呪縛
視点:ダグマリア
私はこの選択を必ず後悔する。
わかっている。わかっているのに、私はその選択のために行動する。
心がどれだけ軋みを上げて警鐘を鳴らしても、より心が軋みを上げる方へ歩んでいく。ボロボロになって、歪みに歪みきって、道をまっすぐに進めない。そうやって自分という存在をゆっくりと、じっくりと、そして丁寧に壊された。
お前はこうあるべきだ。お前はこう振る舞わなければならない。俺の言うことに従え。俺のことを第一に考えて思考し、行動しろ。
最初は否定し抗うも、それは圧倒的な力の前では無意味であることを悟った。自分という存在をこうあるべきだという別の存在に矯正されていくのだ。思考パターンや行動パターンが身体に染み着いていく。自分はこうあるべきだという姿が正常に思えてくる。こうしなければ、ああしなければ、そうやって自分が壊されそして作り直されていく。
だがそれとは別に、自分を客観視する視点も存在している。
こいつは馬鹿で愚かでなぜこのような行動をするのかわけがわからない。こうしたら悪い方向へ進む。これを止めれば少なくとも最悪の事態は免れる。そんな第三者の視点があるにも関わらず、結果がわかり切っているにも関わらず、私は必ず、後悔する道を選ぶのだ。
そして自分を見下ろすような視点が言うのだ。
――どうしてお前はそんなに縛られているのか、と。
進むごとに強く縛られる。
『悦楽』のダグマリアは、それでも最悪の道へと歩みを進める。