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高度に発展した義体技術と脳内機械により生き物と機械の区別がなくなった時代。すべてを破壊した戦争が終結して間もなく……。


 見渡すかぎりの広漠な砂漠を一迅の風が吹き抜ける。地表の熱砂が巻き上げられて、まるでさざなみのように消えていく。空には雲のひとつもなく、衰えることなく燃え盛る太陽の光線が地上の生きとし生けるものたちを平等に痛めつけていた。

 太陽と、風と、そして砂。それがこの世界のすべてだった――ただひとつ、かなたからの銃声を除いて!



 見晴らしのよい砂漠の丘を一団の『義捐都市』の輸送部隊が横切っている。

 無限軌道で走行する三台の砂上車両たちは、それぞれ前の車両から巻き上げられる土埃を避けるため互い違いに並びながら、砂原をまっすぐに走っている。さらにそのほかに無限軌道の砂上二輪に乗った護衛たちが彼らを囲むように併走している。

 防砂眼鏡と防塵面で顔を隠した護衛たちが白い制服の上から背負っているのは統一規格の自動小銃だ。頑丈で砂に強いこの自動小銃は義捐都市の市民ならば初等教育で扱いを教わるほどに『義捐都市的』な武器だった。そしてそれゆえに、彼らが義捐都市のごく一般的な兵士だということは容易に判別できた。輸送部隊の前方五百米(メートル)ほど先の丘の上で砂に埋もれるように敷いた擬装布の下、うつ伏せに隠れて狙撃銃の拡大鏡(スコープ)を覗いていた人物は、片耳の通信機に話しかけた。

「情報通り来たよ。構成は砂四が三、護衛が六、装備は全員砂二と自動小銃、頭蓋骨から見て電脳人はなし」

「リドゥ、やれるか?」彼の耳についている通信機から男の声がした。リドゥと呼ばれた人物は、防塵面越しに「うん」と返事をした。

「このまま三十秒ほど前進してくれれば、ドツボだ。風も強いし、いけるよ」

「風?」

「こっちの話」

「そうかい。じゃ、終わったら呼んでくれ」

「うん、わかった」通信は切れた。

 リドゥが防砂眼鏡(ゴーグル)越しに覗く拡大鏡は輸送部隊の先頭車両を丸く切り取っていた。貨物を引きずる砂上車両たちは彼の言った通り全部で三台、護衛は一台につき左右にふたり、合計六人ついている。

通信機越しにリドゥと話していた男は、しかし彼を無謀だとは思っていなかったし、心配もしていなかった。なぜならばこと砂漠での戦いでリドゥの右に出るものはいないのだから。 

 三十秒後、突如連続した爆発音がおこった。

 輸送部隊の真ん中の車両が砂の下に隠されていた無線地雷を踏みつけて、土煙をあげながら横転した。リドゥは拡大鏡越しにそれを見ると擬装布をはねのけ、起爆装置を放り捨てながら立ち上がる。

 白い頭巾付外套の上から背負った旧式の狙撃銃をガチャガチャと鳴らして、リドゥは砂丘の反対側に動力装置をかけたまま隠してあった自分の砂上二輪に飛び乗った。砂上二輪は丘を飛び越えて、輸送部隊にまっすぐに向かっていく。

 残り二台の砂上車両たちはリドゥが近づいてくるのを察知して反対方向に逃げ出そうとしていた。車両の護衛たちがみんな揃って自動小銃を構え、リドゥを歓迎する準備をした。

 リドゥは砂上二輪の操縦桿から両手を離して、背負っていた狙撃銃をかまえた。そして護衛たちの弾丸が届かないうちに、先手を打って二回発砲した。

 先の大戦で広く使われた狙撃銃はリドゥの脳に定着(インストール)されている射撃制御無形装置(しゃげきせいぎょプログラム)にしたがって風・重力・手ブレ・彼我の相対移動距離から予測偏差射撃位置を分析し、射手の体内に埋め込んだ義体部品を介して、照準を最適な位置へ導くのだった。そのためリドゥの弾丸はまさしく彼の狙い通りに、もっとも近い位置にいたふたりの兵士たちの自動小銃だけを叩き落とすことに成功した。だがほかの四人の銃を弾くまでには間に合わない。リドゥは彼らから百米ほど離れたあたりでとっさに砂上二輪から飛び降りた。

 着地した彼を自動射撃の嵐が襲う。地面に着弾した無数の弾丸が凄まじい砂煙をまき起こし、彼の体とその周囲を完全に覆い隠した。

「……私には対象の殺害に成功したのか、判断できかねます」兵士のひとりが通信回線を通じてほかの護衛に話しかける。

「死体を確認してください」隊長らしき男が指示した。

 ふたりの護衛たちが小銃をかまえながら、じりじりと死体があるであろうところへと近づいていく。砂煙はいまだ晴れないが、徐々に薄くなりはじめていた。

 護衛のひとりが砂の向こうに、地面に倒れる何かの影を見つける。彼はそれを見て安心し、少しだけ銃口を下げながらさらに近づいた。立ち止まり、彼の背中を眺めるもうひとりと、その後方で武器を拾い上げるふたり、さらにその後方で横転した車両のそばを離れないふたりは彼の報告を待った。

 近づいた兵士は、しかし声を大にした。

「小銃だけです! 死体がありません!」

 一瞬、緩みかけていた緊張の糸がふたたび張りつめるまでの、そのどうしようもない意識の隙をリドゥは逃さなかった。六発の連続した銃声が響いたのは、護衛たちのど真ん中からだった。

 不思議な光景だった。リドゥはまるで幽霊のように何も無い空間からいきなり姿を現したのだった。兵士たちは彼の身につけている頭巾付外套の表面が周囲の風景を描き出し、完全に溶け込んでいるのを見てその理由を知った。

