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目を覚ましたとき、リドゥは自分に割り当てられた部屋の寝台の中にいた。

 体を起こし、大きくノビをする。時計を見ると夜だった。どうやら照明を点けっぱなしのまま眠ってしまったらしく、部屋は明るい。疲労が溜まっていたことに気付かなかった迂闊さに大きなあくびをしながら、顔を洗うため立ち上がる。汗で湿った上着を脱ぎ捨てて貯水瓶から水を一杯分だけ出し、その半分を使って布を湿らすと、全身の汗を拭く。残りは頭からかぶり、手で梳いて寝癖をなおす。新しい上着に着替えた。軽く全身の体操をし、血流を加速する。しっかりと目がさめていることを確認してから、装備のついた帯を身に着けた。

 腰の前にさがっている小刀を鞘から抜く。深呼吸をして集中する。抜き身の小刀を軽く上に投げ、一回転して落ちてきたのをとらえる。これを左右の手で同じ回数くりかえす。最後におもむろに頭の上に放り投げて、背後でつかまえる。それから鞘に戻す。ふたたび小刀を素早く抜いて、目の前に敵がいることを想定した小刀の扱いをひと通り練習する。終わったら、また小刀を鞘に納める。

 呼吸を整え、素早く両腰の市民拳銃を抜く。構えたときに、安全装置が解除してあることも確認する。そして拳銃嚢に戻す。ときどき、左右別々の方向も狙う。この抜き撃ちの練習を最低百回くりかえすのが、リドゥの日課だった。

 ひと通り終えると、ふたたび汗を拭き、息をつく。空腹だったのでなにか食べようかと思いながら布と上着を干しているとき、部屋の扉が叩かれた。

「はいはい」返事をしながら扉に向かう。開けると、廊下に立っていたのはマムシだった。

「よぅ、夜にすまねぇな」

「いいよ、どうしたの?」

「トカゲがまた見張りをサボりやがった。すまねぇが代わってやってくれねぇか」彼は心底申し訳なさそうな表情で言う。

「本当? しかたないなぁ」リドゥはあきれた。

「わりぃな。俺は別に用事があってよ」

「いいよいいよ。これからしばらくお世話になるんだから。でも――」

「どうした?」

「――晩ごはんは食べさせてほしいな。それくらいはいいでしょ?」



 マムシの館の一角、電気の点いていない廊下をひとつの影が進んでいく。影は頻繁に周囲を気にしながら足音をたてないように慎重に歩んでいる。影はある扉の前に立つと、最後にもう一度辺りを見渡して、人の気配がないことを確かめた。それから静かに扉を開ける。カギのかかっていない幸運に、影は歓喜した。

 部屋の中も真っ暗だった。影は暗視眼鏡をかけ、そっと中に入りこむ。部屋は狭く、家具は壁ぎわにくっついた寝台がひとつしかない。その中に寝息をたてている人間がひとりいた。

 白い髪の少女が眠っていた。影はそっと手を伸ばし、毛布の端をつまむ。するすると彼女の体の上から毛布を退けていくと、影は息を呑んだ。少女は裸だったのだ。染みや傷ひとつない美しい肢体が、寝台の上に横たわっている。しかも暗視眼鏡の作用で、その体は輝いて見えた。

 影はつばを呑み込んで、彼女の顔の前に手をかざす。少女が無反応なのを見て、影はつい本来の目的を忘れ、邪な衝動にかられた。

 薄桃色の乳首を人差し指で撫ぜてみる。少女は眠ったまま反応しない。無防備な乳房にそっと触れると、信じられないほどの柔らかさとあたたかさが指先から伝わって、影の呼吸が自然と荒くなる。 影はそのまま乳房を揉みしだき――「動くな」――何かが影に突きつけられた。

 影は驚きのあまり硬直しつつも、ゆっくりと振り向く。そこには自動小銃をかまえたガマが立っていた。

「部屋を出ろ、静かにな」彼は声を殺して命令する。影は素直に従った。ガマと影は静かに部屋を出た。扉の前で、ガマは小銃をかまえたまま廊下の照明を点ける。数回の明滅があって、周囲は明るくなった。

「……テメェか」ガマは感情を圧し殺して言った。小銃を突きつけられて両手を上げているのはトカゲだった。彼は暗視眼鏡をつけたまま、卑屈な笑みを浮かべる。

「なんでアンタがここにいるのさ?」

「キャンディが狙われてるって教えてくれたのはお前だろう」

「わかった。わかったから、銃を下ろしてくれよ」ガマは銃口をさげた。トカゲも手を下ろす。

「何しにきた?」ガマが訊いた。

「アンタには関係ねぇよ」

「素直に言えば、マムシには黙っていてやる」

「……ずっけぇな」トカゲは舌打ちした。

「なんでもねーよ、ただ俺は……」

「アイツを襲おうとしたのか」

「なっ!」トカゲはガマを睨んだ。しかしガマは冷ややかに彼を見下ろす。

「いいか。二度とアイツに近づくな。それさえ守れば、俺もこれ以上は聞かないし、誰にも言わない。いいな?」

「ち、ちが……いや、わかったよ」トカゲは観念したように肩を落とし、暗視眼鏡を外す。

「お願いだから、ちゃんと守ってくれよ」トカゲはそう言い残して、逃げるようにその場から立ち去った。彼の意味深な物言いにガマはいぶかしがったが、引き止める間も無かった。

