山中戦線参戦中(1)
久々の更新ですね。
連弾のように降り続いた期末テストの雨滴を掻い潜り、僕はついに安息の夏休みに到達した。
知っているだろうか。
大学の夏休みは阿呆みたいに長い。
少なくとも大学に入学するまでの僕はそんなことはいざ知らず、大学生といえば毎日勉強に明け暮れ恒常的に憔悴しているというイメージしか持っていなかった。それもそれでどうかと思うのだが――兎にも角にも、僕の大学生活は暫しの休息、2ヵ月にも及ぶ長い夏休みに突入したのであった。
さてさて。
夏休み初日というものは、どうしてこう心躍るのだろうか。
前日までの徹夜を物ともせず、僕は早朝6時きっかしに目覚めた。それはもうバッチリと覚めた。
自分の瞳をのぞくことは人体構造的に叶わないのだけど、布団の中にいる僕の目は、これから2か月にも及ぶ夏季休暇を前にして爛々と発光しているのだろう。
夏休みをどう過ごそうとも僕の勝手なのである。
2か月間この布団から一歩も出ずに寝て過ごそうが、部屋の隅にピラミッドのように積み重ねた未読の書籍を読み漁ろうが、はたまた、この埃っぽいおんぼろアパートを飛び出してどこか遠くへ旅行に出かけようが、僕の自由なのである。
「ふ、ふふふふ」
僕は布団に包まり、気味の悪い笑い声をもらす。
全身を喜びに震わせ、上擦っていく声を本能のままに開放していく。我ながら気色の悪い声だと感慨に耽りながら、一先ず布団から抜け出した。
脱ぎ散らかした衣服の山を抜け、読み散らかした本の川を越え、やっとの思いで台所に到着する。某先輩から無償で譲り受けた年代物の冷蔵庫から、スライスされた食パンを取り出し、そこに昨夜スーパーで投げ売りされていた魚肉ソーセージを挟み込んで牛のようにむしゃむしゃと無遠慮に貪る。
むしゃりむしゃり、と食べ終えて水道の蛇口を捻り、ドゥッ、と流れ出てくる水道水をコップの底で受け止め、喉へと流し込む。
「都会の水は格別だ」
とくに意味もなくそう呟く。
朝食を終えた僕は居間へと取って返して座卓に着いた。
机上に組まれた教科書の城塞なかに読み途中の小説を発見し、背後にある衣服の山を枕にして横になる。ぱらぱらとページを捲ってそれまでの内容を思い出し、僕は文字の中にぐいぐいと意識をのめり込ませていく。
ふと文字記号から目を上げ窓の外を眺めると、真っ暗だった。
夏休み初日はそうして終わった。
翌日の夏休み2日目、10時過ぎのことであった。
「私、カミサマになったわ」
という旨の電話を彼女から受けた。
前回の経験を活かした僕は、彼女が電話を切ろうとする寸前のところで言葉を挟みこんで詳述を求めた。
以下は、その内容をまとめたものである。
隣の市のデパートまで買い物に行こうと彼女は駅を目指していた。すると、駅前で物々しい剣幕をした少年少女たち6名ほどが不穏な単語――『全面戦争』や『皆殺し』といったものであるらしい――を口々に交わしていた。例に洩れず好奇心を唆された彼女が少年少女たちに接触して内実を質すと、彼らはこれから敵対している組織と全面戦争をするらしい。
彼女は言った。
「面白そうだから私もまぜなさい」と。
少年少女らは困惑しつつも、味方は一人でも多い方がいいだろうと彼女に事の詳細を話した。
彼らは山頂に建つ監獄団地に住まう小学生らであった。
団地という圧縮された家屋の性質上、そこに起居する彼らは必然的に幼い時分から遊戯をともにし、同じ菓子を頬張って育ってきた、言わば兄弟といっても過言ではないらしい。
その彼らと敵対するものたちがいる。
山の中腹部の住宅街に住まう、比較的裕福な家庭の子どもらである。
庭付き二階建ての一軒家に住む子どもたちには、それこそ監獄と形容されるくらいの団地群に肩を寄せ合うように密集して暮らしている彼らのことが、疑問に思えて仕方がないのだろう。
『どう見たって住みづらいはずであるのに、どうして彼らは蟻のように群がって生活をしているのだろう? もっと大きくて広いところに居を構えた方が利便的じゃないか』
その問い掛けに対して、監獄団地に住まう彼らはこう反駁する。
『お前たちはヒトという生き物のことを分かっていない。ヒトは無類の寂しがり屋で弱虫だ。1人よりも2人を好み、2人より多数を好む。それがヒトの弱さ、そして強さだ。密集して暮らすことの何が悪い、どこが悪い。ヒトらしい生活をしているのは私たちの方だ。そう、団地こそがヒトのあるべき生活様態なのだ』
そんなこんなで彼らは敵対している。
