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リドゥの運転する砂上車両は太陽光発電装置をまわりこむ。すると砂丘の影に、地下への大きな入り口があるのが見えた。その前には数台の車両が停まっていて、見るからに乱暴そうな男たちが見張りをしている。彼らは砂上車両に気がつくと、腕を大きく振って停車位置まで誘導した。指示された場所に砂上車両を停めると、リドゥは「ここで待ってて」と言い残し、車を降りる。残されたキャンディは不安そうな表情で窓にはりついた。
リドゥが見張りたちの前に立つと、彼らの内のひとりがほかの見張りを押しのけて進み出る。リドゥはその人物の姿を見て、少なからず驚いた表情をした。
細身だが筋肉質な改脳人だった。上半身はほとんど裸。たくましい胸元には大量の装飾品が下がっている。肩には大蛇の刺青が睨みをきかせていて、本人もまるで蛇のようにするどい眼光の持ち主だった。長い髪を後ろで束ね、腰にひと振りの剣を差している。男はリドゥをまっすぐに睨みつけながら近づいていき、すぐ目の前に立つと、威圧的に見下ろした。リドゥも彼の目を正面から睨みかえす。
険悪な雰囲気は一触即発の緊張となり、眺めていたキャンディは、リドゥのことがとても心配になった。
リドゥと男はそれから数秒、無言で睨みあっていた。周囲の見張りたちも身じろぎひとつせず、固唾をのんで成り行きを見守っている……。
いきなりだった。男とリドゥは同時に拳を振り上げた。そしてそのまま――「ぃよーうッ! ひっさしぶりだなリドゥ!」――ふたりは笑顔で抱きあった。
「元気だったか!? ガマから聞いて心配してたぜッ!」大声でそう言いながら、男はリドゥの頭を乱暴に撫でる。
「痛い、痛いって!」リドゥは楽しげに笑いながら男の手をのける。ふたりがじゃれ合う様子に周囲の見張りたちからも笑顔がこぼれ、先ほどまでの緊張感はどこへやら、一転して和やかな雰囲気になった。
予想が外れて拍子抜けしたキャンディはしばらくぼけっとしていたが、リドゥがこちらを振り向いて手まねきしていることに気がつくと、慎重に助手席から地面に降りた。
「紹介するよ」キャンディがリドゥの近くに駆け寄ると、彼は男に言う。
「この娘はキャンディ。義捐都市に追われてるんだ」
キャンディはびくびくしながらおじぎをした。
「おうッ! 見た目も中身もベッピンじゃねぇか!」男は腰に拳をあて、快活な笑顔でをみせる。
「俺はマムシッ! この『穴ぐら』を仕切らせてもらってるモンだ、反義捐都市の奴なら誰でも歓迎するぜ!」
「ココはもともと、デカい施設の地下駐車場だったらしい。『らしい』っつーのは、世界が砂に覆われる以前を誰も見たことがねーからだ」
『穴ぐらの町』の入り口である長い下り坂を歩きながらマムシはそう説明する。キャンディはリドゥの外套の端を握りしめながらも、興味深げにマムシの話を聞いていた。
「ここに集まっているのは、義捐都市に中指立てた奴らばかりさ。俺たちは『外側』の奴らと違って、完全に義捐都市に頼らずに生きている。自前の造水装置に、野菜栽培工場、生体部品培養装置、大規模発電装置……揃えるのに苦労したぜ」
「この町はマムシさんたちが作ったんだよ」リドゥが補足する。
「そうさ!」マムシはキャンディを振り返って豪快に笑った。
「俺たちが作った、俺たちの、俺たちによる、俺たちのための町だ! 決してリトル・シスターや、見たこともない義捐都市の誰かのためじゃないんだ! だから安心しな!」マムシは立ち止まり、リドゥとキャンディの方に体を向け、胸をはった。
