ゆるふわ聖女は追放ですか?
ゆる〜い設定ですのでふんわりとお読みいただけましたら幸いです。
「いつかわたしも、追放されてしまうのでしょうか……」
「は?」
聖女フィーナのため息に、牧師の青年エドが振り返った。コンロの前で鍋を掻き回しているエドは怪訝な顔をしている。
椅子から降りて彼のそばへと寄ったフィーナは、今日町の人から仕入れた知識を披露してみる。
「最近王都で追放もの、という物語が流行っているらしいのです。邪を払う聖なる力を秘めた聖女は人々の希望なのですが、聖女の血を継ぎながらも才能が開花しない主人公は無能扱いされ、教会から追放されてしまうのだとか」
「現実の聖女は神秘の力もなんにもない、ただの象徴でしかないけどなー」
信仰の象徴たる敬虔な乙女。それがこの国の聖女なのだ。
エドの情緒がない突っ込みは無視して、フィーナは憂いに満ちた吐息をこぼす。
「無能な聖女。まさにわたしなのです……」
掃除をすれば礼拝室の窓を割り、女神像に傷をつけ。聖女という肩書きを持ちながら信徒でもなんでもないので、ハクア教を説くこともできない。布教活動はいつだってエドが担っている。フィーナができることと言ったら、相談室にやってくる町の人の話をただ聞くだけ。
日常生活では料理も洗濯もまともにこなせず、教会の二階で一緒に暮らしているエドに負んぶに抱っこ。十七歳にもなって、フィーナは自立というものからかけ離れた生活を送っていた。
「無能だから追放、ねぇ。同情を誘うために展開を盛ってるだけだろ? 現実に起こったりしないって」
火を止めたエドは鍋の中のデミグラスソースをスプーンで掬い。ふうふうと冷ましながら、馬鹿にしたようにそう言った。
「世の中に絶対はありません。なので、エド。わたしにも何かお仕事を――むぐ」
せめて料理くらいは、と意気込むフィーナの口に、スプーンが問答無用で突っ込まれる。口の中に広がるのは、甘いビーフシチューめいた味。
「味は?」
「美味しいです!」
舌鼓を打ちながら、長い金髪をふわふわと揺らして首を傾げる。
「お夕飯はハンバーグですか?」
「ハズレ。オムライスだよ」
「オムライスっ!!!」
雪のように白い肌を紅潮させて、フィーナは瞳を輝かせた。オムライスは彼女の一番の好物だ。
芳ばしいケチャップライスをとろふわな卵で包み、デミグラスソースをかけた完成図を想像して、フィーナは浮き浮きする。先程までの懸念も話題すらも、頭の中から吹っ飛んでいた。
危ないからテーブルで待ってろ、とエドに追い払われるまま再び椅子に戻り、フィーナはにこにこと彼の背中を見守る。
こうして今日も、聖女フィーナは口は悪くも面倒見のいい牧師の青年に甘やかされ、堕落した一日を終えるのだった。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
「聖女フィーナ。本日をもってあなたを教会から追放します」
物語の出来事が現実に起きてしまったのは、あの会話から三日後のことだった。礼拝の時間を終え、人心地着いた昼下がりにやってきたお客さんから、フィーナはそう宣告された。
「今日からあなたに代わって、わたくしがこの町の聖女を務めます」
マリアと名乗った女性はおそらくエドと同じ年頃。二十歳に届くかどうかくらい。彼女はハクア教の本部――王国教会で聖女見習いとして働いていたらしい。
「……はぁ」
事前の報せもなく突然解雇を言い渡されて、フィーナは間抜けな反応しかできなかった。
「なんでもこの町では教会と関わりのない娘を聖女と祀っているとか。先代領主の破天荒さ故に許されていた愚行を正すため、わたくしが遣わされたのです」
先月領主が交代したことは、もちろんフィーナも知っている。以前から領主の下にはフィーナを聖女として祀ることに疑問を抱く声が届いていた。先代領主はそういった嘆願書をすべて無視していたが、新しく代わった領主はその声に耳を傾けることにしたのだと、マリアは語る。
教会本部と相談し合い、この町の聖女も他と同様、正式な教会の聖女に任せることが決まったのだ、と。
フィーナの生活は領主からの寄付金で成り立っていた。その領主が代わってフィーナを追放するというのなら従う他ない。
「こちらは、領主様からのお手紙ですわ」
流麗な字で書かれた文面をゆっくりと目で追ったフィーナは、丁寧に手紙を折り畳み、わかりました、と答えた。
「行くあてはあるのか?」
荷物をまとめていると、エドがやってきた。
「とりあえずは、孤児院に帰ろうかと。その先どうするかは……どうしましょう?」
不器用なフィーナでも務まる職は、果たして存在するのだろうか。
「お前が育った孤児院って、徒歩で行ける距離じゃなくないか?」
