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後編

「お見せしましょう。

 あの日の真実を、貴方に……」


 そうして、エレナはゆっくりと呪文を唱え出しました。



【ひなげしの葉

 鏡花の蔓

 深緑の針子

 糸張りの夢


 小部屋の祈り

 遥かな幻影

 今ここに甦りて

 映し伝えよ】



「……」


 王は紡がれる魔法をただ真っ直ぐに見つめていました。

 それが危険なものではないことなど、とうに分かっていたのです。分かっていながら、止められなかったのです。

 だから王は、エレナが紡ぐ優しい歌声のような詠唱に、今はそっと耳を傾けたのです。



『……た』


「なっ!」


『あなた……』



 そしてエレナが呪文を唱え終えると、あの日の幻影が部屋に現れたのです。


「ま、さか……メルティア……なのか?」


 そこに現れたのは美しき王妃。

 痩せ細り、やつれてはいましたが、あの日の輝きを持ったままの王の伴侶その人でした。

 透き通った薄い幻影の姿でしかありませんでしたが、王にはそれが旅立つ直前の王妃の姿であることがすぐに分かりました。


『今、優しい魔女さんに頼んで、あなたに最後の言葉を残させてもらっているわ』


「おお……メルティア」


「……あ」


 静かに語りだした王妃の近くに、同じように一人の魔女の幻影が浮かび上がったことにエレナは気が付きました。

 長い白い髪に夕日色の瞳を持ち、どこまでも優しい微笑みをたたえた魔女でした。そしてその手には、花のレリーフが彫られた手鏡が握られていました。


「……お母さん」


 エレナは自分にそっくりな懐かしき母の姿に目頭を熱くしました。


『あなたがこれを見るのはいつになるのでしょう。明日? 明後日?

 それとも、もっとずっと先のことになるのでしょうか。

 ……いいえ、そんなことはないでしょうね。きっと、すぐに優しい魔女さんたちが気付いてくれるはず』


「……っ」


 王妃の言葉に王は胸を締め付けられる思いでした。

 あの日のあと、王はすぐに全ての魔女を王宮から追い出したから。

 それによって、あの日の真実は語られぬまま長い年月が過ぎてしまったから。


『勝手に逝ってしまってごめんなさい。

 でもね、きっと事前に言えばあなたは止めたでしょうから。だから、優しい魔女さんに夜にこっそりお願いしたの。

 もう、楽にして、って……』


「……メルティア」


 王の目からはいつの間にか大粒の涙がぽろぽろと溢れていました。


『私は何より、大事なメイドたちや愛するあなたを傷付けてしまうことが辛かったのよ。

 正気に戻ったときの荒れた部屋と皆の疲れたような笑顔。

 それを見るのが何より……。

 いっそ、もうこのままずっと狂ってしまっていられたらと何度思ったことか。

 皆のこんな悲しそうな顔を見るぐらいなら正気になんて戻さないでほしい、と……』


「……メルティア」


 王は王妃の告白にただ涙を流しながら名前を呼ぶことしかできませんでした。

 エレナもまた、自然と涙が頬を伝っていました。


『……だからね、優しい魔女さんに頼んで終わらせてもらったの』


 王妃は悲しげに微笑みました。


『魔女さんには申し訳ない頼みだと思ったわ。だって狂気病は魔女さんの魔法でも治せない病気だから。

 だから魔女さんはその命と引き換えに、私を終わらせてくれたの。人間に魔法で危害を加えることは魔女さんには許されないことだと知っていながら……』


「!」


 自分が目の敵にしていた魔女は自らの命と引き換えに愛する妻を救ってくれた。

 王はその事実に酷く衝撃を受けました。

 魔女は逃げたのではなく、その場で妻とともに果てたのだと知ったから。

 自分が怒りと憎しみを向けていた相手は、他の誰より敬意を払うべき相手だったのだと分かったから。


『だからね、あなた。

 恨むなら勝手に逝った私を恨んで。

 憎むなら、あなたを一人残して楽になった私を憎んでください。

 そして、どうか他の魔女さんたちに最大限の感謝と賛辞を。出来得る限りの敬意を。

 それが、自らの命を投げ出して私を救ってくれたこの優しい魔女さんへのせめてもの返礼だわ』


「ああ……ああ……。私は、私はなんて愚かなことをっ!!」


 王はとうとう絨毯に膝をついて嘆きだしてしまいました。

 感謝すべき魔女を排斥し、弾圧し、時にその命を奪ってきた。

 自分のその愚かな行いを。

 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない、愚かすぎた自分の行いを、王は心の底から嘆いたのです。