 ガマは自動小銃を肩に乗せ、息をつく。そのとき扉が開いた。振り向くと、毛布で前を隠したキャンディが扉の隙間から顔を出していた。

「すまん、起こしちまったか」

 キャンディはガマの担ぐ自動小銃を指さして首をかしげる。ガマは肩をすくめた。

「なんでもねぇよ、気にするな……それよりキャンディ」

 彼女は目を瞬いた。

「寝るときは扉の鍵をちゃんと閉めとけ。この世には悪いやつのほうが多いんだ」

 キャンディはガマの言葉を不思議そうな顔で受けとめた。ガマは軽くため息をつく。

「まぁいい。とにかく、年頃の女の子がそんな格好で人前に出るんじゃない」ガマは彼女の胸元を指差した。するとキャンディは毛布を体に押しつけ、部屋の中に引っ込む。しばらくゴソゴソやっていたかと思うと、数分後、彼女はリドゥにもらった服を着て出てきた。真新しい上着と、長めの腰布(スカート)だった。

 壁にもたれてたばこをふかしていたガマは、軽やかに廊下に出てきたキャンディがとても嬉しそうに新しい服を見せつけてくるので、思わず頬が緩んだ。と同時に、彼女の笑顔に今は亡き妹の姿が重なって、胸がしめつけられる心地がした。

「よかったな、よく似合ってるぞ」

 キャンディは満面の笑顔でうなずいた。それから彼女は両手をばたつかせ、何かを伝えようとしてくる。手ぶりはひどくあいまいで、かなりわかりにくいものだったが、ガマにはピンときた。

「リドゥなら町を出たところで見張りをやってるはずだ。さっきすれ違った」するとキャンディは顔を輝かせ、ガマに頭を下げる。それから小さく手を振った。ガマが手を振り返すと、彼女は廊下の向こうへ楽しげに歩き去っていく。一瞬、あとを追うべきかガマは迷った。しかしやめた。

「……妹にも、いろんなところについて行って、よくうっとおしがられたっけな……」彼はひとり苦笑した。



 広く長い坂道を上りきり、穴ぐらの町の入り口へたどり着いたキャンディは肩で息をしつつ夜の砂漠を見渡した。突き刺さるような冷たい空気に体が震える。入り口付近には数台の砂上車両に乗った見張りたちが暇をもてあましていた。しかし彼らの中にリドゥの姿は無い。

 いかつい見た目の見張りがキャンディに気づいた。彼の視線に射抜かれて、キャンディは思わず足がすくんでしまったが、彼が指さした方角に物見櫓があるのを見て、感謝をこめてお辞儀をした。月明かりに照らされた物見櫓は砂の地面に長く濃い影を落としている。キャンディが近づくと、櫓の上に外套を着た人物がうずくまっているのが見えた。その人物はキャンディが櫓に向かってきているのを見つけると、びっくりしたように柵から身を乗り出す。キャンディは嬉しくなって、大きく手を振った。

 キャンディは櫓の下にたどり着き、長い梯子を登っていく。外套を着た人間は彼女が足を滑らしやしないかとはらはらしながらその様子を上から見守っていたが、彼女が上までたどり着くと、心底安心したような声をあげた。

「キャンディ! どうして来たの!?」リドゥの言葉に、キャンディは勢いよく彼に抱きついた。リドゥはびっくりしたが、彼女が頭をリドゥの体に猫のようにこすりつけて離れないので、その背中を優しく叩く。

「……ごめん、心細かったんだね」

 キャンディは顔をリドゥの胸にうずめたまま、小さくうなずいた。それからばっと顔を上げると、リドゥから離れて立ち、両手を大きく左右に広げた。

「あ、その服……」リドゥが気づいてそう言うと、彼女は嬉しそうにその場でくるりと回った。腰布が風をはらんで、ふわりと広がる。月光の蒼い光に照らされたその姿はまるで幻影のようにはかなかった。

 キャンディは両手の指を後ろで絡ませ、満面の笑顔でリドゥを見すえる。リドゥは床に腰を下ろしたまま彼女を見上げていた。なぜだか、目の前の彼女が途方もなく遠い場所にいるような気がして、胸がしめつけられたように苦しくなった。

「キャンディ、君は……」リドゥが言いかけたとき、キャンディが小さなくしゃみをした。それから彼女は自分の肩を抱く。リドゥの頬が緩んだ。

「ほら、しゃがんで」言われて、キャンディはその場に膝をつく。リドゥは自分の纏う防寒用外套を大きく広げ、キャンディを頭から包み込んだ。彼女の頭がリドゥの目の前に飛び出す。

 リドゥとキャンディは同じ外套にくるまって、お互いに笑い合った。キャンディはくすぐったそうにはにかみ、リドゥも明るい彼女の表情に、笑みがこぼれた。

 吹き抜ける寒風に身を震わせ、ふたりはぎゅっと体をくっつけた。お互いの体温がひとつになり、体だけでなく、心もたしかに温かい。

 夜の砂漠の櫓の上、ふたりを邪魔するものはなにも無かった。静かにまたたく無数の星たちと大きな月の下、世界にはふたりだけだった。リドゥはキャンディの細い肩を抱き、キャンディは体のすべてをリドゥの胸に預けていた。

 リドゥの胸に頭をうずめていたキャンディが、ふと何かに気づいたように顔を上げ、怪訝そうに彼の顔を見た。リドゥはその様子に、彼女が何に気づいたのかを察してうなずく。そしてどこか寂しげに言った。

「そう……僕は電脳人だ」 

 キャンディがそのことに気がついたのは、リドゥの胸に耳が触れたとき、心臓の鼓動が聞こえなかったからだった。体温も体の感触も純脳人そのものなのに、心臓の鼓動だけが無いというのはなんとも不気味だった。彼女は目を丸くしていた。