「光学擬態外套です!」護衛のひとりが叫んだときにはすでに彼らはみな腕や肩に銃創を負っていて、小銃を構えられる状態ではなかった。光学擬態を解いたリドゥの両手にそれぞれ握られた二丁の拳銃の銃口からは硝煙が立ち上っていた。

「殺しはしない! 武器を捨てて両膝をつけ!」リドゥは片手で隊長らしき人物を狙い、もう片方で残りを威嚇しながらそう叫ぶ。

「お前が隊長なんでしょ! 命令してよ!」リドゥはそう言いながら、横目でちらりと隊長を見た。

 隊長が素早く振り向いて、リドゥの腕を捻ろうと手をのばしたのはそのときだった。隊長が腕をつかむ前にリドゥは銃の引き金を引き、彼の真正面から数発の弾丸を撃ち込む。驚いたのは、隊長が胸に弾丸を受けながらも、それでも掴みかかることをやめなかったことだった。

(痛覚遮断、改脳人か!)腕をつかまれたリドゥはとっさに地面を蹴り、掴まれた腕を軸に体全体を持ち上げ、相手の側頭部に強烈な膝蹴りをぶちかます。

 意識がとんだのか、隊長の力が緩む。一緒にその場に倒れこんだリドゥは急いで腕を引き抜き、あいている方の手で隊長の頭を撃ち抜いた。そしてすかさず外套の光学擬態を起動し、風景にとけこむ。野放しになった他の兵士たちが片手で小銃を構えていた。

 外套の迷彩効果により光学感覚器をごまかされた小銃から放たれる無数の弾丸をかいくぐりながら、リドゥはさらにひとり、頭を撃ちぬいて射殺した。他の兵士も改脳人の可能性がある。改脳人の動きを止めるには、頭を撃ち抜くのが唯一にして確実な方法だからだ。リドゥに定着している射撃制御無形装置(しゃげきせいぎょプログラム)は人の頭のような小さな的も的確に撃ちぬくことができるのだった。

 残り四人の兵士がリドゥのいると思われるあたりに小銃を連射する。そのうちの何発かが外套をかすり、ほんの一瞬、光学擬態が切れてリドゥの影がチラつく。

「そこです!」兵士たちの射撃が集中した。ふたたび砂煙がまき起こるが、今度はそこそこの大きさに抑える。だがリドゥの姿は見えず、手応えのなさに、隊長を引き継いだらしい兵士が号令をかけた。

「総員、円を組んで周囲警戒!」四人の兵士は一箇所に集まり、背中合わせに円陣を組んだ。

「足跡や音に注意してください」緊張の沈黙がおりた。兵士たちは呼吸の音すら抑えて、砂の地面に危険の兆候はないかと目を光らせている。

 静かだった、風で砂のこすれるサラサラとした音が聞こえるほどに。

 兵士のひとりが異変に気づいた。サラサラという音がだんだん大きくなってきている。やがてさざなみのようなその音は大きな砂煙となって兵士たちを襲った。砂漠特有の突風だった。

 兵士たちは防砂眼鏡と防塵面を身につけているので砂を浴びせられても大きな障害ではない。しかし濃い砂煙で視界はきかなくなり、また砂がぶつかって弾ける音は彼らの聴覚を奪って、リドゥが光学擬態外套の下で弾倉を交換する音を聞き逃させた。

 銃声が起こり、ほぼ同時に爆発が起こった。兵士たちから離れたところだ。兵士たちは反射的に爆発の方を振り向くが、その爆発が、リドゥが砂上車両を横転させるためにあらかじめ仕掛けておいた無線地雷のひとつを撃ち抜いたことによるものだと気がつくのに数秒かかった。リドゥは爆発が起こったのとは別方向から彼らに襲いかかった。

 真っ先に反応した兵士の腹に弾丸をぶち込む。通常の弾丸よりも重い対改脳人用弾頭は金属骨格を砕き、人工臓器をめちゃくちゃに破壊する。腹を撃たれた兵士は吐血して倒れた。

 残り三人の兵士は、密集しているのはまずいと判断したのか、互いに離れ、リドゥがいると思われる方向に弾をばらまいた。

「撃てぇ!」兵士が叫んだ。

 弾丸が光学擬態で身を隠していた人物をとらえた。穴だらけになった光学擬態外套の影で、出血とともに倒れる人影があった。兵士たちは快哉の声をあげた。

「よし!」直後、砂煙が晴れた。

 一瞬、兵士たちは何が起こったのかわからず目をしばたいた。兵士がひとり減っていた。ふたりの兵士は、自分たちが撃ち抜いたものがなんなのか、その傍らにかけよってやっと気がついた。光学擬態外套を被せられた味方の兵士だった。

「動くな」兵士たちのすぐそばから声がした。 

 背後に現れたのは、砂に埋もれて姿を隠していたリドゥだった。両手の銃はそれぞれ兵士たちの後頭部に突きつけられている。

「これでわかったろ、無駄な抵抗はやめるんだ。銃を置いて、地面に伏せて!」

 兵士たちは動かなかった。ただそこに直立したままだ。

「抵抗しなければ、命までは奪わない!」リドゥはもう一度叫んだ。だがそれでも兵士たちは銃を置かない。

 リドゥが歯噛みしたとき、彼は兵士たちの体が小刻みに震えているのがわかった。彼らの顔は防砂眼鏡と面で隠されていて見えないが、その様子が尋常ではないことはすぐにわかった。膝はガクガクと笑い、大量の汗を流して、体が大きく震えている――

「は……は……」――リドゥはとっさに後ろに跳んだ。

「反義捐都市的ぃいいいイイイイッ!!」彼らは同時に、奇妙に裏返った声で叫びながら、制服の内側に巻きつけていた爆薬を起爆した。大地を震わす轟音と、太く濃い砂の柱がその場にそびえ立って、残響と大きな砂煙を残す。

