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9(おわり)

 リドゥは動かなくなったアンドレアの下から這い出してよろよろと立ち上がった。彼女の死体からは赤黒い血がドバドバとあふれている。ひどい死に方に、リドゥは自分がやったこととはいえ、目をそらさずにはいられなかった。そのとき、リドゥは自分の左腕が潰されてしまっていることを思い出した。幸いにもまだ動くが、人工筋肉がむき出しになり、血が滴っている。リドゥは後盒に入っていた布で首からさげることにした。落とした銃を拾い、むごい傷口を外套の下に隠す。

(左胸が金属板に覆われてなければ、心臓が壊されていた……紙一重だった)リドゥはそっと左胸を撫でた。それから踵を返し、キャンディのいる部屋を覗いた。

「キャンディ、まだかかりそう?」直後、リドゥは息をのんだ。キャンディがぐったりした様子で機械の上に突っ伏していたのだ。

「キャンディ!」リドゥは慌てて彼女にかけよった。完全無反動重金属粒子連続高速射出拳銃の強制終了射撃による衝撃波で吹き飛ばされてしまったのだろう。彼女は気絶していた。肩を軽く叩くと、彼女がうめき声をあげたので、リドゥはほっと息をついた。

「ねぇ、大丈夫?」

「うん……平気」キャンディは頭を押さえて体を起こした。

「ちょっと気絶しかけてただけ……大丈夫だと、思う」

「そうか、でも早いうちに人体技師に――」ハッとした。

「どうしたの……?」キャンディは不思議そうな目でリドゥを見る。

「キャンディ、声」言われて、彼女も目を見開いた。

「喋れてる!」ふたりは同時に声をあげた。

「成功した……」キャンディは自分でも信じられないようだった。

「キャンディって、そんな声だったんだ」リドゥがそう漏らすと、キャンディは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「へ、変な声じゃ、ないかな?」

「ううん、とっても綺麗な声だよ」リドゥは微笑んだ。彼女の声を聞けたことがとても嬉しかった。

「はずかしいな」キャンディははにかむ。

「よし、行こう。まずは逃げないと」ふたたび銃を抜き、扉の方を向いた。

「待って」リドゥがふりかえると、彼女はまっすぐに、赤い力強い瞳で彼を見ていた。

「逃げる前に、やることがある」

「まだあるの!?」リドゥはなんだか疲れてきた。

「お願い、リドゥ。このまま下に降りずに五十階に行くの」

「五十? 最上階じゃないか。なにがある?」

「リトル・シスターの主供給装置(メインサーバ)がある」キャンディは言った。リドゥは驚いた。

「私はそこでやらなきゃいけない……」彼女は一瞬目を伏せ、ふたたび視線をあげる。「プロジェクト『CANDO』を行う」

「そんな!」リドゥは悲しんだ。

「キャンディ、キミは義捐都市の道具じゃないんだ!」リドゥの言葉をうけても、彼女は首をふる。

「わかってる。私は『キャンディ』であって『CANDO』じゃない。でもだからといって、自分の宿命との決着を放棄したまま逃げ出すなんてことは、それは結局、真に生きていることにはならないと思う……これは、私の意思で決めたことだよ」リドゥとキャンディは見つめあった。ほんの数秒だったが、その眼差しはお互いに百の言葉よりも多くを語った。

「キャンディ……」リドゥは言った。「信じて、いいんだね」 

「もちろん!」キャンディはにっこり笑う。

「よし、行こう!」リドゥは外套を翻して廊下に出た。ボロボロになってしまった昇降機を使うのは危険なので、階段を使うことにする。

「こっちだよ」キャンディが道を示した。リドゥはキャンディとともに廊下を走る。彼女はこの階の地図を完全に暗記しているようだった。

「そこの角を曲がるとまっすぐな廊下、その先が階段!」

 リドゥは後ろからのキャンディの声に従い、角を曲がった。が、とっさに足を止めた。角を曲がった先の長い廊下には、何人もの兵士たちが待ち構えていたのだった。彼らはリドゥを見つけると、号令をかけて射撃体勢をとる。