「行商人さんに頼んで途中まで荷馬車に乗せてもらおうと思います」
今日は日曜日だから、顔馴染みの行商人が来ているはず。人の好い人物なので頼めば快く引き受けてくれるだろう。
フィーナの答えに、エドはふぅん、と相槌を打つだけ。四年間家族のように過ごしていたフィーナが出て行くことを惜しむ素振りは見られない。なのでフィーナも、別れの挨拶はあっさりと済ませることにした。
「それでは、エド。今までお世話になりました」
「あぁ、達者でな」
二人が交わした言葉は、それだけだった。
教会を出たフィーナは、行商人を探すために市場へ向かった。慣れ親しんだ町をちょっとだけしゅん、としながら歩いていると、
「あら、聖女さまじゃない。こんにちは」
声をかけてきたのは、教会によく来てくれる主婦の女性――アンナだった。
「ふふ。お出かけかしら? 牧師さまが一緒じゃないなんて珍しいわね」
「いえ、お出かけではないです。実は、今日で聖女を別の方と交代することになってしまったのです」
「ええ!??」
アンナの素っ頓狂な声は、それなりに賑わった通りでもよく響いた。彼女の声を聞きつけて、たちまち人だかりができる。
聖女さまだわ、とか。一人でどうしたんだ、とか。次々に飛んでくる声にフィーナが応じ、教会を追放されてしまったことを伝えると、町の人たちの目の色が変わった。
「聖女さま、行くあてはあるの? ウチにいらっしゃる?」
「あ、いえ。大丈夫です。ひとまず孤児院に帰りますので」
ふるふると頭を振ると、ホッとしたような空気が流れる。それは一瞬のことで、フィーナを取り囲んだ人々はちょっぴり怒ったような顔で、
「安心してくれ、聖女さま。俺たちがなんとかするから」
「ええ、ええ。聖女さまは何も心配要らないわ」
謎の自信と共にそんなことを言われてしまったので、
「……はぁ」
フィーナはやっぱり、曖昧な相槌を打つしかなかった。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
「領主に嘆願書送ったのってマリア?」
フィーナを見送ったエドは、空き部屋の掃除をしているマリアにそう尋ねた。
この町の聖女の起源を知っていれば、フィーナを邪魔者扱いする人間などいない。いるとすれば、彼女に取って代わろうとする者くらいだろう。
「何か問題ありまして? 信徒でもない部外者が聖女を名乗るだなんて、ハクア教に対する冒涜行為ですもの。これまで許されていたことがおかしいのです」
エドとマリアは顔見知りだ。定期報告で王国教会に顔を出す際、何度か顔を合わせている。いいところのお嬢様なマリアは甘やかされて育ってきた分視野が狭いのが短所だが、真面目な女性だ。今回のことも、特に他意はなく潔癖ゆえに取った行動だろう。
エドは別にマリアを責めようとは思わない。教会を追放されたからといって今生の別れというわけではまったくないし、聖女の立場から解放されるのはフィーナの為にもなるだろうからだ。ただ、
「問題はないけど問題は起きるかもなー」
ぼそっと呟くと。エドの懸念をどう解釈したのか、マリアは自信たっぷりに微笑んだ。
「心配無用ですわ。素人の聖女にわたくしが劣るはずありません。民草にしっかりハクア教の教えを説いて差し上げます」
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
しかし――。
マリアが自信満々でいられたのも、赴任した初日だけだった。
あれから十日。聖女として規則正しい生活を心がけていたマリアは――起床時刻どころか、教会を開ける時間になってもベッドの中にいた。
動くことのないシーツの塊をエドが眺めていると。
「聖女さま〜!!??」
階下から聞こえて来る子供の声に、塊がびくり、と動いた。
今日は水曜日。相談室を開け、訪れた人々の悩みに耳を傾けるのが聖女の仕事――なのだけれども。ひっきりなしに訪れる悩み相談に、マリアの心はすっかり参ってしまっていた。
聖女の姿が見えないからか、呼び声は子供の泣き声に変わった。宥める母親の声が微かに聞こえてくる。
「いつまでそうしてるつもりだ? とっくに相談者は下に来てるぞ?」
仕方なくエドが声をかけると、
「もういや! 毎日毎日毎日毎日! この町の人間と来たら、悩み相談に託けた愚痴ばかり!!!」
シーツの中から悲鳴が上がった。
「だいたい何よ、リンゴの木を植えたのに苗がなかなか成長しなくて子供が泣くので困っています、聖女さまの力でなんとかしてくださいって! 無理に決まっているでしょう!!? わざわざ教会に来てまで吐き出すこと!?」
フィーナはそんな話まで真面目に聞いていたのか、とちょっと呆れつつ。