「はじめてガマに電源を入れられてから、今年で六年になる。ゴミ山の中から拾われたんだ」リドゥは静かにそう語る。キャンディはただ黙ってそれを聞いていた。

「それ以前のことは何も覚えていない。誰に作られたのか、何のために作られたのか……」彼は月明かりに手をかざした。有機生体部品を使用した最高級の人工皮膚は、見た目も機能も純脳人のものと区別がつかない。純脳人と同様に赤い血が流れ、発汗も代謝もする。あらかじめ知っていなければ、とてもリドゥを純脳人と区別することはできないだろう。

「覚えていたのは、ただひとつだけ、『リドゥ』という言葉だけだった。だから僕は『リドゥ』なんだ」

 神妙な顔でリドゥの話を聞いていたキャンディは、その言葉にハッとした表情をした。それから慌てて自分の体をぽんぽんと叩く。何かを探すようなしぐさに、リドゥは彼女に訊ねた。

「もしかして、手帳?」キャンディはぶんぶんとうなずく。

「ちょっと待って、それなら……」リドゥは腰の後盒から自分の手帳と万年筆を引っ張り出し、キャンディに渡した。彼女は空白の頁に大きくひとつの言葉を書き込み、そしてリドゥに見せる。

 そこには『CAN DO』と書かれていた。

 リドゥは目を見開いた。

「これ……! そうか、最初の筆だと墨が擦れて……」

 キャンディはうなずく。リドゥは彼女が差し出した手帳と筆を受け取り、同じ頁に筆を走らせた。

「やっとわかったよ……やっぱり、そうだったんだ」リドゥはキャンディに微笑みかけた。青空色の瞳と、真紅の瞳の視線が正面からぶつかる。

「僕はね、キャンディ。初めて君と出会ったとき、なんだか他人とは思えないような気がしたんだ。まるで遠い昔に分かたれた自分の一部のような……だから君を守るって決めた。それは間違っちゃいなかったんだ」リドゥはキャンディに手帳を見せた。キャンディはその頁を見ると、一瞬驚いたような顔をし、すぐに目もとを潤ませる。

 手帳には『CAN DO』の隣に『RE DO』と書かれていた。

「ねぇ、キャンディ。僕は誓うよ」リドゥはキャンディの体を強く抱きしめる。

「この先どんな危険が迫ろうとも、絶対に君を守ってみせる」キャンディもリドゥを抱きしめかえした。

 砂漠の凍える月の下、ふたりだけが、肌に汗をかいていた。



 翌日、リドゥが自室で目覚めたのは昼前だった。空腹をさすりながら館の食堂へ出ると、そこではちょうど、ガマとマムシが昼食をとっていた。

「お! 起きたか」マムシがリドゥを見て、快活な表情で挨拶をする。

「おはよう」リドゥも笑顔でかえした。

「お前の分は鍋の中だ」ガマがかまどの上を指す。リドゥがかまどの前に立ち、鍋のフタを持ち上げて中を覗くと、白いものが浮いた明るい緑色の液体から、牛乳を煮込んだような匂いがした。

「なにこれ?」

「ミドリムシと芋虫の煮込みだ」マムシが言った。

「ふーん、美味しそう!」リドゥは器に煮込みをよそうと、食卓についた。匙で汁をすくって口にすると、濃厚な味が舌に絡みつく。リドゥはうなずいた。

「栄養も満点、おいしいよ!」

「あいかわらずズレてやがる」ガマが苦笑した。そのとき、キャンディが食堂の入口に姿を現した。

「あ、おはよう!」リドゥがいちばんに気づいて挨拶をする。キャンディはおずおずと食堂に入ってきた。

「ずいぶんとお寝坊だな。昼メシは鍋の中だ」マムシが声をかけた。彼女はうなずき、かまどに近づく。鍋の中を覗いた直後、しかし彼女は硬直してしまった。

 リドゥは不思議そうな顔で彼女の背中を眺めている。ガマはやれやれといった様子で肩をすくめた。

「横の棚に乾パンの箱がある」ガマの言葉を聞いたキャンディは素早く鍋のフタを戻し、棚にかけよった。彼女は緑色の乾パンが詰まった、大豆が描かれた箱をひとつ持って食卓についた。

「なんだ? 芋虫は嫌いだったか?」マムシの言葉に、キャンディはあいまいな表情をした。

「さて、俺はそろそろ行くぜ」おもむろにガマが言い、席を立った。

「行くって、どこへ?」リドゥが彼を見上げる。

「リドゥ、俺はマムシの紹介でこの町の人体技師のところで働くことになった。場所はここだ」ガマはそう説明しながら、取り出した小さな紙包みの表面に筆を走らせた。リドゥは紙包みを受け取る。

「これは?」

「お守りだ。まだ試作品だが、必要になるかもしれない。いいか、絶対に他の人間に見せるなよ」

「なんだよそれ?」マムシが興味しんしんといった様子で身を乗り出す。キャンディも好奇心を抑えられないようだった。

「お前たちにも教えられないぞ。企業秘密ってやつだ」ガマが憮然として言った。

 ガマが食堂を出て、その足音が遠ざかっていくと、マムシはどこか自嘲するように笑う。

「あいつも相変わらずだなぁ」

「昔からああだったの?」リドゥが紙包みを後盒にしまった。

「ああそうさ。企業秘密だなんだ言ってるが、実のところ、自分の発明品が注目されるのが恥ずかしいんだ。いい腕してんのに、もったいねえ……この剣のときもそうだった」マムシはそう言いながら、いつも腰に提げている長い剣を持ち上げた。やや反りのある刃が納まった金属製の鞘には無数の細かい傷がついていて、歴戦の風格がある。しかしそれでも現役らしいところを見るに、日々の整備を怠ったことがないのだろうなとリドゥは思った。

