夢の中は……
や、やっと塔に着いた。
現実の私ならなんて事無い距離なのに、この贅肉の重りをつけて歩くのはもの凄く疲れる。
私だけ服のまま水浴びしたんですかってくらい汗だくだし。
皆は涼しい顔して、私の息が整うのを待ってくれている。
ベラはさっきから一生懸命私の仮面に伝い落ちてくる汗を拭ってくれているけど、そのハンカチでは無理だと思う。
汗の量がヤバすぎて、ハンカチじゃ追いついてないよ。さっきから何滴か目に汗が入ってるし。
確か眉毛って目に汗が入らないようにあるのよね。
仮面の表面はつるつるしていて、皮膚にピッタリくっついてるから全部汗が仮面を伝って下に落ちてくる。
仮面は別にいいとして、今切実に眉毛が欲しいわ。
目に汗がこれ以上入らないように目の上にハンカチを当てながら、私は観光気分で塔を眺めていた。
これがシャーロットが幽閉され、呪い発動のために身を投げた嘆きの塔か。
へぇー思ったより高いな、5階以上はありそう。石造りでこの高さってどうやって建てるんだろう?
まぁ聞いた所で分からんけど、あの一番上にエイダンが居そうって事ぐらいは分かるわ!
エイダンの母親で側妃のアリステラが亡くなってから、エイダンはずっと悪役宰相のビスタ侯爵にここに閉じ込められてたんだよね。
ビスタ侯爵の娘クロエが側妃になって王子を生んだ場合、エイダンが邪魔になるからって理由で。
この頃のイーサンは愛するアリステラを失った悲しみが癒えず自暴自棄になってたから、エイダンに全く関心がなくて、ビスタ侯爵にエイダンの事は全て任せていたらしい。
だから一国の王子をビスタ侯爵の独断で、こんな所に閉じ込める事ができた。
ビスタ侯爵はずっとエイダンを閉じ込めておくつもりだったんだろうけど、シャーロットがエイダンを殺しかけた事でエイダンはこの塔を出る事になった。
今までエイダンに関心のなかったイーサンは、この事件をきっかけにエイダンを気にかけるようになり、これ以降ビスタ侯爵はエイダンの教育に関われなくなった。
そしてシャーロットは廃妃となり、エイダンと入れ替わるようにシャーロットが嘆きの塔に幽閉された。
小説ではさらっとしか書かれていなかったから、何とも思ってなかったけど、幼い子を1人でこんな所に閉じ込めちゃ駄目でしょ!
シャーロットは自業自得だけど、エイダンは何も悪い事してないじゃない!
それにエイダンが普通に王宮の一室で暮らしてたら、私はこんな大変な思いをせずに会いに行けたのよ!
まぁ、今怒ってもしょうがない。小説の世界を私の夢が再現しているだけだもんね。
それにしても、さっきからずっと塔に人の出入りが多いな。小説の中では誰も近寄らなかった場所のはずなのに。
私がそれをじっと見ていると、ベラが気付いて教えてくれた。
「あれはいつもの用意をしているだけです」
「いつもの用意?」
「あぁ、この記憶も無いんですね。いつもの用意とは王妃様のお茶会の事です」
えっ、お茶会? エイダンと2人っきりでのお茶会!?
シャーロットがエイダンと2人でお茶会をするなんて考えられないから、これはきっと頑張った私への夢からのご褒美に違いない!
これは直ぐに行かねばならん!
「皆、待たせたわね。行きましょう!」
「殿下、せめて汗がひくまで待った方が……」とベラは言うが、そんなの待ってられるか!
すぐそこに私へのご褒美があるというのに、こんな所でじっとしていられる訳がない。
私はベラの言葉を無視して歩みを止めず、慌ててハリーは塔の扉を開けた。
中に入ってベラがなぜ私を止めたのかが分かった。
最後の関門だとばかりに、そこには階段しかなかったからだ。
この高い塔を全部階段で上るの?
しかも、現代の階段とは違って1段1段の段差がかなりあるんですけど。
もう! だから夢にこんな現実さ求めてないんだってば!
仕方ない……頑張れ私! 推しに会えるんだからこんな階段ぐらい上りきってみせる!!
