山中戦線参戦中(4)
あの戦闘から遭遇した人物といえば、少女の味方――そのときの会話から、少女が監獄団地チームであったことが分かった――だけであった。
その子から聞いた現在の戦況はと言うと、監獄団地チームの生き残りが13名、一軒家チームは12名となっているらしい。ほぼ拮抗状態であるのだが、生存者が1名だけ多いことを知り、少女は嬉しそうに頬を緩めていた。
その後も敵方の子どもと出会うことなく、僕たちは彼女が待っているという吹き抜けの休憩所に到着したのだが……
「いないね」
「そうですね」
そこに彼女の姿はなく、設置されているベンチに一枚の紙切れ虚しく残されているだけであった。僕はそれを摘み上げ、書かれていた文章を声に出して読んでみる。
「観戦だけでは飽きてしまったので、私も参戦します――だって」
少女はむっと眉を寄せ、「自分勝手な人ですね」と愚痴をこぼした。
ここまで来るのに約40分歩き続けた僕は、少しばかり疲れてしまったので紙切れを綺麗に折り畳んでポケットに仕舞ってベンチに腰かけた。少女も気が抜けてしまったのか、僕の隣にちょこんと腰を落とした。
『吹き抜けの休憩所』と呼称されていることはあり、背後から流れてきた微風が歩行によって熱を帯びた体に心地よかった。
この休憩所の周辺は日当たりを良くするために木立が伐採されているので、上部から清廉な空と厚かましい太陽が顔をのぞかせている。もしこの休憩所にトタン板のルーフがなければ、ベンチに腰かけている僕たちは、夏の熱線をさんざと浴びることになっていたのだろう。
「彼女とは何か話をした?」
「少しだけ、話しました」
「ふーん」と等閑な相槌を打つ。ずっと我慢していたのか、少女は独りでに話し出した。
「とても我が侭な人でしたよ。私が持参したミルクティーをもの欲しそうな目で見ていたので、一口どうですか? と勧めたらガブガブとすべて飲まれてしまいました」
「はは」と、僕は笑う。とても彼女らしかったからだ。
「それから何故か、私の服装の駄目だしを始めました。ブラウスとキュロットの色合いが悪いとか、髪飾りをもっと良いものにしなさいとか。まるで小姑のようでしたよ」
僕は、横でむすっとして座っている少女の服装に目をやる。衣服に疎い僕には十二分に可愛らしく見えたが、彼女には気に食わない点があったようだ。
「でも――」
少女は遠くを見るようにして目を細めて言った。
「とても綺麗な人です」
少女がそう結び、幾許かの静寂が訪れていた。
それが永遠と続くかのような錯覚を抱いていたが――
突然、少女は毛を逆立てた猫のようにベンチから飛び上がり、前方の草むらに転がった。
何かそう言った病気なのかと思い心配になって立ち上がると、「いまだっ!」という呼び掛けと同時に、僕のすぐ脇を色水の弾丸がシュッと掠めていった。
「うわっ!」
年甲斐もなく僕は声を上げ、ベンチの下に尻もちをついた。
草むらに横たわっていた少女は瞬時に身を起し、ベンチを防壁にしながら応戦する。
赤や黄、青、緑、ピンクといった色水が頭のすぐ上を行き交う。僕は慎重にベンチから顔をのぞかせて襲撃者をうかがった。
20メートルほど離れた木立の陰に少年が2人身を潜め、そこから5メートル横に逸れた草陰にも少女が2人。土壌が隆起して小高い丘になっているその頂上に野球帽を逆向きに被った少年が1人いた。
「5人ですか……ちょっと多いですね」
独りごとのように少女はそう呟き、横目で僕に視線をくれた。
「あなたはカミサマを探しに行ってもらって結構ですよ」
「いや、でも……」
うやむやな返事をする僕に、少女は決然とした口調で言い放った。
「あなたがいても戦況は変わりません。今この場にあなたの存在は不必要なのです」
ああ今日は子どもに傷つけられてばかりだなぁ、なんて心中でぼやいていた僕を見兼ねたのか、彫刻のように固まっていた少女の表情が、ふっと和らいだ。
「私のことを心配してくれているのですね。あなたは優しい人です」
言いながら少女の頬には薄っすらと朱色が差していく。僕は黙って続く言葉を待つ。その間にも水弾がビュンビュンと頭上を通過していく。
「あなたは私を助けるためにここに来たわけではないでしょう? あなたは誰に会いに来たのですか? 本来の目的を忘れてはいけませんよ」
少女は中腰になって反撃し、また腰を落とす。
「目前の出来事をいつでも重要視する必要はありません。時には目の前で横たわっている弱者を見捨てなければならない場面もあります。本当に大切なもの、手放してはならないものを見極めてください。あなたは、もう――」
大人なのですから。
少女の言葉は、僕の脳みそをガツンと殴りつけた。
そうか。
この少女の瞳には、僕はもう大人として映っているんだ。
「私は大丈夫です。また後で会いましょう」
少女は僕の肩口に銃身を押し付け、ぐいぐいと押し出す。僕がこの場から去るように促しているのだろうけれど、もちろん、小学生の少女の力では僕を押すことはできなくて、僕の体を軽く揺する程度で終わった。
僕は肺から呼気を吹き出して、自発的に前へ進んだ。
僕が動き出したのを確認した少女の顔が、物悲しそうに歪んだように見えたが、敵に反撃を加えるため振り返ってしまったので、それが見間違いだったのかどうかは分からなかった。
それから少女は反撃に専念していて、こちらを向くことはなかった。
僕は中腰を維持してベンチから離れて行く。
10メートルほど草むらのなかを進んでいると背後から「きゃっ」と小さな悲鳴が上がり、僕は反射的に振り返ってしまう。
足でも滑らせたのか少女が尻もちをついていた。
その姿は、どうしようもないほど子どもで、頼りなげで、今にも泣き出しそうに見えた。
僕は、本当にこのまま少女を放って行ってしまってもいいのか、と逡巡して引き返しそうになった。が、独りで立ち上がる少女の姿を見て、ぐっと思いとどまる。
本当は大声で叫びたかったのだけど戦闘の邪魔をしたくなかったので、僕は、小さな声で「また後で」と呟いてその場から走り去った。