初めての心肺蘇生 後編
1年C組教室前の廊下は他のクラスからも見物人が集まりだして騒がしくなっていた。
教室の中では長井紀央のくちびると、サーターアンダーギー(佐藤)のくちびるがふれるかふれないかの距離にあった。
汗だくで顔を真っ赤にしている長井。
そのまわりを囲んで見守る女子たちも頬を赤くして祈るように真剣な眼差しを向けている。
ドックン、ドックン。
長井の鼓動が大きくなる。
彼がかけているメガネも自身の蒸気で曇り気味だ。
しっかりしろ俺!
集中だ!
変な事を考えてる場合か!
命がかかってるんだ、これはレスキューだ!
気道は確保した。
鼻もつまんだ。
よしいくぞ!
唇が佐藤の唇に触れた。
フーッ!! フーッ!!
できた!
なんとか息は入っていったみたいだ。
次は心臓マッサージだ!
ドク・ドク・ドク・ドク―――。一定のリズムで胸を押し込む。
次はもう一度マウスツーマウス!
フーッ! フーッ!
マッサージ!
ドク・ドク・ドク・ドク―――。
マウスツーマウス!
フー!フー!
長井は一心不乱に心肺蘇生法を繰り返した。
生きろ!
生きろ!
生きかえれ!
サーターアンダーギー君! 戻ってこい!
「なにをしている!?どうした!!」
突然ダンディーな低音イケボが教室に響いた。
声の主は騒ぎに気付いて、何事かとやって来たダンディーでワイルドなイケメン体育教師のおじさん、向井 幸広だ。
「向井先生!」 木葉の表情がパッと明るくなった。
―――その頃、職員室では。
「大丈夫よ」
工藤の落ち着いた返しにキョトンとする鈴木。
「彼は一度寝たらなかなか起きない性質なの」
「えっ」
「自分のタイミングでしか起きない子なの。それまでは何をしても無駄よ、絶対に起きないわ」
「でもっ……」
「大丈夫ったら、大丈夫、いつもの事よ。でもあの子、寝てる時は息をしているのかしていないのか分からないくらい呼吸が浅くて静かだから、初めてみた人は死んでると勘違いしちゃうかもしれないわね、うふふ」
「ええーっ!」
「まあそういう事らしいから。いや~いきなり鈴木が切迫した様子でやって来るから先生びっくりしちゃった、ヘヘ。まあ、何事もなくてよかったじゃないの。鈴木、教室に戻って皆にも教えてきなさい」
「はい!」
「あっ、ちょっと鈴木さん!」
すぐに戻ろうとする鈴木を工藤が引き留めた。
「はい?」
「彼の苗字はサーターアンダーギーじゃなくて佐藤よ」
「へ?」
―――その頃、教室では……。
「肘はピーンと伸ばす! ほら、もうちょっと早く! リズミカルに! あぁあ~そんな弱腰じゃダメだ」
「えぇぇ……」
「よし、僕が代わろう! ほら、どきなさい」
長井の代わりに向井が人口マッサージをする事になった。
ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ―――。
さすが体育教師、力強く軽快に胸を圧迫する。
「少年! 戻ってこい! 川は渡るな! 引き返せ!」
声もでかい!
30回圧迫して、つぎは人工呼吸のターン!
向井は手なれた様子で気道を確保すると佐藤の鼻をつまみ、己の口で佐藤の口を覆うようにしっかりと密着させた。
そして、いよいよ向井が息を吹き込もうとしたその時だ!
佐藤の目があいた!
密着したまま視線が合う、佐藤と向井。
「「んんんんんんんんーーー!!???」」 驚く佐藤と喜ぶ向井。
「ぶはっ、なにしやがるんだこのゴミクソやろう!!」
佐藤は向井から口を離すと向井の胸を押しのけて突き飛ばした!
尻もちを付く向井。
「「うおおおおおおおおおおおおおおーーー!!」」
佐藤の復活に教室や廊下のみんなが歓声をあげた。
「サーターアンダーギー!」
涙目になってうれしそうに叫ぶ丹翔。
「サーターアンダギー君、先生は君を助けようとしてっ」
「うるせえ!!」
学級委員長、長井の言葉をさえぎり怒りをあらわにする佐藤。
教室はいっきに静まりかえった。
「サーターアン」
「だまれブス!」
びっくりしてちぢこむ耳川。
「あんたねぇ」
「だまれって言ってんだろメスブタ!!」
ギャルの岡波路メロにも容赦ない。
そこへ、走って戻って来たのは鈴木もあかだ。
「木葉先生! サーターアンダ」
「うわあああああああああああああああああああー!!」
佐藤は、もう誰にも何も言わせないと言わんばかりの雄叫びをあげてダッシュで窓ガラスを突き破り教室を飛び出して行った。
「「きゃあー!!」」
「あぶない!」
びっくりする生徒たち。
「うそでしょ! ここって2階よ!」
メロもびっくり。
すぐに窓際まで駆け寄った耳川は驚きと恐怖でただただ目を丸くして、グラウンドを猪のように一目散に去ってゆく佐藤の後ろ姿を見下ろしていた。
「何だったんだ」
「スゲーな今の」
「なんなのアイツ」
「だいじょうぶなのかよ」
「あっぶねーヤツ」
「それにしても耳川の頭どうなってんだよ、鳥の巣かよ」
「あ、ほんとだ。 鳥の巣みたい、かわいい、あはは」
「これにはわけがあって……」
「耳川、烏でも飼うつもりかー?きゃはは」
「「あはははは」」
ざわざわする教室の中、尻もちを付いていた体育教師の向井は一人で考え込んでいた。
「あいつ…中々やるな……」
―――その日の夜。
耳川実鈴は布団に入ったが、なかなか寝付けないでいた。
目をつむると浮かんでくるのは何故か木葉先生と佐藤君が唇と唇を触れ合わせる場面ばかり。
うぶな耳川には刺激が強すぎたのか。
同じく、丹翔も何故か木葉と佐藤のシーンを思い出しては布団の中で悶々としていた。
そして、亜久里才子も布団に入るがなかなか寝付けないでいた。
何故か浮かんでくるのは長井君と佐藤君の唇と唇が重なり合うシーンばかり。
亜久里にも刺激が強すぎたのだろう。
長井紀央も眠れずに苦しんでいた。
今日はずっと勉強にも集中できなかった、気を抜くと何故か佐藤君の事ばかりを考えてしまう。
生まれて初めて心肺蘇生をしたんだから無理もないだろう。
彼らと同じクラスのとっても可愛い男の子、今田久も眠れずにいた。
何故なのか、瞼を閉じれば向井先生と佐藤君のあの場面が何度もリフレインする。
一方、木葉未来はシルクでできたピンク色のナイトキャップをかぶってぐっすりと心地よさそうに眠っていた。
彼女は上半身裸の向井先生に後ろから手を添えられ、上半身だけの人形を使って心臓マッサージを教えてもらう夢をみていた。
「ワキはキュッとしめて、腕はしっかりと伸ばして」
「あ……向井せんせい……」