「この町にいる限り、義捐都市の奴らに手出しはさせねぇよ」それから彼はまた颯爽と歩きだす。
下り坂の終端に達したリドゥたちを迎えたのは、気分が高揚する息苦しさと、生き物たち特有の熱気だった。低い天井の広大な空間に、数え切れない数の人間たちが生活していた。彼らは廃材で床を区切り、自分たちの場所を確保している。住民の生活空間の間の、わずかな隙間が町の道だった。
「あ、マムシさん!」マムシに先導されて歩いていると、住民のひとりが彼の姿を見つけて声をかける。男はそばに駆け寄ってきて、深く頭を下げた。
「この間はありがとうございました! うちのせがれのために、わざわざ真夜中に外側から人体技師を呼んでいただいて……」
「シバイヌはもう平気なのか?」
「ええ! もうピンピンしてます! それで、その、お礼のことなんですが……」
「最近物覚えが悪くてなあ。医者を呼んだなんて、知らないんだわ。知らないことの礼は受け取れねぇよ」
「えっ……?」男性は面食らう。
「その分のカネで、ガキと美味いもんでも食いにいきな」マムシは彼の胸を拳でトンと叩き、ふたたび歩き出す。リドゥとキャンディが男性の横をすり抜けたとき、彼がマムシの背中に向かって深く頭を下げるのが見えた。
「あら、マムシさん」今度はひどく腰の曲がった、年老いた女性が彼に声をかける。
「いつも水と食料を配ってくれて、ありがとうございます」
「おいおいよしてくれよ、バァさんはいままで皆のために頑張ってくれたじゃないか。あれは俺たちからの感謝の気持ちだよ」丁寧に頭を下げる女性に、マムシはおどけた調子で応える。
「おかげで、ずいぶんと助かってますよ」
「長生きしてくれよ? バァさんはもう、義捐都市の生存許可年齢を超えてんだからな!」そうして笑い合うふたりを眺めながら、リドゥはキャンディに言う。
「ほら、悪い人じゃないだろ?」
キャンディはマムシを怖がっていた自分を恥じるようにうなずいた。そのとき、マムシは何かを見つけたような仕草をした。
「ふたりとも、ちょっと待っていてくれ」彼はそう言い残してわき道に入っていく。不思議に思ったリドゥとキャンディは薄暗い道を覗きこもうとし、向こう側から倒れ込んできた若い男に驚いて、左右に飛び退いた。
「トカゲ! てめぇまたやってんのかッ!」マムシが道の奥からぬっと姿を現して、床に倒れている男を恐ろしい表情で怒鳴る。トカゲと呼ばれた若い男は、殴られたらしい頬を抑えながら、よろよろと立ち上がる。
「で、でもよぉアニキ、俺らが体を張って義捐都市の奴らをボコってるから、ここは平和なんだぜ! ちょっとくらいイイ目見てもよォ……」
「だからってカツアゲなんて、ケチなことやってんじゃねぇ!」
マムシのあとから気弱そうな少年が道から出てきて、どこかへ逃げ去っていく。トカゲはその背を横目で追い、見えなくなると大きな舌打ちをした。
「わかったよ……アニキ、俺が悪かった」
「わかりゃあいいんだよ。さっさと見張り交代してこい」
「うーっす」トカゲは肩をいからせて立ち去ろうとし、リドゥとキャンディに気がつくと、不審感を隠そうともせずにじろりと見た。
「アニキ、こいつらは?」
「俺の客だ、義捐都市に追われてる」
「ふぅーん……」トカゲは無遠慮にキャンディを眺める。視線は彼女の全身を舐め回すようで、邪な感情が込められているのは明らかだった。キャンディはリドゥの腕にすがった。