◇◇◇◇
ゼハァ、ゼハァと息を切らしながら、やっと塔の階段を上りきった。
最後らへんは私の頭の中で、エンドレス「サライ」が流れていた。最後の1段を上った時なんか、自分の中ではもう感動ものだった。
そして私の足は限界を迎え、その場に倒れ込んだ。
「殿下! 大丈夫ですか!?」
私の後ろで背中を途中からずっと押してくれていたハリーが、慌てて私を仰向けにしてくれる。
「いつもなら休み休み上るのに、今日は一気に上られるからですよ」と言いながら、ベラは私に膝枕をしてくれてまた私の汗を拭い始める。
皆、私がシャーロットを太らせすぎたせいで苦労をかけるわね。
あぁーこの体勢楽だわ。ベラの太ももの柔らかさがいい感じ。
それにしても汗をかきすぎたからか、物凄く喉が乾いた。
そう思っていたら、私より先に到着していたジョージがちょうど良くコップを持ってやって来た。
「殿下は先程から汗をかきすぎですからね、運動も大事ですが水分補給も大事ですよ」
そう言って私にコップを差し出してくれたので、それを受け取ると私は上体を起こして一気に飲み干した。
「プハァー、おいしい。これただの水じゃないのね」
「えぇ、レモン水に砂糖と塩を混ぜました。丁度お茶会セットの中にあったので少し拝借致しました。ただの水よりはこちらの方が良いと思いまして」
ほほぉ、なんか飲んだ事がある味だなと思っていたけど、私の体調を考慮してスポーツ飲料を即席でつくるとは。
「ジョージ、あなたできる医者ね」
「ホッホッホ、殿下に認めていただけて光栄でございます」
「ジョージ、おかわりを所望するわ!」
「畏まりました」
ジョージは笑顔で一礼すると、私から空いたコップを受け取り扉の方に向かった。
ジョージを目で追いかけていると、扉から半分だけ体を出してこちらを見ている子供を発見した。
えっ、もしやあの子がエイダン?
黒い髪に……長い前髪が邪魔で瞳の色が見えない。
それにしてもボロボロの服ね。まさか一国の王子があんなぼろ切れを着るはずがないし、エイダンではないのかもしれない。
王宮で働く誰かの子供がイタズラに入ったとか? いや、貴族の子供もあんな汚い服着ないわ。
じゃー不法侵入者とか!? いや、それなら真っ先にハリーが動いてるわ。
うーん、取りあえず瞳の色さえ確認できればエイダンかどうかが判断出来る。
私は確認のために、まだガクブルの足を引きずって匍匐前進でその子供に近付いていく。
しかしその子供は、私が近づくとビクッと驚いた後また扉の中に入ってしまった。
あぁー残念、全然瞳の色が分からなかった。早くエイダンかどうか確認したかったのに。
私がうな垂れながら後ろを振り向くと、ベラは何か恐ろしいものを見たかのように驚愕の表情を浮かべていて、ハリーはすぐに後ろを向いて震えていた。
な、何? 何かあった?
いったい2人共どうしたっていうの?
ハリーがやっとこちらを向いたので、どうしたの? という意味をこめて私は首を傾げた。
「で、殿下、仮面をつけたその格好でこちらを向かないで下さい。首、首も傾げないで下さい。あ、あまりにもシュールすぎて……ブフッ! ゴホッゴホッゴホ」
「タカログ卿、不敬ですよ! 殿下、なぜそんな奇行を……やはり、早く子爵様に診ていただかねば!」
そう言うと、ベラは慌てて部屋の中へ入って行った。
私そんな「奇行」と呼ばれる事したかな?
ハリーは一生懸命笑いを堪えているし、ベラも驚いていたからきっと私何かしたのよ。
何かは分からないけど……。
そんで子爵様ってジョージの事か。一瞬誰の事か分からなかったよ。
普通はジョージって呼ばずに子爵様って呼ぶのか。ハリーはタカログ卿。
皆下の名前で呼ぶもんかと思ってたけど違うのね。ほうほう、一つ賢くなったね。
夢から覚めたら一生使う事はないけど。
さて呼吸も落ち着いたし、足も何とかいけそうだから私も部屋の中へ入りますか。
私は起き上がると、扉の方へと向かった。
この部屋の中にエイダンがいる……そう考えると心臓が早鐘を打った。
なんとか落ち着こうと扉の前で深呼吸をして、息を整える。
しかし、ドアノブを握ればまた緊張してきて手がブルブルと震える。
落ち着くのよ私。エイダンとの初対面が、こんなブルブルのかっこ悪い私なんて嫌でしょ。
やっぱり初対面は良い自分を見せたい。例え見た目がシャーロットだろうと。
手の震えが落ち着いたら、このドアを開けるわよ。
そう意気込んだ所でハリーが横からドアノブを掴み、さっさと扉を開けてしまった。
あぁー! まだ緊張で手が震えているのにー!