「こんなに軽くて丈夫な『ハイバイブオロチノアラマサ』を作れるやつなんて、義捐都市にだって居ねぇよ。アイツは天才さ、間違いなく」

「ハイバイブ……どういう意味? オロチノアラマサはたしか昔の剣の名前だっけ」

「旧高水準言語で『高振動』って意味さ。古い言葉はあいつの趣味だ」

「大切にしてるんだね」リドゥは笑顔で言った。

「……当然だ。ところでふたりとも」マムシが剣を戻して言った。

「このあと時間あるか? 見せたいものがあるんだ」彼は上唇を舐める。

「見せたいもの?」リドゥが片眉を上げた。

「ああ。恐らく、そこの嬢ちゃんに関係があるものだ。町の外に隠してある」マムシのするどい視線がキャンディを射抜いた。キャンディは萎縮した様子を見せる。

「ガマは知ってるの?」リドゥの質問に、マムシは首を振った。

「アイツには悪いが、秘密ってのは知る人が少ないほど良いんだ。信用してないわけじゃねぇぜ? ただそういうもんなんだ。本当はリドゥ、お前にもご遠慮願いたいくらいなんだが……」彼はふたたびキャンディをちらりと見、それからリドゥに向けて苦笑いした。リドゥがキャンディを見ると、彼女の心細そうな視線とぶつかった。

「キャンディ、いい?」キャンディはうなずいた。リドゥはまたマムシを見る。

「わかった。食べ終わったらすぐに出発しよう」

「すまねぇな……ほんとに」マムシは頭を下げた。



 マムシのあとについて穴ぐらの町の入口まで上がったリドゥとキャンディは、真昼の砂漠の強烈な太陽光線に目を細めた。リドゥは光学擬態外套の頭巾をかぶり、キャンディは手ぬぐいで頭を覆っている。

 入口まわりにたむろしていた見張りたちはマムシの姿を見つけると、みな気さくに声をかけてくる。マムシが砂上車両を一台借りたいと言うと、彼らは快諾した。四人乗りの砂上車両にマムシが飛び乗る。動力装置をかけてから、彼は思い出したようにリドゥとキャンディを振り返った。

「面と眼鏡は!? あるか!?」エンジン音に負けないよう、マムシは声をはりあげる。

「キャンディの分が無い!」しまった、というような顔をするリドゥ。

「誰か! 貸してやれ!」マムシの呼びかけに、見張りのひとりが近づいて、首にかけていた防砂眼鏡と防塵面をさしだした。キャンディはぺこりと頭を下げ、受け取ろうと手を伸ばす。そのとき、見張りの肩の向こう、別の車両のそばにこちらを窺うような人影があるのが見えた。キャンディはその人物に見覚えがあった。トカゲだった。

 トカゲはキャンディが自分を見たことに気がつくと、車両の影にさっと身を隠す。不審なふるまいに、キャンディはリドゥの方を振り返ったが、すでに彼は砂上車両に乗り込んで彼女を待っていた。

「どうかした?」リドゥが車両の上から彼女を見下ろしてそう訊いた。キャンディは首をふり、差し出されたリドゥの手をとって座席に這い上がった。

「いいか?」運転席のマムシが後部座席のふたりをふりかえる。防砂眼鏡と面を身につけたリドゥとキャンディはそれぞれうなずいた。

「よし、行くか!」マムシが威勢よく言う。大きな後輪が砂を巻き上げ、砂上車両は飛び出した。



 ……遠ざかっていく砂上車両の砂煙を見送りながら、トカゲは額の汗を拭った。彼は考えていた。もともと彼は頭の良い人間ではなく、道徳的にも優れているとは言い難い性質の持ち主だった。しかし彼はそれゆえに、自分の欲するところには驚くほどに素直だった。彼はキャンディと呼ばれたあの白髪の少女がなんとしても欲しかった。

 砂上車両の姿が見えなくなったころ、彼は答えを出した。そして苦々しい顔で舌打ちをし、町の中へと駆け込んで行った。



 穴ぐらの町を出発してから二時間が経った。

 砂上車両の音響機器からは情熱的な恋の歌が延々と流れ、広い砂漠に虚しく響き渡っている。マムシの運転は荒く、激しく揺れる車両は、車体にしっかりつかまっていないと簡単に振り落とされてしまいそうだった。途中で数回休憩を挟んでいたものの、砂漠の暮らしに慣れているリドゥですらも疲労を感じていた。キャンディも疲れた顔をしている。

「ねぇ、マムシさん。まだつかないの?」リドゥが訊くと、運転席のマムシはやる気の無い声で答える。「もうすぐだ。目の前の坂を下った、盆地の真ん中だよ」彼が指差した先にはたしかに下り坂があった。

「口を閉じろ。舌を噛むぞ」砂上車両が大きく揺れて、角度のきつい斜面を下る。坂の下に到達すると、大きな砂煙を立てて車体が跳ねた。着地した車両は広い盆地の中心へと向かっていく。車両が速度を落とし、中心に近いところで停車した。マムシは防砂眼鏡と面を脱ぎ捨て、鍵を抜いた。

「ついたぞ、降りよう」マムシに続いて、リドゥとキャンディも地面に降りた。周囲は静かだった。防砂眼鏡越しに見える砂地は平坦で、身を隠せるようなものが何も無いのが、リドゥをなんとなく不安にさせた。

「それで、見せたいものって?」リドゥは面を外した。周囲を見渡したがそれらしいものは無い。マムシの方に視線をやると、彼はこちらに背を向けていた。

「見せたいものは――」マムシが手を叩いた。「――これさ」

彼の言葉の直後だった。突如、リドゥたちを取り囲むようにいくつもの風景の歪みが出現した。かと思うと空間がめくれ、その影から何人もの兵士たちが現れる。リドゥはこの不可思議な現象の正体を知っていた。

