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山中戦線参戦中(3)



 一先ず僕は、山頂の城址を目指して黙々と登っていた。

 オオモミジやコナラの横を通り、日の当たった曲路に従って大きく左折する。第二七番の地蔵を越え、二八番を過ぎると、今までの狭路と打って変わって、大人5人が手を繋ぎながら悠々と歩けるほどの道とぶつかる。

 その開けた歩道に沿って苔むした石垣が伸び、垣を越えた森林からは悲鳴ともつかない騒ぎ声が木々の間を縫って聞こえてきた。


 戦闘中の子どもとは未だ遭遇していないが、この山のどこかで、プラスチック製の鉄砲を手にした彼らが服を濡らしあっているのは間違いなさそうであった。

 その様子を僕は想像してみる。

 木陰に身を潜め、『敵』が来るのをじっと待つ。

 やがてその姿を見せた相手に照準を合わせ、水の弾丸をお見舞いする。

 山中ではそれと類似した場面がいくつも起こっているだと思うと、僕の歩調はどうしても速まっていく。速めたところで、子どもたちが僕を遊びに参加させてくれる公算は低いだろうし、厚顔無恥になってまで子どもたちの世界に水を差そうとも思わないけれど、歩む足は反するようにして加速していくし、胸の中で脈打つ心臓は力を増していく。

 それは、僕はまだ『こちら側』にいたいという内証の言葉なのだろう。


 大人に成りたくないわけではない。成人することであらゆる権利を与えられ、社会的な自由度は子どもよりも格段に増すだろう。

 労働によって得た給料は思い通りに使うことができるので、子どもの頃、何か月も貯めたお小遣いでやっと買うことのできたものを、いとも容易く手に入れることができる。

 そして、自動車免許一つであらゆる証明が可能になり、長らく禁止されていた飲酒や喫煙、路地裏の如何わしい店舗にも、堂堂と足を運ぶことができるようになる。

 しかし、僕たち人間の手の平は、そこまで大きくはない。

 何かを得た分だけ、僕らは手放さなければならない。

 それは、放課後の教室で行われる無意味な談笑であったり、テストの前日だというのに徹夜で漫画を読みふけったりしてしまう、あのどうでもいいことに夢中に、闇雲になれた時間だ。

 大人たちは、それを時間の空費だといい、勉強や運動などをして有益な時間にしろという。

 領域の境界を漂っている海月の僕なら分かる。

 きっと、大人たちは僻んでいるのだ。

 もう決して手に入れることのできないその時間を、正論を盾に、二枚舌を矛にして子どもから奪取しようといるのだ。

 僕たちはそうやって、奪われながら大人になっていき、気付けば、今度は自分たちが子どもたちから奪う立場になっているのだ。

 かつて自分から奪われたそれを取り戻そうと、僻んでいがんで躍起になって、奪い去る。

 でも、大人になってしまった僕らには、もうそれを握り締めることは叶わない。

 大人に成ることで得た『自由』を手放さない限り、僕たちは決して無意味な『時間』を取り戻せない。



 思考に沈んでいた意識は、石垣の上から聞こえてきた物音によって覚醒する。

 ハッとして音のした藪に焦点を合わせると、頭上を小さな影が横切り、目前の道に一人の少女が飛び出してきた。

 びっくりして声も出ない僕を余所目に、舞い降りてきた少女は着地の際に付いたスカートの土を払っている。

 少女が手を動かす度、その片手に握られている赤い銃が太陽光を受けて琺瑯のようにギラギラと輝き、赤らんだ反射光が辺りに飛ぶため、僕は何度も目を閉じかけた。

 お気に入りのものなのか入念にスカートの土埃を叩き落とした少女は、汚れが目立たなくなったことを確認してから握った水鉄砲を僕に向けた。


「お兄さんは、どっち?」


 草むらを薙ぐ風鳴りのような、曇りなく明瞭な声であったが、銃の照準は僕の胸に合わせられているので安閑とした場面とは言えない。これから示す僕の言動によって少女が引き金を引くかどうかが決定し、僕のTシャツが染め変えられるかどうかの命運も握られているからだ。

