹が訊ねられて困っていた。ごめんよ、引きこもりで。
引きこもらずとも、ただでさえ人が少ない村にいたものだから、人と話すことは苦手だった。
事実、いまだってエーレンティカさんに対して何といえばいいのか分からず立ち尽くしている。
どうすれば、あのギャングから情報を引き出せるんだ……こういう言い方をすると、なんだか心理戦をしているみたいだけど、ただ単にコミュ障でどう話をきりだせばいいか分からないだけである。
エーレンティカさんは本に視線を戻していて、僕がまだここにいることに気づいていない。
この人は騎士にはなれそうにないなぁ。
どっちにせよ夢遊病じゃないとなれないけど。
うぅむ……やっぱり、本を読んでいるのを邪魔するのも嫌だから帰ろうかな。
昨日拾ったあの子のこともあるし……早く帰らないと、もし起きていたらあの子は何が起きているのか分からないだろう。
僕がそばにいてあげないと。
そう思うのは、あの子が妹と同じくらいの年ごろだからだろうか。
でもここで聞かないと、結局何をすればいいのか分からないまま終わってしまう。
ただでさえ、僕はおっ師匠さまに修行の中止を言い渡されだだべ。
何も進展なしでこのまま帰るのもどうかと思だ。
明日になれば変わるのかな?
いや、テントに戻ってあの子が目覚めていない限りは、明日も同じことを言われるだろう。
よし。やっぱり帰ろう。
帰って、あの子が起きているかを確かめよう。
じゃないと、どちらにせよ僕はこのまま何も進展せずに終わってしまう。
早くカミゴロシをしたいのに、その目標が、どんどん遠ざかっていく。
僕は小さく嘆息すると、踵を返して扉へ向かった。
ドンッ!
「ぬわっ!? な、なんだ!?」
壁にぶつかった僕は、しかし目の前のものが壁じゃないことに気づいて声を上げた。
う、動いている……壁が動いてる!?
いや、そうじゃない。
視線を上げると、その正体がわかった。
「……」
きょ、巨人だ――ッ!
のっそりとした巨躯が、僕を無言で見下ろしていた。




