前編
【幸せになってほしい話】のシェリーの兄夫婦の話。
独立した話なのでこちらだけで読めます。
目の前に立っているのは、騎士の家系に生まれたマーシーから見れば随分と痩せた青年だった。
「マーシー。彼がお前の夫になる、ケリーだ」
「! マーシーと申します!」
義父となる伯爵の声に慌ててお辞儀をする。
思わずまじまじと見てしまったが、気を悪くしていないだろうか――不安になったが、彼の様子は一向に変わらなかった。
「……ケリーです。よろしくお願いします」
彼から出た言葉も、そんな当たり障りのないもの。
これは前途多難かもしれないとマーシーは内心気合を入れた。
******
ウィンストン伯爵家は騎士の家であり、騎士団長を何度も輩出するほど武芸に秀でた貴族である。
王家からの信頼も厚く、大勢の騎士たちからの尊敬も受けるのだが、ここ数年は後継問題で紛糾していた。現ウィンストン伯爵の夫人と息子が病で亡くなったからだ。
分家から男子の養子をとるか、もしくは女子の養子をとって高位貴族の婿をとるか。血の濃さではどちらも同じくらいで、決定打に欠けた。ついでに言えば騎士が多い分家男子たちが軒並み「外で暴れていたい派」だったのも問題だった。
それに終止符を打ったのが、マーシーとケリーの婚約である。
「ケリー様は何かお好きなことはございますか?」
「好きなこと……」
「普段好んでされていることとか」
「……すみません、貴族の方が好みそうなことは特になく……マーシー様は何がお好きなんでしょう」
「私ですか? そうですね、普段は刺繍を。無心になって刺しているとすぐに時間が過ぎてしまいます。そうだわ、今度ハンカチを贈らせて下さいね」
「ありがとうございます。……オレは最近は学問やマナーの授業ばかりで趣味のようなものは何も……」
顔合わせの日から毎日行われている午後のお茶会。
この会話も、初日に比べれば大変進展したのだ。終始無言で正真正銘【お茶を飲む会】になっていたのだから。
まだまだお互いが距離を測り損ねていた。
「それでは、『貴族が好みそうなこと』以外では? 以前のことでもよいのです、もし良ければ教えてくださいませ」
「……貴族令嬢のあなたが楽しめそうな話題は何も」
「私、ケリー様のことが知りたいのです。楽しいかどうかは別です」
「……仕事終わりに仲間と酒場に行く、とか……」
「なるほど、お酒を嗜まれていたのですね」
酒浸りは困るがケリーが言っているのはそういうことではあるまい。彼はお酒が好き。またひとつ彼が知れたことに満足する。
「確か、騎士団の皆様が好むお酒があって、伯爵家にも常備しているという話でしたわ。今度お義父様とお飲みになってみては?」
「……機会がありましたら」
ケリーは口角を上げて笑ってみせたが、困り顔に近かった。踏み込みすぎたかと焦る。
「私が飲めたら良かったのですけど」
「……その歳でザルだったら驚きですよ」
「ザル?」
「あー……酒が強い者をザルと呼ぶんです。……すみません」
「謝ることなどありません。ケリー様の話しやすいように話してください」
ケリーは庶民だった。
庶民として生まれた、ウィンストン本家の血を濃く持つ人間だった。
一方マーシーはウィンストン家の分家である子爵家の生まれだ。
ケリーが養子に入り伯爵になり、マーシーがそれを支える。その為引き合わされた二人だった。無論、愛などどこにも無い。
しかしマーシーはそれで仕方ないと思うほど大人ではなかった。
――必ず、ケリー様と恋愛をしてみせます!
