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36.私の泣き場所

 リオット大尉の悪口をブツブツ言いながら、ミシェル様は私をテントの中の寝室まで抱えて連れて行ってくれた。


 肩に顔を預けると、きゅっと抱きしめ返してくれる彼の髪から、洗いたてのシャボンの香りがふわりと香った。


「雨で冷えたでしょう。早くシャワーを浴びて来なさい」

「……ミシェル様は?」

「私は先に入りました。魔物の血を浴びてしまいましたから」


 カッパを脱ぎながら、小さく返事をしてシャワー室に行こうとしたけど、途中で足が止まった。


 何となく振り返って、ミシェル様の姿を視界に入れると胸に込み上げる何が体を突き動かした。


 駆けよって、団服から着替えた黒いインナー姿のミシェル様の服の裾を無意識に掴むと、目の奥が熱くなって、伝えようとして、上手くいえなくて、また言葉を飲み込んだ。


「どうしました?」

「いえ。その……」 

「まさか、ベルナールにまた何かされましたか? 間に合ったと思いましたがまさか!」

「ち、違います! そうじゃなくて……」


 下を向いて、顔を上げられないまま更に頭を下げた。


「ごめんなさい」

「ノア?」

「大尉の指摘の通りだった。私仲間のみんなのこと、何にも考えてなくて」

「……さっきの話のことですか?」


 ──ちゃんと。

 ちゃんと、言わなきゃ。


「私……何にも考えてなくって」

「ノア……」

「自分のことしか、考えてなくて」

「……」

「いつも、自分のことばっかりで……」


 駄目だ。

 涙腺が壊れそう。


 でも泣くより先にやらなきゃいけない。

 ミシェル様に、謝らないと。


「ごめんなさい」


「…………なにそれ」


 ミシェル様が零した言葉に、身体が凍った。


 ──嫌われた。軽蔑された。


 私が、自分勝手だから。

 私が全く周りのことを考えていなかったから。


 ミシェル様だけじゃない。


 ロベール先輩や、マシュー先輩や、仲間の皆。

 あんなにいつも優しくされてたのに。

 私はいつも自分のことばかり。


 でも、どうして。

 嫌われるのは、こんなに苦しいなんて。


 手が、身体が、胸が震える。

 潰れそう……!


「何ですかそれ、可愛いすぎるんだけど……」


「……え」


「ノア。まさかそんな風に目うるうるさせて、こんな雨の中、捨てられた子猫みたいにぷるぷる震えた姿をベルナールに見せたのですか?!」


 ──ミシェル様は、一体何を言ってるのだろう。


「ちっ! だからあいつあんなに頬染めてノアにくっついてたのか」

「…………」

「確かに可愛い。世界の可愛いを一身に集めたような姿ですけど……まさかノアの召喚術は可愛いが集まる裏メニューかあるのか……?」

「怒って……ないんですか?」

「何を怒るんです? ノアはノアの本分を全うしただけでしょう。貴女は魔導師なんですから。仮に本当に危険が生じていたなら私が全力で止めますよ。これでも私、将校ですから」

「ミシェル様……っ」

「あの時私はノアに浄化させる決断をしたから、黙ってみていたのですよ? 何故貴女が責を負わねばならないのですか」

「うー……」


 ボタボタと一気に涙が溢れ出た。


 嫌われてなかった。

 軽蔑された訳じゃなかった。


「なっ?! どうしました? もしかして、ロベールが何かやらかしましたか? あいつには酷いことされて泣かされたのでしょう? なる程。私があいつを今から殺しに……」


「違……違うんです。リオット大尉の前では泣いちゃいけないと思って……っ」


「ノア……」


「泣きたくなったら……ミシェル様のところに来なさいって言ってくれたから……ずっと、我慢して……うう」


「はああぅあっ!!」


 片手を目頭に当てたまま、ミシェル様は天を仰いだ。


「はあ……可愛いが過ぎて尊い……神よ……」


 ミシェル様は突然謎の神に祈りを捧げた。


「私が言ったこと、覚えていたんですね。嬉しいです」


 ぎゅうと長い腕が背に回り、いつもならドギマギしている自分が酷く安心している事に気づいた。


「そうです。貴女が泣く場所は私の腕の中です。貴女が甘えて寄り添う場所は私の胸の内です。他の男にはやってはいけませんよ?」

「……はい、ミシェル様」 


 ホッと安堵が胸に広がり、苦しさが溶けていく。

 私は引き締まった胸板にぎゅっとしがみついた。



「はあ……なんて幸せ。長い時間をかけて調教……いえ、教育した甲斐がありました」


「教育……?」


「何でもありませんよ。ほら、もっと温めて差し上げましょう」


 はっとして、私はミシェル様から離れた。

 何やってんだ私。


「す、すみません……動揺してたみたいで……」

「もっと動揺していいですよ? ほら、おいで?」


 両腕を開いてニコニコするミシェル様に、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。


「シャワー行ってきます」

「シャワーの後はいつもの授業ですよ?」

「じゅ……授業……」

「ええ。夜は長いですから。たっぶりとね。今日はベルナールからの警護も含めて朝まで二人で過ごしましょう」

「いえ……もう大丈夫……」

「駄目ですよ? ノアは動揺してるんですから。上官として見捨てておけません」


 ニコニコと楽しげに笑うミシェル様を置いて、私は着替え片手にシャワー室へと向かった。 


 冗談かと思ったけど、本当にミシェル様は朝まで私の部屋にいた。



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