第四話 特別捜査局設立
シーダー卿が「恐るべき事件」の概要を語り終えた直後の仁の反応は
「おお、密室殺人だ」
というこちらの世界のある種の人間としてはよくある反応だった。
驚いたのはシーダー卿とアリシアである。
「魔法鍵の掛かった部屋で未知の魔法によって人が焼き殺された。次は自分の番かもしれない」と戦々恐々としている王国の貴族が数多くいる、という話を聞いているシーダー卿や、召喚の直接のきっかけとなった「不可思議な殺人」を学内の噂で知っているアリシアは、彼の平然とした反応にも驚いたが、同時に彼の言う「密室殺人」という言葉の意味がさっぱり分からなかった。
しばらく二人は呆然と仁のことを見ていたが、先に立ち直ったシーダー卿が仁に質問を発した。
「その『みっしつさつじん』というのは何かね? 我々には理解できない言葉なんだが」
今度は仁が驚く番だった。密室殺人といえば推理小説では極めて有名なテーマだ。それこそ密室もののアンソロジーやイラスト付きの密室ものの傑作ガイドの本が出版できてしまうくらいに有名だ。
それともこの二人は推理小説を全く読まない人なのだろうか。
「ええと、『密室殺人』というのは『推理小説』における有名な題材の一つです。簡単に説明すると……」
「すみません、ちょっと待ってください」
今度はアリシアから待ったがかかった。
「今ジンさんが仰った『すいりしょうせつ』というのはいったい何ですか? 『小説』は分かるのですが……」
「……え……え、あれ?」
再び仁はびっくりしてアリシアの方に振りむく。そこには彼女の困惑した表情があった。
シーダー卿の方を見ると、彼も似たような顔をしている。
そこで仁は天を仰いで頭を抱えた。とんでもない可能性に思い至ったからだ。
「この世界には推理小説が存在しない」という可能性に。
(ちょっと待て! ありえるのか、そんなこと?)
推理小説はこちらの世界では娯楽小説としてはメジャーなジャンルだ。異世界だと人々の嗜好も全く違うのだろうか。
(いや……それともまだ誕生していない、ということなのか?)
推理小説というのは小説のジャンルとしては新しい部類に入る。その嚆矢とされているのは1841年に発表されたポーの短編「モルグ街の殺人」だ。もちろんこの作品以前にも殺人やその解決を扱った小説はあっただろうが、「不可思議な謎とその論理的な解決」を主題にしたという点で、この作品を推理小説の始まりとするのが現在の定説である。
ということは、この世界でまだ推理小説を生み出した作家がいない、という可能性も十分に考えられるわけだ。
二人は仁を心配そうに見つめている。彼が天を仰いで頭を抱えたまま動かなくなってしまったからだ。
一方の仁は心底弱っていた。推理小説の概念がない世界で密室殺人の説明をするのは至難の業だからだ。
固まってしまった三人を動かしたのは、廊下に響く大きな足音だった。
足音は三人のいる部屋の前のドアで止まり、次の瞬間、大声が響き渡った。
「『闇を晴らす者』がここにいるのだろう! 通したまえ!」
「ま、待ってください。彼は今、補佐役のコールさんと共にシーダー卿との面談中です!」
「だから私がその労を省こうと言っているのだ! シーダー卿もお忙しい身、現場のことは現場に任せていただければよいのだ!」
何やら揉めているようだが、新しい客の押しの強さにシーダー卿の部下がタジタジとなっているのが仁にも感じられた。
シーダー卿はため息をつくと、ドア越しに部下に呼びかけた。
「入ってもらいなさい」
「し、しかし……」
「どうせいつかは顔を合わせなければならないのだ。今済ませておいて悪いということもあるまい」
「……了解しました」
その言葉と共にドアが大きな音を立てて開き、中に一人の男が入って来た。