マーシー(十六歳)はまだ、恋に恋する年ごろだった。
******
「本当に大丈夫なの?」
そう尋ねてきたのは、親友のドリスである。
ドリスの家も騎士の家系で話が合って学園でも大体一緒にいた。マーシーはケリーとの結婚のため中退したけれど、休日にこうして遊びに来てくれた。
遊びに来る場所がウィンストン家になったことに最初は緊張していたが、今ではすっかり慣れてティーフードを残さず食べている。
「大丈夫よ。ケリー様は無口だけどとっても優しいわ」
「荒くれ者が多い地区の生まれだったのでしょう? 粗雑だったりしない?」
「お兄様たちと比べたらむしろ大人しいかたよ」
二十一歳の今から貴族について学んでいるケリーだが、非常に真面目で覚えも良いと家庭教師が褒めていた。体格も相まって、騎士である兄たちのほうがよほど乱暴に見える。
「そう……マーシーが良いならいいけれど……姫抱きは無理そうね」
「あっ! その話、ケリー様にしてはだめよ!? 変に気にされたら悪いわ!」
「はいはい」
きっと騎士と結婚することになるだろうと思っていたマーシーの淡い夢。「姫抱っこ」。
風が吹いたら飛ばされるのでは、と思うほど細い(ただし身長はある)ケリーには無理だろう。剣を持ったら腕が折れるのではと心配になるほどなのだ。ケリーを見た瞬間からその夢は弾き飛ばしている。無いものねだりはしない主義だ。
「妹のシェリー様はお花が好きだから、ケリー様も一緒に庭の手入れをするのはどうかしらって思うの。もう少し仲良くなったらお誘いしてみるわ」
「ちゃんと歩み寄ろうとしているのねぇ」
「もちろんよ。それにね、ちゃんと恋が出来る気がするの」
「……というより、すでに恋してるのね?」
「――私って、単純かしら?」
ケリーは無口で、話すのもぎこちない。
しかし真面目で、年下のマーシーにも気をつかってくれる。
伯爵家の養子になることを了承したのは妹のためだと聞いている。情もある人だ。
そう、マーシーはほとんどケリーが好きになっていた。
ただ――ケリーとの距離を測りかねているのと、ケリーの心情がよくわからないのだ。
毎日会って話もしているのに。
「恋するだけなら簡単だったのに……愛し合うのは難しいわね。気遣って下さっているのはよくわかるのよ。でもなんというか、シェリー様と同じ扱いなんじゃないかとも思うの」
「妹のほうが歳が近いのだっけ」
「十二歳よ」
「……それはまぁ、そうなるわね」
ドリスに肯定され、マーシーはついため息をついてしまった。
ちなみにドリスが遊びにきた日はケリーとのお茶会は中止である。
その代わり、夕食を二人きりでとるようになっていた。食堂では義父とシェリー、別室でケリーとマーシーという具合に。……シェリーは伯爵と二人きりでも全く動じないらしい。末恐ろしい子である。
******
ウィンストン伯爵家には、よく騎士団関係者が訪問してくる。伯爵自身は騎士団に所属していないが、騎士の知り合いが大半を占める。よく友人達と酒盛りをしているのだ。
「よお、ケリー。元気だったか?」
「……ヴァレンティ団長もお元気そうで何よりです」
サイモン・ヴァレンティは義父の友人のひとり。よく遊びにやってきては二人で酒を飲んでいる。
「しばらく経つのにちっとも筋肉つかないな、お前は……ちゃんと食べているか?」
「元々肉が付きにくい体質なので……至って健康です」
そして、彼はケリーを気遣う騎士筆頭だ。
伯爵家に来る騎士たちは皆、ケリーを気にする。まずその細さを心配し、肉を食えと助言し、はたまたトレーニングメニューを考案したりする。
ケリーが戸惑いながらも体質なのだと宥めるまでがセットである。
元々ウィンストン家は騎士に尊敬される家ではあるが、元庶民のケリーにまで気遣いをするというのも珍しいなとマーシーは思う。