 砂の雨がやみ、砂煙も風に吹き飛ばされて視界が晴れたころ、耳を塞いで伏せていたリドゥは、砂の中からのそりと立ち上がった。彼は周囲を見渡し、二つの赤黒い染みだけが砂の大地に残されているのを見て、顔を歪める。

「くそっ!」リドゥは毒づきながら自分の防塵面と防砂眼鏡をもぎ取り、腹立たしげに地面に叩きつけた。

「自殺することなんてないだろっ!」そうしてあらわになった彼の顔つきは幼く、まだ少年といってもいいほどだった。青空によく似た色の大きな瞳に、短い黒髪が風になびく。血の臭いの混じった、しかし爽やかな風だった。リドゥは周囲を見渡して生き残りを探したが、徒労に終わった。リドゥが撃った四人も全員死んでいた。護衛たちの血は砂地に染み込んで、すでに乾きはじめていた。彼は憂鬱なため息をつきながら、横転した砂上車両に近づいていく。貨物の上に這い上がり、拳銃をかまえながら運転席を覗きこむと、金属でできた骸骨のような機械が大きくのけぞった姿勢で座席におさまっていた。

「運転手は無脳生物(ロボット)か」リドゥは呟いて、念のためにもう二発、車の窓硝子越しに無脳生物を射撃した。無脳生物は火花をあげて破壊された。それからリドゥはもう一度周囲を見渡して、逃がした二台が戻ってきていないかを確認した。影も形もなかった。リドゥは貨物の上を歩き、車両の後方に下りた。

「ガマ、終わったよ。急いできて」リドゥは通信機にそう言った。「おう」という男の返事があった。

 ガマの運転する砂上車両が来るまでのあいだに、戦利品の貨物を開けなければならなかった。リドゥは首をかしげながら貨物の施錠をたしかめた。

「特定市民番号施錠? 厳重だな」つい言葉に出た。

 解錠するのに特定の義捐都市市民番号が必要になる電子施錠は、通常、食料や衣料品を輸送する貨物ではあまり用いられないものだ。リドゥはこの貨物の中身はそのようなものだと思いこんでいたが、違うのかもしれないと思いなおした。

 リドゥは懐から暗号破りを取り出して、電子施錠の外装を引き剥がし、むりやり接続する。重い金属が擦れる音がした。リドゥは道具をしまって貨物の扉を開け放った。

 扉の風圧で砂煙がまき起こる。その向こうに見えたのは意外なものだった。

 横倒しになった貨物内の薄暗い闇の中で、人間がひとり、うつ伏せに倒れていた。鉄製の長椅子の下敷きになっている。リドゥはその光景を見て慌てて貨物の中へ踏みこんだ。

 倒れているのはどうやら女性のようだった。リドゥは彼女の上の椅子をどかしながら大声で呼びかける。

「きみ! 大丈夫!?」椅子をどかし終えると、リドゥは彼女のそばにかがみこんだ。もしかしたら横転のひょうしに頭を打ったのかもしれない。慎重に体を仰向けにする。

 ハッと息を呑み、目を奪われた。

 倒れていたのは少女だった。美しかった。

 肩まである髪はすべて白かったが、ひどくなめらかだった。肌も透き通るように白く、日に焼けたことが一度も無いようだった。

 リドゥが見とれていると、やがて彼女が目を覚ます。長いまつげのまぶたが上がって、宝石のように赤い瞳がリドゥをとらえた。

 長い沈黙だった。数十秒もの間、彼女はいぶかしむでもなく、驚くでもない視線で、ただリドゥを見ていた。彼女の無垢な視線に、彼はなんだかいきなり恥ずかしくなって、彼女から離れた。

「ご、ごめん! きみが倒れていたから……ケガはない?」

 少女は体を起こし、頭を小さく振る。胸をなでおろすリドゥ。

「そうか、よかった……でも、なんで貨物に――」言いかけて、リドゥは彼女の細い両手首に巻きついているものにやっと気がついた。手錠だった。

「――きみ、捕まっているのか?」リドゥはそう訊いた。すると少女は悲しそうに目を伏せ、口をぱくぱくとさせる。声は聞こえなかったが、リドゥには彼女が何を言っているのか直感的にわかった。

 ――たすけて。

 考える前にリドゥは動いた。彼女の手を掴んで立ち上がらせ、貨物の出口へ導いた。熱砂の混じった熱い風が彼らを迎えた。狭苦しい貨物から出ると、砂の大地と青い空だけの世界はますます広大に思えた。

 少女は目を丸くしていた。リドゥは彼女に笑いかけた。

「行こう。砂漠は広い」彼女も小さくうなずいた。



「――それで、おまえの話をもう一度まとめるとだな」砂上車両の運転席で、操縦輪を握る大男が苛立ったような、どこか不満げな様子で言った。彼の肌は浅黒く、よく鍛えられた筋肉を見せつけるように肌着一枚という格好だ。むき出しの右肩には大きな蛙の刺青があった。口をへの字に曲げながら、こげ茶色の思慮深そうな瞳で、ちらりと助手席のリドゥを見る。

「義捐都市の部隊が運んでいたのは、食料でも武器でもなく、あの女の子ひとりだったってのか?」

「すくなくとも、三台のうちの一台はそうだったよ、ガマ」窓から外の砂漠を眺めながら、リドゥは唇を尖らす。 

「べつに責めてるわけじゃねぇよ」ガマと呼ばれた大男は砂上車両の操縦輪から片手を離した。

「盗賊だなんてふざけた稼業だ。失敗することも、空振りすることもあるさ。だが自分から失敗しにいくのはいただけねぇ」

「どういう意味さ?」むっとしてガマを見る。

「わざわざ厄介ごとを抱えこむ必要なんざないってこった。俺は『外側』についたらあの娘を解放してやることを提案するぜ。義捐都市の連中が大事そうに抱えてた娘だ、すぐに迎えがくるだろうよ」