灰色の髪と目を持つ大柄の男だ。体は大きいが決して中年太りといった風ではない。角ばった顔と共に大岩を思わせる男だった。
新たな来客はぐるりとその場を見渡し、仁の方に一直線に歩いてきた。
仁は反射的に身をのけ反らせた。こういう押しの強い人間はとにかく苦手なのである。
「君が『闇を晴らす者』だね! 名前はなんと?」
「お、大塚仁です。大塚が名字で、仁が名前です」
「なるほど! ジン君、と呼べばいいわけだな。私は三日前に『黒薔薇騎士団』が引き起こした殺人の捜査を担当しているデレク・ゲーリングという。階級は警部だ。以後、よろしく頼むよ」
それだけ言うと、ゲーリング警部は素早くシーダー卿の方に向き直った。
「閣下! なぜ『闇を晴らす者』の召喚に成功したのに、私に一報を入れてくれなかったのですか?」
「確かに今は君の担当している事件が問題ではあるが、今後も『黒薔薇』による不可解な事件が起こらないとは限らないだろう。君の直下に置いてしまえば、今後の捜査に支障を来たす恐れがある。そもそも、彼の『タレント』すらまだ判明していないのだ」
「では今後は私を『黒薔薇騎士団』壊滅用の専門部隊としていただければよいでしょう」
「それでは何のための魔法警察か分からないではないか。それに複数個所で同時に事件を起こされたらどうするつもりだ」
シーダー卿とゲーリング警部の激しいやり取りを見ながら、仁はアリシアにそっと囁く。
「なんというか、野心あふれる男だね」
「彼は魔法警察の中でも『黒薔薇騎士団』の犯罪に対して非常に厳しく臨むことで有名です。また、大変な野心家でもあり、魔法警察長官、さらには警察省大臣を目指しているとも言われています」
「ふーん。あ、そういえばなんで俺って『闇を晴らす者』って呼ばれてるの? 結局説明されてないんだけど」
「それは陛下の『導きの光』によって召喚され、闇に包まれた『黒薔薇騎士団』を壊滅させる、という役割を期待されているからです」
「つまり特に意味のない俗称なわけ?」
「……ま、まあ、身も蓋もない言い方をすればそうですね」
そんなやりとりの間もシーダー卿とゲーリング警部の言い合いは続いていた。
その時、ドアに甲高いノックの音が聞こえた。
「シーダー卿! 最優先事項と仰られたタレント調査が完了しました!」
「分かった。入ってきなさい」
シーダー卿の言葉に、彼の部下が部屋に入ってくる。
手には小さな茶封筒を持っている。
「こちらが報告書となります」
「ありがとう。君は下がっていてくれ」
部下が退出したのを見届けてから、シーダー卿はゆっくりと封を破り、中の紙を取り出した。
その場の全員が固唾を飲んで彼の言葉を待つ。
しかし、永遠とも思われる沈黙の後にシーダー卿が発したのは、誰もが予想しなかった言葉だった。
「『タレント』はなし、だ」
「は?」
「言った通りだ。ジン・オーツカにはいかなる魔法の『タレント』も存在しない。それがこの報告書の結果だ」
思わず問い返したゲーリング警部の言葉に再度報告書の結果を伝えるシーダー卿の言葉には、隠しきれない苦い響きがあった。
アリシアは自分の足元が崩れたかのような感覚に襲われた。
「タレント」なし、それは彼が何の変哲もない、ただの一般人であることを意味する。
それは、彼がこれから先の「黒薔薇騎士団」との戦いに役に立たないということであり、彼の補佐役である自分もただの魔法学校の学生になるということだった。
それだけではない。これは「黒薔薇騎士団」を壊滅させるための国家の命運を賭けた召喚の儀式だったのだ。自分はそれを台無しにしてしまった。
何を間違ったのだろう。どこで失敗したのだろう。
自分は事前の指示通りにゲートの前で来るべき人を待っていたというのに。
目の前では魔法警察のデレク・ゲーリング警部がシーダー卿に激しく喰いかかっている。