「どわっと!?」リドゥは大慌てで角の直前に転がり戻った。間一髪、無数の弾丸がリドゥのいた場所を貫く。光学擬態外套が兵士の光学機器をごまかしていなかったらやられていただろう。すぐ後ろを走っていたキャンディも、びっくりしつつ足を止めた。リドゥはひぃひぃ言いながら床を這った。

「し、死ぬかと思った……」

「だ、大丈夫?」リドゥは立ち上がり、壁に背をつける。

「あの数はやっかいだ、キャンディ、しばらくどこかに隠れてて」

「待って!」キャンディがリドゥの外套を引っ張った。

「なに? どうしたの?」

「私に考えがあるの」キャンディは真剣にリドゥを見た。リドゥは角の向こうをチラ見する。兵士たちは小銃を構えてこちらに近づいてきていた。

「考えって?」 

「まかせて」キャンディはそう言うと、突然曲がり角から飛びだし、兵士たちの前に無防備な体を晒した。リドゥは血の気が引いた。

「ちょ、キャンディ――ッ!?」

「兵士たち、その場で止まって銃を捨てなさいッ!」キャンディの大声が廊下に響いた。

(そんなので止まるわけない!)リドゥは銃を構えて、キャンディを庇うように飛び出した。  リドゥは何が起こったのか、理解するのにすこしかかった。廊下中にいた兵士たちが全員、持っていた銃を足元に置き、立ち尽くしているのだ。

「な……なんだこりゃ」リドゥは間抜けな声をあげた。当の兵士たちも自分たちがなぜ銃を捨ててその場に立ったままなのかわからないようだった。彼らは困惑した表情でお互いの顔を見合わせている。

「私たちに手を出さないで!」キャンディがまた叫んだ。リドゥは振り返り、彼女を見た。

「君がやったの?」

「うん……」うなずいたキャンディの表情は、なぜか悲しげだった。

「これが私の声を制限していた理由……プロジェクト『CANDO』の一部」キャンディはゆっくりと歩きだした。リドゥはおっかなびっくり彼女のあとについていく。兵士たちはキャンディの進路を邪魔しないよう、廊下の両脇に並んだ。彼らは目を白黒させつつ、ふたりが目の前を過ぎていくのを眺めている。リドゥは彼らの様子にそら恐ろしいものを感じた。

「ねぇ、キャンディ」リドゥは彼女の背に問いかけた。

「教えてくれないかな、その、プロジェクト『CANDO』について」

「うん、私もそのつもり」キャンディは肩越しにリドゥを一瞥し、廊下の扉を開いた。その先は階段だった。

「教えてあげる、プロジェクト『CANDO』の正体について……すべてを」


「プロジェクト『CANDO』を説明する前に」キャンディは階段を上りながら後ろのリドゥに言った。

「リドゥ、あなたは自分の生まれた場所を覚えてる?」

「僕が作られたのは、義捐都市の工場だよ、たぶん」

「じゃあ、ガマさん――彼や、マムシさん、トカゲさん――彼らは純脳人だったり、改脳人だけど、彼らの義脳の部品の製造元はどこかわかる?」

「いや、知らないな。手術はたぶん外側の、まっとうな人体技師だけど」

「不思議だよね」階段を上がりながら、キャンディは皮肉っぽく笑った。

「手術の場所や、人体技師の腕前は気にするのに、誰も義体部品そのものには注意を払わない。自分の体の中に埋め込むものなのに」

 リドゥはギクリとした。

「義体部品に限った話じゃない。機械の部品、料理の材料、水の成分……それが何からできているのか、知識としては知っていても、実際に消費するときにいちいち分解して確かめる人はいない。だからやろうと思えば、誰かの悪意を混入させることなんて容易なの」あまりにも恐ろしい言葉に、一瞬、リドゥの足がとまった。キャンディもそれに気がつき、立ち止まってリドゥを見下ろす。

