第二話 馬車に揺られて
魔法世界の少女、アリシアによって異世界に連れてこられたことを知らされた仁は、しばらく呆けたようにソファに座り込んでいた。
そんな彼が立ち直るのをアリシアは辛抱強く待っていたが、内心では少しずつ戸惑いが膨らんでいた。
(本当に彼が「闇を晴らす者」なのかしら?)
<異世界から『闇を晴らす者』を召喚する、ついてはその補佐を魔法学校の学生にお願いしたい>
その公募があった時、彼女は真っ先に手を挙げた。
最近活動を活発化させている「あの組織」を壊滅させるため、国王陛下が固有魔法「導きの光」を使われたことや、その結果「組織」の壊滅のために異世界からの召喚を行なうことが決まったことは、魔法学校の学内では公然の秘密となっていた。
また、魔法警察では「闇を晴らす者」の魔法使いとしての力をどのように生かすか、という議論が行なわれているという情報も学内に流れていた。
召喚された「闇を晴らす者」の補佐となれれば、卒業して魔法警察の刑事になるよりも早く、学生の内に「あの組織」に近づくことができる。
だからこそ、「闇を晴らす者」の補佐は彼女にとっては絶対に譲れないものだった。
彼女と共に手を挙げたキャロル・ファルギエールは「代々王国を守ってきた名門ファルギエール家の私こそが相応しい」と言っていたが、最終的には日頃の学業成績をもとに、アリシアが選ばれることになった。
その瞬間の喜びは、今でもはっきり覚えている。
これで「あの組織」に近づける。「あの組織」を追いつめることができる。
それがただの復讐でしかないと分かっていても、彼女は「組織」壊滅のために自分の全てを捧げる覚悟だった。
だが、目の前で呆けている彼はとてもじゃないが「闇を晴らす者」には見えない。
顔はそれほど悪くはない。ぼさぼさの黒髪に黒い瞳、というのは非常に珍しいがまったくいないわけでもない。また、これまでのやり取りから、それほど頭が悪いわけでもないことも感じられた。
それでも、「世界間ゲート」が閉じるギリギリまで待っていて唯一彼女の目の前に現れたのが彼だというのは、いささか不安を感じる。
(……ううん、見た目と「タレント」は関係ない。きっと彼は驚異的な「タレント」の持ち主なんだ)
この世界の魔法使いは総じて「タレント」と呼ばれるものをもっている。「タレント」とはいわば魔法使いの中にある魔法の種のようなもので、それを育てていくことで、魔法を強化・発展させていく場が魔法学校である。
既に上級生となっているアリシアではあるが、彼の魔法使いとしての能力が一刻も早く開花するようにサポートすることも必要となるだろう。
そんなことを考えていると、不意に彼が立ち上がった。どうやら精神的に立ち直ることはできたらしい。
彼は真っすぐにアリシアを見つめた。その目は最初に会った時と比べて格段に鋭さを増している。
「俺が異世界に召喚された、というのは分かった。だが、なぜ俺なんだ? それと『闇を晴らす者』っていうのは一体何なんだ? そろそろ教えてくれないか?」
アリシアは少し驚いた。立ち直るのに時間がかかるのは仕方ないと思っていたが、立ち直った直後の彼の質問はいずれも核心を突いていたからだ。
やはりこの人は「闇を晴らす者」なのだ。そう思うと、彼女は少し嬉しくなった。
だが、彼の質問にこの場で答えるわけにはいかない。誰が聞き耳を立てているか分からないし、まだ学生でしかないアリシアに詳しい話をする権限はない。
彼女はあくまで彼をこの世界へ迎え入れ、この世界で彼の補佐をするのが仕事なのだ。
「すみません。それは私から話すことはできません。詳しい話はこれから私たちが向かう場所で大臣から説明される予定です」
「大臣? なんの大臣か分からないが……なんか、あまりいい話ではないような気がする」
彼の呟きにアリシアは思わず苦笑する。確かに今度の召喚を決定づけることになった「あの事件」の話も出てくるだろうし、彼が魔法使いとして修業したり戦ったりするという話も出るだろう。
二人は共に階段を下り、正面玄関から大通りに出る。そこにはアリシアが待たせていた馬車があった。
「すみません。待たせてしまって」
「いえいえ、大臣様直々のご命令とあれば」
そんな会話を御者と交わしながら、アリシアは馬車の入口に向かう。
そこでふと思いついたように、彼女は仁に尋ねた。
「馬車に乗ったことはありますか?」
「いや、写真で見たことはあるけど、乗ったことはないよ」