「光学擬態!?」リドゥは反射的に両腰の銃を抜いていた。彼らを取り囲んでいたのは、光学擬態外套を身につけた義捐都市の兵隊たちだった。彼らは自動小銃を構え、リドゥを狙っている。リドゥはキャンディのそばにかけよった。キャンディは震えながらリドゥの背中の外套をつかむ。

「マムシ、これは!?」リドゥは叫んだ。マムシはこちらに背を向けたまま、無言だった。リドゥは彼の背中を睨んでいたが、彼の向こうから見覚えのある人影が近づいてきているのに気づき、戦慄した。その人影はゆらゆらと歩きながら、歓迎するように両手を広げる。

「どうもぉ……おつかれさまですぅ……」アンドレアだった。彼女はマムシにおじぎをする。

「お探しのお姫さまだ」マムシが仏頂面で言った。

「いつもご協力ありがとうございますぅ……」

「だましたのかッ!」リドゥは吠えた。するとマムシはゆっくりと振り向き、どこか悲しげな表情をする。

「そうだ! 俺はおまえたちをだました!」マムシも大声で言った。

「義捐都市の犬だったのかよ!」

「そうだ! 俺は義捐都市の手先だ! 昔っからな!」

「なんで……! なんで……!」

「そんなことはどうでもいいんですけどぉ……っていうか、やっぱりあなただったんですねぇ」アンドレアがキャンディに近づこうとする。リドゥはキャンディをかばって立ち、発砲した。金属に着弾した音がして、素早く掲げられたアンドレアの拳から弾頭がこぼれ落ちる。

「キャンディ、僕から離れて!」リドゥは銃を納め、小刀を抜いた。地面を蹴り、アンドレアに斬りかかる。意外にも彼女は無抵抗だった。リドゥの小刀は彼女の脇腹に向けて一直線に向かい、軍服を切り裂いて皮膚に到達した。しかしそれまでだった。刃が硬いものにぶつかる感触があって、小刀は刺さらなかった。アンドレアの人工皮膚のすぐ下には、衝撃に反応して瞬時に凝固する特殊流体金属装甲が流れているのだった。

「痛いですよぉ……」そう言いながら、アンドレアはリドゥの片腕を掴んだ。

 アンドレアの尋常ではない握力に、リドゥは苦痛にうめいた。だがリドゥは空いている方の手でふたたび銃を抜き、至近距離で銃口を彼女に向けようとする。アンドレアはその手を弾いた。リドゥの手から離れた市民拳銃がくるくると宙を舞い、地面の砂に落ちる。

 アンドレアは腕をそのまま彼の首に伸ばした。リドゥの喉が押しつぶされて、みょうに間抜けな声が漏れる。キャンディが心配のあまり駆け出しそうになった。その様子を目の端で捉えたリドゥは彼女の方に素早く手を上げ、近づかないように示す。キャンディは泣き出しそうな顔で足をとめ、その場に立ちすくんだ。

 アンドレアの握力が強くなった。電脳人のリドゥであっても、有機生体部品の維持のために呼吸は必須であり、阻害されると純脳人と同様に苦しむ。彼は小刀を落とした。アンドレアはそのまま片手でリドゥの体を持ち上げ、首の骨を――

「――やめろ!」制止したのはマムシだった。アンドレアはいつもの気だるげな仕草で頭を傾け、彼を見る。

「義捐都市の命令に従っていれば、仲間には手を出さない約束だ!」マムシはアンドレアを睨んで、なおも叫ぶ。「おまえたちの命令はその娘を引き渡せってだけで、リドゥの命までは入ってないはずだぜ!」

「ああ……たしかにそうですねぇ……約束は守らないといけませんよね……約束ですもんねぇ」

アンドレアは残念そうにブツブツつぶやきながらリドゥの腕を離し、周囲を取り囲む兵士たちに合図をした。兵士たちはキャンディに向かって駆けていく。

「止ぜっ……!」情けなくつぶれた声をあげながら、リドゥは首にかかっている方のアンドレアの手からなんとか逃れようと懸命に身をよじる。しかし軍用改脳人の太い腕は微動だにしない。

 キャンディは走り寄る兵士たちにおびえ、逃げ出した。だがそうして逃げ出した先にも兵士が居て、別の方向に走ってもさらに兵士が立ちはだかる。キャンディは踵をかえし、アンドレアに動きを封じられたままのリドゥにすがった。

 リドゥは横目でキャンディを見、手を伸ばし、彼女の腕を掴んだ。彼女も両手でリドゥの腕を強く掴んだ。しかし組みあったふたりの腕は、引き剥がしにかかった兵士たちの手によって、いともたやすくほどかれた。

 リドゥもキャンディも、無言のままお互いの名を叫んでいた。キャンディは大きな両眼からいくつもの涙の粒をこぼし、リドゥは人工肺の中が空になってもキャンディの名を呼び、手を伸ばしていた。

 兵士がキャンディの首筋に注射器をあてた。すると激しく暴れていたキャンディが嘘のようにおとなしくなり、ぐったりと脱力して体を支えられた。兵士たちは彼女を持ち上げ、盆地の外へ走って行く。

「撤収しますぅ……」アンドレアがそう言って、リドゥの体をぞんざいに放り投げた。意識が朦朧としかけていたリドゥは受け身も取れず、したたかに体を地面にうちつける。

 アンドレアと兵士たちはいっせいに立ち去ろうとする。リドゥは咳き込みながら立ち上がり、あとを追おうとした。しかし彼の前に立ちふさがるものがいた。

「やめとけ。もう間に合わねぇよ」マムシだった。

「そこをどけぇッ!」リドゥはもう一丁の銃を抜いた。マムシはリドゥを見据えたまま動こうとしない。そうして睨み合っているあいだにもキャンディを抱えた兵士たちはどんどん遠ざかっていく。

