エイダンの思い
「はぁー、疲れた……」
そう言いながら、私は部屋のソファにダラリと寝っ転がった。
お腹が「ぎゅるるるるー」と悲鳴をあげているが、今は精神的な疲労でまったく動く気になれない。
横になりながら先程の事を思い出し、また1つため息を吐いた。
ゴリに部屋まで案内された後、ベラではない侍女さん達に囲まれて、浴室に連れて行かれたかと思えば、服を脱がされ、大量の薔薇が浮かんだ湯船に入れられた。
そして、体の隅々を綺麗に洗われた後ゆっくりと湯に浸かり、その後ベッドに移動してオイルマッサージをうけるまでは本当に至福の一時だった。
最初は疲れた体を優しく揉みほぐされて、気持ち良くてうっかり寝てしまうところだった。
しかし、表面の凝り固まった箇所がほぐれてきたところで激痛が走った。
「イタタタタタタっっ!! ちょっ、まっ、痛いっ!!」と私の足を揉んでくれている侍女さんに言うと、彼女は真っ青な顔をしてその場で土下座した。
「も、申し訳ございません!! どうか、どうか命だけは……」そう言って彼女はガタガタと震えだした。
えっ!? ちょっと、何? どういう事? なんで私、土下座されているの? と私も軽くパニックになり、誰かこの状況を説明してくれないかと辺りを見回すと、他の侍女達も皆下を向いてガタガタと震えていた。
この状況一体どうしたらいいの? とアタフタしていると、近くにあった手荒い用の桶の中の水に、自分の容姿が映っている事に気が付いた。
あぁ、そうだった。今の自分は少しでも気に障る事があれば、失神するまで鞭で叩きつけるシャーロットだったわ。
「どうか命だけは」って言われてるって事は、シャーロットの記憶のまだ見ていないところで、誰か殺した事があるのかもしれない。
……まぁ、分からない事を考えていても仕方ないか。今はこの場を何とかしなきゃ。
「とりあえず、頭をあげて」
なるべく優しい口調でそう言ってみたが、誰1人として顔をあげない。
「はぁー」とため息を吐くと、また全員が過敏にビクッと震えあがった。
「今回の事は不問にするから、全員顔をあげなさい」
皆が恐る恐る顔をあげると、土下座をしていた侍女が「本当に罰はないのですか?」と聞いてきた。
「えぇ、もちろん。あなた達は私の事を思って、一生懸命マッサージをしてくれていただけでしょ? それなのに、痛いからって理由で処罰なんてしたりしないわ。だから、早く立ちなさい」
「は、はい」
土下座侍女は返事をすると、ゆっくりと立ち上がりしきりに「ありがとうございます」と目に涙を溜めて私にお礼を言ってきた。
何度も何度も彼女がお礼を言うものだから、他の侍女が彼女を止めて無理矢理部屋の外へと引っ張って行った。
お礼を言われる事なんて何もしていないけど、何とかこの場を治める事が出来たとホッとした。
その後にまたマッサージの続きをされそうになったが、また「痛い」と言ってしまえば同じ事の繰り返しになりそうだったので断り、オイルを綺麗に拭き取ってもらってからガウンを羽織った。
そして、髪の手入れからヘアセット、仮面をしていても見える部分の化粧をしてから、本当に普段着かと疑う程の重たい豪華なドレスを着せられ、更に重たいネックレスとピアスも付けられた。
そしてやっと解放され、今にいたる。
王妃業を舐めてたわー、身支度だけでこんなに疲れるなんて。
お腹は減っているけど、もうここから動きたくない。
そこへ部屋をノックする音が聞こえた。
ベラの声で「王妃様、エイダン殿下をお連れしました」と聞くやいなや、私は瞬時に姿勢を正し「どうぞ」とドアの向こうへと声をかけた。
ドアが開くと黒髪の少年がそこに立っていた。
長かった髪は短く切りそろえられ、エイダンの特徴であるピンク色の瞳がよく見える。
ただ、顔が露わになった事でこけた頬や、大きくギョロッとした目が際立ち、さっき見た時よりも更に痩せて見えた。サイズの合わないぶかぶかの服もそれを強調させてしまっている。
肌も青白く、どことなく儚げなエイダンが今にも消えてしまいそうだと思った。
私は思わず彼に駆け寄りギュッと抱きしめた。
「生きていてくれて、ありがとう」気付けば私は泣きながら、そう声に出していた。
物語上、彼が死ぬ事はないと分かっていても、彼の現状を実際に見れば「よく生きてくれていた」という言葉しか出てこない。
エイダンにこんな仕打ちをしてきたビスタ侯爵に腹が立つが、自分の息子がこんな事になっていると気づかないイーサンにも怒りが湧いた。
自分が心底愛したアリステラとの子供でしょ!
愛する人を亡くしたのには同情するけど、それとこれとは話が別問題だわ。
後で会ったらコンコンと説教してやる!
