戦いの火蓋
視点:メールメーラー
メールメーラーたちは魔王城に帰還する。
森ではカブトムシソードを振り回す魔王クリアノートによって多くの森林が伐採された。それに対抗してスーミエアがクワガタチェーンソーを振り回した。森林は見事に更地になった。この二人の遊びの規模はどう見てもおかしい。
メールメーラーも一緒に遊ばないかと誘われたが丁重にお断りした。巨大生物の暴れる最中に突っ込んでいくほどメールメーラーも愚かではない。
休憩とは思えないほどの疲労を抱えながら、魔王城内の、魔王の間まで歩く。長い廊下に高い天井、規則的に並べられた燭台の火が不気味に揺れ動く。いつもと変わらぬ光景だが、妙な胸騒ぎがする。
こういう時は決まって嫌なことが起きるものだ。
魔王クリアノートが、魔王の間の扉を開ける。
「来たか。魔王よ」
魔王の間の玉座に誰かが座っている。黒いローブを着て、獅子を思わせるような鋭い眼光が鈍く輝いている。巨体というほどでもない体躯だが、彼の放つプレッシャーのようなものが体躯をそれ以上のものに錯覚させる。その後ろには『悦楽』のダグマリアが控えるように跪いており、捕らえていたはずの勇者の姿も数名後ろに立っている。他の勇者は魔王の間を取り囲むように配置されている。
なんだこの状況は。
魔王クリアノートも顔をわずかに傾けている。たぶんこの状況を把握していない。
「なんだ、どっかで見た顔だな。近所に住んでた?」
玉座の魔族は威厳を含んだ声を放つ。
「軽口は強者の特権だな。それが遺言にならぬように気をつけろよ」
玉座の魔族は手を前にかざす。すると、魔王クリアノートの周囲の空間が歪む。不可侵の魔法だ。不可侵の魔法は、基本的に自分と他者の間に壁を作る。だから手元に展開するのが普通だが、この魔族は他人の周囲に不可侵の壁を展開した。こんなもの普通ではありえない。常識外れだ。これを可能にする魔族をメールメーラーは一人しか知らない。だけどその人物はすでに死んでいるはずだ。
さらにメールメーラーとスーミエアの周囲にも不可侵の壁が展開された。
玉座の魔族はかざした手を握る。
不可侵の壁が収縮する。メールメーラーは自身も不可侵の魔法を放つが、拮抗することもできない。このままでは潰れて死ぬ。そう思った時には壁はすでに壊されていた。傍には魔王クリアノートがいる。彼が玉座の魔王の不可侵の壁を壊したのだろう。
「ずいぶんと部下思いだな。しかし中々に衝撃だぞ。ただの蹴りで我の魔法を破るなどと。やはり貴様の身体能力は格別だな」
「っていうか勇者がまた脱走してるし。まあでもちょうどいいか。なあ勇者たち」
呼びかけられた勇者たちが身構える。
玉座の魔族は自分の言葉を無視されて、眉をひそめている。
「平和の話をしよう。殺し合いよりも健全な、未来の話だ。お前たちの目的は俺を殺すことじゃないだろ。その先の平和を求めているはずだ」
「なに?」
グリムガルと勇者たちは困惑している。かつて魔王が勇者に歩みよるような記録はない。そもそも魔王クリアノートは勇者たちが束になっても敵わないほどの強さを持っている。武力で勝るものが弱きものの交渉に応じるなどありえない。
「若いとは思っていたが、そのような戯言とはな。我ら魔族と人間の争いはもはや止められぬぞ。それは歴史が証明している」
「争いを全部止めようってわけじゃなくて、互いに譲歩できるところを見つけ合おうっていう話だ。茶々いれるなよ。お前たち勇者は知ってるか? 魔王城の先には、魔族の住む大陸がある。そこに人間たちが侵攻しないために、魔王は魔王城で勇者を撃退する。それが大陸から与えられた役目だ。別に王でもなんでもない。門番の偉い奴だ。そしてお前たちの住む場所で好き勝手やってる魔族は大陸で罪を犯し、大陸を追放されたやつらだ。俺を倒してもそいつらが大人しくなることはないぞ」
これはすべて事実だ。勇者たちはこれを興味深そうに聞いている。真偽を疑う者ももちろんいるだろう。
「……なるほど。自分の不利を悟り、我と勇者が共闘することを避けようという魂胆か。甘言で勇者を引き入れようとするとはな。中々に頭が回るじゃないか魔王よ。勇者どもよ、惑わされてくれるなよ」
「――で、誰だよお前」
玉座の魔族の表情が明らかに不快に歪む。だがすぐに表情を戻し、悠然と玉座から立ち上がる。
「忘れたのなら思い出させてやろう。我の名はグリムガル。貴様に殺された亡霊だ。貴様への復讐のために地獄から舞い戻ってきたぞ」
メールメーラーの予感は的中した。
「そんなのありえない。前魔王のグリムガルは死んでるはずっすよ」