「やめなよ、嫌がってる」リドゥがキャンディとトカゲのあいだに割って入った。トカゲは何か言いたげだったが、マムシが腕を組んでこちらを見ているのに気がつくと、また大きな舌打ちをして立ち去っていった。トカゲの姿が見えなくなると、マムシは小さなため息をつく。
「すまねぇな、嬢ちゃん。アイツも悪気があったわけじゃねぇんだ、許してやってくれ」
「今のって、マムシさんの?」リドゥが訊く。
「ああ。デキの悪い弟さ」マムシは手のひらをパンと叩いた。驚いたキャンディの体がすくんだ。
「さて、みっともねえところを見せちまったな……っつーわけで、さっさと行こうぜ。ガマの野朗もふたりを待ってる」
穴ぐらの町は最上層階を含め、地下三階まで存在する。その最奥にマムシの館はあった。
館といっても、広大な元地下駐車場の床を廃材の壁で区切っただけのもので、外観は他の住人の生活空間と大差なく、みすぼらしい。しかし内装は彼の趣味で統一されて、およそ義捐都市的ではない不思議な雰囲気が漂っていた。
「遠慮せず上がりな」
マムシのあとについて、リドゥとキャンディは足を踏み入れる。見慣れない調度品たちに、ふたりはきょろきょろと周囲を見回しながら歩く。仕切りのボロ布をくぐると、広めの部屋の真ん中で見慣れた顔がくつろいでいた。
「おう、来たか」ガマが紫煙を吐きながら、片手をあげた。
「ガマも無事だったんだ」
「俺をお前と一緒にすんじゃねぇよ」ガマはにやりと笑う。
「ガマは盗賊はじめて何年だったか? ああふたりとも、適当にくつろいでくれ」マムシが奥の床から一段高いところにどっかと腰かける。そこが主の席らしい。
「もう十年以上になるな。お前と一緒だったころを入れればもっと長い」
「そのころの話、聞きたいな!」リドゥも床に座りこんだ。キャンディも一瞬ためらって、リドゥの横に正座する。が、床があまりにも硬いので、すぐに足を崩した。
マムシが悪どい笑みを浮かべる。
「おーぅリドゥ、そうか、聞きたいか!」彼はいかにも嬉しそうに膝を叩いた。
「じゃあガマが『はじめて』の相手に入れ込んで、こっぴどくフラれた話でもしてやっか!」
「そ、そんなことよりだな!」ガマがいきなり声を張り上げる。彼の表情にあきらかな焦りがあらわれていて、おかしさにリドゥが吹きだした。
「リドゥおめぇ、ずいぶん遅かったじゃねぇか。なにかあったな?」
「義捐都市とひと悶着あったのさ」リドゥの言葉に、マムシとガマの眼光が鋭くなる。
「多分偶然だと思うけど、軍用改脳人の女の人に絡まれた。キャンディと一緒にいるのは直接見られてないけど、まぁ、隠れてたのをさとられた時点でダメだと思う。それでなんとかまいて、砂上車両の痕跡を消しながら走ってたら遅くなっちゃった」
「軍用改脳人……本当か?」ガマが驚いた声をあげた。リドゥは頷く。
「拳銃の弾丸を捕まえたんだよ。あきらかに尋常じゃない速度で神経電流を加速してる。擬体も通常の規格外だったし、頭のネジも飛びかけてた」
「戦ったのか!?」ガマとマムシが同時に声をあげた。
「じゃれあった程度だよ。逃げられたのはキャンディのおかげ」そうしてリドゥはキャンディを見た。彼女は恥ずかしそうに自分の髪をなでつけた。
「その軍用改脳人ってのは……」マムシが思案げな顔で言う。
「髪が長くて猫背の、背の高い女の人」リドゥが言う。
「アンドレアだな?」
「知っているのか?」ガマがマムシに訊いた。リドゥはうなずいた。
「……前に俺の仲間が義捐都市の輸送部隊を襲ったとき、戦ったらしい。ヒデェもんだった。『どれ』が誰だかわかんねぇほどにな……電脳人がひとり居たから、そいつの電脳の視覚履歴を解析して知ったんだ」上唇を舐めながら語るマムシの口調はひどく苦々しいもので、激しい怒りの色がにじみ出ていた。その迫力にキャンディが身を震わせる。