『……いいのよ、そんなこと気にしないで』


「!」


 そのとき、それまで黙っていたエレナの母が語りだしました。

 エレナは懐かしき母の声に顔をあげます。


『政務で魔女と触れる機会があった王と違って、貴女は魔女の魔法を受けなくても十分に過ごしていけるだけの立場にあった。

 まさか、それが逆に狂気病の侵食・発症を促す結果となるなんて。事ここに至るまで、誰も気付けなかったもの』


 どうやらエレナの母は魔女の魔力が狂気病を予防することを察していたようです。この段階まで来てようやく、ですが。


『……人間が思い上がった罪ね。

 人の上に立って、人の作ったものたちの上で生活して、自分では何も為さずに大地から離れすぎた結果がこれなのよ』


 王妃の苦笑に魔女は首を横に振ります。


『それは違うわ。

 人が生きていく上で、それをまとめる存在は必要よ。

 私たち魔女が、そんな貴女たちをもっと側で支えてあげていれば良かったのよ。

 魔女は、そのためにいるのだから』


『……貴女たちは、本当に高潔な人たちなのね』


『お節介なのよ』


『ふふ』


 そう言って笑い合う二人は、なんだか長年の友人のようにも見えました。


『……エレナ』


「え?」


 エレナの母はそこで、エレナの方向を向いて話し始めました。

 そこにいるのが、自分たちの想いを映し出してくれているのがエレナであると確信しているかのように。


『……ごめんなさいね』


 エレナの母は申し訳なさそうに眉を下げました。


『これを聴いているということは、きっと始まりの魔女から全てを受け継いだのでしょう。

 あれは本当は、私が受け継ぐはずだったのに』


「!」


『けれど、私はどうしても彼女を放っておけなかった。救ってあげたかった。

 それが魔女だから。

 魔法で人々を救うのが魔女だから。

 だからそのために、私は貴女に全てを託してしまったわ』


「……お母さんらしいわ」


 エレナは流れる涙をそのままに、穏やかに微笑みました。

 それは、何だかとても母らしい選択だとエレナは思ったから。


『……始まりの魔女は、リセットしようとしていたのよ』


 そして、エレナの母は悲しそうに目を伏せます。


「!」


『狂気病によって人間たちが倒れる。

 でも、始まりの魔女の結界で守られた人々は無事に生き残る。

 彼女は、結界の中の人々以外の全ての人間が滅んでから結界を解放し、再び魔女と人とが手を取り合って生きる世界を作ろうとしていたの』


「……」


 エレナは始まりの魔女が空飛ぶ島の白い花を咲かせないようにした理由を理解しました。


『でも、貴女にそれを託したということは、始まりの魔女もそれが違うってことに気が付いたのね。思い出した、と言うべきかしら。私たちは皆、彼女から生まれたのだから。

 魔女は支配者じゃない。人間の上位種じゃない。

 魔女は人々の暮らしをそっと助ける存在。

 その根本的な意義を始まりの魔女は危うく忘れかけた。

 だから、その全てを貴女に託したの』


「……」


『貴女には辛い選択をさせるわ。

 でも、私は信じてる。貴女ならきっと選択できると。

 ううん。貴女の選択こそが、正しい答えなのだと』


「……お母さん」


 エレナの母は慈愛溢れる優しい微笑みをエレナに見せました。


『貴女なら出来るわ。貴女がどんな選択をしようと、それが全ての魔女の選択よ。

 何も心配しないで、貴女が思うことをやりなさい』


「……ありがとう」


 エレナは手に持つ手鏡をぎゅっと胸に抱きました。母の温もりを思い出すかのように。



『……あなた』


「メルティア……」


『この国を、皆を、魔女さんたちを、よろしくね』


「……だが、私は……私はもう……」


『大丈夫よ』


 王の嘆きを予期していたかのように、王妃の幻影は優しく微笑んで頷きました。


「!」


『あなたは何度でもやり直せるわ。何度でも立ち上がれるわ。

 だって、この私が心から愛した人だもの。

 あなたが本当は誰よりも優しくて、誰よりも誇り高いことを私は知っているわ。

 だから、あなたなら大丈夫。

 また皆で、手を取り合って一つずつやっていけばいいのよ。

 あなたは、皆の王なんだから』


「……メルティア」


『……王妃様。そろそろ』


『……ええ』


 エレナの母に声をかけられ、王妃は静かに頷きました。また狂気病が起きる前に終わらせなければならないから時間はあまりなかったのです。

 それでも、この想いをこの部屋に残したいと王妃と魔女は賭けに出たのです。