「だけど……」

「だけど、じゃねぇ。光学擬態外套をぶっ壊しやがって、あれがいくらするのか知ってるだろ」

「まだ予備が一着ある」

「大赤字だ。おまけに兵士の死体も持ち帰らないときた」

「解体する時間はなかったし、死体を積んでたらあの娘が怖がるじゃないか」

「全身改脳人は捨てるところがないってのに」

「電脳人もね。かわりに無脳生物と砂二が六台も手に入ったんだからいいじゃない」リドゥはすっかりふてくされ、腕を組んでそっぽを向いてしまった。ガマはやれやれといった様子で『市民たばこ』を取り出し、口にくわえて燐寸(マッチ)で火を点ける。少しだけ窓を開ける。砂漠の熱い空気と、車内の冷房の空気が混じりあった。

「……あの娘、暑くないかな」リドゥがぽつりと言った。

「平気さ。わざわざ冷房を点けてやってるんだ」車内の棚に燐寸箱をしまいつつ、ふてくされたようにガマが言った。直後、にやりと口端を吊り上げる。

「それにしても、珍しいじゃねぇか」

「なにが?」

「おまえが自分から何かをしたいなんて言いだすの、はじめて聞いたぜ。あの娘に惚れたのか?」

「まさか」リドゥは笑った。

「だって、僕だよ?」

「わかってるさ、冗談だ」

「まったく……ありえないよ、僕が人を好きになるなんて」頬を緩ませながら、リドゥは長く息を吐く。しばらくすると、遠方の砂丘の影から背の高い高層建築物群とその周囲に集まる小さなみすぼらしい建物たちが姿を現した。

「『外側』までもうすぐだ。貨物のお姫さまも、もうしばらくの辛抱だぜ」そうしてガマはたばこを消した。



 大地が砂で覆われるはるか以前から、惑星各地に点在する『義捐都市』と呼ばれる都市国家は人々の自由と尊厳を守っていたのだと伝えられている。

 世界中の義捐都市はどこも同じ構造をしていて、まず『平和の塔』と呼ばれるひときわ背の高い高層建築物を中心とし、主要施設、市民の住む市街地の順で配置されている。市街地の周りは高く厚い壁で囲われており、全体は地図で見ると綺麗な円形をしていた。

 義捐都市に住むことができるのは、統制局によって市民番号を与えられた人々のみで、取得のためにはいくつかの試験に合格しなければならない。その試験に落第したり、そもそも最初から受ける気がなかったり、義捐都市から逃げ出してきた人々は、壁の外側にまるで義捐都市にすがりつくように貧民街を形成していた。名も無きこの街は人々から多く『外側』と呼ばれていた。



 ガマの運転する砂上車両は後方に砂煙を巻き上げながら『外側』のはずれの廃墟へと近づき、やがてその傍らに停車した。半分以上が崩れて潰れた、もともとは工場か何かだったらしい大きな建物こそがリドゥとガマの隠れ家だった。

 砂上車両の動力装置が切れると、リドゥは扉を開け、地面に飛び降りる。それから砂上車両の裏にまわって貨物の扉を開けた。

「ついたよ!」精いっぱいの明るい声でリドゥは中の少女に呼びかけた。少女は顔をあげると、外のあまりの眩しさに真紅の目を細めた。

 リドゥは扉を完全に開け放ち、貨物に背を向けて、周囲を見渡した。 

 『外側』と砂漠の境目にある隠れ家の周囲には人影もなく、静かだった。見晴らしのよい砂丘からはときおり風が砂をこする音が、さざなみのように聞こえてくる。砂丘と反対側には、鉄くずや建物の廃墟が寄せ集まった『外側』の町並みが見えている。距離はあったが、それでも多くの人々の気配が伝わってきていた。

 小さな足音がして、リドゥは肩越しに後ろを見た。少女がおっかなびっくり貨物内からおりてきたところだった。

「怖くないよ、来て」リドゥは彼女に言った。少女は驚いたような、警戒するような所作でリドゥの横に並び立った。まるで小動物のようだと思う。

「外側へ出るのははじめて?」リドゥは少女の雰囲気から、きっと彼女は義捐都市市民だろうと思っていた。するとやはり少女はうなずいた。

「義捐都市と違って何もないでしょ」少女は小さく首をふり、なぜか微笑んだ。

「おい、リドゥ!」運転席からおりてきたガマが近づいてきた。少女がリドゥの影に隠れるのを見て、ガマはフンと鼻を鳴らす。

「ずいぶんと嫌われたもんだな」

「きみ、大丈夫だよ。この人はガマっていうんだ。僕の恩人だ」外套を掴んで縮こまる少女に言う。「コワモテだけど、優しいんだ。僕の親みたいなものさ」

「同情を引こうったってそうはイカねぇぞ。あとで砂四に給油と点検やっとけ」

「うん、わかった」

「それとお前、名前は何だ?」ガマがリドゥの後ろを覗きこむ。少女はますます縮み上がった。少女は答えない。ただ口をぱくぱくさせるだけだ。その様子を見て、リドゥとガマは不審に思った。

「もしかして、お前……」

「……喋れないの?」

 少女は小さくうなずいた。それを見て、ガマは舌打ちする。 

「文字は書けるのか? 言葉はわかるみてぇだが」少女はうつむいた。ガマはなにか思案しているようだった。

「外傷か……? ちょっと来い、詳しく診てやる」ガマはそう言って建物の中へ入っていった。リドゥは彼の背中を見送りながら、後ろの少女に小さな声で言った。

「ほら、だから言ったろ?」



「義体部品のせいだ」渋い顔をして、ガマが少女の後頭部の接続口から端子を抜いた。隠れ家の居間で、ガマと少女はそれぞれ小さな椅子に座っている。少女はガマに背を向けて、後頭部の白髪を撫でつけていた。リドゥはそばに立って彼らのやりとりを眺めていた。