「義捐都市お抱えの軍用改脳人が出てくるたぁ、その嬢ちゃんは奴らにとって重要らしいな」マムシの射抜くような目に、キャンディはリドゥにすがった。マムシはすぐに目をとじ、両手を軽くあげた。
「ワリぃ、脅かしちまったな」
「だが、奴らもいずれ諦める」ガマがたばこを灰皿に押しつけた。
「まずはひと月くらい、ここに厄介になるぜ。すまねぇな」
「気にすんなって。ただ、てめぇのメシの分は働いてもらうぜ?」
「もちろん!」リドゥが笑った。
「リドゥと嬢ちゃんの荷物はもう部屋に運んであるはずだ。とりあえず今日ぐらいはゆっくりしてけ」マムシはそう言って三人に笑いかけた。
三人が館を出ると、町の喧騒がどっと押し寄せてきた。リドゥはとなりに立つガマとキャンディをそれぞれ見比べる。
「僕は朝ごはんを食べに行くけど、ふたりは?」
「俺はもう食った。それにやりたいこともある」
「そう? じゃあお別れだ。キャンディは?」
キャンディは両手でお腹を抑え、リドゥのそばにぴょんと跳ぶ。
「それじゃ、そういうことで」リドゥはガマに言った。
「オゥ。一応、あんまり目立つのは避けろよ」ガマはそう言い残して歩き出し、人混みのむこうに消えていった。リドゥはその背を見送ってから、またキャンディに向かい合う。
「なにか食べたいものはある? 僕はなんでもいいけれど……」
彼女は首を振った。
「そうか、じゃあ、ブラつきながら考えよう。はぐれないでね」
リドゥとキャンディは手を繋いで目抜き通りを歩き出した。
穴ぐらの町は狭い。そのため人の密度も高くなる。道を行き交う純脳人、改脳人、電脳人、無脳生物たちの流れに上手く乗りながら歩いていくと、人波のむこうに、道に面した様々な屋台が目に入る。無菌鼠と芋虫の佃煮の店や、蛍光桃色をした汁物の屋台、すえたような臭いの蒸留酒を売る店に、真っ青に着色された穀物を売る店の前を通り過ぎ、リドゥが示したのはうどんの屋台だった。寸胴鍋に沸き立つつゆの水蒸気の向こうでは、年老いた店主が出刃包丁を振るって麺を切っている。彼はリドゥとキャンディがこちらを見ていることに気づくと、人好きのする笑顔で手招きする。
「いらっしゃい、いらっしゃい」
リドゥとキャンディはのれんをくぐった。
「四つちょうだい」リドゥが指で示す。
「ふたつで充分ですよ」店主も指を二本立てた。
「いや、四つだ」
「わかってくださいよ」そうして店主はうどんを茹でにかかった。
キャンディは目に見えるものが全て宝物でもあるかのように、あたりを見回している。
「覚えておくといいよ、うどんは四杯。二杯じゃなく四杯だ。四杯でちょうどいいんだ」リドゥはそう言ってキャンディを見た。キャンディは頷くと、待ちきれないのか、そわそわとしはじめる。
「ごちゃごちゃしたところだよね、息苦しいくらいだ」リドゥはキャンディに言った。
「だけど、ここに住む人はみんないい人だ。悪い町じゃないよ」
キャンディは微笑んだ。
「ハイ、おまちどう。椀のフチが欠けてるから気をつけて」
ふたりの前に四杯のうどんが置かれた。リドゥはさっそく、箸で麺を口に運ぶ。彼がずるずると音をたててすするのを見てキャンディは目を丸くしていたが、ごくりと唾を呑み込むと、リドゥの真似をした。麺を口にすると、彼女は目を輝かせた。はむはむとうどんを噛み、茹でほうれん草を味わい、天カスのサクサクした音を楽しんでいる。リドゥは彼女の様子を横目で見て、なんだかとても嬉しくなった。