「そんな馬鹿なことがあるか! わざわざ貴重な魔道具を使って異世界から召喚した人間だぞ! それがなんの『タレント』もないなどということがあり得るか!」
「それが調査結果だ。事実は覆せまい」
「こんな馬鹿げた調査結果があるか! 途中で何らかの手違いがあったのだ!」
ゲーリングはふと、何かを思いついたかのようにアリシアを睨みつけた。
アリシアはその迫力に思わず後ずさる。
「貴様、アリシア・コールと言ったな。本当にゲートの前でこの男を捕まえたのか?」
「も、もちろんです。ゲートが閉じるギリギリまで待ちましたが、彼以外の人間は誰も来ませんでした」
「本当か? 異世界行きに舞い上がってそこら辺をフラフラしていたんじゃあるまいな?」
「そ、そんなこと! 言いがかりです!」
「だが現にこの男には何の『タレント』もない。それはお前が連れてくるべき人間を間違えた、そういうことではないか?」
迫るゲーリングの巨体と容赦のない糾弾が、召喚に失敗したという罪悪感に拍車を掛ける。
血の気が引いていくのが自分でも分かる。椅子に座っていなければ間違いなく倒れていただろう。
「何か言うことはないのか! アリシア・コール!」
「っ……!」
自分はきちんと任務を果たした、そう言いたかった。
しかし結果が失敗だと示している。何を言っても言い訳になってしまう。
その時、思わぬ所から助けが入った。
「なんでそこまで高圧的に責め立てるんですか」
アリシアは思わずそちらを振り向いた。
自分が強引に連れてきてしまった「タレント」のない青年。彼がゲーリングを睨みつけていた。
「タレント」なしと聞かされた時の仁の内心は「え、こういう時って召喚もの特有の特殊能力とかないの?」という、他の三人とは随分かけ離れたものだった。
もっとも、彼自身は自分が「闇を晴らす者」などと呼ばれても一向にそんな気がしなかったので、あまり自分の「タレント」とやらにも期待していなかったというのが本当のところだ。
だから、それを聞いた途端のゲーリングの剣幕には驚かされた。
どうやら彼は自分の「タレント」に随分期待を掛けていたらしい。
そんなに期待されても困るんだけどな……と思っていたら、彼は突如としてアリシアを責め立て始めた。
ゲーリングの怒声を受け、見る見るうちに彼女の顔色が悪くなり、瞳に涙さえ浮かべ始めたのを見ているうちに、不思議なことに仁の中に怒りが沸々と湧きたってきた。
何が理由かは分からないが、彼女がこの召喚を真剣にやっていることは、連れこられてからずっと一緒にいたことで痛いほど分かっている。
それを、彼はまるで彼女の不真面目さが原因で召喚が失敗したかのように言い立てているのだ。
それに対してアリシア自身も何も言い返そうとしない。おそらく彼女自身、この召喚に失敗したと思っているのだろう。
(……ていうか「タレント」の有無ってそんな大層なものなのか?)
とにかく、喚き立てるゲーリングに無性に反発したくなって、気がづいたら、口が勝手に動いてゲーリングに突っ込んでいた。
途端にゲーリングの灰色の目がこちらを睨む。
「黙れ! 『タレント』もない一般人は引っ込んでいていろ!」
その言葉に仁の頭の中でプチッと何かがキレる音がした。
次の瞬間、仁は丸テーブルを蹴倒してアリシアとゲーリングの間に割り込んだ。
派手な音を立ててテーブルと椅子が倒れ、紅茶を入れたカップが割れた音がしたが、彼の耳には入らなった。
「何が一般人だ! ふざけんじゃねえ! テメエらの都合で勝手に呼び出しておいて、外れたら黙ってろってのはどういう理屈だ! 大体彼女を責め立てるくらいならテメエが自分でこっちの世界に来いってんだ! 他人よこして失敗したら責任転嫁とか、それが魔法警察警部のやることか!」
痛い所を突いたのか、見る見る内に彼の顔が赤黒く変色していく。
反対に仁の顔色はあっという間に真っ青になった。
(やばい、言いすぎた!)