「……信じていたのに」リドゥは怒りをこめて言った。マムシは眉をひそめ、腕を組んだ。

「おまえが勝手に信じたんだ」

「撃つぞッ!」

「やってみろッ!」銃声が響いた。

 リドゥの拳銃から放たれた弾丸は、しかしマムシに当たらなかった。リドゥが引き金を引く直前、マムシは素早くその弾丸の軌道上から外れていたのだ。これは彼が銃口の向きから弾道を予測しておこなったことだった。しかしリドゥはその程度のことでは驚かない。なぜならば弾丸の軌道を先読みして避ける程度のことならば白兵戦用の無形装置(プログラム)を脳に定着させている改脳人なら、とくに珍しいことではないからだ。リドゥはマムシが剣を携えている時点で、彼がそういった無形装置を使っていることは予測済みだった。

マムシはそのまま地面を蹴り、リドゥに突進する。リドゥはふたたび銃口を向けるが、そのときにはすでに彼は弾丸の軌道からそれている。リドゥの電脳に定着している射撃制御用無形装置ではどうしても後出しジャンケンには勝てない。リドゥが普段二丁の拳銃を持ち歩いているのもこれが理由だった。片方の拳銃を相手に避けさせ、もう片方の拳銃の弾道に追い込む。それが普段この手の改脳人を相手にする際の常套手段だったのだが、今彼の手にある拳銃は一丁だけで、もう片方は離れた場所の砂地に突き刺さっている。リドゥはなんとしてもそれを拾いたかった。

 マムシは大きく蛇行しながら、リドゥに突撃してくる。マムシの携えるハイバイブオロチノアラマサの間合いに入ってしまったら一巻の終わりだ。リドゥは後ろに何度も跳んだ。

 迫りくるマムシのはるか後方には、遠ざかるキャンディがまるで砂粒のように小さく見える焦りが、リドゥの判断力を鈍らせた。

 リドゥの背中に硬いものがぶち当たる。砂上車両の車体の側面だった。リドゥの全身を死の直感が貫いた。

 マムシがとうとうリドゥの眼前に迫り、腰の剣に手をかけた。電磁力により凄まじく加速された抜刀は、常人の目には残像すらも捉えられないほどだ。だがマムシの初太刀がまっぷたつにしたのは砂上車両の車体のみ。リドゥは間一髪、逆袈裟の一撃を車両の上へ跳び乗ることで避けたのだった。だがマムシの斬撃によって両断された砂上車両は大きく崩れる。いきなり不安定になった足場に、リドゥは姿勢を崩して立ちすくんでしまった。そんな彼をすかさずマムシの第二撃が襲う。振り下ろされた刃はついにリドゥを捉えた。

「ぐぁッ!」

 断末魔ではなく悲鳴をあげられたのは、リドゥが体勢を崩したために、マムシが間合いを誤ったからだった。ハイバイブオロチノアラマサは、その切っ先でリドゥの胸を斜めに撫ぜ、車両の後輪をまきこんで切断するだけにとどまった。

 リドゥは車体の反対側に転がり落ちた。切り裂かれた光学擬態外套の色彩が異常を示し、でたらめな色を示す。なんとか受け身をとったリドゥは素早く立ち上がり、周囲を見渡してマムシを探した。リドゥの上に影が落ちた。見上げると、マムシが太陽を背にして残骸の上から見下ろしていた。

「おとなしくしな。暴れなければ楽に殺してやる」マムシの言葉に、リドゥは失笑した。

「僕を殺すなら、なんでさっき助けた!」リドゥはアンドレアに首を締められていたときのことを思い出していた。あのときたしかにマムシはリドゥを助けたのだ。

「自分の手でケリをつけるためだ」マムシはどこか悲しげな顔でそう言った。その切なげな表情に、リドゥはかつてガマが話していた、義捐都市を相手に戦っていたころの彼の姿を見た気がして、猛烈に悔しくなった。

「せめて聞かせてよ! なんでアンタが!?」

「簡単なことさ」マムシは地面に降り、リドゥの目をまっすぐに見た。

「守るべきものが大きくなりすぎた……俺は考えが足りていなかったんだ。こちらが大きくなればなるほど、相手はこちらを鬱陶しく思う……こんな単純なことに気がつかなかったなんてな」

「それでも戦い続けていたのがマムシさんだったんじゃないか!」

「戦いなんかとっくの昔にやめていたんだ!」マムシは怒鳴った。

「だが俺以外の奴らは違った! 戦いを求めていた! 終わらない、勝ち目のない戦いを! 義捐都市が本気になったらどうなるか、そんなことすら思い至らないあいつらを! あいつらを満たすために、俺はあいつら自体も犠牲にしなければならなかった!」

「仲間だったんじゃないのか!」

「そうさ、仲間さ! 今でもそう思ってるさ! だけど、だからこそ……」そのときリドゥは彼が両眼いっぱいに涙を貯めていることにはじめて気がついた。

「だからこそ……諦めさせるなんて、俺にはできないんだよ!」マムシはふたたび剣を振り上げ、リドゥに斬りかかる。リドゥは横っ飛びで避けた。避けながら、リドゥはマムシの今の攻撃が明らかに精彩を欠いていることに気がついた。リドゥは砂地を転がり、立ち上がる。