 誤射されては堪らないと、僕は聞き違いのないよう歯切れよく訊ね返す。


「どっちとは、僕がどちらのチームに属しているのか、ということだよね?」


 少女は顎を引いて小さく頷く。その反動で耳にかけていた髪束が、さらりと頬まで滑り落ちた。

 どちらのチームでもない僕は、どう答えたものだろうと視軸を斜にやって一瞬だけ思考し、まぁどうでもいいか、と余裕のある笑みを浮かべて口を開く。


「僕は、どちらでもない」


 僕の煮え切らない返答に、登場から一貫して冷静だった少女の態度が僅かに変化した。

 木綿のような眉間には薄っすらと小皺が寄り、引き金に乗せられた指を不安げに動かす。

 その動揺をさらに助長させようと企んだ僕は、それから意味ありげに口を噤むことにした。急に僕の反応がなくなったことで、少女は狙い通りに慌て始めた。


「どっちなのですか! 一軒家側ですか?! どうなのですかッ?!」


 思わず聞き惚れてしまうほどの第一声を発した人物と同人物とは思えないほど、発狂の一歩手前のような苛立った声になっていた。

 それでも僕は唇を一文字に結び、余裕を受かべながら少女のことを見返した。


「何か喋って下さい! ちょっと、お兄さん。何か! 何か! 喋って下さい!! どっちですか?! 撃ちますよ! いいですか?! ほらほら! 早く言うわないと撃ってしまいますよッ!!」


 ずかずかと距離を詰めてきた少女は、何故か頬を染めて銃口をぐりぐりと僕の胸に押し付ける。引き金に添えられた指は興奮のあまり小刻みに痙攣していて、その所為で先走って漏れ出した色水が、Tシャツをじわじわと赤色に濡らしていた。

 そんなことには気付いていないのか、少女は色めきだって続ける。


「ほら、ほらほら! 早く吐きなさいよ! このお兄さんが! このお兄さんが!」


 もはやTシャツの胸はずぶ濡れで、まるでナイフで胸を一突きされたかのような様相になっていた。

 そろそろ色が落ちるか心配になってきたので、僕は少女に返答して上げた。


「君、白い女の人みなかった?」


 少女は水鉄砲を押し付けていた手を止めて、勢いよく顔を上げて僕を見上げた。


「それは、カミサマのことですか?」


 先ほどまでの乱れっぷりが嘘であるかのような落ち着きを払った口調で少女は尋ねた。


「そうそう。その人、僕の知り合いなんだけれど、今どこにいるか知らないかな?」


 少女は水鉄砲の銃口を僕の胸から外す。


「では、あなたはカミサマのご友人ということになるのですね」

「んー、そうだね。正確には彼氏になるんだけど」

「それなら、あなたもカミサマということにしてしまいましょう」

「そんな適当にカミサマを決めていいの?」


 僕の問いに少女は口から小さく息を吹き出した。


「真剣にカミサマを決める方が間違いでしょう」

「それを熱心な宗教家が耳にしたらどう思うんだろうね」


 大人びた手つきで頬に垂れていた髪の毛を耳に掛けた少女は、囁くようにして言った。


「どれほど高尚な精神を持った人がカミを規定したとしても、所詮それは人が定めたことでしかありません。カミというものは、恐らくそのようなものではありません」


 少女はひらりと身を翻し、石垣に沿って道を歩き出した。

 あの少女はどことなく彼女に似ているな、とぼんやり考えていると、ふいに少女がこちらを向き、蝶々のように手をひらひらさせて手招きをした。


「案内しますので、着いてきてください」


 「どこに?」と僕は尋ねる。


「決まっているじゃないですか」


 少女が微笑むと、風に吹かれた樹冠が一斉に鳴った。


「私が定めたカミサマのところに、ですよ」


 少女の元へと歩み寄り、横並びになって僕と少女は歩き出した。

 話し掛けようか迷って何度か視線を送ってみたが、水鉄砲を確りと抱いた少女は、頻りに周囲を警戒しており、それどころではなさそうだったので僕は黙って隣を歩んだ。


 幅の長い鳥の囀りが頭上から届いてくる。

 その悠長な間隔を急かすように、ちっちっ、と短い囀り。

 長短の囀りは混淆し、粛々とした山並みに彩りを与え、静まりかえた植物たちの呼吸のように響き渡った。吹き寄せた夏風が植生する生命の枝葉を揺らし、まるで山全体が躍如するようにして、右へ左へ大きく傾いて見えた。


 目を細め、耳を澄まし、肌でそれらを感じ取っていると、もうすぐ四一番の地蔵に差し掛かるといったところで少女が、「しっ」と唇に指をやって木の陰に身を屈めた。咄嗟に僕は少女に続いて動きを止め、少女が銃口で指し示す個所を凝視する。


 四一番の地蔵前のちょっとした広場になっているY路に、4人の少年たちが集っていた。彼らの方からは、木陰にいる僕たちの姿は見えていないのだろう。周囲に気を配っているようであったが、その動静は筒抜けであった。


