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山中戦線参戦中(2)



 彼女との通話で分かった内容はここまで。

 開戦の号を受けた両チームの子どもたちは、「オオッ!」と満員御礼のコロッセウムを彷彿とさせる雄叫びを上げ、それぞれのチームで小言を交わした後、木々のなかに散会していった。一人残った彼女は、手持無沙汰だったため僕に電話してきたらしい。


 すべての経緯を伝え終えた彼女は、「じゃあ、ちょっとカミサマしてくるわね」とホイップクリームのように甘く言い残し、ケーキ入刀のように思い切り良く通話を切った。


 突然の珍奇な報告を受けた僕は、


「さてどうしよう」


 と、小言を呟きながら携帯電話をジーンズの後ろポケットに突っ込み、


「どうすればいいのだろう」


 と、窓から見える夏真っ盛りの青空に目を細め、


「どうもしなくてもいいのだろうか」


 と、嘯きながらグッと背伸びをして外出用の黄色いTシャツに着替えてスニーカーに足を通し、


「めっちゃくっちゃ面白そうじゃん!」


 と、包みのない心のうちを発しながら外へと飛び出した。


 平素なら彼女から齎される厄介事に辟易してしまうのだけど、長すぎる夏休みを前に何もすることがなく暇を持て余していたので、今回ばかりは快哉を叫びたい気分だった。

 僕は、傾斜のきつい丘を登り、頂上にある給水塔の横を走り抜け、井戸端会議に花を咲かせている主婦を避け、山の街を走り下りていく。


 気分屋のパレットのような屋根瓦が目端を競うようにして流れていく。

 目前に広がる夏の街から、ゆらゆらゆらりと陽炎が立ち昇り、天上の青へと溶けていく。溶けきれなかった熱塊が空間を揺らし、大気を乱し、街並みを灼熱地獄へと描きかえていく。

 夏の街が生み出した地獄の業火によって体温が上昇し、露出した肌に薄っすらと玉の汗が滲み出てくる。それを弾き飛ばすようにして腕を振る。汗は陽光をまとい、七色に煌めきながら後方へと流れていった。

 風を切る耳に届くのは、蝉たちのしぐれ声。

 今日も元気に命を燃やし、7日後のその一瞬まで、蝉たちは毎日声を張り上げる。

 そのうちに潜むのは、誕生への歓喜だろうか? 死滅への絶叫だろうか?

 何れの叫びにも感じることは、夏空の直下を駆けている僕の心は、どうしようもなく躍動しているということだった。


 坂を下り終え、びゅんびゅんと自動車が行き交う国道沿いの路に出る。途切れた吐息を気にもせず、痺れた腿にも気をかけず、正午へ向けて着々と温度を上昇させるこの街を、僕は、高鳴る鼓動とともに駆け抜けた。



 不動尊金剛寺の顔でもある仁王門の前で、僕はようやく足を止める。

 夏休みということで客足はまずまずのようだ。

 駐車場には4台ほどの観光バス。主な参拝者は老夫婦であるが、家族連れの姿も多く見られる。

 地元に活気が満ちているというのは嬉しくもあるのだが、それと同時に、自分だけの大切な宝ものが他人に触れられているかのような不愉快さで、少しばかり心を曇らせもする。

 僕は肩を大きく上下させて息を整え、両側に佇む阿吽の仁王像を仰ぎ見ながら門を抜けて賑わう境内に踏み入った。

 時節を問わず敷地内に常在している屋台から、リンゴ飴の甘い酸っぱい香りが運ばれてくる。その前で列をつくる参拝者を遠巻きにして、勇ましい副長像の前を通り、30段ほどの階段を小気味よく上がっていくと、青い空を衝く朱色の塔が現れる。

 その前で記念写真を撮ろうとしている老夫婦はデジタルカメラの使い方が分からないのか、付き合って間もない恋人同士のようにぎこちない。どこか微笑ましいその姿を、塔の脇にあるベンチに腰掛けた老人が目を線にして見つめていた。