「義体部品、喉に?」リドゥが訊くと、ガマは自分のこめかみからも端子を抜き、銅線をしまった。

「頭の後ろにデカい縫い目がある。となりに端子があったんで、俺とつないで診断無形装置を走らせたら、大量の義脳が純脳の言語機能や何やらにがっつりくいこんでいるうえ、ほとんどの行動に制限がかかってる。こんな真似ができるのは間違いなく義捐都市の、それも上層部のお抱え人体技師だけだ」

「義脳……何か人体の機能を拡張しているの?」

「そう見えるか?」ガマは市民たばこに火を点けた。鼻にこびりつく煙がぷぅと浮かぶ。

「……いいや」リドゥは少女を見た。姿勢を変えてガマと向きあった彼女はとてもか弱そうに見え、先の大戦で用いられた身体機能拡張型改脳人とはまるで違って見えた。

「だいいち身体機能拡張なら、脳だけじゃなく骨や筋肉や内臓も義体部品だらけだ。だが見たところ、こいつは頭だけ……もしかしたら、改造途中なのかもな」

「そうなのか……僕も見てもいい?」

「やめとけ。お前の接続口と規格が違う」

「拡張口はあるから、変換器をつければ」リドゥは後頭部を撫でた。

「そんな簡単に女の子の中に入るもんじゃねえよ、お前と違って繊細なんだ。ま、だがこれではっきりした」ガマは足もとにたばこを落とし、革靴の底で踏みつけた。少女とリドゥは不思議そうな顔でガマを見る。彼は手帳と万年筆を取り出した。

「お前、管理されて手術を受けていたんなら絶対に名前があるはずだ。書きな。自己同一性に関わる領域なら制限はかかっていないはずだ」

 うなずいて、少女はゆっくりと手帳に書きこみ、それをふたりに示した。そこには「CANDy」と書かれていた。リドゥが眉を顰めながらそれを読み上げる。 

「旧高水準言語の名前だ。やっぱり市民かな……えーと発音は、きやん、キャン――キャンディ?」

「よし、今からお前は『キャンディ』だ」ガマはおもむろに立ち上がる。目を丸くする少女に背を向け、部屋の出口に向かいながら彼は言った。

「まずはメシだ。これからここで暮らすんだ。仲良くならねぇとな」

「かくまっていいの?」リドゥが驚いて声をあげた。 

「声の出せない女の子を外側なんかに放り込んだらどうなるか、わかるだろ。てめぇも手を出したらぶっ殺すからな」 

「いきなりどうしたのさ?」

「……死んだ妹に似てんだよ」ガマはそうして部屋を出ていった。残されたリドゥとキャンディは顔を見合わせる。なんだか気まずいような恥ずかしいような気持ちになって、お互いに赤くなった。

「えーと……じゃあ、これからよろしくね、キャンディ」

キャンディははにかみながらうなずいた。



「今日は奮発してやる」ガマはそう言いながら、薄汚れた布のかかった食卓を囲むリドゥとキャンディの前に、別の部屋から持ってきた缶詰をいくつか置いた。リドゥはそれを見て食卓の上に身をのりだす。

「『市民粥』じゃないか! いいの?」

「新たな同居人の歓迎会だ」にやり、ガマが笑う。

「やった! いつも売っぱらっちゃうのに!」リドゥは大喜びで缶詰のひとつを手にとった。それはずっしりと重みがあり、表面のラベルには『義捐都市的なあなたに 平和と健康の市民かゆ』と印字されている。リドゥが缶を開けようと蓋についている輪っかに指をかけたとき、彼はキャンディが不思議そうな顔でその所作を見ているのに気がついた。

「どうしたの?」リドゥが訊くと、キャンディは肩をすくめ、おずおずと缶に手を伸ばす。リドゥはぴんときた。

「市民粥を食べたことないの? 義捐都市市民なのに!」彼女は小さくうなずいた。

「ならちょうどいい。市民様がこいつをどう評価するか、聞こうじゃないか」ガマが匙をみんなの前に放る。

 キャンディは缶の蓋に指をかけ、ひっぱった。すると軽い音がして、金属の蓋が丸まりながら開く。とたんに猛烈な青臭さが周囲に広がった。

「わぁ、美味しそうな匂い!」リドゥが顔をほころばせる。だがすぐにその顔は疑問の表情になった。

「どうしたの? キャンディ」

キャンディは缶の蓋を開けた姿勢のまま、まるで石像のように固まってしまっていたのだ。リドゥがわけもわからずガマを見ると、彼は口元をおさえてクツクツと笑っている。

「どうしたのさ?」

「どうやら市民のお姫さまにゃあ、俺たちのごちそうはお気に召さないらしいぜ」ガマは冗談めかして言ったが、それを聞いたキャンディは大きく首を振り、匙を手にとる。

「お、食うか? 食うのか?」ガマが笑う。

「美味しいよ、食べてみて」リドゥが微笑む。

 キャンディは缶の中に匙をつっこみ、中のものをすくい上げた。どろどろに溶けたうす緑色の合成穀物の中に、細かい樹脂の切れはしのような合成野菜が混ざっている。キャンディはしばらくそれをじっと見つめていたが、やがてつばを飲み込み、意を決したように口へ運んだ。

「オッ食ったか」ガマがぴゅう、と口笛を吹く。

「どう? 美味しいでしょ!」リドゥが仔犬のようにキャンディを見上げる。

 キャンディの反応はなんともいえないものだった。彼女は拍子抜けしたような、意外そうな表情をすると、首を傾げながら咀嚼する。

「臭いくせに、味が全然しないだろ」ガマが言う。「荒野の缶詰は、どれも犬の餌さ」

「そんなことないよ! 栄養もいいし、高タンパクだ!」

「それはお前の『美味しい』の基準がズレてんだよ。味を見ろ、味を」

 リドゥとガマのやりとりを見ながら、キャンディはもぐもぐと市民粥を食べ続ける。猛烈な青臭さも、慣れてしまえばさして気にならないようだった。

「食欲はある、と」ガマは別の缶詰をとりあげ、蓋を開ける。

「リドゥも食え」

「うん!」リドゥも市民粥をかきこみはじめた。

 食卓の周囲にただよう不自然な青臭さの中、三人はそれぞれ缶詰をたいらげた。ガマが食後の市民たばこに火をつけようとして、「燐寸を車に忘れた」と毒づいた。リドゥが空いた缶詰を布で拭きはじめると、手持ち無沙汰のキャンディは、椅子に座ったままぐるりと周囲を見渡した。