そのとき、のれんをくぐっていきなりリドゥとキャンディの間に割り込んできた影があった。
「よぅキミ、ちょいと付き合ってくれねぇかな」トカゲだった。彼はキャンディに話しかけていたが、彼女はびっくりしたまま固まってしまっている。リドゥは立ち上がり、トカゲの肩を叩いた。
「見張りをサボってナンパ? 彼女に用があるなら僕が聞くよ」
「あぁ?」トカゲは威圧的な目つきで彼を見る。だがリドゥは動じない。
「テメーみてぇなマヌケにゃあ関係ねぇよ」
「なんの話?」
「なぁキミ、悪いことは言わねぇから俺と来な。損はさせねぇぜ」
「だってさ、キャンディ?」リドゥは肩をすくめる。キャンディは強く首を振った。
「というわけ。帰ってよ」
リドゥがトカゲの肩を掴んで、むりやり引き離そうとする。トカゲはよろけた。
「てめぇ……」彼はすごむ。
「表に出ろ!」
「いいよ、こいよ!」
リドゥとトカゲは通りに出た。流れを乱された通行人たちが怪訝な顔で彼らを見る。リドゥは外套の下から、銃と小刀のついた帯を外してキャンディの方に投げ渡した。
トカゲが拳をかまえる。リドゥも受けてたつ。キャンディは帯を抱え、ハラハラしながら見守っている。
先にしかけたのはトカゲだった。顔面を狙った一撃を、リドゥはくぐるように避ける。そのまま反撃の拳を下あごに放つが、トカゲは頭をもたげて避けた。直後に膝蹴りでの反撃がきて、リドゥは腹に受ける。もろに入った感触にトカゲはにやりとしたが、すぐに驚愕の表情に変わった。
リドゥはもう片方の手でトカゲの膝を抱えこんでいたのだ。足を持ち上げられ、体勢を崩したトカゲは地面に仰向けに倒れる。硬い地面に頭を打ちつけ、くらくらとしているところの眼前に、トカゲの体にまたがったリドゥの拳が突きつけられた。
足を止めて見物していた通行人たちが歓声をあげ、拍手をおくる。リドゥは少し恥ずかしそうに頭を下げ、トカゲの上から退いた。トカゲはずきずきと痛む頭を押さえて立ち上がる。
「きっと後悔するぜ! 間違いなくだ!」彼はリドゥの背中にそう叫び、足早にその場を立ち去った。
「なんだったんだ……」リドゥがつぶやく。
「やるねぇ! あんちゃん!」店主が拍手でリドゥを迎えた。
「どうも」
「あいつにはいつも迷惑かけられてんだ。胸がスッとしたよ! 彼女さんも喜んでる!」
リドゥはキャンディを見た。キャンディは嬉しいような、悲しいような、複雑な表情でリドゥのそばに立ち尽くしていた。リドゥは彼女に笑いかけた。
「気にしないでよ、僕が好きでやったんだ」キャンディは強く首を振ったが、リドゥは無視して席に戻る。
「さ、はやく食べよう。うどんが伸びちゃうよ」
がらくた部品を扱う店を出たガマは、近くに目的の喫茶店を見つけ入店した。入店鈴の軽快な音が響く。大型砂上車両の貨物室を改造した店内は、狭いが明るい印象で、外の喧騒もあまり聞こえない。代わりに、長机の端のひどく古めかしい音響機器から、耳に心地よい反体制音楽が流れている。時間帯のせいか、客の姿はまばらだった。ガマは長机の席に腰かけた。
「いらっしゃい」店主の女性が彼の前に灰皿を置いた。
「注文は?」
「珈琲をもらおう」
「天然もあるけど、合成で?」
「天然は高いだろ? 合成だ。牛乳も同じ」
「あいよ、他には?」
「揚げ砂糖はあるか?」
「運がいいね、今日の分は最後だよ」
「それで頼む」
「はいよっと」女性はそう言って珈琲抽出器のところへと歩いていった。
窓に貼られた液晶画面には美しい砂漠の景色が表示されている。ぼんやりと眺めつつ、ガマは市民たばこに火を点ける。紫煙をくゆらせながら、彼はつぶやいた。