「ちょっと待ってくれよ」リドゥの声は震えていた。キャンディは悲しげに彼を見ていた。

「じゃあ、もしかして……」リドゥは自分の側頭部を押さえた。キャンディはうなずく。

「無改造の純脳人を除く、この世のすべての人間の脳内には義捐都市製の部品が使われ、そしてその中にはある無形装置がしこまれているの。それは通常何の作用も及ぼさないが、不可聴域のある特定の波長を使用した音波信号を受けることで起動する……すなわち、私の声を聞いたときに」リドゥの体に衝撃がはしった。彼女は続ける。

「その無形装置は人間の本能に近い場所に作用し、私の声によって入力された指令に従った欲求を喚起させる。食事をしたくないと思ってもお腹が減るように、眠りたくないと思っても眠くなるように、自分でもなぜそうするのかわからないまま、与えられた指令に従わせることができるの。感情をはく奪し、人間の自由意志を踏みにじる悪魔の計画、それが『CANDO』……義捐都市が私を産んだ目的」そう言うとキャンディは階段を数段降り、リドゥと同じ高さに立った。そしてそっと彼の手をとり、真剣な表情で彼と向き合う。

「だからお願い、リドゥ。私はこれを逆に利用して、今後永久に人の心を操ることができないような指令を義捐都市中に送るつもり。私を守って、おねがい……」

 リドゥは黙ってうなずいた。頭の片隅にひとつの疑念を抱いたまま。


 平和の塔の最上階にはひとつの部屋しか無かった。ふたりは慎重に扉をくぐった。

 広く薄暗い部屋には強力な冷房がきいていて、凍えるほどに寒い。円形の部屋の中心から放射線状に並べられているのは、リトル・シスターの主供給装置だ。義捐都市の人口千三百三十五万人分の『妹』による五感の改ざん処理がこの分厚く重苦しい、墓石のような箱の中で絶え間なく行われている。立ち並ぶ供給装置の間をすり抜け、ふたりは部屋の中心に向かった。そこには奇妙な造形の機械があった。

 ゆったりとした背もたれの上等そうな椅子の周りに、様々な色の銅線や銅管が飛び出した機械がいくつも並んでいる。機械は有機的な表情を見せ、まるで生き物の一部のようだ。全体はまるで人間の脳みそのようにも見える。見れば見るほど不気味だった。

「なんだ……これ?」リドゥがこぼした。

「これは玉座だよ」リドゥのものでも、キャンディのものでもない声がうす暗いなかに響いた。リドゥは身構えたが、キャンディはすべてがわかっているようにその場に立ったままだった。

「誰だ!」リドゥが怒鳴る。

「私だよ、リドゥくん」声の主がそう言って、玉座の影から姿を現した。リドゥは彼の姿を見て驚いた。

「ウィンストン……!?」

「やぁ、さっきは私の頭に強烈な一撃をありがとう」

「ウィンストンさん」キャンディが言った。

「どうか私たちの邪魔をしないでください。おねがいします」

「かまわんよ」ウィンストンは言った。「私は君たちを止めにきたわけじゃない。ただ最後に話をしたくてね。証拠にほら、私は丸腰さ」彼は上着を広げてみせた。彼の言うとおり、武器らしいものは見当たらない。

「話?」リドゥは警戒しつつ聞き返す。

「ここまで来たということは、『CANDO計画』については聞いたのだろう、リドゥくん」

「ああ」リドゥはうなずいた。

「義捐都市は結局、人間を支配するしか考えていないってことをね」

「正解だが、正確ではないな」老人はあごひげを撫でる。

「リトル・シスターというしくみがなぜ生まれたのか、君は知っているかね?」

「……いいや」

「彼女はもともと、戦争における兵士のための無形装置だった。戦争という強い緊張状態のなか、紳士的なふるまいと規律を保たせ、また団結力も高めるには架空の少女という共通認識が有効だったのだ。それを義捐都市がそのまま市民の治安維持・監督制度へと転用したんだ」

