第4話「あの名を、また聞くとは」
第4話「あの名を、また聞くとは」
その日も変わらぬ静かな朝だった。
リッチは夜明け前にワイバーンで地上へ出かけ、吸血鬼はいつものように本を読み、紅茶を楽しむ。
ゴーレムは黙々と石畳を修復し、ゴーストは時間ごとに温湿度を報告してくれる。
何も変わらない。ただ、それが心地よかった。
日が落ち、光晶石の明かりが徐々に深い青に変わる頃、リッチが帰還する。
無言でワイバーンを降り、いつもの調子で口を開いた。
「坊ちゃま、本日の報告を」
「いつも通り、手短に頼む」
「はい。地上は本日も異常なし。ただ、会議の中で“エリセ”という名が出ました。魔王軍に新たに仕え始めた者のようです」
その瞬間、紅茶を口に運ぼうとしていた吸血鬼の手が、空中で止まった。
「……そうか。その名は、たまたまだろう」
声は淡々としていたが、わずかに視線が遠のいていた。
かつて、まだ“仕事”をしていた頃。エリセ――その名を名乗る者を一度だけ、夜の雨の中で見送った記憶があった。
交わした言葉は短く、確かに敵であったはずなのに、今となっては顔さえ思い出せない。
「私の記憶違いかもしれません。ご気分を害されたようなら、申し訳ありません」
「いや……何でもない。ただの偶然だ。もう過去のことだ」
それ以上、吸血鬼は何も語らず、本を閉じて立ち上がった。
部屋に戻ると、机の引き出しの奥から古い記録帳を取り出し、パラパラとめくる。
そこには“エリセ”の名が確かに記されていた。
殺したはずなのに、何かが引っかかる。
吸血鬼は静かにページを閉じる。
「……そうだ、たまたま同じ名前なんだろう」
そしてその夜、彼は久しぶりに夢を見た。
姿は朧げで、声は遠く、ただ雨音だけが妙に鮮明だった。
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