 僕はその老人に目礼をしてから五重塔を迂回し、脇道から山道に入る。


 日向から日陰に移る。ただそれだけで、口のなかに氷を含み、少しずつ頭が冴えていくかのような気温の変化を感じることができた。

 曲がりくねった一本道に沿って密集する木々は遥か頭上を隈なく覆い、葉の幌を抜けてきた木漏れ日が視界を黄緑色に色付ける。淡い緑で満たされた景色は、一本道を興奮気味に進んでいく僕の神経を抑え込み、凝縮させたエネルギーを暴走させないよう、少しずつその抑制を解いていく。

 緑の抱擁が解かれると、高まっていた感情は嘘みたいに静まっていて、凪の静寂が血流に乗って体の隅々まで行き渡っていた。

 激しく体内を打っていた心音は、葉々を吹き抜ける風音と区別がつかなくなり、瞬きをする度に、新緑の色合いが紙芝居のように増していく。

 僕を優しく包んでいた自然が、いつの間にか僕自身になっていたような――そんな倒錯的な感覚を味わいながらじっくりと山道を上がる。


 第一番目の地蔵を過ぎ、二番、三番と次々に通過していく。歩行路の脇に植えられた馬酔木や甘茶といった低木の葉にはまだ朝露が浮いており、掠めた手の甲に湿り気を落とす。手を振ってその露を払っていると、正面から2人の少年が歩いてきていることに気が付いた。

 この山にいるということは、彼らもどちらかのチームに属した戦争の参加者なのだろうか? 僕は歩調を緩めて、近付いてくる彼らをうかがう。

 片方のメガネをかけた少年が足早に坂を下ってき、もう片方の体の小さい少年が彼に遅れまいと必死に追っているという形だった。


 小学校低学年……いや、高学年だろうか? 容貌からでは、どちらともつかず、ならばその中間である3年生か4年生だ、と妥当な推測をした。

 それにしても、このまま道を下れば山から出てしまうけど、山の外に出てしまってもいいのだろうか? それでは戦争に参加できなくなってしまうような気もするのだが……。


 あれこれ勘案をめぐらせていると、あっという間に2人の少年はこちらまでやって来た。メガネの少年は不機嫌そうに顔を歪めて憮然としている。続くひ弱そうな少年も同じく顔を歪めているのだが、それは今にも泣き出しそうな表情だ。

 その2人の様子が気になった僕は、すれ違う寸前になって彼らに投げかけた。


「君たち、もう帰っちゃうの?」


 行き過ぎたメガネの少年は、ぴたりと立ち止まって振り返る。そして、突然話しかけてきた僕を選別でもするかのように、下から上へと視線を流し、ふっと前髪を吹き上げてから口を開いた。


「ああ、帰るんだよ。あんなつまんねーとは、思わなかったからな」

「つまんない?」

「とんだ戦争ごっこだよ、まったく」


 苛立ちながら愚痴るメガネ少年のシャツの袖を、もう一人の少年が気弱に引っ張り、僕の方へ不審そうに視線を送った。

 「あ? 何だよミノル?」と、メガネの少年がミノルと呼んだ少年の方へ顔を向ける。


「リョウヤくん。知らない人と話しちゃ危ないよ……」

「はっ! 大丈夫だろ。見てみろよこの人、すげー情けなさそうじゃん」


 生意気にもリョウヤとやらはそう言って、もう一度僕の姿に目を通し鼻で笑った。

 僕は2人の少年を眺めながら考える。

 彼らも時が来れば中学生になり、順当にいけば高校生、大学生、社会人とステップアップしていく。もし、今の小生意気なまま大人になってしまえば、社会人になった彼らは世間の常識も知らない身勝手な若者の典型として、10も20も歳の離れた重役たちから呆れられ、挙句、見放されて解雇処分を下されてしまうかもしれない。