「それがどうかしたのか」

「義捐都市はリトル・シスター無しにはありえなかったということだよ」ウィンストンは言った。

「流した血も一瞬で風化するようなこの荒野で、人々が殺し合わずに団結し、秩序ある社会を築けたのはリトル・シスターのおかげだ。君たちはそれを邪魔しにきたのだろう」

「やっぱり止めにきたんじゃないか」リドゥはかみついた。

「リトル・シスターには欠陥がある」キャンディがさえぎるように言った。

「だからあなたたちは私を作った、でしょ?」彼女の言葉に、ウィンストンは重々しくうなずいた。

「どういうこと?」リドゥはキャンディを見る。

「リトル・シスターには未来がない。ただ既存の規則に従った監視と監督のみ。これではいずれ行き詰まる。義捐都市は安定と引き換えに進化を止めて、ゆるやかな衰退を選んだの」

「相対的な衰退も進化のひとつだよ。だが進化するならば、より発展性、柔軟性のある社会がよい。過酷なこの惑星で人間が種として生きのびるには多様性が必要だ」

「だから義捐都市はリトル・シスターに『心』を持たせることにした」

「そのとおりだ、キャンディ」彼はうなずいた。

「リドゥくん、以前に説明したとおり、『心』は人間の意思そのものだ。それは規則や規範から外れたゆらぎとなる。しかしそれゆえに電脳を用いた人工的な再現は失敗した。なぜか君を除いてね」

「そこで義捐都市は考えを変えた。『心』が作れないのならば、流用すればいいと……」

「ちょっと待ってよ、それじゃまさか!」リドゥはキャンディを見た。キャンディはリドゥを見つめ返して、寂しげに微笑んだ。

「そう……私はリトル・シスターの部品として生まれたの。あの玉座は私のもの。私は『妹』の心となり、すべての人々を支配し、平和で平等な社会を永久に存続させるために生まれた」

「でも!」リドゥは悲痛な声をあげた。

「キャンディ、君は義捐都市が人の心を操れないようにするためにここまできたんじゃないのか!」

「ええ、そう」キャンディは肯う。

「私は義捐都市から未来という可能性を奪うためにここにきた。人の心は永久に不可侵であるべき」

「君は病人から点滴の針を抜こうとしている」ウィンストンが咎めるように言った。

「病人なんかどこにもいない。点滴はいらないんだ」

「リトル・シスターを破壊したら、義捐都市の制度が限界を迎える近い将来、無数の人間が死ぬ」

「人はその前に立ち上がり、新たな社会を作る」

「少数の生者のために、多数の死者を生み出すのか!」老人が怒鳴った。

「人々を洗脳し、自由を奪ってまで、誰かに用意された未来にすがるのが正しいの!?」キャンディも怒鳴りかえした。老人と少女の声が、冷たい空気の満ちる部屋に反響した。彼らのあいだに立つリドゥは、どうすればいいのかわからなかった。

「リドゥくん、君はどう思う?」前触れもなく、老人がリドゥに話をふった。リドゥは面食らった。

「え、あ……」

「リドゥ、あなたはどう考える?」

「僕は……」言葉が出ない。人間の心を永久に自由にするのは、正しいことのように思える。しかしそのためにキャンディの力を使って人の心を操るのは本末転倒のようにも思えるし、そうしたところで、義捐都市がこの先どうなるのか見当もつかない。かといってウィンストンの言うとおり、キャンディをリトル・シスターの部品とし、人々の洗脳を続けるのも正しいことのようには思えない。人々の心がみなひとつの方向に向かえば、きっと平和で平等な素晴らしい未来が手に入るだろう。だけどそのために人の自由意思を踏みにじるのは、間違っている気がする。

「リドゥ」キャンディが声をかけた。リドゥは彼女を見た。

「あなたは人の心を持つ、唯一の電脳人……あなたが決めて」

「リドゥくん、彼女の声に耳を貸すな」ウィンストンが鋭く言った。

「気づいていないのかもしれないが、君は彼女に洗脳されている」老人のひと言はリドゥの胸を激しくゆさぶった。

「……そんなことッ!」キャンディがくってかかった。

「考え直してみたんだ。もしかするとリドゥくん、君は失敗作なのかもしれない」ウィンストンは強い口調で続ける。

「失敗作?」

「うむ」老人はうなずいた。

「『REDO計画』は心を持った電脳を作ろうという計画だった。しかしそうして作られた電脳は、君を除いてみな起動しなかった。それもおかしな話じゃないか。むしろ逆に、君の電脳には心がないと考えたほうがしっくりくる」