「……ずいぶんと変わったな」
「なにが?」女性が珈琲と揚げ砂糖の皿をガマの前に置いた。手が空いているのか、彼女は長机の向こうにある椅子に腰かける。
「この町だ」
「へぇ……どういう風に変わった?」興味深げに彼女は訊く。
「豊かになった。数年前に比べて、格段に」
「そうねぇ……たしかに」女性は頷く。
「ここ最近は、たしかに豊かになったわね。まだ少しだけど、天然ものの野菜や肉も出回るようになったし、人体技師のいる病院だってできた」
「前は酷かったのにな」
「そう、酷かった。思い出したくもないね」女性は首をかしげて笑った。
「でも、変わらないものもあるのよ」
「変わらないもの?」
「魂さ。アンタの噂はインコ姉さんから聞いてたよ、ガマさん。砂漠をさすらう孤高の盗賊、憧れちゃうね」
「よしてくれ、赤くなっちまう」ガマは珈琲をすすった。合成珈琲は冷めてしまうとただの苦い泥水になる。だからせめて温かいうちに飲まなければならないのだが、舌がしびれるくらいに甘い揚げ砂糖が無ければ、それも難しかった。
「久しぶりにインコに会いに来たんだが、今日はいないのか?」ガマが訊くと、女性は肩をすくめた。
「アタシじゃ不満?」
「そういうわけじゃない」
「ウソウソ。姉さんは昨日の夜から帰ってこないのよ」
「……大丈夫なのか?」
「ヘーキヘーキ、たまにあることだし、ここは治安がいいんだ。マムシさんのおかげでね」
「マムシか……」ガマは揚げ砂糖をかじる。合成甘味料の強烈な味に耐えかね、すぐにまた苦い珈琲をすする。不自然さを不自然さで上書きしていく。
「アイツは町の人にずいぶん慕われてるんだな」
「そりゃそうさ! マムシさんがいなかったら、この町は成り立っていないよ」
「そうか……よかった」
「アンタも昔、マムシさんと一緒に盗賊をやってたんだろ?」
「ああ」ガマは頷く。
「いろいろやったよ。アイツが暴れ、俺が整備し、もうひとりが調達した。輸送部隊は数えきれないくらい襲ったし、施設の破壊もやった。野菜工場、造水工場、採掘施設……三人で義捐都市を相手に戦っていた……つもりだった」
「『つもり』?」
「そのままの意味さ」ガマは自嘲した。
「俺たちがいくら騒いでも、義捐都市の前には無力だった。だから解散したんだ……面白くもない、昔ばなしだ」
ガマは喫茶店を出た。憂鬱だった。
珈琲も砂糖菓子も楽しめたのに、会いたかった人に会えなかったという一点だけで気分が晴れない。そんな自分に嫌気がさして、ガマは苛立ちとともに歩き出す。時計を見ると、まだ午後一時前というところだ。さすがに酒場で飲んだくれるには早い。もやもやとした気持ちで歩いていると、道の向こうから乱暴に歩いてきた人物に肩がぶつかった。
「いってぇな!」その人物は狂犬のように怒鳴りながら、ガマの肩を掴む。
「お前は……!」振り向いたガマは眉根をよせた。ぶつかってきたのはトカゲだった。彼はガマの顔を見ると、肩から手を放し、舌打ちする。
「アンタかよ、クソ」
「荒れてるな」
「アンタには関係ねぇよ……そうだ」トカゲは思いついたように言う。
「アンタのとこのリドゥ――だったか? アイツが連れてきた女、ヤバイぜ。守らなくていいのか?」彼は意地悪く笑いながら言った。
「なに?」ガマは顔をしかめる。
「どうやら義捐都市はあの娘を完全に見失ってるらしい。賞金までかけられてるぜ。今朝の『義捐都市活動報告』でやってた」にやにやしながら彼は語る。
「賞金か……」