「写真、というのは?」
「……ええと、この世界の絵みたいなもの、かな」
そうか、この世界には写真がないのか。と、この時の仁は思った。
「それでは私が先に乗ります」
そう言うとアリシアは馬車のドアを開けて中に乗り込み、そのまま彼に手を差し伸べた。
「……あ、ありがとう」
なんだか照れ臭くなってしまい、どもりながら彼女の手を取って仁は馬車に乗り込んだ。
仁がスライド式のドアを閉めたのを見て、アリシアは御者に声を掛けた。
「では、警察省までお願いします」
「警察!?」
驚いたのは仁である。大臣と会うというからには、どこかの役所に連れて行かれるのだろうと思っていたが、警察は彼にとって予想外であった。
何も悪いことをしていない、というか彼自身は完全な被害者なのに、警察と聞いただけでなんだか逃げ出したくなってくる。
しかしすでに馬車はゴトゴトと音を立てて動き出している。逃げ場はない。
「大丈夫です。あなたに危害を加えることはありません」
アリシアは表情を変えずにそう言うが、強引にこの世界に連れてこられたこともあって、仁は彼女の言葉を素直に信用できない。
「その警察省っていうのはどういうところなんだ?」
少し迷ったが、仁は率直に彼女に質問をぶつけた。
やや口数が少ないが、ここまでの会話から考えて、彼女が嘘や騙りを口にする人間ではないと思ったからだ。
「警察省というのはこのアレクサンドリア王国における統治機構の一つです。この国には普通警察と魔法警察があり、普通警察は一般の犯罪を、魔法警察は魔法使いが関係すると思われる犯罪を担当しています。その両方を束ねているのが、これから会う警察省大臣のシーダー卿です。」
よどみなく返ってきた答えを、仁はゆっくりと頭の中で検討する。
「つまり、何かの犯罪があって、それに俺が関係していると?」
そう言いながら、我ながら馬鹿げた質問だった、と仁は内心で苦笑した。
ただの一般人でしかない自分が、異世界で何をやらかしたというのか。
ところが、アリシアからの返答は彼の意表を突くものだった。
「直接的ではありませんが関係している、といえばしています。ある事件が今回、あなたを召喚するきっかけとなりました」
それまでまっすぐ前を見ていたアリシアは、そこで突然仁の方に身体を向けた。
「すみません、まだあなたの名前を伺っていませんでした。お名前を教えていただけますか」
仁は思わず笑ってしまった。
あまりに非現実的なことの連続で、自己紹介すらしていなかったことに今まで気づかなかった。
「俺の名前は大塚仁。ええと、大塚が名字で、仁が名前。年齢は22歳」
「ジン・オーツカ様とお呼びすれば良いのですね。分かりました」
「別にそこまで丁寧に接してもらうような身分じゃないんだが」
「いえ。ジン様は『闇を晴らす者』ですから。この国にとって非常に重要な人物なのです」
「……またそれか、よく分からないけど、俺はそんな大層な人間じゃないと思うんだけど」
そんなやりとりを交わしているうちに、馬車は石造りの壁へと近づいていく。
いや、よく見ると壁の一部が門になっているようだ。
馬車からおりた御者と門番が何かやりとりを交わしている。
しばらくすると、門番は門の左右に散って、門の脇のレバーを操作した。
すると、重厚な音を響かせながら、石造りの門がゆっくりと手前側に開いていく。
門が開ききったのを待って、馬車は再び、ゴトゴトと動き始め、門の中へと入っていく。
「今の門番は? っていうか、なんで通りのこっち側だけ石造りの高い壁になってるんだ?」
ちょうどいい機会だったので、仁は先ほどから気になっていたことを尋ねてみた。
召喚された図書館があった通りには、あのような高くて堅牢な石の壁は存在しなかった。
むしろ、レンガ造りや石造りのさまざまな形の建築物が立ち並ぶのが見え、非常に開放的な印象を受けた。
それに対して反対側は通り沿いに石造りの高い壁が立ち並び、門の中は豪邸と言っていいほどの邸宅と、いかにもお役所といった感じの味気ない四角四面の建物が並んでいる。
どうも通りのこちらとあちらは世界が全く違うように思える。
「この区画は貴族街と呼ばれています。この中に住んでいるのは代々強力な魔法使いを輩出している名門貴族の邸宅や別荘、それにいくつかの統治機構があります」
「つまり、国の中枢みたいなものなのか」