 リドゥは息を呑んだ。

「ならばこのあまりにも非合理で無謀なおこないを、君はなぜおかしたのか? それはリドゥくん、君が彼女に操られていたからなのだよ!」ウィンストンはキャンディを指さした。キャンディはたじろぐ。

「記憶をたぐりたまえ! 心当たりがあるはずだ! 彼女の声が聞こえた瞬間が!」

 リドゥの脳裏に、キャンディとはじめて出会ったときの光景がチラついた。あのときリドゥはたしかに、聞こえるはずのないキャンディの声を聞いたのだ。

「リドゥ! 聞いちゃダメ! あなたは――」キャンディが焦る。

「うるさいっ!」リドゥの怒声と同時に銃声が起こった。リドゥが右手の銃を天井に向けて撃ったのだ。銃声は幾重にも反響し、遠ざかるようにかき消える。

 三人は静まりかえった。長い沈黙だった。

 冷たい空気に白い息。かすかに聞こえる心臓の鼓動。

「……うるさい」やがてリドゥが口をひらいた。

「ごちゃごちゃうるさい! 心がなんだ! 義捐都市がなんだ! 未来がなんだ! そんなこと、僕の知ったこっちゃあない!」リドゥはウィンストンに銃口を向けた。

「洗脳されていようがいまいが、そんなのどっちでも関係ないさ!」そして彼はキャンディを見すえ、叫ぶ。

「僕はキャンディ、君の味方だ! だって僕は君が好きなんだから! 君が好きだ。 大好きだ! ひと目見たときから好きだったんだ! 君の笑顔が、おおきな瞳が、輝く髪が好きなんだ! 綺麗な声が好きだし、ときどきとんでもなく大胆なところも好きだ! 好きで好きで大好きなんだ! 君のことをもっと知りたい! 何もかも知りたい! 知りたくて夜も眠れないんだ! 君のことを考えるだけで僕は胸が高鳴って、灼熱の砂漠もへいちゃらなんだ! 凍える夜も耐えられるんだ! 君にすべてを捧げてしまいたいんだ! 僕の人生のなにもかもが、もう君無しでは考えられないんだ! もう一度、いや、何度でも言う! キャンディ、僕は君が大好きだッ!! 好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだーッ!!」

 さっきまでとは違う沈黙が室内に満ちた。

 ウィンストンは拍子抜けしたような、あきれたような表情であんぐりと口を開けている。キャンディは顔を耳まで真っ赤にしたまま固まっている。リドゥは息切れして肩をあえがせている。そのうち、リドゥが再び顔をあげた。「だから僕は、キャンディが何もしなくていい道を選ぶよ」

「……まさか! やめ――」その言葉に、彼のねらいを察したウィンストンがあわててリドゥを止めようと動く。しかし遅かった。リドゥの銃は連続した銃声をあげ、部屋中に並んだリトル・シスターの供給装置を撃ち抜いた。弾丸は電子回路を破壊し、銅線を切断し、電気をはじけさせ、義捐都市の秩序を守ってきた機械をただのクズ鉄に変えた。ウィンストンはその場に崩れ落ちた。

「ああ……! リトル・シスターが……私の愛しい妹が……!」

「リドゥ……」キャンディがリドゥの名を呼んだ。リドゥは彼女を見て、銃をおさめて微笑んだ。

「これで終わったよ、キャンディ」

「……うん……!」キャンディは涙目で彼の体にすがりついた。

「リトル・シスターが無くなったことで」ウィンストンが憎しみのこもった声をあげた。

「秩序の失われた義捐都市と外側の境目はなくなる。原始時代に逆戻りだ……大勢の人が死ぬ、弱肉強食の世界になる」老人は叫んだ。

「彼女の力も健在なままだ! 結局何も解決していない! 君の選択は最悪の選択だ! 自分の望みのために多くの人々を犠牲にするのが、そんなに楽しいか!」

「何勘違いしてるんだ?」老人に背を向け、リドゥは言った。

「世界はもともとそのようにできていたんだ。なにも変わっちゃいないよ……」リドゥとキャンディは部屋を出た。冷たい空気の満ちた広間には、落胆するひとりの老人と、空っぽの玉座だけがいつまでも有り続けた。