「家を継ぐ為学ぶことが多くて大変だとは思うが、体も動かせよ? 不健康の元だからな」
「お気遣い、ありがとうございます」
バンバンと背中を叩いてから、サイモンは離れる。そのまま伯爵に連れられて部屋に去っていった。
「……今日の夕食は、三人でとりましょう」
「そうですね」
彼らはこれから部屋でずっと酒盛りだろう。楽しそうで何よりだ。
――時刻が進んで、深夜。
リネンについてメイドたちと話していたらすっかり遅くなってしまい、マーシーが早足で廊下を進んでいると、向こうから義父の執事を連れたケリーが歩いてきた。
「ケリー様?」
「……こんな時間までどうしたのです」
「メイドたちと相談していたら遅くなってしまって……ケリー様は?」
「伯爵とヴァレンティ様が酔い潰れたので運びたいらしいんですが、念のため立ち会って欲しいと」
「あら……」
潰れるほど飲むなど珍しい。
義父だけなら使用人たちが勝手に寝室に放り込んでも怒られないが、サイモンは騎士団長である。立ち合いがあったほうが確かにいいだろう。
「でしたら私もお手伝いします」
「……あなたまで煩わせるわけには」
「ものはついで、ですわ」
「……ありがどうございます」
ケリーが小さく笑ってくれたので、マーシーは満足だ。
部屋に行くと、アルコールの匂いが充満していた。
「大丈夫……ですかマーシー。匂いで酔いませんか」
「ちょっとくらい大丈夫です。……窓を先に開けましょうか」
その言葉ですぐに使用人の一人が窓を開けにいった。
二人しかいないのに彼らは相当飲んだらしい。テーブルだけではなく床にまで瓶が転がっていた。
「……ワインにブランデーにエールに……芋酒? 絶対悪酔いすんだろ……」
ケリーが小さく呟いている。どうやらいろいろな酒を同時に飲むと危ないらしい。
使用人たちが床の瓶から片付けている間に、ケリーがソファに沈んでいるサイモンに近づく。
「ヴァレンティ団長。起きられますか?」
反応がなかったら問答無用で使用人たちに運ばせなければと思っていたが、サイモンはゆっくり顔を上げた。
ケリーをぼんやりと見つめる。
「……嗚呼、やっと化けて出てくれたんだな……」
サイモンがケリーを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「顔を見るのも嫌で、来てくれないのかと思ってたんだぜ」
そのまま伸ばしてくる手を、ケリーが思わず下がって避けると、サイモンは悲しそうな顔をした。
「そうだな……もう触れないな……触る資格もないな……すまない、すまない……オレが報告しなきゃ良かったんだ……見て見ぬふりをしておけば……そうすりゃお前は今も嫁さんと子供に囲まれてたかもしれないのに……」
マーシーは気づいた。サイモンがケリーを誰と間違えているのかを。
そしてケリーも気付いたのだろう――血の気が引いた顔で、サイモンを見ていた。
「すまない……すまないウィル、ウィリアム……ウィル……」
ウィリアム・ウィンストン。
ケリーの父の名前である。
サイモンが顔を覆って泣き、そのまま寝てしまうまで、二人は動けなかった。
使用人数人でサイモンをゲストルームに移動させ、ようやくマーシーはケリーの傍に寄れた。
「ケリー様……大丈夫ですか」
先ほどよりはマシな顔色をしているが、心配でしょうがない。
「……大丈夫です。彼も伯爵も相当飲まれたようですね」
ケリーは、ずっと義父を「伯爵」と呼ぶ。
「……ケリー様は、伯爵がお嫌いでしょうか」
「……」
「それとも……お父様がお嫌いですか」
「オレに父は居ません」
思わずといった風に強い声を出し、すぐにバツが悪そうな顔をした。
「すみません。……確かに嫌いでした。顔も見たことない父、母を捨てた父、子供を孕ましておいてどこかへ消えた男。ずっとそう思っていましたから」
「でも、一番嫌いなのは」