 マムシはリドゥを追った。迫るマムシにリドゥは発砲した。だが弾丸は当たらない。ハイバイブオロチノアラマサがきらめいた。

(避けられない――!)リドゥは寒気がした。反射的に足もとの砂を蹴り上げた。巻き上がった砂煙がマムシの顔面を直撃し、目をつぶらせる。横なぎに放たれた斬撃をリドゥはかいくぐり、マムシのわきをすり抜けて彼の後方へ跳んだ。跳びながら空中で体をねじり、マムシを撃った。今度こそ弾道は完璧にマムシの体を捉えていた。弾丸は彼の右肩を貫通した。真っ赤な血が空中に舞い、地面に落ちて一瞬で乾く。

「グゥッ!?」激痛にマムシはひるんだ。同時にリドゥは背中から地面に落ちた。チャンスだった。リドゥは完全にマムシの背後をとっていた。しかし――

(――本当に撃っていいのか?)そんな考えが、リドゥの指を鈍らせた。

 リドゥはさらに数発の弾丸を撃った。だがそれらは皆マムシを外し、空中に消えた。普段のリドゥならばありえないミスに、立ち直ったマムシはゆっくりとリドゥをふりかえった。

「テメェ……今、わざと外したな」

 リドゥは肯定も否定もせず、ゆっくりと立ち上がる。実際、リドゥ自身にもどうなのかわからなかった。拳銃の可動部は上がったままだった。弾切れだ。

「ナメてんじゃねぇ!」マムシはその場で怒声とともに剣を振った。巻き上がっていた砂煙が切り裂かれ、かききえる。

「情けをかけたつもりかよ! 俺かおまえ、どっちかが死なねぇと、この場はおさまらねぇんだ!」リドゥはただ無言でマムシを眺めている。その態度がさらにマムシを激高させた。

「本当にそうなのか!?」叫んだのはリドゥだった。

「本当に、どっちかが死ななきゃいけないのか!? 一緒に戦う道はないのか!」

「そんなもんがあったらなぁ……!」マムシは剣をかまえた。

「俺はここまで生きのびちゃいねぇんだ!」その言葉で、リドゥは彼の真意をさとった。マムシはリドゥにとびかかる。リドゥはふたたび後方に飛び退いた。

 マムシの太刀筋はまた鋭いものに戻っていた。リドゥは電脳の処理能力をすべて身体制御と回避軌道の算出にまわし、紙一重で刃を避け続ける。リドゥの服の端が、髪の毛の先が、周囲の空気が切り飛ばされる。

「ウォオッ!」マムシが雄たけびをあげて、ひときわ大きく剣を振り上げた。だがそれはリドゥに無防備な腹をさらけ出したのと同じだった。リドゥは素早く足を振り上げ、マムシのみぞおちを真正面から蹴りぬいた。

「ぐぶっ……!?」うめき声をあげながら、マムシは蹴り飛ばされた。反動でリドゥも後ろに吹き飛んだが、彼は後転して素早く体勢を立て直す。

 マムシは受け身もとれず、地面に仰向けに転がった。リドゥはその隙に彼から走って離れながら予備弾倉を取り出そうと腰の後ろに手を伸ばす。後盒の中に手を突っ込んだとき、なにかカサカサするものが指に触れた。なぜかリドゥはそれを掴んでしまった。手のひらにあったのはガマに渡された小さな紙包みだった。リドゥは指先でそれを開いた。中には一発の弾丸があった。

「これは……!」リドゥは立ち止まった。

 マムシは咳をしながら立ち上がっていた。剣をひと振りし、ふたたび構え、リドゥに突進する。

 もう迷う必要はなかった。リドゥは素早い手つきで手のひらの弾丸を排莢口から直接拳銃の薬室に押し込んだ。それから両手で銃をかまえ、マムシをまっすぐにとらえる。

(このままでは、間違いなく避けられる)リドゥは思った。しかし撃った。放たれた弾丸はまっすぐにマムシへと向かう。これ以上ないほど単純な弾道に、マムシはいとも簡単にその上から外れた。

 直後、弾丸がひとりでに曲がった。

 何が起こったのか理解する間もなく、マムシのわき腹に九粍の弾頭が食いこんだ。それは彼の人工皮膚を突き抜け、人工腹膜を破り、有機生体部品を破壊して、人工大腸の奥へと突き刺さった。マムシは吐血し、膝をつき、倒れこんだ。

「がっ……ばぁっ……!?」マムシはもだえ苦しんでいた。リドゥは落ちついて予備弾倉を拳銃に押し込み、彼に近づいていく。

「な、なんだ……今のばっ……」マムシは仰向けになった。口内からとめどなく溢れる血があごを伝い、砂漠の黒いシミとなっていく。リドゥはマムシのすぐそばに立ち、紙包みを見せた。

「『拳銃用自律誘導弾頭』だ。ガマにもらった」リドゥの言葉を訊くと、玉のような汗を浮かべるマムシは、嬉しそうに目を細めた。

「ぞうが……やっばりあいづば……でんざいだ……!」

「うん、そうだね……」そのとき、リドゥはマムシがまた立ち上がろうとしていることに気がついた。

「よしてよ、もう勝負はついた!」リドゥは叫ぶ。

「ぶっざげんな……!」ハイバイブオロチノアラマサを杖によろよろと立ち上がった男はどう見ても戦える状態ではない。肩を大きくあえがせ、尋常ではない汗をかきながら、彼は口元の血を拭った。

「俺はまだ生きてるぜッ……おまえもまだ、生きてる! これは殺し合いなんだぜ!」

「殺し合いなんかじゃない! これは、ただのアンタの自殺だ!」

「なっ……!?」マムシは驚いた。

「あいにく、他人の自殺に付き合ってやるほど僕はヒマじゃないんだよ!」

「バカな、なにを根拠に」

「あんたが本当に生きていたいと思うなら、僕が弾丸を外したとき、あんなに怒るもんか!」言われて、マムシはほんの数分前のことを思い出した。笑いがこみ上げ、彼は咳き込む。