「あのね、リドゥ……」上昇を続ける昇降機の中、キャンディがぽつりと呟いた。

「私、あなたに言わなきゃいけないことがあるの」リドゥは彼女から顔を背けたまま、黙っている。

「あの日、あなたと初めて出会ったとき、私は――」

「――ついたよ」昇降機が停まり、扉が開いた。平和の塔の屋上は、強い風がふきつける回転翼機の発着場になっている。中心に一機の回転翼機が待機していた。

「リドゥ!」どんどんと先に行くリドゥの背中を引き止めるように、キャンディが声をあげた。だが彼はまるでなにも聞こえないかのように進んでいく。

「待って!」悲痛な声に、リドゥが足を止めた。そして、ゆっくりとふりかえった。

「キャンディ!」彼は叫んだ。

「僕は君に操られていようがいまいが、そんなの関係ないからね!」だが彼の予想に反して、キャンディはきょとんとした顔をしていた。その反応に、リドゥもなにか間違ったこと言ったのを察する。

「え……と」キャンディは困った表情をしていた。

「え、あれ?」リドゥは頬をかいた。

「もしかして、私がリドゥを洗脳する力を使ったと思ってる?」キャンディは首をかしげる。リドゥはおそるおそる、ほんの小さくうなずいた。

「そんな! そんなことするわけないでしょ!」キャンディが憤慨した様子を見せた。

「だいたいあのとき私はまだ行動制限がかけられていて、声が出せなかったんだよ!」

「あー……そ、そうだね」リドゥは苦笑した。キャンディは口を尖らせる。

「でも、じゃあ『言わなきゃいけないこと』って?」回転翼機の前に立つリドゥの横に、キャンディが近づき、並んだ。ふたりは互いの顔を見つめ合う。なんだか気恥ずかしくなったリドゥがどぎまぎし始めたころ、キャンディがニッと笑った。

「私もはじめて出会ったときから、リドゥのことが好きだったんだ! まだ返事してなかったでしょ?」一迅の風が、二人のあいだを吹き抜けた。

「言わなきゃいけないことって、そういうことか……」リドゥは苦笑した。

「だから、ね?」キャンディはさらに一歩、リドゥに近づく。胸の先が触れ合うほどの距離に立った。キャンディは目をつむり、唇を僅かにつき出した。リドゥはその表情にぎくりとし、冷や汗がたれる。ぎこちない手つきで彼女の細い顎を持ち上げ、ガチガチのまま顔を近づけた。

「……ねぇ、リドゥ」不意にキャンディが薄目をあけ、言葉を発した。リドゥはびっくりして動きを止めた。

「助けてくれて、ありがとう」キャンディは微笑んだ。その柔らかい笑みを見て、リドゥの頬も緩んだ。ふたりは口づけをした。これがお互いの『はじめて』だということは、まだどちらも知らない。


 回転翼機が平和の塔の屋上から離陸した。空高く舞い上がっていく回転翼機の中、リドゥは操縦士席から地上を眺める。整然とした義捐都市の町並みと、雑然とした無秩序な外側の町並みが同時に見えた。たったの壁一枚でしか隔てられていないこのふたつの世界は、リトル・シスターが無くなったこれから、じょじょに混じり合って血なまぐさい混沌と化すのだろう。太陽が照りつけ、熱砂が吹き抜けるこの砂漠の真ん中で、人々は誰かから何かを奪わずにいられるはずがないのだ。奪い合いで流された血も一瞬で乾き、何かの糧となることもない。

ふと、リドゥはとなりの副操縦士席に座るキャンディが物憂げな顔で地上を見下ろしていることに気がついた。心配になって声をかけると、キャンディはひどく悲しげな微笑をみせた。