そりゃそうだよなーと思う。悩み相談といえば聞こえはいいけれど。実際のところ、この町の教会で行われているのは愚痴の吐き出しだ。
上司への止まらない愚痴。嫁や姑との確執。領主への不満。その他色々。礼拝の日以外、信者でなくとも解放される相談室にそんな話をするためだけに、町の人たちはやってくる。
有り体に言えば、この町の聖女とはつまり、愚痴の捌け口なのだ。
それが当たり前になってしまったのは、エドの祖父が原因だった。牧師の祖父は人が好く、相談室を誰でも使えるように解放してしまった。町の人たちはストレス発散のために教会に通うようになり、いつしかそれが日常となった。問題が起きたのは、エドの父の代だ。祖父と違って繊細だった父は現在のマリアと同じような状態に陥り、精神を病んでしまったのだ。
相談室を閉じてその時は対応したものの、町の人たちは不満を募らせ、領主に嘆願書を送りつけた。頭を抱えた領主は町外れの孤児院から少女を引き取り、聖女として祀りあげることを思いついた。その少女というのがフィーナだ。資金不足で運営に苦労していた孤児院への援助を条件に、当時十三歳だったフィーナは教会へやってきた。
にこにこと微笑みながら人々の悩みに耳を傾け、寄り添い、時には窘める。そんなことを愚痴一つこぼさずに四年間続けてきたフィーナの偉大さがよくわかる。その彼女はもういない。他の誰でもない、目の前の少女が追い出してしまったのだから。
さて、と。エドはシーツに潜り込んだまま出てこない聖女を眺めながら、頭を悩ませる。仕事だろう、と叱咤するのは簡単だけれど、人間の愚痴を朝から晩まで聞き続ける行為は精神を磨耗させる。無責任に頑張れ、などとは言えない。
代わってやりたいところだが、彼ら彼女らは聖女を求めているのだ。牧師のエドでは意味がない。今日のところは体調不良で乗り切るかなーと算段を立てていると、子供の泣き声が唐突に止んだ。響いて来るのは、明るい笑い声。
不思議に思いつつエドが礼拝室に降りていくと、見慣れた少女がしゃがみ込み、男の子と語り合う姿があった。
エドに気づいた少女――フィーナは一瞬だけ目を瞠って、
「聖女は交代と言いましたが、わたしが誤解していただけでただの休暇でした。本日から復帰しますね」
そう言って、微笑んだ。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
相談者を捌ききり、二階の生活区域へ戻ると、テーブルに置き手紙があった。几帳面な文字で王都へ帰ります、と書かれている。マリアのものに違いなく、彼女はいつのまにか教会を出て行っていたみたいだ。
フィーナは苦笑して、手紙をエドにも見せた。
「……マリアが音を上げるのは予想通りだが。お前はなんでわざわざ戻ってきたんだ?」
「聖女さまがいなくて寂しい、とたくさんのお手紙が孤児院に届いたのです。元々、渡された領主様のお手紙にもマリアさんの気が済んだら教会に帰っておいでとありましたから」
「せっかくの解放される機会を手放すってわけね」
「エドが送り出してくれたのは、わたしを気遣ってのことなのでしょうか?」
「親父みたいにノイローゼにでもなられたら後味悪いしな」
調子は軽かったが、エドは本気で心配しているのだろう。彼がフィーナを何かと甘やかすのは、聖女の務めに対する気遣いの顕われだということはわかっている。エドの懸念が少しでも軽くなればと、フィーナは微笑んだ。
「人には向き不向きがあるのです。エドのお爺さまがそうであったように。わたしはみなさんのお話を苦と感じたことなどありませんよ?」
子供たちの他愛ない恋の話。職場の人間関係。どうすれば姑と仲良く暮らしていけるか。他人にとっては些細な問題も、当人にとっては大問題だ。フィーナにできるのは耳を傾けることだけ。
それでも愚痴を吐き出し、ちょっとだけ気分が晴れて帰っていく人たちの笑顔を見ると、ホッとする。
「……ま。フィーナがいいなら俺は何も言わないけど」
「ところでエド。わたしはお腹が空きました。今日のお昼ご飯はなんでしょう?」
「そうだなー。卵がけっこう残ってるし、フレンチトースト、とか?」
「フレンチトースト!!」
魅力的なメニューに、フィーナは歓喜した。
仕事が終われば美味しいご飯が食べられて、それから、エドとだらけた時間を過ごす。それがフィーナのルーティンだ。
聖女フィーナの日常は、幸せで満ちている。そしてそれは、何かと世話を焼いてくれるエドのおかげなのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
面白かったと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援いただけたら嬉しいです。今後の励みになります。