そう考えていると、腕の中のエイダンがボソリと呟いた。
「……王妃様がいたから」
「えっ?」
私は思わず抱きしめるのをやめて、エイダンの顔を見ると「王妃様がいたから、僕は生きているんです」と笑って彼は言った。
「僕は父上にとっていらない子なんです。だから、王妃様があの塔に来るまでは早く母上の所に行きたいとばかり願っていました。最初は王妃様も僕の事が嫌いで、早く死んで欲しいんだと思いました。けど、お菓子を大量に残して『あなたが残りを全て処理しなさい。残したら許さないわよ』って言った王妃様の目が、僕に生きろと言っているような気がしたんです。最初は気のせいかと思ったんですが、王妃様の鞭打ちは赤くは腫れるけどそんなに痛くはないし、王妃様の言葉は気まぐれのようでいつも温かかった。だから、確信したんです。王妃様は僕に生きていて欲しいんだって。理由は分かりませんが、そんなの僕は何だって良かったんです。誰かに生きていて欲しいって思って欲しかったんです。僕は……本当は死にたくなくて……生きていたくて……誰かに僕を望んで欲しかったんだって……あれ? おかしいな? 嬉しい話なのに涙が……」
泣き笑いしながらそう言うエイダンの言葉を聞いて、また涙が溢れた。
こんな子供になんて事を……普通はまだ親に甘えたい盛りの年齢だというのに、シャーロットがいなければ、エイダンは生きる希望さえ持てなかったなんて。
シャーロット良くやった! あんたの蛮行に辟易していたけど、たまには良い事をするわね。
最初はビスタ侯爵が嫌いだからって理由だったけど、きっとエイダンと接している内に情でも移ったのかもしれないわね。
「へへっ。やっぱり僕は間違ってなかった……」
「そうよ、私はあなたに生きて欲しいと思っているもの。今は記憶が曖昧ではっきりと分からないけれど、その時は多分……言葉に出してはいけない、しがらみがあったんだと思うわ」
「分かっています。王宮はそういう所だって、母上からよく聞かされていました。母上の本音は僕にしか話せないって。その時は意味がよく分かりませんでしたが、塔に居れば嫌でも分かります。僕の一言が原因で人が1人亡くなったので……」
暗い表情でそうエイダンは淡々と話すが、私の頭はパニックだ。
えっ? えっ? 人が死んでいる? えっ、何、どういう事?
王宮のしがらみをすでに理解しているって、エイダンは今いったい何歳なのよ!
私には4~5歳ぐらいにしか見えないけど、どんな経験したらこんな大人びた思考ができるの?
よっぽど辛い経験をしたんだなと、思うとまた涙が出そうになった。
私の涙腺がバカになりそうだ。
「だ、誰が死んだか聞いてもいい?」
「僕の乳母です。僕の現状を知ってこっそり食事を持って来てくれていたんです。でもあの日、信頼していた世話係に『食事をこれだけしか用意出来なくてすみません』って言われて、彼女がとても悲しそうな顔をするから僕は言ってしまいました。『ジゼルが持って来てくれてるから大丈夫』って。『あぁ、だからしぶとく生きてるんですね』って、彼女は笑って僕に言ったんです。それで、間違えたって気が付いたけど、もう遅くて……」
「辛い事を聞いたわね……その世話係は今も?」
「はい、今も僕の世話係です」
「ねぇ、エイダン。痩せている理由と体の傷、その人と関係があったりする?」
エイダンはコクリと頷いた。
「僕の世話係が相当嫌だったみたいです。王妃様のお菓子も毒が入ってるからと全て処分されました。でも、王妃様から貰ったお菓子に毒なんて入っていません。こっそり隠し持って食べていたので」
「なぜそれを、今まで黙っていたの?」
「王妃様は現状を知っていても、お菓子を持ってくるだけでした。そして、お菓子を渡す前に必ず僕に鞭を打ちます。そうしなければいけない理由があるんだと理解していました。王妃様には王妃様なりのやり方があると思うので、僕はそれを邪魔したくなくて言いませんでした」
言葉を交わさなくても、状況だけでそこまで考え、理解し行動したエイダンが素直に凄いと思った。本当に賢い子だ。
その時のシャーロットが、何を考えて行動していたかは分からない。
「けれど、彼女は彼女なりに何か思うところはあったのかもね」と考えていた事が思わず口からこぼれてしまった。エイダンにはそれが聞こえていたようで「彼女?」と聞いてきた。
まだ何も把握してない状況で、自分の現状を誰にも話す気はないので、首を振って「何でもないの」の笑顔でそれを誤魔化した。
話を戻そうと「ところで、その世話係の名前はなんていうの?」とエイダンに聞いた。
「家名は分かりませんが、名前は『メイ』と言っていました」
「分かったわ。ベラ『メイ』という世話係を私の前に連れて来てくれる?」
「承知しました」
「頼んだわ。エイダン、沢山話して疲れたでしょう? 話はまた後にして先に食事をしましょう」
私は立ち上がって、エイダンの手を握るとベラの代わりに来た侍女にダイニングルームまで案内してもらった。
ダイニングルームに入って一番に目に飛び込んで来たものは、テーブルに並んだ沢山のお菓子だった。
えっ? どうしてこんなにお菓子ばっかり並んでいるの?