「たくさんの人が……亡くなったね」キャンディが言った。リドゥはゆっくり頷いた。

「うん。たくさんの人が死んだ」穴ぐらの町の人々、義捐都市の兵士たち、アンドレア、マムシ、トカゲ、ガマ。多くの人が死んだ。

「それなのに、私たちだけが生き残って……いいのかなって、そう思った」キャンディの瞳はどこか遠くを見ている。

「いいんだよ」きっぱりと、リドゥは言った。

「どんなに団結しようとしても、どんなに抗おうとしても、この世は誰かの何かを奪わなきゃ、何も手に入らないんだ。それを忘れると、自分の何もかもを奪われちゃう。世界はそういうふうにできてるんだ」リドゥは彼女を安心させようと、優しく微笑みかけた。

「だからキャンディ、もしキミが、キミのために奪われた人たちに申し訳ないと思うなら、彼らの分まで頑張って生きるんだ。僕たちは死体の山の上で暮らしている。でもそれは、悲しいことなんかじゃないんだ」

「……ありがとう」キャンディはリドゥを見て、微笑した。

「だけど本当に……」彼女はもう一度首をもたげ、地平の彼方を見る。

「本当に……誰かから何かを奪わなきゃ、人は生きてられないのかな……」

 リドゥは答えなかった。なぜか言葉に詰まってしまったのだ。なんとなく気まずくなって遠方に目を向けると、リドゥはあっと声をあげた。

「砂嵐だ……!」地平の彼方から、天まで届く高さの巨大な砂の壁がこちらに迫ってきていた。渦巻き、荒れ狂う砂漠の嵐は、夜には義捐都市とその周辺を飲み込むだろうと思われた。砂漠ではときおり起こる自然現象だが、今のリドゥには、とても不吉なものに見えた。

「嵐がくる。はやく隠れ家に戻ろう」リドゥは操縦桿を傾けた。回転翼機は砂漠の空をかけた。


 リドゥが回転翼機を着陸させたのは、かつてガマと三人で使った廃屋のそばだった。まずリドゥが回転翼機を降り、キャンディに手をさしのべる。ふたりは慎重に建物に近づいていった。不在のあいだに他のならず者が隠れ家を使っている可能性もあるからだ。案の定、付近に建物へと向かう二組の足跡を見つけた。しかも風化具合からして、やってきたのはついさっきだ。歩き方と足の大きさからいずれも男で、歩幅から推定される身長は片方が百八十糎程度、もう片方が百七十糎程度だ。

「キャンディ、回転翼機の中に隠れてて」リドゥが銃を抜いた。キャンディは首を振った。

「ううん、一緒に行く」

「わかった」ふたりは建物の残骸に身を隠しながら、素早く入り口に近づいていく。

 敵は回転翼機の音でこちらに気がついているのは間違いない。ならば待ち伏せも警戒すべきだ。リドゥは入り口近くに仕掛けておいた侵入者対策の罠を一瞥したが、どれも解除されていた。どうやら敵はかなり手慣れている。新たな罠にも気をつけたほうがいいかもしれない。

 入り口横に張りついて中を覗くと、窓がすべて塞がれている薄暗い屋内に、ひとつだけ電灯のついている部屋があった。廊下の突き当りの部屋だ。リドゥとキャンディは、待ち伏せや罠を充分に警戒しながら廊下を進み、その部屋に入った。

 部屋には誰もいないように見えた。床の真ん中には長椅子と机があり、机の上には水の入った飲みかけの器がある。リドゥは銃を構えながら机をまわりこんだ。直後、何者かが長椅子の影からいきなり飛び出して、リドゥの腕から銃をはたき落とした。リドゥは不意打ちにやや驚いたが、腕を掴まれないように相手にくるりと背中を向け、その勢いで肘鉄をくりだす。肘鉄は決まった。感触からして、肋骨だ。何者かは後ずさって、長椅子に倒れ込んだ。リドゥはその人物を見て驚いた。

