50.逸らせない心
目が覚めて10日が経ち、私の意識もはっきりしてくると今の状況も分かってきた。
どうやら討伐が終わり私の目が覚めるまで一カ月が経過していたらしい。
討伐の際、短剣を使って手には魔法陣を刻み、そして胸には刃を一突きした私の体の傷は、意識が無かった間はくっきりと残っていたのに、目を覚ました日には一切無くなり綺麗な状態になっていた。
私が目を覚ますまで毎日実家から転移術で通い詰めていたお祖母様は、順調に回復し始めた私を見届けると地元の方の仕事に戻ったため、いまは3日に一度顔を出す程度になった。
ただ、ミシェル様は相変わらず毎日仕事帰りに私の元に通い続けている。
負担になるのは分かっているのでたまにでいいと言っているのに、彼は頑なに私の元を訪れた。
一カ月も寝ていたため体力や筋力は底辺まで落ち込んでいた私は、取り敢えずリハビリに全力で取り組むことに決め、日々体を動かそうと躍起になっていた。
「やり過ぎです」
仕事終わりに病院を訪れたミシェル様は私のリハビリの記録を見ながらはっきりと言った。
「トレーナーからも聞いてますが、完全にオーバーワークです」
オーバーワーク。
かつて鬼将校として砂袋を私の腹に落とし鍛えていたミシェル様から出てきた衝撃の単語に私は目を丸くした。
「……前はそんなこと、言わなかったのに」
「前は前。今は今です。何をそんなに焦っているのです? 神を召喚し、魔力も体力も底地では無理をすれば貴女自身か壊れてしまいます」
焦る理由なんて、ひとつしかない。
「早く復帰しないと……魔法騎士団にいられなくなるもの……」
ポツリと呟くとミシェル様は溜め息をついた。
「それが原因ですか」
「だって……」
ベットに座ったまま私は俯いた。
ミシェル様と会えるのは魔法騎士団にいるからだ。
ミシェル様に想い人がいる以上、私は魔法騎士団を辞めればもう話すことも会うことも出来なくなる。
3月末には魔導師としての任期も終わる。
今はそれが辛いのだ。
「……貴女が意識を失っている間に、色々と分かったことがあります。そして未だ分からないこともね」
「……?」
「取り敢えず、今は何も心配しないでください。貴女の意思に反して魔法騎士団から無理矢理追い出すような真似はしません」
「でも……」
「さて、食事の時間でしょう?」
食事の配膳トレイにはミルク粥やスープがのっていたが、ミシェル様はリンゴのすりおろしのお皿を手に持つとスプーンで掬って私の口元に運んだ。
「ほら、口を開けて?」
「じ、自分でたべれますよ」
「昨日はかなり残したんでしょう? おなか空かないですか?」
「……そういう訳では……」
「じゃあ食べましょう。ほら、口を開けて?」
ほんの少し口を開くと、滑り込ませるように口内にスプーンが入りこむ。
甘い林檎のすりおろしは、そこまで咀嚼しなくても喉の奥へ入っていった。
「美味しいですか?」
「はい」
「ついてますよ」
唇のすぐ脇の頬をペロリと舐めなれ、私は動揺でカッと顔を熱くした。
鼻先にはミシェル様のお顔があって、こんなすぐ側に好きな人がいて、久しぶりのミシェル様との触れ合いに心臓が忙しない。
少し前は、ミシェル様と目を合わせられないくらい不安で怖くて、あんなに彼から逃げ回っていた。
今だってその不安な気持ちは変わらない。
だけど
「もう、目を逸らすのはやめたのですか?」
ミシェル様の金の瞳から目が離せなかった。
あの討伐の日、もしかしたら彼の瞳を見るのが最後かもしれないと本気で思ったから。
「私が目を離したから……ミシェル様に怪我をさせてしまった……」
こんなに好きなのに。
本当にもう二度と会えなくなるかもしれないと思った。
死を覚悟した私の最後の記憶は、半身が焼け焦げ崩れかけた彼の瀕死の姿だ。
「ああ、ノアは私の事が心配なんですね? また、私が傷を負うのではないかと。貴女を残して死ぬのではないかと」
否定なんて出来ない。
だってこんなに今も胸が痛い。
「そう……こんなに小さくて今にも倒れてしまいそうなのに、ノアの頭の中は今私の事でいっぱいなんですね」
どうしてだろう。
今になって涙が零れる。
「そうですね……貴女が私から目を逸らしたら、貴女が私から離れたら、今度こそ死んでしまかもしれません」
胸が、唇が、頬が、体が熱い。
「ミシェル様は、死ぬの……?」
「貴女が離れなければ死にはしない」
体中にこだまするミシェル様の声に酔ったみたいにぼうっとなってしまう。
こんな事していたら、また離れられなくなってしまうのに。
「そんな考え込まないで。大丈夫。仕事のことも他のこともを、何も心配しなくていい。だから、今はきちんと栄養をとって休んでください」
ミシェル様はそう言うと、また私の口へスプーンを運び、私は彼に魅入ったままぼんやりと口を開けた。
「貴女は生きている。それだけでもういいんです。それ以外は些末なことだ。ほら、私に全てを委ねて」
ミシェル様の口角が弧を描いてゆっくりと上がる。
「何も考えなくていい。ただ私だけを見ていなさい」
こんなに貴方が心配なのに、こんなに苦しいのに、ミシェル様はどうしてそんなに嬉しそうに笑うのかしら。
「貴女が回復したら……今度は二度と逃がしません」
小さく呟いた彼の言葉は、林檎の甘さに溶けて朦朧とする私の耳へは届かなかった。