食事は後ででてくるのかな? と疑問に思いながら席に着く。
向かいにエイダンが座り、目が合うとにっこりと笑ってくれた。
はい、可愛い笑顔いただきましたー。
今でも十分可愛いのに、メイって子は、エイダンの可愛さが分からなかったのかしら?
私ならエイダンに何でも貢いで、ドロドロに甘やかしてしまいたいけどなぁ。
よし、私がここに居る間はそうしよう。
私が今後の方針を決めている間に目の前に紅茶が用意され、エイダンの前にはスープが用意された。
ん? 私にはスープがないの? と考えているとメイドがテーブル上のお菓子を取り分け、私の目の前に置いた。
生クリームどっさりのシフォンケーキにカラフルなマカロン、それにクッキー。
何これ……めっちゃ美味しそうなんですけど!!
ダメダメダメ!! 今日からダイエット始めるんだから、誘惑に負けてはダメよ!
これを食べたらさっき運動したのが全て無駄になる…………でも、1つだけなら大丈夫かな?
あれだけ動いたんだから、1つぐらいならご褒美って事で良いと思うの。
この中だとクッキーが一番カロリー低そうだし、クッキーを1つだけ食べよう。
そう思って、クッキーを口に入れればバターの香りが鼻にぬけ、噛めば思ったよりも柔らかくサクサクとした食感、そこへクッキーに挟んであったチョコレートがトロリと溶け出し、甘さが口いっぱいに広がった。
これはラングドシャ! しかも、私がいつも食べていた市販の物よりも美味しい!
こんな美味しい物が、この世界で食べられるなんて思わなかった。今、口の中がとっても幸せ。
うん、やっぱりダイエットは明日からにしよう。
こっちの世界の食文化がどんな物なのか気になってきたわ。
もう一枚クッキーを口に入れれば今度はホワイトチョコで、ミルキーな味が加わり、バターの香りがさっきよりも強く感じる気がした。
おいしぃー!!
そう思ったらもう、手と口は止まらなくなった。
気づけばテーブルの上にあったお菓子をほとんど食べ尽くしてしまっていた。
えっ? 嘘でしょ?
こんなに食べたのに、まだ食べたりないんだけど……。
チラッとエイダンの方を見れば、一生懸命ちびちびとスープを飲んでいた。
エイダンは私と目が合うと「僕も王妃様みたいに、いっぱい食べれるようになりたいです。もうこれだけでお腹がいっぱいです」と言って、シュンとした。
スープ1杯でお腹がいっぱいだと?
是非とも私とエイダンの胃を交換したい。
それにしても料理はまだかな? まだまだお腹が空いてるんだけど。
また私の前にシフォンケーキを置いてくれたメイドに聞いてみた。
「あの、私の料理はまだかしら?」
「えっ? あ、あの、その……」
メイドはガタガタと震え、うつむいてしまった。
また、これ? シャーロットがやらかしてくれてるおかげで、会話もままならないんですが。
そう考えていると、1人の侍女がメイドと私の間に立ち「王妃様、こちらが王妃様が仰った卵白を使ったお菓子でございます」と言った。
えっ? 卵白? 私そんな事言ってないよ?
「私はハリーにタンパク質の料理と言ったはずだけど」と言うと、厳ついおじさんが慌ててやって来た。
「王妃様何か至らぬところがありましたでしょうか?」
「えっと、あなたは?」
「王妃宮の料理長コンラッドです。タカログ卿から卵白を使ったものを出すようにと言われました」
「そう、では全てハリーが悪いわね。私はタンパク質たっぷりの料理が食べたいと言ったのよ」
「王妃様、申し訳ないのですが、その『タンパク質』とはいったい何でしょうか?」
えっ? タンパク質を知らないの? こんなに前の世界と変わらない美味しい物が沢山あるのに?
まぁいいわ。
「タンパク質とは……ちょっと説明が難しいな。とりあえず鶏の胸肉とか、その近くにある鶏の胸骨に沿って左右1本ずつある小胸筋の肉とかを使ってもらえればいいわ」
「分かりました。胸肉とササミを使った料理をお出しすればいいんですね」
ササミって言葉はあるんかい! ないかと思って、めっちゃ具体的に言ってしまったじゃない!
「そう、そう。これからはそれらを中心にしたメニューで、当分デザートはいらないわ」
「デザートがいらないとは、私の作る物がお気に召しませんでしたか?」
「違う違う。痩せようかなと思っただけよ。今日食べたお菓子は全部とても美味しかったわ」
「そうでしたか……うっ、王妃様から初めて美味しいと言われて、凄く……嬉しい、です。うっ、ふぐっ」
えぇー、料理長なんかめっちゃ泣いてるんですけど……。
これ、どうすればいいの?
そう困っていた時にベラが「王妃様!!」と言って、部屋に駆け込んで来た。
「ベラ、そんなに慌ててどうしたの?」
「『メイ』という侍女が死にました」
「えっ? どういう事?」
「侍女長と2人で『メイ』の今日の担当場所に行ったら、部屋の中で首を吊って死んでいました……」
ベラが言いづらそうに、私にそう言った。