 王妃がまた再び自我を失う前に想いを残そうと。


「……メルティア。すまない。私はやるぞ。頑張るぞ。

 メルティアと魔女に恥じない国を、また皆と作るんだ……」


 果たして、それは功を奏したようでした。

 王の目には、悲しみとともに決意のこもった想いが宿っていました。


『あなた。愛しているわ、ずっと……』


『……始めるわ』


 その言葉を最後に幻影は消えました。

 エレナの母が次なる魔法を使うために想いを遺す魔法を解除したのです。王妃を、自らの命と引き換えに終わらせる魔法を。


「……私もだ。私も、この生涯を終えるまで、永遠(とわ)に君を愛している……」


 王は消え去った幻影に誓うように、強く拳を握りました。


「……では、こちらも始めるとするわ」


「……え?」


 涙をぬぐってホウキを出現させたエレナを、王は問い掛けるように見上げます。


「この街を、人々を救うのよ。

 貴方がもう一度始めるためには、貴方を支える人々が必要だから」


「……ど、どうやって……。魔女がその命をかけても狂気病は治らないんだ。

 もう、この街の人々は……」


「あら。また皆と作るのでしょう? 頑張るのでしょう?

 その言葉は嘘だったのかしら?」


「し、しかし……」


 エレナの確信を持った笑みに王は困惑していました。


「……大丈夫。人々を救うのが、魔女の使命だから」


「あっ!」


 エレナはそう言うと、ホウキに乗って窓から飛び出し、夜空へと舞い上がって行きました。

 王は慌ててそのあとを追い、バルコニーに出ました。


 エレナはそのままぐんぐんと高度を上げていき、やがて街全体を、そしてその周りに点在する村々をも俯瞰できる高さまで飛び上がりました。


「……このぐらいでいいかしらね」


 そして、冷たい空気が張り詰める高さまで上がると、エレナは手鏡とテネリからもらった白の花を手にしました。


「あなたの力を貸してね、テネリさん」


 エレナは白の花に口づけをすると、それを高く放り投げました。

 そして、揺蕩う白の花に手鏡をかざしたのです。

 そうしてエレナは静かに、歌うように魔法を詠唱し始めました。



【ひなげしの葉

 鏡花の蔓

 深緑の針子

 糸張りの夢

 

 (ふる)き時代の戒めを解き放ち

 新しき世界を生きる命に祝福を

 祝いの花を手向けに……】



「……」


 詠唱の途中でエレナは一瞬迷いましたが、手鏡を握る手に力を込め、詠唱の続きを綴りました。



【……祝いの花を手向けに

 魔女たちは飛び立とう!】



 エレナが呪文を唱え終えると、手鏡に映された白の花が大きな大きな光の花となって夜空に咲きました。

 その眩しいほどに輝く白の花は世界を照らし、全ての狂気病の人間を照らします。



「な、なんだあれはっ!」


「すごい……キレイ……」



 人々は突然明るくなった空に驚き家を飛び出し、そして夜空に咲いた一輪の大きな大きな光の花を見て、さらに驚きました。

 その花は夜空を埋め尽くし、地上からそれが見えない場所はないぐらいに大きくその花弁を広げました。


「……くっ。魔力を、すごい持っていかれるわ」


 白の花の魔法を行使するエレナはそのとてつもない魔力の消費量に苦悶の表情を浮かべていました。

 額に汗が浮かび、夕日色の瞳は苦しそうに揺れます。


「……負けない。私は人々を救うのよ」


 しかし、エレナはさらに手鏡を握る手をぎゅっと握りしめ、空に輝く光の白の花を見上げました。


「テネリさんの旧時代の力で狂気病の原因になっている風化の砂塵を吸収、相殺させる」


 かつて世界を滅ぼした機械兵であったテネリの祈りがこもった白の花。それには狂気病の原因となる風化の砂塵を相殺する効力がありました。

 エレナはその花の力を魔法で増幅し、全ての狂気病発症者を元に戻そうとしているのです。


「……っ」


 しかし、その規模は果てしなく膨大で、普通の魔法では症状を和らげることさえ出来ないほどの狂気病を全て癒すのは至難の業でした。

 それをするには、魔女の禁忌に触れるしか……。


「……命ならあるわ。

 永遠なんていらない。

 始まりの魔女から受け継いだ永遠の命。

 それをあげる。

 なんなら、私はここで終わってもいい。

 魔女は、私で終わりでもいい。

 だから、人を救う力を、私にちょうだい!!」


 そして、光の花はさらに強烈に輝き、世界中を照らしました。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「……エレナ。