「トカゲッ!?」

「げほっげぇっ……おーイッテぇ。殺す気かよ……」トカゲは咳き込みながら立ち上がった。彼は呼吸が落ち着くと、いつもの不敵な笑みで笑いかける。彼の左腕は、二の腕の半ばから無くなっていた。

「生きていたんだ……」やや呆然として言うと、トカゲはふんと鼻を鳴らす。

「トカゲの尻尾きりさ。無茶なことして死ぬよりかは、逃げ回って次の機会を待つさ」彼はすっかり短くなった左腕をぶんぶん振り回した。

「死んだと思ってた」リドゥは照れ隠しに苦笑した。

「バーカ、だぁれがお前なんかのために命はるかっての。最初に言ったろ?」トカゲはそう言いながら、さっきからことの成り行きを見守っていたキャンディのそばに近づく。

「テメーのためじゃねぇ、この娘のためだって……よっ!」

「ぅわっひゃっ!?」トカゲが言い終わると同時に、右手でキャンディのおしりをはたいたので、彼女は猫のようにとびあがった。顔を真っ赤にして睨むキャンディに、トカゲは目を丸くして驚く。

「あんた、声が?」

「トカゲさん、やめてください!」キャンディはそう叫んでリドゥにかけより、腕にすがった。リドゥはあきれて笑った。

「おいおいつれねぇな。悪かったって! お詫びに今夜、俺の部屋でもっと楽しいことを――あだっ!?」トカゲの頭が、後ろから現れた誰かにこづかれた。

「調子に乗るな」その人物はトカゲのとなりに立ち、市民たばこに火を点ける。リドゥは彼の顔を見て、やっと安心した。

「ただいま、ガマ」リドゥは声をかけた。

「おう、おかえり」ガマは煙を吐きながら、ぶっきらぼうにそう言った。


 ごぅごぅという恐ろしい暴風の唸り声と、無数の砂粒が建物の外壁や塞がれた窓に叩きつけられるバシバシという音が、暗いリドゥの部屋に絶え間なく響いている。リドゥは寝台の上で、ぼんやりと嵐の音を聞いていた。体を丸めて目を閉じていると、ふと、純脳人が母親の胎内にいるときというのはこんな気持ちだろうかという考えが頭をよぎった。

 他のみんなは、もう寝静まっている。ガマも、スラッグも、トカゲも、キャンディも、みな眠っているはずだ。それなのに、廊下を歩くかすかな足音がした。リドゥはいつもの癖で枕元の拳銃に触れた。足音の主はリドゥの部屋の前で立ち止まり、入り口の布をくぐって、壁をこつこつ叩いた。リドゥは体を起こした。

「やぁ……どうしたの?」彼は優しく声をかけた。キャンディだった。彼女は入り口によりかかり、じっとリドゥを見ていた。

「……となり、いい? 嵐の音が怖くて……」

リドゥは頷いた。キャンディは部屋に入り、寝台に腰かけた。しばらくふたりは黙ったままだった。やがてキャンディがぽつりと言った。

「リドゥ、ありがとう」キャンディはリドゥを見て、静かに笑った。

「あなたがいたから、私はキャンディになれた」

「それをいうなら、僕だってお礼を言うよ」リドゥも笑った。

「君がいたから、僕も僕になれたんだ」ふたりは見つめあった。

「ありがとう」どちらかが言った。

 キャンディは恥ずかしそうに目をそらし、それからリドゥの方に身を乗り出した。リドゥも彼女の肩に手を回し、口づけをした。ふたりは寝台の上で重なった。枕元の拳銃が指を絡めあったふたりの手にぶつかって、床に落ちた。

 暗闇の中、リドゥは思った。

(僕たちは奪い合うだけじゃない。分け与えることだってできる。この胸の高鳴りが、その証拠だ)

窓の外では何もかもを吹き飛ばす恐ろしい風が逆巻いて、戦場のように騒がしい砂の音がいつまでも続いている。だけど、リドゥも、キャンディも、もうこれっぽっちも恐れてはいなかった。

嵐のあとには、青空になることを知っていたから。


 弾丸熱砂の英雄譚


 おわり

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