そう思って、自分の震える手を隠しながらハリーを恨みがましい目で見ていると、ハリーは慌てて部屋に入り「子爵様! 王妃殿下の手が尋常じゃないぐらい震えております! 体調が悪化した可能性があります!」とジョージに向かって叫び、私の手を取りいつ倒れても大丈夫なように私を支えた。
その声を聞いたジョージは慌てたように「タカログ卿、早く殿下をこちらの椅子に!」と言い、ベラは心配そうに私を見ていた。
そしてもう一つの視線があった。さっき見たボロボロの服を着た黒髪の子供。
その子よく見れば長い髪はボサボサで、体はガリガリに痩せ細っていた。
辺りを見回してみるが、この部屋には他に子供はいなかった。
ということは、この子がエイダン!?
やっと、やっとエイダンに会えたのに……私の想像していたものとは全然違う。
閉じ込められているだけで、普通に生活していると思っていた。
実際にエイダンを見れば、ひどい扱いを受けていた事がすぐに分かる。
何が貴重な幼少期のエイダンが見れる、天使のように違いないよ!
さっきまで浮かれていた自分をぶん殴ってやりたいわ!
ハリーに誘導されて椅子に座らされた私は、能天気な自分が恥ずかしくなって下を向いた。
なぜこんな状況なの? 小説にはこんな事は書かれていなかった。
私の想像力がエイダンをこんな目にあわせたっていうの?
違う。私が推しに対して、こんな事を想像するはずがない。
なら、どうして……。
思考に没頭している私の視界に、小さな足が見えた。
ふと顔を上げると、エイダンが目の前に立っていて「王妃様、これをどうぞ」と言って、私に鞭を渡してきた。
「どうしてこれを私に?」
「僕が悪い事をしたから、王妃様は怒ってるんでしょ? これでいつもみたいに、僕に罰を与えて下さい」
そう言ったエイダンの口元は笑っていた。
いつもみたいに? いつもシャーロットはエイダンを鞭で叩いていたっていうの?
それが当たり前のように、こんな幼い子が笑みを浮かべて自ら「罰を与えてくれ」ですって?
おかしい、狂ってるわ。私がこんな事絶対に想像するはずがない!
でも、万が一にも虐待ではなく本当に躾だったら? 一応確認だけしてみよう。
「エイダン……いつも私はどこを叩いていたの?」
「あっ、ごめんなさい。すぐに服を脱ぎます」
服を脱いだエイダンの背中には鞭で叩かれた後が無数にあった。古いものから、新しいものまで。
やっぱり、これが躾な訳がない。
薄々感じていた、この世界の違和感。夢にしてはリアルな痛みに、私の想像力では説明出来ない事の数々。
もしかして夢ではなく、こちらが現実なのではないか。
そう頭の片隅で浮かんでは、考えるのが怖くて自分に夢だ夢だと言い聞かせてきた。
今までは誤魔化してこれたけど、エイダンが苦しんでいると分かってはもう誤魔化せない。
こんな事を私が考えるはずがないのだから、これが夢なんてありえない。
小説には書かれていない細かな設定に出来事。もうこれは認めなければいけない。
これは夢ではなく、現実だと。
なぜ、私はシャーロットになって小説の中の世界にいるかは分からないけれど……。
色々と考える事が多いけれど、そんなのは後にして今はエイダンを助ける事が先よ。
私がシャーロットになったからには、小説の流れを無視してエイダンを保護するわ!
ありがたい事にお飾りとはいえ、王妃という権力を持っているからね。
まずは、エイダンからビスタ侯爵を離さなきゃ。エイダンに関する全権は私がいただくわ!
そうと決まれば、イーサンに会いに行かなきゃ。
私は立ち上がると、エイダンに「待っててね、ここから出してあげる」と言った。
エイダンは訳が分からないようで、その場に立ち尽くして私を見上げていた。
仮面で分からないだろうけど、私は笑みを作り安心させようとエイダンを抱きしめようとした。
しかし、エイダンに触れた瞬間大量の映像と記憶が頭に流れこんできた。
何コレ……何の映像? あぁ……頭が割れそうに痛い、意識が持って行かれそう……でも、ダメ。
今倒れたらエイダンを下敷きにしてしまう。
痛みに耐えながら、私はエイダンから離れ後ろに倒れ込んだ。
「王妃様! 王妃様!」と呼ぶエイダンの声が聞こえる。
朦朧とした意識の中で手を伸ばす。その手は温かなものに包まれた。
「心配しないで……絶対……助けるから……」
それだけ言い終えると、私の意識はブラックアウトした。