 そう。貴女はそうしたのね……」


 その光の白の花は始まりの魔女の結界をも通り抜けて、その島の全てを照らしました。

 始まりの魔女とそのお伴の魔女たちはその光る白の花を見上げながら全てを理解しました。


「……エレナ。せめて、私たちも少しでも力に……」


 始まりの魔女は周りの魔女たちに頷くと、杖を高く掲げました。

 それに続くように他の魔女たちも魔法媒体を空に掲げます。

 今ここには、エレナ以外の現存する全ての魔女が集まっていました。


「願わくば、エレナだけでも残してあげて。私たちの全てをあげるから、全てを背負ったあの子だけは生きていて……」


 そうして、その場にいた全ての魔女は自らの命と魔力を光の白の花に捧げたのです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「!」


 そして、エレナは魔女たちの命のこもった魔力が白の花に注ぎ込まれたのを感じました。


「……皆、ありがとう……」


 同時に、本当に自分がこの世界の最後の魔女になったことを理解して、エレナは涙を流しました。


「……さあ! これで終わりよ!」


 そうして、エレナは永遠の命と全ての魔女の命と魔力を光の白の花に注ぎました。

 それによって、白の花の光は世界中の全てをあまねく照らし、全てが白く輝いたのです。


 



「うおおおぉぉぉぉーーーっ!! 壊せー!! 全部! こわ……?」


「ガアアァァァァーーー……あ……」


「……あ、ああ……?」


「光、が……」




 やがて、その光の恩恵を受けた狂気病発症者たちが動きを止め、その眩しいほどに優しい光に吸い込まれるように見惚れていきました。




「……私は、いったい何を……」


「……ここは?」


「……なんて、キレイな空なんだ……」




「お、おまえ、正気に戻ったのか!?」


「ああ、あなた……」


「き、奇跡だ……」




 そして、狂気病にかかっていた人々は正気を取り戻し、それを止めようとしていた家族たちは彼らを抱き止めました。



 その日、全ての狂気病発症者は正気に戻り、二度とその病が発症することはありませんでした。

 旧き時代の罪は、ようやく赦されたのです。







「……ふぅ」


 やがて、輝く白の花はゆっくりと静かに消えていきました。吸い上げた風化の砂塵とともに。

 対消滅したそれらが人々を蝕むことは二度とないでしょう。


「……生き残ったのね」


 そして、エレナは生きていました。

 始まりの魔女から受け継いだ永遠の命を自らの命もろとも捧げたエレナでしたが、永遠の命を失っても、エレナとしての命だけはエレナの中に残ったのです。

 他の全ての魔女の命と引き換えに……。


「……まだ、私にはやるべきことがあるってことね」


 エレナはそう呟くと僅かな魔力を振り絞ってホウキを飛ばしました。

 王の待つ部屋へと。




「終わったわ」


 エレナが再び王のいる窓に降り立つと、王はぺたんとその場に崩れ落ちました。


「……治っ、た、のか?」


 王は信じられないといった表情をしていました。魔女の魔法でも治すことはできないと言われていた、呪いのような病だったから。


「ええ。もうこの世界に狂気病なんてものは存在しないわ」


「ああ……!」


 王はエレナのもとにズルズルと近付きました。腰が抜けてしまっているのか、這うようにしてエレナに近寄り、その手を両手でしっかりと握りしめました。


「ありがとう……本当に、ありがとうっ!」


「!」


 そう言って頭を下げる王から、エレナに返礼がやってきました。

 王は真にエレナに感謝を伝えたのです。


「……それが、私には何よりの賛辞だわ」


 魔女を排斥し、虐げていた王からの心からの返礼。

 エレナはそれだけで自分の行いが報われた気がしました。


「……もう、私たちがいなくても貴方たちは大丈夫ね」


「ど、どういうことだっ!?」


 呟くように告げられたエレナの言葉に、王は慌てて顔をあげました。

 エレナはとても穏やかに微笑んでいました。


「貴方以外の全ての人間から魔女に関するあらゆる記憶を消したの。

 私たち魔女は、この世界には存在しなかったことになったのよ」