「すげぇ額だ。はやくしないと誰かに取られっちまうぜ?」ひひ、と下卑た笑いをうかべるトカゲを、ガマは腕組みをして見下ろす。
「なるほど。そうなればたしかに、お前のようなヤツから守らなきゃいけねぇなあ」
「なに?」
「キャンディのそばにはリドゥがいる、無用な心配さ。ウソだと思うなら確かめてこい」ガマの威圧的な態度にトカゲはたじろいで、後頭部をさする。
「そんなの――もう知ってるさ!」彼はそう叫ぶと、逃げるように去っていった。
ガマは彼の消えていった方向を眺めながら、トカゲの言葉が果たして本当なのかどうか思案する。もしキャンディに賞金がかけられたという話が真実なら、反義捐都市を掲げるこの町の中でもなるべくキャンディを人目に触れさせてはならないだろう。
(まずは裏をとらねぇとな)ガマはつま先を別の方向へ向けた。すぐ近くに、喫茶店の前に立ち寄ったがらくた部品屋があった。ガマはその中に入る。奥で液晶画面を眺めていた、異形の頭蓋骨をした電脳人の店主が、大きな目玉だけを動かしてガマを捉えた。
「おや、また来たか」店主はそう言った。
「何度もすまねぇな。ちっとお願いがあるんだが」
「なんだい?」
「受像機を見せてくれないか?」すると店主は時計をちらりと見て「一時から公開処刑の生中継だから、それまでならいいよ」と言う。
「あれを見るのか?」ガマはやや驚いた。
「時代を場所を越えて、人の死は最高の娯楽さ。店番してるから仮想現実劇場に接続するわけにもいかねぇしな」
「わかった、いくらだ?」
「タダでいいよ」
「すまねぇな」ガマは店の奥へ入った。店主の前に身を乗り出し、受像機の液晶画面横のツマミをひねると、受信周波数が切り替わって様々な映像番組が表示される。これらは全て義捐都市が都市内と全世界に向けて発信しているもので、内容は演劇、漫画映画、音楽、教育、性的番組と様々だ。映像番組はどれもみな上質で、非市民の目から見ても大いに楽しめるものであるが、その根底にはすべて義捐都市的思想を啓蒙するための意思が込められている。すなわち、リトル・シスターへの愛だ。
ガマはツマミをなおも回し、ついに報道番組の周波数を見つけた。画面には男性を模した無脳生物の司会が映り、最新の事件の報道を字幕とともに淡々と読み上げている。
「――により、白菜の収穫量が増量しました。これはリトル・シスターにより予見されており、予定通りのことであります。剃刀の刃の再生産は現在予定がありません。このことについてリトル・シスターは――」
「生産の報道なんかどうでもいい」ガマはそう呟いて別の突起を押した。すると過去二十四時間分の報道が話題ごとに分類された画面が表示される。これのみが義捐都市に関する過去の出来事を得る手段であり、二十四時間以前のものは、平和の塔の記録倉庫に保管されるものを除いて、完全に抹消されてしまう。録画は違法だ。
「指名手配の報道の分類はどれだったかな」
「アンタも物好きだね。『鬼畜にして白痴なる唾棄すべき悪ども』の分類だよ」店主が答えた。
「ありがとう」ガマは突起を押す。ふたたび無脳生物の司会が画面に現れ、報道を読み上げはじめた。
「――以上。次の屑です。本日未明、三人の勇敢なる兵士を殺害し、我らがリトル・シスターに反旗を翻した悪人どものうち、ひとりが野放しになっております。
年齢は十六歳。義体部品する金も知恵もない、愚かで貧乏な無改造の純脳人。不健康にやせ細った小汚い肉便器。そのくせ身長は約百五十糎もあります。髪は死にかけの老婆のような白、瞳は悪魔のようにおぞましい赤。こんなに非力で性根のねじ曲がった魔女が、愛すべきリトル・シスターと同じ地上で生きていられるわけがないので、誰か愚かな協力者がいると考えられます。