だからといって、常にいがみ合い憎しみ合っているというわけでもない。学校で会えば挨拶はするし、放課後は一緒になって遊ぶ。
けれど、ふとした切欠で喧嘩になるときがある。
そのようなとき、決まって彼らが持ち出すのは住まいの違い。
丘の上の監獄団地と山腹を流れる一軒家。
生まれた家が悪いのか、生まれた土地が悪いのか。
生まれ持ったものを比較してしまうのも、人の性なのであろう。
と、達観した意見を述懐している僕が、どうしてここまで小学生の交遊事情に詳しいのかというと、それは簡単なことである。
僕もこの土地に生まれ、この土地で生きたヒトだからだ。
まぁでも、どちらにも属していなかった僕は、この土地に根付いた因習を蚊帳の外から諦観していただけなのだが。
この話はこの辺で休題にしておこう。何れまた、という奴だ。
監獄団地に住まう少年少女らに連れられた彼女は、駅から徒歩5分の場所にある不動尊金剛寺へと向かった。つい先日、何やかやとあった場所である。
少年少女らは本堂で勝利祈願をした後、その裏手にある『裏山』へ登り始めた。その頂上が集合の場であるらしい。
この裏山は参拝者の散歩コース的な位置づけであり、四国霊場八十八カ所巡りを模して設置された八十八の札所を巡ることができる。一つの札所には一体の地蔵が鎮座しているため、山中には計八十八の地蔵が点在していることになる。
また、かつて山城があったとも伝えられているのだが、その詳細は不明であり、山頂付近に残滓のような石垣がちらほら見られる程度である。
のた打ち回る蛇のように蛇行した山道を30分ほど登っていくと、開けた疎林に到達する。そこが先述した山城の城址ということになっているのだが、特記するほど建造物はなく、休憩用の石製のベンチや切り株、黒ずんだ山桜といった樹木があるだけである。
少年少女らに連れられた彼女がその城址に到着すると、そこには30余名ほどの、やはり少年少女らが待ち構えていた。彼女が近くにいた子に尋ねると、彼らこそが自分たちと敵対する一軒家に住まう子どもであるらしい。
そろそろ混同しそうなので、これ以後は彼らのことを『一軒家チーム』、『監獄団地チーム』と呼称することにする。
いつどこから湧いて来たのか、辺りには50を優に超える子どもの姿があり、竜虎が対峙するかのように2チームに別れていた。彼女はそのちょうど境目に屹立していたらしい。
しばしの睨み合いの末、監獄団地チームのリーダーである少年が口火を切り落とした。
「如何にして決着をつけようか」
一軒家チームの先頭に立っていた少年が返す。
「血で血を洗う戦争をしよう」
「いいだろう。血を血で洗って、地に帰ろう。ただし――」
監獄団地チームのリーダーは、人差し指を突き付けて言い放った。
「地に帰るのはお前らだがな!」
キメキメで返答をした監獄団地リーダーを彼女は鼻で笑ったという。子どもの癖に気取っている、と。そんな彼女を、一軒家チームの一員が目聡く見つけ追及した。
「此の女性は誰ぞ! ぬしら、大人の助っ人とは卑怯千万なり!」
指摘され動揺を隠せなかった監獄団地リーダーを庇うため、近くにいた女子が助け舟を出した。
「この方は、本日の決戦を正式なものとするため、天界から参られたカミサマであられる!」
「なに?! それは誠かッ?!」
一軒家チームにざわめきが走る。その喧騒を一刀両断するようにして監獄団地の女子は彼女を振り仰いで弁舌鋭く言う。
「えぇい、この威風堂々たる身構えを見ても虚偽だと思うかッ?! それにこの純白を見よ。清廉たるこの姿が、何よりも天界から参られた証拠ぞ!」
崇め奉られて良い気分になったのか、彼女は調子に乗り始めた。
「あなたたち、神前なのだから頭ぐらい下げなさい」
「ははっ」と一軒家チームは一斉に地面に平伏した。
「壮観でありますな、カミサマ」
監獄団地チームのリーダーは敵方の総土下座を見て高笑いをし、彼女に言った。
彼女はその少年を上から睨みつけ、
「お前らもだよ」
と言った。
総勢70名余りの少年少女らが地に伏す中央で、彼女はまるでカミサマのような口振りで言う。
「さぁ、あなたたち、思う存分に戦争をしなさい。責任はすべて私が持ちます。
血で血を洗いなさい。
臓物で臓物を擦りなさい。
眼球で眼球を潰しなさい。
己の骨を断って相手の肉を断ちなさい」
彼女は高らかに右手を掲げ、それを鞭のようにぴしゃりと振り下ろして宣言した。
「さぁ、開戦です――」