「な、なぜだっ!?」


 エレナは光の白の花に、魔女に関する記憶消去の魔法も込めていました。

 そして時を同じくして、始まりの魔女のいた島の結界は解放され、そこにいた魔女たちもまた姿を消していました。

 エレナ以外の魔女はもう、そこにしかいなかったから。

 他の魔女はそのときを察して、その身を捧げるために集まっていたから。


「安心して。もう魔女の魔力を受けなくても狂気病にかかることはないから」


「そ、そうではない! なぜ君たちがいなくならなければならないのだ!

 私は、私たちはまだ、君たちに何も返せていない!」


 王はエレナにすがりつきました。

 魔女の魔法が必要なのではなく、魔女に何の恩返しも出来ていないと叫びながら。


「……そう、思ってくれているだけで十分よ」


 魔法が必要なのではなく、魔女に感謝を。

 王のその想いを感じることができて、エレナはさらにその決意を固めたのです。


「貴方たちはもう大丈夫。

 人は、もう魔女の魔法がなくても大丈夫。

 魔法がなくても、貴方たちは道を(あやま)ることなく生きていけるわ」


 かつてその道を過って世界を滅ぼした人々。

 再び悲劇を繰り返さないために彼らをそっと助ける存在、それが魔女。

 エレナは、そんな魔女の役割は終わりを告げたと判断しました。



『人間が魔法で救うに値するか見極めなさい』



 かつて魔法を教えてくれた魔女に言われた言葉。

 その意味を、エレナはようやく理解したのです。


「魔法で救わなくても、貴方たちはもう自分たちの足で歩いていける。

 魔女の力を借りなくてもやっていけるわ」


「だ、だが! それで我々は失敗した!

 また悲劇を繰り返すかもしれない!」


「……もう、大丈夫よ」


「……」


 エレナの穏やかな笑みに、王は引き止めても無駄なのだと悟りました。

 それはまるで、雛の巣立ちを見送る母鳥のようでした。

 そして、王はいつまでもそれにすがっていてはいけないのだと理解したのです。


「……分かった。

 私に任せてくれ。

 必ずや、君たち魔女に恥じない生き方をしてみせる。

 絶対に悲劇を繰り返したりなどしない。

 私が死ねば、君たち魔女は伝説に、あるいはただの噂話になるだろう。

 それでも私は伝えていく。

 人々に、君たち魔女の偉大さを。

 託してくれた魔女たちのためにも、我々は道を過ってはならないと。

 それが愛する妻を、全ての人類を救ってくれた君たち魔女への最大の返礼だ」


「……楽しみにしてるわ」


 王の決意に満ちた顔にエレナは優しく微笑んだのでした。








「……これから、君はどうするんだ?」


 ホウキにまたがって去ろうとするエレナに王は尋ねました。

 魔女を知らない世界。

 そこで、最後の魔女はどう生きていくのかと。


「……やることは決めているの。

 でも、まずはゆっくりと、ひっそりと世界を旅しようかしら。

 永遠の命ではなくなったけれど、それでも魔女の一生は永いもの」


「……寂しく、ないのか?」


 誰も自分を知らない世界。

 そんな世界で生きるのは、どんな気持ちなのでしょう。


「平気よ。

 魔女は一人で旅をするものだから。

 魔女の魔法は人を少しだけ豊かにするもの。

 与えすぎてはいけない。なくてもいけない。

 だから、魔女は一人で旅をするの。

 人々の笑顔を見ることができたなら、私はそれで幸せ」


「……つくづく、君たち魔女というものは……」


 王はその高潔さに心を打たれてばかりでした。

 そして、その美しさを人間たちも見習わなければ、と。


「……魔女よ。どうか、良き旅を」


「……ありがとう」


 胸に手を当てて頭を下げる王に優しく微笑んでから、エレナはホウキを飛ばしました。

 誰もエレナを知らない空へ。

 魔女という存在のない世界へ、最後の魔女は飛び立ちました。


 魔女エレナの一人旅は今ここから始まったのです。




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[一言] お母さあああああん!!!!(ブワッ)
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