「はは……そうだな……たしかにそうだ」マムシはその場に座りこむ。彼は脱力していた。リドゥは銃を納めた。

「俺は死にたかったのかもな……なんのことはねぇ、ただ疲れて、逃げ出したかっただけだ……」マムシは自嘲した。

「……俺は卑怯者だな」

「それは違う!」リドゥは声を大にした。

「悪いのはマムシさんじゃない! だって、悪いのは義捐都市じゃないか! あいつらがなにもかもを独占してるから、僕たちは明日とも知れない命で毎日を送らなきゃならない……マムシさんは町を作って、そんな日々を終わらせようとしたじゃないか!」

「リドゥ……」

「だから……もう一度戦ってください。今度は、僕たちと一緒に」リドゥはマムシの前に跪き、頭を垂れた。マムシはしばし呆然としたままリドゥを眺めていたが、やがて安堵したように息を吐き、頬をゆるめた。

「そうか……俺は、なにを勘違いしていたんだろうな……」マムシの言葉に、リドゥは顔を上げる。

「仲間ってのは守るものじゃなく、肩を並べるものだったんだ」マムシは言った。

「マムシさん!」

「わかったよ、リドゥ。もう一度だ」彼はにやりと笑う。そして力強く立ち上がった。

「もう一度、義捐都市と戦ってみせる――」直後、飛来した弾丸がマムシの頭部を撃ち抜いた。

 普段のリドゥならばたとえ今の今まで向き合って会話していた人間の頭がいきなり中身をまきちらしても、即座に弾丸の飛来した方角を見定め、遮蔽物を探して走り出していただろう。しかし今の彼にはあまりにも唐突すぎ、目の前で起こったできごとを飲み込むことができなかった。

 リドゥの前に倒れたマムシの頭部は完全に破壊されていた。着弾した側と反対側が破裂したようなかたちは、明らかに対強化改脳人用の爆裂弾頭を使用した小銃の弾丸によるものだ。大きな花のように砕けた断面から、信じられない量の赤黒い血が流れ出している。

「え……あ……?」リドゥは身を乗り出し、まだ筋肉の反射でびくびくと動くマムシの体を揺さぶった。それほどまでに受け入れがたいできごとだった。揺さぶったためにマムシの体の向きが変わり、頭に空いた大穴から、なにか大きな柔らかいものが、どちゃり、こぼれ落ちる。

 リドゥは絶叫した。



 約七百米離れた、盆地を囲む坂の上から少年の悲鳴を聴きつつ、アンドレアは恍惚とした表情で言った。

「よく考えたらぁ……約束したのは『仲間に危害をくわえない』ってだけで、マムシさん本人は含まれていないんですよねぇ……」 

「しかし、本当によろしかったのですか?」彼女を囲む兵士のひとりが声をかける。

「リトル・シスターからは彼を始末することまでは指示されていませんが……」

「反義捐都市勢力を潰すことが、悪いことなわけないでしょう……妹だって、喜んでくれるよぉ」アンドレアは弾んだ声で言った。

「そしてぇ、相手が死んじゃったんだからぁ……もう約束を守る必要もないですよねぇ……狙撃手さぁん、お願いします」

 狙撃手が銃を構えなおした。



 リドゥの左胸を強烈な衝撃と熱が貫いた。弾丸が人工心臓の中で爆裂し、左の胸を吹き飛ばす。砂地に細かい肉片がぶちまけられる。着弾から約二秒遅れて、銃声が耳に届いた。喉に溢れ出した血に、リドゥは悲鳴もあげられず、その場に崩れた。



「命中しました」狙撃手が淡々と報告した。

「頭じゃないじゃないですかぁ……」アンドレアが口を尖らせる。

「対象の壊れた光学擬態外套の光の屈折と、砂煙でわずかに照準がズレました。申し訳ありません」

「……いえいえ、ありがとうございます。見た感じ純脳人みたいですし、アレならまず死ぬでしょ……」アンドレアは周囲に待機していた兵士たちをぐるりと見渡す。

「そろそろ行きましょうかぁ」彼女の言葉を合図に、砂丘の影に隠されていた数機の回転翼機が離陸準備をはじめた。総勢三十名ほどの兵士たちは次々と乗り込んでいく。その中には兵士に抱えられた、意識を失ったままのキャンディの姿もあった。アンドレアは彼女の頭をなでた。

「さぁ、帰りましょうねぇ。私のかわいい妹……」どこかうっとりとした様子で彼女は言った。



 砂漠の真ん中、次々と飛び去っていく回転翼機の音を聞きながら、左胸の無くなったリドゥは、ぼんやりとした頭で考えていた。

(あいつらは……行ってしまった……キャンディは……?)リドゥは死んでいなかった。彼が電脳人だったからだ。致命的な多量出血を感知したリドゥの体は、自動的に自己の保存を最優先とする状態に切り替わっていたのだ。頭部を中心とした最小範囲で電脳が落ちないように電気や体液の流れを変更するが、そのかわり指一本動かせなくなる。だがこの緊急自己保存状態も、せいぜいが三十分程度しかもたない。体液が劣化してしまうのだ。

(それまでに……誰か……気づいてくれ……)そのとき、リドゥは穴ぐらの町からここまで来るのに二時間かかったことを思い出した。

(二時間……無理だ……そんな……僕は……キャンディ……ごめん……守れなか……)意識はそこで途絶えた。


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