アリシアの姿に我慢できなくなって飛び出したが、流石にもうちょっと言いようがあったような気がする。その上部屋がどんな有様になってるのか、確認するのがちょっと怖い。
「そこまでにしたまえ!」
場を納めたのはシーダー卿の一喝だった。
途端にゲーリングは直立してシーダー卿に向き直る。
アリシアも顔色が悪いままながらも立ち上がり、シーダー卿の方を見る。
仁もアリシアにならってシーダー卿の方に身体を向けた。
「ゲーリング警部。ジン・オーツカを何らかの形で魔法警察内部に置くことはできないかね?」
「できるわけないでしょう。『タレント』のない一般人ですぞ。それよりも閣下、私としては一刻も早く……」
「もちろんその準備は行なっておこう。ただ、彼をどうするかについては今すぐにでも決めなければならない」
「魔法警察は断ります。理由は先ほど言った通りです」
「かといって普通警察に入れても今回の事件の捜査はできまい」
「……! 閣下はこの男を今回の事件の捜査に参加させるつもりなのですか!?」
「もちろんだ。これは警察省大臣としての決定だ。反対は許さん」
「……分かりました」
なんだか変なことになってきたぞ、と仁は内心で眉をひそめた。
なぜこの人はそんなに自分を事件の捜査に参加させたがるのかが分からなかった。自分は今、魔法警察で事件を担当する警部と揉めたばかりではないか。
まあ、少しは自分のせいでもあることは分かっているが、仁も謝る気など毛頭ない。
いっそ彼の家にでも軟禁しておいた方が絶対にいいのに、なぜ自分を捜査に参加させたがるのかが、仁には分からなかった。
一方でシーダー卿は、ジン・オーツカという男には魔法とは別の能力があるのではないか、と考え始めていた。
アリシア・コールの生真面目さと「黒薔薇騎士団」への憎悪の深さはよく知っている。それゆえに彼女がこの任務に手を抜いたとは考えにくい。
そして事件の概要を説明をした時の彼の平然とした態度。魔法警察や強力な魔法使いである王都の貴族ですら恐怖する殺人事件を彼は|(自分にはよく分からない言葉だったが)たったの一言で片付けたのだ。
もしかしたらアリシア・コールは正しく「闇を晴らす者」を召喚したのではないか。
彼を知る人間が聞いたら目を丸くしただろうが、この時彼は珍しく、自分の直感に従ってみようという気持ちになったのだった。
「ならば、取りうる手段は一つしかないな」
「……何をなさるおつもりで?」
不機嫌そうなゲーリングの言葉にシーダー卿は悪戯っぽく笑って言い放った。
「もう一つ組織を作るのだよ」
その瞬間、部屋の時間が止まった。
三人が三人とも、シーダー卿がどうかしてしまったのではないかと思った。
「名前は……そうだな『特別捜査局』とでもしておこう。もちろん私が直接統括する」
「ちょ、ちょっと待ってください! それでは普通警察、魔法警察に並ぶ組織を作るということになります! そんなことをすれば莫大な予算と人員が必要に……」
「そんなことはない。『特別捜査局』の構成員は二人だけだからね」
「は、はあ?」
混乱しているゲーリングを放って、シーダー卿は二人の方へ身体を向けた。
「ジン・オーツカ!」
「はい!」
仁は反射的に背筋を伸ばし、姿勢を正した。
それを満足そうに見やって、シーダー卿は辞令を下した。
「君を『特別捜査局』局長兼捜査官に任ずる。以後、現場の魔法警察と協力して事件の解決に貢献するように!」
「は、はい!……えっ!?」
次に、シーダー卿はアリシアの方を見やった。大分顔色も良くなり、瞳にも意志の強さが戻っている。
「アリシア・コール! 君を『特別捜査局』捜査官補佐兼護衛に任ずる。ジン・オーツカの補佐と護衛を主な仕事として、事件の解決に貢献するように!」
「……はい!」
こうして、何とも奇妙な形で仁は魔法世界の密室殺人に関わることになったのだった。
召喚された主人公は今後も何の魔法も使えません。
そして題名からバレバレですが、ようやく主人公の能力の一端が見えました。
参考文献
H・S・サンテッスン編「密室殺人傑作選」[1968]
有栖川有栖,磯田和一「有栖川有栖の密室大図鑑」[1999]
エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」[1841]