 広めの居間の床と壁はひび割ればかりの混凝土(コンクリート)がむき出しで、そのおかげか部屋の中は少しだけ涼しく思える。壁にひとつだけある窓には鎧戸がおりていた。部屋の光源は天井の中央からぶら下がる照明がひとつだけで、薄暗い。キャンディはそれを見上げてなぜもっと明るい照明にしないのだろうと思った。

「ねぇ、キャンディ」リドゥが缶詰を拭きながら話しかける。キャンディは彼を見た。

「君がどうして捕まっていたのかは知らないけれど、これからは誰も君を捕まえやしないよ。なんなら、義捐都市に戻ったっていい」リドゥは顔を上げ、キャンディの瞳を見つめる。そして笑いかけた。

「君はどうしたい?」

「まぁ、なんだ」そばで話を聞いていたガマが言った。

「行くあてがあるならそこへ行けばいいさ。無いなら嫌になるまでここにいりゃいい。俺はかまわないぜ」

「そういうこと」リドゥがうなずく。

 キャンディはうつむき、衣服の膝をぎゅっと握った。

「ねぇ、君はどうして捕まっていたの?」リドゥの問いかけに、キャンディはさっき受け取った手帳と万年筆を取り出した。しかし彼女はそれを見つめたままで、書き記そうというそぶりは見せない。

「書けないの?」リドゥが訊くと、キャンディは小さくうなずく。

「やっぱりむずかしいか」ガマも言ったが、それでもキャンディは筆を走らすことはなかった。様子を見るに、あえて書かないのではなく、書きたいけれども書けないといったようだった。ガマは鼻からふんすと息を吐く。

「制限だな……まぁいい」灰皿にたばこを押しつけ、彼は立ち上がる。

「ま、今日はゆっくり休めや。リドゥ、そいつに適当に部屋あてがっとけ」彼はそう言いのこしてリビングを出ていく。リドゥも、拭き終えた空き缶を両手に抱えて椅子から立ち上がった。

「あとで部屋を案内するよ。無理しないで、自分が行くべき場所を見きわめればいいさ。僕もそうだった」そうして彼も部屋を出ていった。

 キャンディは手帳の白紙を、ただ歯をくいしばって見つめていた。



「彼女が見つからないと?」広く落ちついた趣きの部屋で、中央の机に腰掛けている老人が、静かにそう言った。老人は上等な生地の服を着ていて、左耳に通信端末を着けている。禿上がった後頭部にはいくつもの接続口がついていて、机から伸びた何本もの銅線がつながっている。彼の視線は部屋の一方の壁全体を占める巨大な液晶画面に向けられていた。画面にはひとりの長髪の女性の姿が映っている。

「はい」彼女は返事をした。

「当義捐都市に到着した砂上車両は二台だけでした。残りの一台は途中の砂漠で野盗に襲われ、略奪されました。被験体は行方不明です」

「殺害されたか?」

「拉致された可能性が高いです」

「ならば取り戻そう」老人は机の引き出しから書類を一枚引っ張り出すと、署名をして、机の片隅の読み取り機へと送りこむ。

「五秒後に『リトル・シスター』の承認がおりる。発信機はまだ生きているのだろう?」

「いえ、それが……」女性は言いよどむ。老人の目が鋭く光った。

「隠し事とは義捐都市的じゃないな」

「い、いえ! 断じてそのようなことは!」

「ではどうしたのだ? 発信機は?」

「それが……発信機がついていた手錠は破壊された砂上車両と一緒に見つかったのです」

「なるほど。つまり今どこにいるかはわからないわけだ」

「申し訳ありません……」女性は肩を落としたが、すぐに顔をあげた。

「しかし、義捐都市的精神をもってすれば、見つけることは可能です」

「『見つけることは可能』? それは違うな」老人の片眉がつり上がる。

「義捐都市は最初から彼女を見失ってはいない。なぜならば『リトル・シスター』はこの世のすべてを見守っているからだ。彼女らは定刻どおりに当義捐都市へ到着する予定だ。多少変更はあったもののな。それを君は疑ったね」

 女性の表情が戦慄にこわばる。老人は不快そうに眉をひそめた。

「反義捐都市的思想だ」老人はただそう言って受像機のつまみを回した。その直前、画面の女性は身の毛もよだつ恐怖の表情を浮かべていたが、彼は気にもとめない。

 受像機の映像は派手な色使いの漫画映画に変わった。可愛らしい衣服に身を包んだ少女が銃火器で敵を倒す漫画映画は、今、義捐都市市民の間で人気の高い番組だ。

「さて、では彼女を探すとするか」老人はそうひとりごとを言いながら椅子から立ち上がり、大きな窓辺に近づく。途中、後頭部から銅線たちが抜け落ちて、自動的に収納された。

 窓は空に近い場所にあった。眼下には綺麗に区画割された義捐都市の町並みと、外側の貧民街が広がっているのが見えた。



 夜の砂漠は灼熱の昼間とはうってかわってひどく冷える。義捐都市周辺の砂漠も例外ではなく、一桁を指す温度計に、リドゥは防寒用の外套を持ち出した。

 防塵面と防砂眼鏡を身につけ、砂上二輪に大きな荷物を積み、隠れ家から外側の町へと向かう。冷たい夜風のなか砂上二輪を走らせるのは辛いが、リドゥには慣れっこだった。

 外側の町は眠らない。義捐都市の壁の内側の灯りが消える時間でも、外側は雑多な色の光に溢れている。リドゥは外側の町の入り口で砂上二輪を降りた。置いておくと盗まれる可能性が高いので、そこからは押して歩く。無限軌道であっても、施錠さえしなければ意外と楽に押して歩けるのだ。