 そうならないよう、今この瞬間に彼らを矯正しておくべきだ。いや、しなければならない。戦慄く拳を握りしめ、僕は引き攣った笑みを浮かべながら彼らに言う。


「こらこら君たち、年上の人にそんな言葉遣いしちゃだめだぞ」

「はっ、年長者は敬えってやつか?」


 僕の忠告を軽く一蹴したリョウヤは、前髪を吹き上げて睨みつけてくる。


「お兄さんさ、年齢なんかに拘ってるから、俺たちみたいな子どもに見下されるんだよ。歳なんて、何年生きたかの目安にしかならないものを、まるで自分の能力であるかのような口ぶりは止めなよ。どんなに長生きしてても、馬鹿が馬鹿ってことは変わらないだろ」


 「言いすぎだよ、リョウヤくん」と、たしなめたミノルは意外と確りした子なのかもしれないと感心していた矢先、


「お兄さんだって、たぶん、いろいろとガンバってるんだから」


 ミノルは屈託なくそう続け、僕の胸をざっくりと削っていった。

 ああ、そうなのか。

 小学生が僕をみたら、情けなさそうで何か頑張っているように見えてしまうのか……

 多少、傷つきながらも、大学生なんてそんなものなのかも知れないと納得もする。

 小学生視点で大学生を見れば、体も大きく大人とさほど変わらないような印象を持つのかも知れない。事実、僕も子どもの頃はそう思っていた。大学生は大人だと。

 しかしその当人たちは、海を漂流する海月のように曖昧なものなのだということに、実際に大学生になってから気付いた。


 より深みを目指して海底へ潜行し、やっとの思いでたどりつくも、逆巻く潮に流されて元いた浅瀬へと押し戻される。太陽に焦がされた海面をふらふら漂いながら、「またここに戻って来てしまった」と己の非力を嘆き、海流に抗うこともせず力なく嬲られる。

 そうこうしているうちにも仲間たちは着々と深海へのダイビングを続け、一匹、また一匹と深海へ舞台を移していく。それに気が付き、「こうしちゃいられない」と焦りながら再び潜行を始める。


 人は、浮沈を繰り返して大人に成っていく。

 大人と子どもの領域を行きつ戻りつする曖昧な年代が大学生なのだ。


 改めて自分の置かれている状況を報知され、やがて来る就職活動を思って気落ちし、「そうだね。僕も頑張らなくちゃね」と自分に言い聞かせるようにして、僕はそう呟いた。

 リョウヤとミノルは、何だかわからないが取り敢えず賛同しておこう、というその場しのぎ丸出しな感じで「そうそう」と頷いた。

 小学生に諭されすっかり意気消沈していた僕は、本来の目的を思い出して息を吹き返す。


「そうだ。君たち、さっきまで山の中で『戦争』をしていたんだよね?」


 「戦争『ごっこ』な」とリョウヤは不満げに訂正する。


「君は、さっきからソコばかり強調するね」


 リョウヤは聞いてくれるのを待っていたかのように『戦争ごっこ』への鬱憤を吐き出し始めた。


「戦争をするから力を貸してくれ! って頼まれたから来てみればよ、ただの水合戦だぜ? ちょっぴり期待しちまった俺が馬鹿みたいだよ、まったく」

「でも……結構、本格的だったよね」

「本格? あれが?」


 ミノルの言葉にリョウヤはますます不快感を募らせたようだった。


「文房具屋で売ってる水鉄砲に色の付いた水を入れてただ打ち合うだけのあれのどこが本格的な戦争なんだよ。戦争っていうのはだな、もっと、こう、作戦を練りに練ってやるもんなんだよっ! 山のなかを好き勝手走り回って色水を掛け合うあれを戦争だなんて呼ぶこと自体がおこがましいんだよっ!」


 息巻くリョウヤをどうすればいいのか分からなくなったのか、ミノルは瞳に涙を浮かべ俯いてしまった。リョウヤは罰が悪そうに頭を掻き、こちらを一瞥して言った。


「ま、俺たちはこれで帰るから、お兄さんも精々、シャツに色を付けられないように気を付けるんだな」


 言うが早いかリョウヤはミノルの手を取って、坂を下っていってしまった。

 残された僕は、彼女のことを聞きそびれてしまったな、と思いながら去っていく2人を目で追う。緑の一本道を歩き去っていく2人のTシャツの背は、血糊のような紅緋色でグッショリと濡れていた。



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