勇者の力で人が蘇生できることは知っているが、それにはたしか条件があったはずだ。死んで間もない死体が必要なはずで、前魔王のグリムガルが死んだのは一年前だ。蘇生の条件は満たせない。だが、グリムガルの後ろにいるダグマリアがいることである程度推察はできる。彼女は初めからこのつもりだったのだ。グリムガルが魔王クリアノートに殺された際に不可逆の魔法を使い、死体の時間の流れを止めた。そして死んで間もないという条件を満たした。もしくは、そもそもグリムガルは死んでおらず、息をひそめて勇者とともに魔王クリアノートへの復讐する機会を窺っていたのか。どちらにしてもダグマリアの協力は必須だろう。
「裏切ったんすかダグマリアさん」
ダグマリアはなにも答えない。ただ従順に、グリムガルへ頭を垂れて跪いている。
「裏切りではない。主が死してなお途切れぬ忠誠心だ。我のために動き、我のすることには絶対服従。そうなるように我が矯正したのだ」
そう言いながら、グリムガルはダグマリアの頭を踏みつける。ダグマリアは地面に顔を押しつけられる。しかし彼女は抵抗しない。
魔王クリアノートの脚に力が込められる。
「さあ部下思いの魔王よ。ここがお前の墓標だ」
周囲の気温が一気に下がった。それを肌で感じる瞬間に、魔王の間がすべて氷で覆われた。氷の勇者の仕業かと思ったが、氷の勇者も驚いた表情をしている。彼ではない。これはグリムガルの御業か。だが魔法に氷を生み出すような力はないはずだ。
一方、魔王クリアノートは氷の床で足を滑らせで体勢を崩した。
「今だ勇者たちよ。精霊の力を解き放て」
魔王の間を覆うように配置されていた勇者たちが、炎や氷の塊などの遠距離攻撃を放つ。
「うお、やべ。滑るなこれ」
勇者たちの放つ一斉攻撃を、魔王クリアノートは一身に受ける。魔王クリアノートは今までの勇者との戦いで一度も攻撃を受けたことはなかった。早すぎる移動速度と、一気に相手を制圧する膂力で早々に決着をつけていたからだ。
この氷の空間は、魔王クリアノートの身体能力を封じ込めている。動けば滑ってまともに動くことができない。
勇者の攻撃を受けた魔王クリアノートは、魔王の間の端まで滑走していく。
「ふざけやがって」
魔王クリアノートは足を振り上げ、一気に床に踏み下ろした。氷を割るつもりだろう。しかい床の氷は割れずに、クリアノートは氷の上でひっくり返った。
「無駄だ魔王よ。この氷には不可逆の魔法をかけている。そう簡単に壊すことはできん」
クリアノートはバランスを保ちながら、ぷるぷるとした足で立ち上がる。
「この氷はお前の魔法だろ。魔法の重ねがけはできないはずだ」
「違うな。物質は常に運動をしている。その運動を不活性の魔法でゼロにした結果がこの凍結だ。すでに起こった事象に魔法をかけることを重ねがけとは言わん」
「……あっそ。でも不可侵の壁を足場にすれば解決できるだろ」
「ならばやってみるといい」
魔王クリアノートは手をかざして魔法を出そうとする。しかしなにも起こらない。
「魔法を使えないことが不可解か? 貴様が言ったのだぞ。魔法の重ねがけはできない。この空間には、下がった気温に対して不可逆の魔法をかけている。すでにかけた魔法は、それを超える出力で上書きするしかないが、貴様のスペシャルは身体能力だろう。貴様はこの空間で魔法は使えない」
身体能力を封じられ、魔法も使うことができない。メールメーラーも試しに魔法を使おうとしたが、強い力に打ち消されるような感覚だけが生まれる。
魔王クリアノートは屈むような体勢になり、片足を壁につける。そのまま壁を蹴って氷の床を物凄い速度で滑走する。もちろん向かった先はグリムガルの元だ。しかしクリアノートの目の前にいくつもの不可侵の壁が現れる。グリムガル自身は魔法が使えるようだ。おそらく自分が魔法を使う時だけ空間にかけた魔法を解いているのか、この場にかけられている魔法よりも強い出力で魔法を出しているのか。
そしてクリアノートの動きは直線的であり、その移動先に勇者たちが精霊の力で遠距離攻撃を行う。クリアノートはまたも攻撃を受け、再び魔王の間の端まで押し戻される。何度やっても同じ結果になるだろう。動きがいくら速くても、どこに来るのかわかっていれば対処はできる。
「そうやって無駄に動けば、この氷点下で体力は通常よりも多く消耗するだろう。卑怯だと思うか? 自らの得意を押しつけ、相手の得意を発揮させない。これは立派な戦術だ。自らの力を発揮できていれば、そう思いながら後悔して死ぬといい。貴様が死ねば、蘇生のできないように死体を粉微塵にしてやる」
魔王クリアノートの体にはいくつか傷がある。いくら身体能力があろうとも、炎や氷や水や土塊や鉄塊や弓や剣などをまともに受ければもちろん負傷する。
身体能力は封じられ、魔法を使えず、そして体力は有限だ。
この状態が続けば、確実に魔王クリアノートは敗れるだろう。
しかし『絶対無敵』は不敵に笑う。
「自分の力を発揮できていれば、そう思ってお前は死んだのか。それは悪かったな」
グリムガルは図星を突かれたのか表情を一瞬消す。
「じゃあ今回は存分に発揮しろよ。せいぜい足掻け。抵抗しろ。無い知恵を絞れ。俺に瞬殺されないようにな‼」