しかし慈愛に満ちたリトル・シスターは寛大にも、この非人すら、決して殺さずに捕らえることを望んでいます。繰り返します、決して殺してはいけません――」ガマは周波数を変えた。
「ありがとよ」ガマは受像機の前から退いた。
「アンタ、賞金稼ぎかい?」店主がツマミに手を伸ばす。
「いいや、違うさ」
「ならよかった。義捐都市に協力するようなやつなら、マムシさんに頼んで袋叩きにしてもらわなきゃいけなかった」店主は笑った。
「マムシか……」ガマは壁によりかかり、その名前をつぶやく。どうにも拭い去れない違和感に、彼は頭を掻いた。
「お、ちょうどはじまる時間だ! アンタも見ていきなよ!」店主が嬉しそうな声を上げ、ガマを手招きした。ガマは横から画面を覗き込む。
かん高い金管楽器の音が音響装置から飛び出して、薄暗い店内に響いた。画面の向こうでは華やかな紙吹雪が舞い、キラキラとした輝きに満ちた処刑台を中心として、集った群衆の熱狂的な歓声が渦巻いている。処刑台の上には何台もの断頭台が並んでいて、その前に、このあと処刑される人間たちが腕を縛られて座らされていた。
「紳士淑女の皆様がた!」燕尾服に身を包んだ処刑人が満面の笑顔で群衆の前に進み出て、お辞儀をする。その横では道化師たちが最前列の子どもたちに色とりどりの風船を配っている。
「忙しい日々にひと時の娯楽を! 楽しい楽しい公開処刑の時間がやってまいりました!」
店主がぱちぱちと拍手をした。ガマはいい気分ではなかったが、受像機を貸してもらった手前、最後までつきあうことにした。
「ではさっそく、今回の悪人たちをご紹介いたしましょう!」燕尾服の男が駆け足で処刑台にあがり、座っている人間たちのひとりを乱暴に蹴った。蹴られた人間は芋虫のように体を丸めて床に転がるが、男はその髪を掴んで、むりやりに顔を群衆に晒す。
「反義捐都市勢力の一味! インコさんです!」
「なんだと!」ガマは彼女の顔を見て驚愕した。画面に大写しになった女性は何か薬物を盛られているらしく、頬が弛緩し、よだれと鼻水をたれ流していたが、それでもガマにはそれが誰かすぐにわかった。あの喫茶店で数年前、よく語り合った親友だった。
「そんな馬鹿な!」
「ど、どうしたんだい、いきなり」驚いた店主がガマを見た。
「彼女がそんなはずは……!」
「……知りあいかい?」
「アンタは知らないのか!?」ガマは店主に向かって言った。
「インコが働いていたのはこのすぐ近くの喫茶店だ。顔ぐらい見たことあるだろう!」
「し、知らねぇよ。こんなに狭いなかに、あんなにたくさんの人間がいて、しかも逮捕されたりなんだりでしょっちゅう入れ替わるんだぜ? いちいち覚えてられるかよ……」
「なんだと……!?」ガマは興奮した面持ちでまた画面を見た。
処刑台の上の燕尾服の男は、断頭台の前に座らされている人間たちがいかに反義捐都市的思想の虚無主義者、無政府主義者で、道徳的、性的に堕落した存在であるかを紹介している。まわりの観衆たちはそんな彼らに恐れおののき、大声で罵倒する。そして燕尾服の男がときおり織り交ぜるこっけいな冗談に爆笑した。恐怖と歓喜と興奮と憎悪が渾然一体となってうずを巻いている。そのあまりのおぞましさに、ガマは思わず目を逸らして店の奥を出た。
「おい、見ないのかい?」店主がガマの背中に声をかけると、彼は立ち止まって振り返った。
「こんなの、人間が見るものじゃねぇよ」
「そうかい? こんなに楽しいのに!」
ガマは足早に店をあとにした。