 町はギラギラとした活気と喧騒に満ちていた。砂を押し固めた道を行き交うのは、異様なかたちの頭部をした電脳人や改脳人がほとんどで、無改造の純脳人はほとんどいない。彼らが路上で殺し合いの喧嘩をすると、蠍や蜘蛛に似た清掃用多脚無脳生物が亡骸を部品と肥料へと分解するために路地裏へ引きずり込む。流された血は砂に染み込み、無数の足に踏み固められる。これが外側の町だった。

 リドゥは人々の流れに乗りながら、廃墟を利用した建物たちの前を横切っていく。

 『POLICE』というリドゥには意味のわからない旧高水準言語が書かれた建物からは怪しげな臭いの煙が漏れ出していて、大きな十字型の装飾が目立つ廃墟の前では、薄着の女性たちが七色に光る髪を片手で梳きながら気だるげに立っている。かろうじてまだ商店の機能をたもったままの建物には出処の怪しげな品物ばかりが並べられ、盗みを働こうとした電脳人が、頭部と主要器官だけを残して店頭にさらし者にされていた。

 リドゥは賑やかな大通りからはずれ、やや薄暗い路地に入る。冷暖房の室外機と科学的な排気瓦斯のあいだをすり抜けて彼がたどり着いたのは、『雑貨屋』の看板を掲げる小さな店だった。砂上二輪を店の前に停め、防犯施錠をすると、リドゥは荷物を背負って入り口の扉を開けた。

 店内は薄暗く、ほかに客は居なかった。暖房がたかれていて少し暑い。奥の小さな机の向こうで椅子に座った店主らしき女性が、暇つぶしに眺めていたらしい漫画本を置いた。

「いらっしゃい……ってなんだ、リドゥじゃないかい」女性は面と防砂眼鏡を外したリドゥを見て、がっかりしたような、嬉しいような声をあげた。

 リドゥはにっこり笑いかけながら机に近づく。

「こんばんは、スラッグさん」

「何か持ってきたのかい?」スラッグと呼ばれた女性はリドゥの背負う荷物を見て言った。

「うん」リドゥはうなずく。

「わかった、見せてみな」スラッグは丸い眼鏡をかけ、机の上の照明を点けた。灯りに照らされて、彼女の浅黒い肌と、大きな角が二本飛び出した額が浮かび上がる。彼女は電脳人だった。

 リドゥは荷物を机に乗せ、中のものをさらけ出す。スラッグは真剣な眼差しでそれらを検めはじめた。

「まずは空き缶……市民粥のものか。洗浄済とは気が利くじゃないか。食ったまま持ってくる輩が多くてねェ。それとこれは、無脳生物の基盤と変圧器だね。刻印がある、義捐都市純正品か。また砂上車両を襲ったね? それにしちゃ改脳人の部品が少ないが……まぁ義捐都市製部品の需要はいくらでもある」

「ほかに砂上二輪が六台ある。どれも無傷だ。近いうちに引き取りにきてよ」

「六台もかい。ずいぶんと精が出るじゃないか」スラッグが眼鏡越しにリドゥを睨めつけた。リドゥは肩をすくめた。彼女はため息をつく。

「何度言ったらわかるんだい、リドゥ。強盗なんてあぶないことはやめなさいって」

「代わりにスラッグさんの娼館でお尻を売るの? 冗談!」

「もったいないねぇ、せっかく綺麗な顔してるのに。傷がついてからじゃ遅いよ」スラッグはそう言いながら、リドゥの持ってきたがらくたをすべて検め終える。そして椅子から立ち、受付のさらに奥の棚をごそごそとやりはじめた。

「今回は何と交換するんだい。カネか、武器か、水か食料か」

「あれがいいな」リドゥは店の奥の壁に、硝子箱に入れて飾られている二丁の拳銃を指さした。硝子箱の下の金属板には『QUIT & EXIT』という旧高水準言語が刻まれている。スラッグはあきれた様子を見せた。

「その冗談、店に来るたびやってるけど、おもしろくないよ」

「冗談じゃないよ、あれが欲しい」

「そこに飾ってある模型ならくれてやるよ。だけど先の大戦のときですら希少だった『完全無反動重金属粒子連続高速射出拳銃』の本物がほしいなら、アンタの体を百人売ったって足りやしないさ」

「あることはあるんでしょ?」

「そろそろ怒るよ」スラッグが睨んだ。

「ちぇっ……撃ってみたいなぁ」リドゥは口をとがらせ、もういちど硝子箱の二丁の拳銃を見た。重金属粒子高加速装置と完全反動吸収装置が内蔵された拳銃型の破壊兵器は希少金属の合金を本体の素材に使用しているらしく、ごつい外見からは信じられないほど軽く、また頑丈かつ強力なのだという。リドゥはいつかその感触を味わってみたかった。

「それで、本当に欲しいのは?」スラッグがせかした。

「服だよ。上下、動きやすくて丈夫なやつ」

「服かい。そうさね、アンタの体格に合いそうなものは――」

「できれば、女の子用を」

「おや、その気になったかい」スラッグが笑った。

「なるべく目立たないのがいいな。それと下着一式も」リドゥの困り顔に、スラッグの目が探るように動く。

「……なにか厄介事かい?」

「いやぁ、ガマの友達が遊びに来てるのさ」リドゥは笑った。スラッグは鼻をフンと鳴らす。

「あの男に女友達なんかいるものかい。さてはとうとう誘拐に手を出したね、見損なったよ……ほれ、お望みのもんだ」スラッグはリドゥに包みを手渡した。

「べつにいいよ。ありがとう……でもこれ、ちょっと多くない?」

「おしゃれできない女の子ほどみじめなもんは無いからね。いいからとっときな」

「ありがとう、いつか返すよ」

「いいって言ってるじゃないか」スラッグはそれきり顔をそむけ、もとの椅子におさまって漫画本に戻った。

 リドゥは受け取った包みを脇に抱え、ふたたび防塵面と防砂眼鏡を身につける。ぺこりと頭を下げて店を出ようとしたときだった。三人の男が軍靴の音を響かせて店の中へ入ってきた。リドゥは彼らの服装を目にし、緊張に身をこわばらせた。