「あれは、敵です」


 囀るように少女は言って、野原を走る齧歯類へと降下していく猛禽のような俊敏さで木立から踊り出た。

 その動きはあまりにも洗練されていて、4人の少年へと疾駆する少女の姿を、僕は茫然と見つめていた。

 少年の1人が猛烈な勢いで走って来る少女に気付き、目を見開いて驚く。他の少年たちも続いて少女を発見したが、そのときには少女の指が引き金を引いていた。

 赤い弾丸がレーザーのように大気を貫き、いち早く少女の気配に気付いた少年の肩を鮮血に染め上げる。

 仲間がやられたことで焦燥に駆られた少年の1人が、「くそっ!」と毒づき、少女へ向けて色水を発射した――


 が、その場に少女の姿はなかった。


 突如として煙のように消えてしまった少女を少年たちは慌てて探すのだが、その姿をなかなか見つけることができず、彼らは怪物に遭遇したかのような恐慌状態に陥り始めた。


「どこにいったッ?!」

「やべぇよ!」

「喋ってないで早く見つけろ!!」


 少年たちは慌てふためいているが、遠目から眺めていた僕には少女がどこへ消えたのか見えていた。

 少女は、第一射の引き金を引いたと同時に、弾かれたパチンコ玉のように左方の藪へと跳躍していた。

 一直線に向かってくると思い込んでいた少年たちは、不規則な少女の動きを予測することができずに見失ってしまったのだ。


 まんまと意表を突いた少女であったが、そのまま藪のなかで息を潜めて好機をうかがう、というような保守的な戦略を持ち合わせていないようであった。

 藪のなかに身を投じた少女は、忍者さながら音もなく藪のなかを移動し始めた。

 いや、もちろん物音くらいは発っているとは思うのだけど、極度の緊張に襲われている少年たちの耳にはその音が届かなかったのだろう。

 それも計算のうちなのか、血眼になって探している少年たちを大きく迂回していった少女は、先ほどまで自分のいた位置とは真逆の藪へとたどり着いていた。


 そして、今――


 少女が少年たちの背後から飛び出した。

 驚いた少年たちが振り返るその前に、三筋の赤い閃光が宙を奔り、彼らの背に赤いシミを付けた。


 その戦闘は、息を飲む暇もなく、瞬く間に終結していた。

 4人の少年たちは、まったく太刀打ちできず終わってしまった不甲斐なさで項垂れていた。いくら奇襲だったとしても、4対1であり、しかも相手は女の子である。その事実が何よりも彼らの矜持をずたずたにしたようだった。


 口内に溜まった唾液をやっと嚥下した僕は、木の後ろから身を出して少女の元へと走り寄る。

 僕の登場に気付いた少女は、少年たちへと興味なげに向けていた瞳を僕へと向ける。

 戦闘の昂ぶりを未だ宿している少女の視線を受けた僕は、思わずその鋭さに後退する。両手を上げて無抵抗であることを示した。

 そんな僕の動作を見て、少女は小さく笑った。


「撃ちませんよ」


 僕は胸を撫で下ろし、「それはよかった」と、両手を下げて続ける。


「さっきの凄かったね。何か運動とかやってる?」


 少女は水鉄砲の残存水量を確認しながらお座なりに返答する。


「スポーツは何もやっていませんよ。私は根っからの引きこもり体質です。強いて言うのならシューティングゲームが大好きですね。それより――」銃から目を上げ、僕を見上げる。


「この人たちが弱すぎたんですよ」


 4人の少年たちは小さく肩を揺らし、居た堪れなくなったのか、すごすごこの場から去って行った。そんな彼らを見ようともせず、少女は周囲に目をやりながら、


「この前にやり合った子たちの方が、まだ骨がありました」


 去っていく少年たちの背中に付着した赤色を眺めていた僕は、来る途中に出会ったリョウヤとミノルの背に付いていた色を思い出した。その骨のあった子たちというのは、彼らのことだったのかもしれない。


「そろそろ行きましょう」


 歩き出した少女と並び、僕は尋ねる。


「さっきの少年たちはどこへ行ったの?」

「水に濡れてしまった敗者は、城跡に集合することになっています」


 じゃあ、あの子たちは城跡へと向かったか。リョウヤとミノルは下山していったようだが、それはいいのだろうか? 疑問を抱きつつも僕は続けて聞く。


「彼女はどの辺にいるの?」

「吹き抜けの休憩所です」

「ああ」


 僕は、昔この山で遊んだときの記憶を呼び覚まして「あそこか」と、納得する。それならあと5分ほどで到着するはずだ。

 このまま順調にいけばだが。



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