「……ケリー様?」
「――いいえ、何でもありません。こんな時間まであなたもつきあわせて申し訳ない。もう休んでください」
「ケリー様」
「おやすみなさい」
有無を言わさず、彼はそう言って去ってしまった。
マーシーは、追いかけることが出来なかった。
******
ケリーの父親――ウィリアム・ウィンストンは、現ウィンストン伯爵の弟だった。
ウィンストン家の男子らしく、学園の騎士コースを卒業した後すぐに騎士団に入った。
快活で表裏なく、先輩からも後輩からも信頼された男。縁談も次々に舞い込んでいた。
しかし、彼は庶民の女性に恋をした。
本来なら彼は伯爵家を継ぐ立場でもない為、庶民と結ばれても問題は無かった。ただ、来ていた縁談の中に、他国の高位貴族の娘が混ざっていたのが事態をおかしくした。
自国内ならまだしも、他国の貴族を差し置いて庶民を選ぶのはどうなのか。国の問題になってしまわないか。
それを危惧した周囲の人々は、彼に恋を諦めるように諭す。
ところが彼はそれを拒否し、あろうことか辞表を残して家出をしてしまったのである。
たとえすべてを失っても、彼女と一緒にありたい。使用人にはそう零していたそうだ。
そうして半年行方をくらましていたのだが、王都の一角で歩いていた彼を偶然にも友人騎士が――サイモンが発見してしまった。
屋敷に連れ帰り、話し合いをしようとした。しかし彼は、ひたすらに放っておいてほしい、何なら死んだことにしていいから放逐してほしいと言うばかり。
もしかしたら何か術をかけられて錯乱しているのではないかと魔術師を呼んだりもしたが、彼はまったくの正常。
その後すぐに彼は病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。
最後に、小さく「ケリー」と呟いて。
「その後、ウィリアムを見つけた周辺で、ケリーという女性を探した。ウィリアムが亡くなったこと、ずっと彼女を守ろうとしていたことを伝えなければと思っていた。……だが、該当する者が見つからなかった。範囲を広げても、どこにも居なかった」
見つかる訳がなかったのだ。それは彼の妻ではなく、もうすぐ生まれてくる子供の名前だったのだから。
やがて捜索をあきらめ、二十年以上経ち――再びサイモンが、偶然にも見つけたのだ。
友に生き写しの、ケリーという青年を。
「彼を見た時、正直に言えばゾッとした。病でやせ細った後のウィリアムそのものだった。サイモンも最初は幻覚を見たのかと思ったらしい」
あまりにもそっくりだった為、何かの罠かとも思った。懇意にしていた魔術師を呼んで見てもらい、『間違いなくウィンストン家の血を持っている』と判断してもらったほどだ。
そして周囲も調査し、名前と境遇を知り――ようやく思い違いに気づいたのだ。
「さて――私たちを軽蔑するかい、マーシー」
義父がマーシーを見つめる。
ケリーが家庭教師との授業をしている間に義父に時間を取ってもらったマーシーは、ようやくこの結婚の全貌を知った気がした。
今もウィンストン家に出入りする騎士は、ほとんどがウィリアムの友人でもあった。ウィリアムを知っている者たちからすれば、ケリーは痩せすぎなのだろう。
そして、ケリーが存在していたことに誰もが喜び、友人の忘れ形見を守ろうとしている。
「軽蔑など、しません」
「……母親は、息子を育てながら帰らぬ男をずっと待っていたらしい。何かと気をつかってくれていた幼馴染と結婚するまで、ずっと。……ケリーが私を許さないのも当然だろうな」
恨まれても構わないのだと、言う。
「ただ――ウィリアムを恨まないでいてくれれば、それでいいと思っている」
実際「酒をちゃんぽんすると悪酔いする」というのは、
「多種類飲むと総アルコール量が分からなくなるから」だそうです。
飲める年齢の方はお気を付けください。