 白い制服の男たちは義捐都市の兵士だった。彼らはみな自動小銃を携え、両目を覆う視覚端末越しに周囲を高圧的に見回している。頭蓋骨が純脳人と同じ形をしているので、電脳人ではない。リドゥはさりげなく足を止め、品物を見て回る客のふりをすることにした。

「店主さん、こんばんは」先頭の兵士が丁寧に頭をさげた。スラッグはあからさまに不機嫌な表情で彼らを見る。

「なんだい、いまさら盗品の取り締まりかい?」

「いいえ、そうではありません。おたずねしたいことがいくつかございまして、大変失礼ながら、事前の連絡なしにお伺いいたしました」

「へぇ? 義捐都市市民さまが、こんな場末のゴミために?」スラッグはせせら笑ったが、兵士たちの表情は変わらない。まるで仮面のようだ。

「表に停まっている砂上二輪はあなたのものですか?」

 リドゥは面の下で歯噛みした。スラッグは兵士を睨みつけたまま、リドゥには目もくれない。

「だったらなんだっていうんだい」

「今日の昼、ここから約一万二千米ほど離れた砂漠で、強盗事件があったのです。そこで、犯人があの型の砂上二輪を使った痕跡があったのです」

「知らないね。砂二に乗ってるヤツなんか、外側には腐るほどいるさ」スラッグは皮肉っぽい表情で肩をすくめた。

「そうですか。ではもうひとつお訊きしてもよろしいですか」兵士は丁寧な態度を崩さない。

「さっさと言いな」

「このあたりで、純脳人の少女を見かけませんでしたか?」

 どうしようもない反応だった。兵士の言葉を聞いた瞬間、反射的にスラッグの視線が一瞬だけリドゥに向いた。兵士はそれを見逃さなかった。

「そこのあなた、少しよろしいですか」仕方なく、リドゥは声をかけてきた兵士のひとりに相対した。兵士は無感情に彼を見下ろす。

「このあたりで、純脳人の少女を見かけませんでしたか。身長は約百五十糎(センチ)、髪は白。細身で、上下とも白い服を着ているはずです」

「たしかに見かけはしたけれど、詳しいことは知らないよ」リドゥはそう答えた。兵士たちが詰め寄る。

「見かけたのですね。どこでですか?」

「教えてほしいなら、何かちょうだいよ」リドゥは無邪気を装って手のひらを出す。兵士たちは互いに顔を見合わせるようなしぐさをし、それから兵士のひとりが後盒から取りだしたものをリドゥに差し出した。

「少ないですが、軍用食料で足りますか?」銀色の樹脂に包まれた棒状の食糧だった。リドゥは大げさに肩をすくめ、仕方なしといったていでそれをうけとる。

「夕方、大通りで見たよ。もっと義捐都市の壁に近いところだ。珍しい髪色だったからよく覚えてる」

「そうですか、ご協力ありがとうございます」兵士は頭を下げ、もう一度スラッグの方を見た。

「お邪魔しました。もしほかに情報がありましたらぜひお知らせください。謝礼をさしあげます」

「さっさとウチの店から出てけ、くそったれ」スラッグの罵倒を受けながら、兵士たちは店を出ていく。あとに残されたリドゥはしばらく耳をすませていたが、彼らの足音が遠のいていくと、ふっと胸をなでおろした。 

「運が悪い、なんて偶然だよ」もらった棒状食糧を手のひらで弄びながら、リドゥはうんざりした調子で言った。

「まったくだね」スラッグもため息をつく。

「あんたも行きな。どうせ今の話、あんたのことなんだろう。火の粉をかぶるのはゴメンだよ」

「うん。ゴメンね、気を使わせちゃって」

「今夜はもう店じまいだ、さっさとお行き」スラッグは片手をひらひらとさせた。その手にいきなり銀色の包みが放り込まれる。思わずつかんでしまったスラッグが訝しげに見ると、それはリドゥがさっき兵士から受け取った棒状の食糧だった。彼女がリドゥを見ると、彼は面をずらしてにっかり笑う。

「お詫び! あげる!」

「いらないよ、こんなもん」言いながらも、スラッグは口の端を吊り上げていた。



 砂上二輪の動力装置の音が遠ざかり、ふたたび静まりかえった店内で、ひとり残されたスラッグは大きなノビをした。椅子から立ち上がり、入り口の鍵を閉める。防犯用の自動機銃を起動させて、気だるげに椅子へと戻った。

 そういえば今日はまだ夕食をとっていないということを思い出す。電脳人であっても、有機生体部品の代謝のために食事が欠かせないのがスラッグは不便だと感じていた。 

 スラッグは、ほんの少しだけ料理をしようかとも思ったが、すぐに面倒に感じ、ありもので済ますことに決めた。そのときリドゥからもらった軍用食料のことを思い出した。高栄養価の軍用食料は味さえ除けば最高の食料だ。スラッグは奇妙な幸運におかしさを感じながら、銀の包みを破った。途端にその手が止まった。表情はこわばり、包みの中のものを指先でつまみ上げる。そして確信した瞬間、血相を変えて椅子から立ち上がった。

「リドゥ!」スラッグは怒りをあらわに叫んだ。彼女の手に握りしめられ、ひしゃげて壊れて落ちたのは、棒状の盗聴器だった。


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