「統治機構は確かに国の中枢ですが、この国の中心であるアレクサンドリア王家の方々は王城に居を構えておられます」
「王城? 王城なんてあるの?」
「ここからでも見えます。あちらです」
そう言われた仁がアリシアの指差した方を見ると、確かに王城らしきものが見えた。
石の壁や役所の建物をはるかに凌駕する高さで、天辺には青い円錐状の屋根がある。
その周りにはそれより低いが、やはり同じような屋根の建物が中央の建物を囲み、中央の建物群の左右には円柱形に見える無骨な塔が建っていた。
さらにその向こうには鬱蒼とした森が見える。手つかずの土地なのだろうか。
「あれが王城?」
「そうです。左右にあるのは王城守備隊と王城付魔法使いの住む砦です」
仁はしばらく王城を眺めていたが、手前の建物に遮られて見えなくなったところで視線を前に戻した。
大通りと同じくらいの道幅を馬車がゆっくりと行き来し、歩道には何人かの人が歩いているのも見える。
それほど豪奢な服装に見えない者もいるが、彼らは貴族の使用人だろうか。
そんなことを考えながらゆっくりと背もたれに身体を沈める。ふと隣を見ると、アリシアと目が合った。
とびきりの美少女と狭い馬車の中で二人きり、しかも至近距離で見つめ合っている、という状況が無性に恥ずかしく、仁は目をそらしてしまう。
もっとも、アリシアの方は特に思う所はなかったようだ。
「他に何か質問は?」
何もなかったかのように、そんなことを聞いてくる。
仁は先ほどの気まずさを誤魔化そうと、必死で質問事項を考える。
「そういえば、今普通に会話できてるのはなんでだ? あと、さっき図書館で知らないはずの文字が読めた理由も知りたい」
「それは世界を渡ったことによって与えられる力だと言われています。過去にこの世界に召喚された方も、読み書きや会話に苦労した、という記録はありませんでした」
「書くこともできるんだ。でも確実とは言えないし、後で試してみようかな」
「それがいいと思います。その際の補佐はいたしますので」
「あ、ああ、うん。ありがとう」
ふと、彼女と二人きりで勉強している風景が頭に浮かんで、仁は慌ててその妄想を振り払った。
無理やり頭を今知るべきことに切り替える。
その時、ふと仁の頭に一つの疑問が浮かんだ。
「あ、あのさ……いや、なんでもない」
仁はすんでのところで従姉からの忠告を思い出し、好奇心を飲み込んだ。
だが、アリシアはそれを聞き流してくれるような器用な性格ではなかった。
「なんですか? 私に答えられる範囲の質問であれば何でも答えます。遠慮しないでください」
「いや、本当にどうでもいいことだから」
「わざわざ異なる世界からジン様を召喚したのです。あなたの知りたいことに、どうでもいいことなどありません。さあ、遠慮せずに」
なんでそんなに俺に幻想を抱いているんだ! と仁は叫びたくなった。
自分はごく普通の一般人でしかないのに、たまたまこちらに連れてこられたというだけで、えらく過大評価されてる気がする。
「どんな些細なことでも構いません。何をお知りになりたいのですか?」
なおもそう言って詰め寄るアリシアに、仁は諦めたようにため息を漏らし、先ほど言いかけた質問を発した。
「失礼なのは分かってて聞くんだけど……君って何歳?」
アリシアは固まった。本当にどうでもいい質問だったために。
仁は内心で頭を抱えた。「初対面の女性に年齢を聞くのは厳禁」という従姉の言いつけにモロに背いてしまったために。
「……16歳です。来月、9月で17歳になります」
「そう」
こっちの暦はどうなってるんだろう、という疑問が頭に浮かんだが、馬車の中の沈黙があまりに重く、それを聞く気にはなれなかった。
気まずい空気を乗せたまま、馬車は警察省の前で止まった。
「ありがとうございます。こちら、お代です」
「え、いいんですかい、こんなにはずんでもらって」
「いえ、図書館の前で大分待たせてしまったので」
「はあ、そうですか。それじゃ、ありがたくいただきやす」
アリシアと御者はそんな会話を交わしていたが、やがて馬車はゆっくりと遠ざかっていった。
しばらくそれを見送っていたアリシアが、不意に仁の方を向く。
「では、シーダー卿の所に行きましょう。そこで全てをご説明します」
仁は無言で頷いて、彼女の後に続いて警察省の中へと入った。
予約投稿のテストも兼ねて第二話投稿
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